序章2
入口の扉を開けてお店の中へ入り、加嶋の姿を目で探して当てた。ほぼ同時に、加嶋も私に気付いたようだ。加嶋は、笑顔になり片手を上げてみせた。今日の加嶋は、カジュアル系のスーツが爽やかな印象を与えて、好感が持てると思う。
様子を伺ったあと、私は斜め向かいの席に着いた。
「今日は、ずっと仕事が忙しかったからお腹すいた……何か食べようかしら。加嶋くんは、どうだったの?」
私が、加嶋に調子を尋ねていると、ウェイトレスが水とおしぼりを運んできた。
「ご注文が決まりましたら、こちらのボタンを押してお呼びください。」ウェイトレスは、そうと言うと席を離れそのまま遠ざかった。
「うん、忙しい仕事も厳しい上司も毎回同じおやつも…相変わらずだよ。」
加嶋は、そう言って軽く笑うと、ウェイトレスが置いていったグラスの水を、一口飲んだ。
「仕事も上司もね。最近では、おやつまでが俺の気持ちに矛盾している気がしてる。」
加嶋は、そう付け足して笑顔になった。
「何よ、それ。」
私は、加嶋の笑い声につられるように微笑むと、水が入っているグラスに手を伸ばした。仕事は忙しいみたいと思いながら、笑っている加嶋を眺めた。
加嶋とは1年くらい前に、友達の紹介で知り合っている。その頃、私はあまり乗り気ではなかった。また、加嶋は私の勤める会社に出入りしている傘下企業の社員で、私を何度か見かけて知っていたようだ。そして、私の勤める会社には、加嶋の友達がいたので、そこから糸口を見つけて、紹介までたどり着いたということだった。
だが、その頃の私は、前の彼氏と別れた後だったため、しばらく恋愛をしようという気持ちではなかった。「とにかく1度会ってみて。お願い!」という友達を断れずに承諾したのである。
私も加嶋の姿を何度か見かけたことはあったから、全然知らないということではなかったのだが、社用で行き来している男性……そんな風に加嶋のことを眺めていた。
はじめて加嶋と2人で外出した時も、私には、付き合うという気持ちは全く無かったと思う。前の彼氏と気まずい別れ方をしていたことで、新たに恋愛をすることに積極的になれないと思っていたからだ。
そのときの記憶の中で、加嶋は紺色のスーツを着ていて、私の向かいの席に着いていた。親しみやすい笑みを浮かべて私を見ていて、一目で安心してよさそうな人柄であることが伝わってくるように思えた。
加嶋は、私より1つ歳下であったが、話をすることで違和感を感じることは無かった。
*
「今度の休日の予定、大丈夫だよね?」
漠然と考えを廻らせている最中に、加嶋が口を開いたようだ。
「何か気になることでもあるの?」
加嶋は、微笑んでいる。
その日は、2人で旅行するようにしているのである。私がずっと前から行ってみたいと思っていることを知り、加嶋は旅券を用意てくれたのだった。
「うん、もちろん大丈夫……」
私はそう答えたけれど、考えごとをしていたのが少し気まずかった。
食事を済ませた後コーヒーを飲みながら、しばらくたわいもないお互いの近況などについて、のんびりと話をして過ごした。
カフェを出ると、加嶋は自宅まで送ると申し出たのだったが、私は何故だか1人で帰ろうと思った。
「私は大丈夫。加嶋くんは疲れているはずだから、早く帰って休まなきゃ。」
一緒に途中まで歩いたところで、加嶋と別れた。
「今夜は、楽しかった。ありがとう」
私は、お礼を言った後、加嶋の姿をしばらくの間見送っていた。
途中で一度立ち止まり、嬉しそうな笑みを見せた。その時の、加嶋の手を振る姿があとから繰り返し思い出された。
「自宅に着いたなら、メール送ってよ。」加嶋は、そう言って自分の帰る方へ向かって歩きだした。
『明日は、雨が降らないといいな』
私は、加嶋の姿を見送りながらそう思った。そして、自分も来た道を自宅へと歩きだしていた。