第6話 話せば分かります
ツコツと靴音を響かせながら歩く背中はすっとしていた。
洋装のメイド服を違和感なく着こなすその日本人女性には非の打ち所がない美しさがあった。
ついでに言うならば、後頭部で団子にした黒髪のつややかさ、その下に見える首筋の白さにはただの見物ならば自然と目を取られたのだろうが。
しかしながら、清二郎はそれどころではない。
何せ歩き始めてから無言が続き、背中を向けているのに刺すような空気がそこはかとなく伝わるのだからとても話し掛けにくい。
加えて、周囲を見れば珍しいメイド姿に驚き、次に後ろのあいつは誰だといぶかしみ、昨日は綺麗なお嬢さんと歩いていなかったかと好奇と羨望の視線が刺さってくる。
これ以上無いほど悪目立ちしていた。
「実に落ち着かない・・・」
「何か仰いましたか?」
先を歩くメイドが振り返るが、その表情は石膏で固めたように完璧に整った笑顔の形をしていた。
距離を置かれている理由はおおよそ察しが付く。
自分が仕えているお嬢様に急に男が近づくことを警戒しないわけがない。
執事の海老原しかり、下手な行動を取ればただではすまないくらいのつもりなのは明らかだ。
したがって、問いに対しての答えは決まっている。
「いえ、何でも無いです」
清二郎の言葉に呆れたのかメイドは一つため息を吐く。
立ち止まり、清二郎に向き合って軽く頭を垂れる。
「自己紹介がまだでしたね。こずえお嬢様専属メイドの小金井詩子と申します」
「森山清二郎です。って名乗るまでもないでしょうが」
「そうですね。お嬢様からあなたを引き入れるとお話があった時点で身辺調査は抜かりなく」
「さらりと怖い話を聞いてしまったような・・・」
「当然の処置です」
そうでしょうけれども、と思いつつ言葉は飲み込んだ。
さすがにめまいがしてくる。
「さあ、お嬢様をお待たせしているのです。行きますよ」
再び背中を向け歩き出した詩子に付いていきながらふと聞きそびれていたことを思い出す。
「そういえばどこに向かっているのでしょうか?」
「学長室ですが。応接室に使えそうなのがそこだけなので」
「そうですか・・・・・・」
今度は振り返らず当たり前のように返事が返ってきた。
九割九分、このメイドさんが問答無用で押さえたのだろうなぁ、この調子だと。
清二郎がそんなことを考えていると、詩子がとある扉の前で立ち止まった。
「森山さん」
「な、なんでしょう?」
突然名前を呼ばれ清二郎はどきりとした。
最初に呼ばれたときは丁寧だったが、研究室から連れ出すために周囲の目を気にしてだろうと思う。
しかし、その後からの警戒感を隠しもしない刺々しい空気から敬称付きで名前を呼ばれるなど予想していなかった。
周囲を見ると人気のない廊下に移動していたことに気づき嫌な予感がした。
「煤が付いていますよ」
手がかかる人ですね、とでも言いたげな笑みを浮かべて歩み寄り、ハンカチを頬に当てようと右手を伸ばして。
「掃除中にお呼び立てしたので無理もありませんが、これからお嬢様にお会いになるのですから―――」
次の瞬間、清二郎の視界が横に流れ、暗闇に包まれた。
襟がつかまれて空き部屋に引きずり込まれたと気づいた時には背中を壁に押し付けられていた。
「本当に、身の程知らずとはこのような底なしの愚か者を言うのでしょうねぇ~」
鉛でも混ぜているのだろうかと思うようなずしりとくる声音だった。
目が笑っていない。
襟を握り絞めた手に血管が浮き出ている様と相まって、このまま息の根を止める気で来ていると言外に感じてしまい身震いする。
「釈明させてください。こずえさんの方から声をかけてきたのであって」
「私のかわいいお嬢様の名前を気軽に呼ばないで」
「ではどうしろというのですか?」
その問いに、メイドは口角を釣り上げた。
好意や敬意からではもちろんない。
そのような言葉とは正反対のものだ。
浮かべた笑みに狂気さえ感じる。
「いえいえ、何をしても言っても意味がなくなりますから大丈夫です。考えるなど意味がありません~」
そう言うと、彼女は髪留めに空いていた左手をかけ一気にそれを引き抜く。
目の前の暗がりに更に濃い夜と瞬く光が広がった。
息を呑んだ直後、再び襟を引かれる感覚とともに二人の位置が入れ替わり、清二郎と壁の間に詩子が入る形となった。
