勇者の一日
「起きろルゥーー!」
「うるさい……」
勇者選定の聖剣と共に封印されていた守護獣が日の出と共に頭の上で跳ねる。
その聖剣を抜き放った次代の勇者であるヘカテリーヌは安眠妨害の主をつかむと気だるさをぶつけるように放り捨てた。
「ブッ…ゥ………何するルゥー!?」
「え…きゃ!?ごめんなさいっ!」
寝ぼけ眼を擦りながら慌ててベッドから飛び起きる。
するとカーテンのすき間から朝日が差し込んで来た。
今日もまた新しい一日が始まるのだ。
寝間着から着替えたヘカテリーヌは小走りに町の北側へと向かう。
「これは勇者様、おはようございます」
「おはよう、おばあちゃん」
「勇者様だー!」
「おはよう!」
町行く人と挨拶を交わしながら王都アウステラを見下ろす城を目指す。
やがて見上げる程立派な門にたどり着いた。
護衛兵に挨拶すると慣れた手つきで隣に設けられた通常サイズの扉を開けてくれる。
「ねえ、普通の扉があるなら大きい門は要らなくない?」
「昔からあるものですから……」
それもそうか、兵士さんをこまらせても仕方ないとヘカテリーヌは納得する。どうせ手持ちぶさたに口をついてでた話題だ。
門だけでなく城のスケールは何でも大きい。
無駄に広い庭を通って兵士が駐屯しているエリアまでやって来た。
「おはようございます、グスダフさん!」
「うむ、では今日も始めていこうかの」
「よろしくお願いします!」
グスダフさんはアウステラ軍、元最高司令官で現在は参謀顧問として新人の育成等を任されている。
「「よろしくお願いします!!」」
未来を担うであろう若卒達の声が訓練場に響き渡る。
ヘカテリーヌは彼らに混じって早朝練に参加するのが日課となっていた。
「勇者様」
「?」
ランニングを終えて戻ってきた彼女にグスダフが声をかける。
「実は貴方様と立ち合いたいという方がいらっしゃっておりまして」
「私と?」
すると現役を退いた老兵の後ろから屈強な体の男が出てきた。
「こちらはグレム家第二王子のバウレイ様ですじゃ」
「第二王子…ってことはバウリークの弟ってこと?」
言われてみればどことなく面影がある。
こちらの方が目鼻立ちがよく好青年っぽいが。
「勇者というから期待して来てみたが、なんだただの女ではないか」
大きな瞳を歪ませてフッとほくそ笑むバウレイ。
兄弟揃って不遜な奴だった。
「あんた、喧嘩売ってんの?」
「好きに受けとるといいさ」
「まっまぁまぁ、せっかくの機会ですしここは穏便に…」
グスダフさんに案内されて訓練場の中央へとやって来る。
「えー、スキルの使用は禁止、審判は私が請け負います」
お互いに木剣を構えて相対する。
「どっからでもかかってきなさい」
「それじゃお言葉に甘えて」
「!」
気づけばバウレイは手前数メートルのところまで接近していた。
少しも目を離していなかったのに。
続く痛烈な一撃をなんとか弾く。
「ほお、そこそこ腕はたつようだな」
誉めこそすれ顔には余裕の笑みが張り付いたままだ。
「どうした?攻めてこないのか?」
怒濤のように押し寄せる斬撃を何とか弾き続ける。
挑発にのっては駄目だ。
一合目でこいつの実力は判った。
強い。
たぶん今の私より。
だけど無闇に攻めなければ隙は生まれない筈だ。
「アウステラ流か。相変わらず陰気な剣術だ」
「…あんたもここの人間じゃないの?」
バウレイの動きにはグスダフさんに習ったものがいくつか混ざっている。それもすさまじい練度で。
「それがなんだ、ただ生まれただけの場所だ」
すると唐突に攻撃の嵐が止む。
(構えが変わった?)
「世界は広い、それを教えてやる」
「!」
再びの踏み込み。だがさっきまでとは違う。
(隙だらけじゃない!?)
