第3話 帰途
「――久しく見なかったな」
屋敷の門を出てすぐのこと、ハンドルを握る執事の男性はわずかに目を細める。
笑っているとも寂しさとも取れる眼差しが示すだろうものは容易に見当が付いた。
「あのお嬢様は、俺が知る限り、会ったときからずっと上機嫌でしたが」
瀟洒な邸宅が立ち並ぶ窓の外に目を向ける清二郎の予想は当たっていたようで、執事は眉間にしわを寄せる。
つい漏れた独り言を拾われたばつの悪さか、清二郎という人間を警戒する故か、恐らく両方であろうがそこはお互い様だ。
先ほど聞かされた話に興味もあるが、流されるまま乗ってしまうより、まずは相手を知っておきたい。
「こずえお嬢様は近頃忙しくてね。君が本当に助けになるのなら力になってくれると嬉しいのは本当だ。申し遅れたが、私は海老原保という。こずえお嬢様付きの運転手兼護衛と思ってくれてかまわない」
正確にはそうではない、と言いたいようだが深く詮索するべきではないのだろう。
そう判断して海老原と名乗った男性の背中を見やる。
年の頃は40前後と見えるこの紳士、件のお嬢様の背後に控えていたときから、その高めの身長と広い肩幅、後ろに向かってなでつけた黒髪と鋭利な眼差しに黒服で身を包めば立っているだけで近付きがたい威圧感を与えていた。
研究所での会談も、清二郎が疑わしい動きをすれば簡単にたたき出そうという意思を遠慮なく突きつけて来る辺り、わかりやすい方法を取ってくれるだけ良心的と思っておくべきだろうか。
「では海老原さん、一つ伺っても?」
「何か?」
「こずえさんのやろうとしていることは本来、もっと大きな組織、それこそ緋之坂家全体が絡んでいてもおかしくない話のはず。なぜ俺に声がかかったのでしょうか?」
「事の経緯については私から口にするわけにはいかない。明日、改めてお嬢様から説明があるだろう。君が今回の申し出を受けてくれたなら」
「既に重大な鉱物資源の話をされているのに断ったら、何があるか分かったものじゃないのですが」
嘆息する清二郎に、くく、と喉の奥で笑いをこらえると、海老原はわずかに口元を緩めた。
「お嬢様は君を気に入られたようだ。節度を持ってよろしく頼むよ」
他人事だと思って、とぼやきたくなったところで車が減速していく。
止まったのはやはりというべきか、清二郎の下宿先の前だった。
教えた覚えはないのだが、その辺の情報が筒抜けなのは今更かと納得してしまう。
車の音に気づいた親父さんと奥さんが降りてきた清二郎を見て何事かと驚いていたが、緋之坂家の世話になったことを説明すると唖然として固まってしまった。
「では、明日の朝また来る。急な申し出だとは承知しているが、お世話になった下宿の方とはよく話して返事をして欲しい」
そう言うと海老原は屋敷への道を戻っていった。