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日本人は謝罪せよ

作者: 鈴木美脳
掲載日:2020/02/09

 日本人は、ちゃんと謝罪をすべきだと私は思う。

 日本人は、すでに謝罪はしていると言うが、実際にはしてないと私は思う。


 謝罪には、2種類ある。

 受動的な謝罪と、能動的な謝罪である。

 罰から生まれる謝罪と、罪から生まれる謝罪だと言い換えることもできる。


 日本人は、受動的な謝罪が謝罪だと思っているが、受動的な謝罪は謝罪ではない。

 受動的な謝罪を謝罪だと勘違いしていると、能動的な謝罪は永久にできない。

 だから必然的に、日本人は謝罪ができていない。

 うわべだけの謝罪を、謝罪だと思っているから、実際には謝罪できていない。


 なぜだろうと思ったが、それは日本の文化が、人を大切にする文化ではないからだと思う。

 つまり日本は、全体で1つの軍隊のようなものだ。

 その洗脳的な教育は子供の頃から始まっていて、学校は成績で人間の価値を測る。

 集団の利益に迷惑をかけた少数の者に、多数者が罰を与える。

 だから、罰から生まれる謝罪、つまり受動的な謝罪が、日本では謝罪だと見なされている。

 パワハラの文化と、表面だけの謝罪は、裏表のようにセットになっているのだ。


 そんなことでは、もし謝罪すれば、まるで罪を認めるようで、社会的な尊厳が低下し、つまり幸福に値しない者だと見なされることになるから、言わば政治闘争の敗北を意味することになる。

 つまり、謝ったら負けだ、という発想が強固に形成されていく。

 謝ったら負けだ、という感覚があるから、日本人は謝罪しない。

 謝ったら負けだ、と思っている者が、適切な謝罪などするわけはないのだ。


 しかし、謝ったら負けだ、という価値観は、180度、間違っている。

 それは、謝罪というものを完全に侮辱しているに等しいではないか。

 その間違いは、すぐにでも正されるべきだ。

 だから、日本人は、ちゃんとした謝罪をすべきだと、私は思う。


 例えば、罪のない子供が、大きなケガをしたり、病気をしたり、学校でいじめに合ったりして、大きな苦しみを味わっている姿を想像してみてほしい。

 すると、母親は、その子のことを、懐にぎゅっと抱きしめることだろう。

 そして、涙を流しながら、「ごめんなさい」と繰り返しつぶやくのではないだろうか。

 それは、自分が悪くなくても、謝るはずだ。自分の不正や怠慢が苦しみの原因でないとしても、その謝罪は行われるはずだ。

 否、悪くないのに謝ることにこそ、謝罪の価値の源泉があるのである。

 これを、能動的な謝罪という。能動的な謝罪こそが、謝罪だ。


 私の祖国は、代表的な謝罪文化圏だ。

 だから私達は古来、謝罪こそが人の心の最大の美徳だと思ってきた。


 例えば、死者を埋葬する土地には、墓が並んでいる。

 人々は、親しい人の墓の前で、自然と頭を垂れ下げる。

 私達はそのとき、謝罪しているのである。

 私達は、死者に対して、土下座をして、「申し訳ありませんでした」と言う。

 もちろんだが、自分がその人を殺したからではない。


 植物や動物を食べるときにも、そうである。

 私達は、食前と食後に、土下座をして、「申し訳ありませんでした」と言う。

 謝るぐらいならそもそも食べないほうが誠実だろうと、日本人なら考えそうだ。しかし、それは誤解だ。私達は、自分に直接の罪を感じていなくても、なお生きたかったであろうもの達の苦しみに配慮する心から、謝罪する。