「どうですか?これで私が一言悲鳴を上げればあなたはお終いです!」
してやったりとそう言い放った腹黒メイド―――
「こ、これでお嬢様も男性はきっ危険な生き物と・・・」
もとい、〝元〟腹黒メイドだったが、顔は急速に赤く変貌していった。
引き締まった容貌が崩れ、眉尻が下がり視線が下がり言葉が途切れしぼんでいく。
「うぅっ」
もはや涙声になり崩れそうになっていた。
自分の発言か、はたまたこの状況か、もしくは両方か。
何にせよ、慣れないことをしてしまっていたことは清二郎の目から見ても明らかだった。
視線を下すと、すぐ目の前にうつむいた黒い頭が見えた。
それが何やら可愛く思えてきてそっと右手を置く。
びくりと肩が跳ね、次いで上げた彼女の顔はいまだに耳まで真っ赤だった。
睨むような目には悔しさや恥じらいがにじんで見えるため、今度はあまり怖いとは思えなかった。
いやむしろ―――
「やめてください。どうせ男性とお付き合いしたこともなくお嬢様一筋で生きてきた私には無茶な事をしたと自覚はありますから。慰められたらみじめです」
そう言って手を振り払う姿は先ほどと打って変わって目のきつさが取れて温和な表情になっていた。
こちらが本来の彼女なのだろうと彼にも察することができた。
その様子にこれ以上追い打ちをかけるわけにもいかなくなった清二郎はつい笑ってしまった。
では何を言おうかと逡巡する。
そういえば―――
「そういえば、お茶とても美味しかったです」
「え?」
「あなたでしょう?研究所にお邪魔した時に紅茶を淹れてくれたのは」
詩子の心中で素直に出た言葉は、この人は何を言っているのだろう、だ。
唐突に出てきた話題がお茶の件なのはもちろんとして。
「あの日、私は姿を隠していたのになぜそうだと思ったのですか?」
言い当てられた。
気配を消して隠れることには自信があったのに。
お嬢様のメイドとしての矜持であったのに。
この男と関わった途端に自信を失うことばかりで、今すぐどこかに埋めてしまったらすべて解決しないかと思ってしまう詩子だった。
対して元凶は大したことでもないとばかりに言うのだ。
「あー、実は見つけたというわけではないのだけれど」
「…というと?」
もう意地を張るのも馬鹿馬鹿しくなった詩子は、むくれつつも素直に首をかしげる。
「あの場にもう一人いないと説明がつかないからです。海老原さんがお茶を淹れるには無理な条件が二つあって。一つは彼が護衛役であるのに主人から目を離して作業に集中するとは思ないこと。二つ目は研究所に到着してすぐに運ばれたことです。茶器の温めや蒸らしは提供直前にできますが、お湯を沸かすとか前準備はすぐにはできないので」
「だからと言って私とは限らないのでは?」
「ご令嬢のそばに女性を置かないわけがないこともありますが、それよりも」
「それよりも?」
「あなたと話してよくわかりました。彼女の口に入るものを他の人間に任せるなんて絶対に許さないでしょう?」
「ぐっ」
しっかり分析されていたことに反論できず、詩子がしかめ面で目をそらした。
この事態はただただ悔しい。
あれだけの執着を見せてしまった後で筒抜けも良いところとはいえ、大切なお嬢様との絆を暴かれたようで。
やはり実力行使で記憶をなくしてもらうべきだろうかと拳を握りしめたところで上から言葉が降ってきた。
「ところで、いい加減この態勢をやめませんか?」
「―――――っっっ!!」
男性と壁の間に挟まり襟をつかんだままだったことに気づいた後、弾かれるように距離を取る動きは彼女の人生で最速だった自信がある。
取り戻した自信がそこなのかという議論はさておき。
後には無実を訴えるように両手を挙げて苦笑いする男が立っており――。
「そういうことは早く言って下さい!」
あなたがやったことですよね、とはさすがに彼も言えなかった。
いくら理不尽でもこれ以上感情に火を付けると収拾がつかないことは分かる。
どうにか落ち着いてもらおうと清二郎が考えた矢先だった。
「詩子さん?そこにいるの?」
間が悪く新たな声が外から聞こえ心臓が飛び出すのではと2人は思った。
「こずえさん!?」
「お嬢様!?」
この上なく気まずい緊張が2人を包む。