大袈裟に振りかぶられた大上段。
胴は伸びきっており小回りは効かないだろう。
そこを狙わない手はない。
「!?」
だが隙を気にしない一撃は今までよりさらに鋭く、強くヘカテリーヌを襲った。
激しく撃ち下ろされた木剣が半端に前進した彼女に迫る。
それをすんでのところで受け止めた。
だが全体重を乗せた一撃は小さな体を吹き飛ばすには充分だ。
バランスが崩れたところにバウレイはさらに畳み掛ける。
「ヲオオオオォォ!!」
すべてに必殺の力を込めた渾身の乱舞。
「うっ…くぅ……!」
何とか防いでいるもの防戦一方。
剣がかち合う度に腕が痺れて感覚が消えていく。
このままでは負けるだけだ。
ならば次の一撃に全てをかけるしかない。
「やぁっ!!」
敵の撃ち下ろしを退けた直後、身を乗り出して反撃に転じる。
「!?」
しかしそこには既にバウレイの姿はなかった。
「あっ」
首筋に強烈な一撃が入った。
物理的に神経が遮断され意識が離れていく。
そのまま大地に滑り落ちた。
「痛ったー!」
首筋をさすりながら苦痛に顔を歪める。
「驚いた、まだ意識があるのか…」
その様子をバウレイは少し離れた場所から幽霊でも見たような顔で見つめていた。
「頑丈さだけが取り柄だもんね」
「真剣であれば死んでいたがな」
「むー、何よー、そんなへそ曲がりだとモテないんだからね」
「あいにく、俺は既婚者だ」
「え」
第二王子という事は自分より年下の筈だ。
「バウレイ様はエルクシスの姫と婚姻されて今は向こうで暮らしているのですよ」
「はへー、王子様って凄いのね」
「別に普通だろう、いまだに婚約者もいない兄上がおかしいのだ」
「俺がなんだって?」
さっきまで新兵達と剣の素振りをしていた第一王子バウリークがやって来た。
「これは兄上、あまりに貧相な体捌き故気づきませんでした、挨拶が遅れて申し訳ありません」
「バウレイお前は相変わらずだな。グスダフ、素振り1000回は終わった。次のメニューに移らせたが構わんよな」
「ええ、もちろんですとも」
短いやり取りを交わすとバウリークは新兵達の元に戻っていった。
「あれは……本当に兄上か?」
「何?会わなすぎて忘れた?」
「以前ならもっと……いや、何でもない」
依然、不服そうなバウレイだったがヘカテリーヌにはもっと気になることがあった。
「ねえ、そんなことより、エルクシスに住んでるって事はさっきのはもしかしてエルクシス流?」
「それとヒメチェリア流だ」
「凄い!」
アウステラとエルクシスとヒメチェリア。
世界三大国家が伝える剣術を彼はその身一つに備えているのだ。
「バウレイ様は我が国始まって以来の天才とうたわれたお方ですからな」
「ねぇねぇ、私にも教えてよ!」
ヘカテリーヌは相貌を輝かせてバウレイにすり寄る。
その態度にアウステラの天才剣士は困惑した。
「お前、……俺が嫌じゃないのか…」
バウレイは己の言葉にきょとんと首を傾げる彼女の首筋を眺める。
先程撃ち据えた傷跡が赤々と腫れていた。
「まあ嫌味な言動は直した方が良いと思うけど、少なくとも剣に関しての貴方は素直だわ」
「ぬかせ……良いだろう、勇者が弱くては国の未来に関わる」
「あー、そういうとこだかんね」
こうしてヘカテリーヌはバウレイに剣の指導を受けることになった。
「あ"あ"っ…」
何度目とも知らぬ驚声が訓練場に響く。
激しく殴打された勇者ヘカテリーヌが大地を弾み転がっていく。
しかし苦痛に顔を歪めながらも剣を杖に立ち上がる。
「まだまだぁ!!」
「はぁ……今日はこのくらいにしよう」
教官であるバウレイは殆ど攻撃を受けていないにも関わらずどこか憔悴していた。
「どうだ?彼女は打たれ強いだろう?」
「這いつくばった上に他人の自慢をしないでください、兄上」
「だって……足が動かんのだもん」
「だらしないわよ!それで王様になれるの?」
「わっわかっているっ痛たた」
訓練でへとへとになったバウリークはヘカテリーヌに叱咤されて無理矢理体を起こした。
「それでは、俺は父と話がありますので」
「私が案内いたしましょう」
バウレイ、グスダフと別れた後ヘカテリーヌは汗を流してバウリークと共に城内にある食堂へと向かった。
「お二人さーん、こっちこっち」
部屋の一角でこちらを呼ぶ声がする。
見るとホリット家とティロン家の第一王子達だ。
「珍しいわね三人が揃うなんて」
「そうか?前はよくつるんでたけどな」
司法を担うティロン家の王子でありながら音楽活動に入れ込む傾奇者レギュムが肉を頬張りながら返事をする。