 もちろん、広いこの宇宙にあって、生命の世界のどこであっても、多くの苦しみがつきまとう。

 だから私達は、常日頃、そのすべてに謝罪することを心がけている。

 すべての存在に謝罪の心を持つことを、私達は、普遍的な謝罪と呼んでいて、それは私達の文化における、哲学的な理想点である。


 普遍的な謝罪を、私達の祖国では、歴史的に、神と呼び、唯一の神と見なしている。

 普遍的な謝罪は、生きるものすべてに隔てなく謝罪してくださっている。貧しき者も、病める者もである。

 だから、私達も、普遍的な謝罪に謝罪して、日々を謙虚に暮らしている。

 そんな、敬虔な生き方に、私達は誇りを持っている。

「申し訳ありませんでした」

 それが私達にとって、最も美しい言葉である。

 私達の社会では、謝罪を繰り返した回数の分だけ、人間の地位は上昇するものと見なされている。


 日本人は、謝罪した回数分だけ、自分や集団の地位が低下すると思っている。

 それではあべこべ、真逆である。

 だから、日本人が謝罪できないのは、自然だろう。

 日本人は、間違った謝罪を多く行っている分だけ、正しい謝罪ができなくなっているのだ。

 そんなことでは、日本人は、永久に救われない。普遍的な謝罪による謝罪の心にあずかることができない。私達はそのことを悲しみ、日本人に対して謝罪の気持ちを感じている。


 私達にとっての「謝罪」という概念に最も近い日本人の概念は、「愛」だろう。

 隔てのない普遍的な愛を神と呼ぶなら、それは日本人にも理解しうることだろう。

 しかし、その哲学は、間違っている。

 その哲学は間違っているから、本当の謝罪の心には永久に達しない。

 それは社会が、永久に救われないことを意味している。


 愛を最高の美徳だと見なすことは、典型的な誤謬だ。

 それは、謝罪が最高の美徳であるという、宇宙の普遍的な真実から遠ざかっている。


 愛を美徳だと思う者は、愛することで人が罪から解放されていくのだと考える。

 しかしそのように、罪に遠いことを価値だともし考えるならば、罪をより少なく自覚したいという心理的な傾向が内心に生じてしまう。それは、ありとあらゆる悪徳の源となって、社会を不要な苦しみで満たしていくに違いない。


 実際には、罪はより多く自覚することが、美徳である。

 罪とは、客観的に実在するものではなく、主観的に自覚することによって生じるものなのである。

 そのように、罪に近いことを価値だともし考えるならば、罪をより多く自覚したいという心理的な傾向な内心に生じる。それこそが、ありとあらゆる美徳の源となって、社会を可能な喜びで満たしていくに違いない。


「愛しています」

と言うことは、母親のような深い憐れみを持っていなくてもできてしまう。

 だが、そう言う者が実際に愛しているのは、往々にして自分自身だ。

「ごめんなさい」

とか、

「申し訳ありませんでした」

といった言葉や発想は、それよりも何万倍も実は尊い。

 もしもその言葉が、受動的な心理からではなく、能動的な心理から出ていればである。


 よって、積極的に謝罪し合う、謙虚な姿が、生命が等しく目指すべき、社会の理想形だと、私は思う。

 地球でそれに最も近い人種の一つは、疑いもなく日本人だ。

 歴史的に文化のるつぼである米国や中国では、謝ったら負けだと本当に信じられていて、そんな社会では人々は他者の痛みにまで繊細にはなれない。軍隊のようなパワハラが横行し、まるでディストピアへと発展していく。ならば日本人こそ、人類文化を理想へと牽引していく、盟主になる素質を持っていると言うべきだろう。


 だから、私は、日本人はちゃんとした謝罪をすべきだと本当に思う。

 すべての他者のすべての苦しみに対して、繊細な謝罪の心情を感じる人々になってほしいと思っている。

 小さな虫や花がケガをしているのを目撃したときにさえ、そこに土下座して、「申し訳ありませんでした」と自然に口から出るような心を持って生きてほしい。

 人間と人間とが、ペコペコと頭を下げ合うことが、ありふれた自然な景色になってほしい。地上の一神教文化圏が、人が人に頭を下げることをむしろ悪徳に数えるなかで、日本人だけはその理想に近い文化を歴史的に形成している。


 これは、代表的な謝罪文化圏である金星人の私からの、日本人への率直な意見だ。

 地球の愛の神に対する、金星の謝罪の神からの宣戦布告だと受け取ってもらってもいい。

 愛の神よ。あなたの息の根を完全に止めるためにこそ、私達はこの星を訪れた。


 我々から地球の皆様へ、衷心からの、これは謝罪である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 私と同じ日本人で★5評価付ける人はほぼいないでしょうから、敢えて付けさせていただきます。皮肉をこめて。 朝鮮半島の方かな?とも思いましたが、自分の祖国を『代表的』な『謝罪文化圏』と称…
[良い点]  はじめまして、こんにちは<(_ _)>  さいしょは原罪の話かと思ったのですが、ちがうようですね。  ぼくは新陳代謝の代謝ということばが気になっています。『代わりに謝る』って書きます…
2020/02/09 14:26 退会済み
管理
[良い点]  そうですよねぇ  ”受動” であやまる のは たしかに そうですね
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