「子供の頃の話でしょう」
落ち着いた様子のバーンズリーが訂正を入れる。
「そういやさっきバウレイを見たぜ、相変わらず部長面だったなー、何しにきたんだろ」
「おそらくエルクシス王の書状を届けにきたんでしょう。ディミストリの件で」
最近、魔法の国ディミストリが魔王軍に襲われるという事件があった。
「どういう事?」
「これまで存在があやふやだったかの国が突然姿を表したんです。その交易件を巡っての話でしょう」
「大丈夫なのか?」
「元々ディミストリは我々と関わる気は無かったんですが、実はエルフの方が説得してくださいまして」
「そりゃまた難儀だな」
「まあ、面だった問題はないですよ」
「そうだそうだ」
「まったくね」
「……ついてこれてるんですか?」
「ぜんぜん」
ヘカテリーヌとバウリークは生返事を返すだけだ。
二人に政治の話は早かったらしい。
「後でカタクラさんに話しておきますから、彼に聞いてください」
「うん」
「そういやよ、勇者様はカタクラと結婚するのか?」
ゴッホ、ゴホッ。
ヘカテリーヌは唐突な話に激しく咳き込んだ。
「い、いきなり何っ?」
「いや?ちょいと気になってよ」
「それは私も気になりますね」
「バーンズリーっお前まで何を言い出すんだ!?」
外交王子の以外な参戦にバウリークも声をあらげる。
「おかしな事ではないでしょう、今や貴方は世界中が注目する勇者なのですから」
「まさかヘカテリーヌ殿を政治利用する気か?」
「逆です。むしろ政治利用させないために聞いているのですよ。その点カタクラさんはどの国にも傾倒しておらず安心です。ちなみに君は以前プロポーズしたらしいですがそれは認められません」
「その話はもういいだろう!」
「お前には愛しのセイリスちゃんがいるもんな」
「はぁ、まだ諦めていなかったのですか?」
「なっなぜそれをっ…!?」
三人が勝手に盛り上がる中ヘカテリーヌは思案する。
そして一つの答えを出した。
「ヨウとはそういうんじゃないわ、あいつにはもう相手がいるもの」
「…そうですか」
「今は魔王を倒す事が優先だもん」
「カタクラにそんな相手が……、あいつは俺の味方だと思ってたのに…」
「この際駆け落ちしちまえよ、法律なんて無視無視」
「レギュム、君はもっと法王の一族という自覚を持つべきだ…」
「けどよ重罪はたいてい死刑だし、後は細けー事件だけ。離婚調停なんて気だるいだろ?」
「秩序を守るには必要な事です」
「お堅いねー。例の温泉にでも浸かってほぐしてきたらいいぜ」
「温泉?」
会話の中の聞きなれない言葉にヘカテリーヌが反応した。
それにバウリークが意気揚々と解説を始める。
「以前、国の近くで大爆発があったろう、そこで温かい水が湧いているというんだ」
「それを持ってきて大衆浴場を作ろうという話もあるのですが、これが中々……」
「大爆発……」
話を聞いたヘカテリーヌは過去の出来事を思い返す。
それはヨウと初めてあったあの日。
サトミを助ける為に潜ったダンジョンで追い詰められた魔物が自爆した。
それでサトミは記憶を失い、そこまでして彼女が守ってくれなければ今の自分はいなかっただろう。
「どうした?ヘカテリーヌ殿?」
「…ううん、何でもない」
ヘカテリーヌはさっさと朝食を胃に放り込むと城を後にした。
そして国からも出て魔物相手に大立回り。スライムをバッタバッタと斬り裂いていく。
因縁の宿敵も今ではワンサイドゲーム。
勇者になる前までが嘘のように、最近は成長を実感している。
けれどまだまだだ。
もっと、もっと強くならなければ。その一心でヘカテリーヌは剣を振り続けた。
ズズズズズズ…………。
「!」
強力な魔物の気配にピリリと肌が毛羽立つ。
やがて近くの林から異形の者が姿を現した。
下半身はスライムのようにうねうねと不気味に流動しているが上半身は幾本もの棘が密集している。
瞳は無く、ニュッと伸びた口吻の先でギタリと牙が覗いていた。
この辺りでは見ない魔物だ。もしかすると魔王軍の手先かもしれない。
「じょうとうじゃない」
ヘカテリーヌは厳しく睨み付けながら笑う。
そして剣を構え切っ先を魔物に向けた。
「ヘカテリーヌ……」
「え?」
その顔から険しさが消えたのは魔物が自分の名を呼んだからだった。
ヘカテリーヌは慌てて懐から勇者の盾の一部を取り出して髪に着けた。
すると目の前の異形がみるみる小さくなって、やがて可愛らしい少女へと変身した。
 




