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EXPLODE  作者: 綾稲 ふじ子
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EXPLODE

 翌朝六時半ごろ、瑠衣子は二人分の朝食を持って別宅を訪れた。瑞貴は目を覚ましていたが、蒼海はまだ眠っている。別室に敷かれた二組の布団を見て、瑠衣子はため息を吐いた。

「こんなことになるなんてねぇ。今朝も二人を別宅から出さないようにって言われたわ。着替えとか、どうしても必要な物を取りに来る以外は、うちに入ることも許さないって」

「伯母様。迷惑をかけてごめんなさい」

 身勝手に家を出た自分を優しく迎え入れてくれた人に、さらなる迷惑をかけることになって胸が痛む。悄然とする瑞貴に、瑠衣子は小首を傾げた。

「それはいいけど。蒼海と一緒になるのは厭?」

「蒼海くんが厭なわけじゃありません。他に好きな人ができてしまいました」

 瑠衣子はもう一度ため息を吐く。

「瑞貴ちゃんが本当の娘になるのを楽しみしていたのに」

「すみません」

 罪悪感がいや増して、瑞貴はうなだれた。

「私に謝る必要はないわ。とりあえず、その寝ぼすけを起こして朝ごはんを食べなさい。時間を置けば状況が変わってくるかもしれないし、少し様子を見ましょう」

「伯母様……」

 瑞貴は瑠衣子に感謝の目を向ける。表立って恭一に反抗はしなくとも、瑠衣子は自分たちの味方だ。そう感じ取った。

 その日、蒼海と瑞貴は別宅から出なかった。恭一や誠志が期待するようなことはなにひとつ起きず、どうすればこの状況から抜け出せるかの打開策を捻り出そうと、ぼそぼそ話し合いを続けた。

「現時点での選択肢はふたつだね。言われた通りにするか、誠志さんに構わずここを出て行くか。前者を選べば自分たちの気持ちを殺すことになるし、後者は誠志さんを殺すことになる」

 朝食を食べて一緒に洗い物をしたあと、蒼海は壁にもたれかかりながら言った。向かい合わせの反対側の壁にもたれかかった瑞貴は眉を寄せた。

「どっちも厭だよ。他に何かないの? 誰もが納得できる円満な解決方法は」

「あとは持久戦に持ち込むとか? 父さんや誠志さんが諦めるまで、ここで我慢する」

「諦めなかった場合はどうすれば」

「じゃあ言われた通りにする? でもそっちを選択しても、しばらくここから出られないよ。だって子どもを作るまでここにいろって言ってたし。妊娠から出産まで、とつきとおかだっけ? 今すぐ子作りを始めたとしても今日は十二月の十三日だから、えーと、来年の十月二十三日くらいまでここにいる計算になる」

 指を折って数える蒼海に、瑞貴は渋い顔をする。

「ちょっ、具体的な計算やめて。てか、べつに出産するまでとは言ってなかったでしょ。子どもを作るってことは、私が妊娠すればオッケーなんじゃないの」

「ああ、なるほど。妊娠検査薬が陽性になれば、ここから出てもいいってことか」

「生々しい話をするのもやめて。それに妊娠検査薬って、そんなすぐに反応するもの? たぶん少し時間がかかるよね。それが何週間か、もしくは何か月かは知らないけど」

「つまり前者を選んだとしても、僕らはしばらくここを出られない、と。考えれば考えるほど無茶苦茶な話だな」

「ほんとだね。そもそも私、蒼海くんと子作りを始めるつもりないから」

「となると、さっきの選択肢の後者を取るしかなくなるよね」

「その場合、誠志さんが自殺するけどね。あ、殉教だったっけ」

「どっちにしても死ぬってことでしょ」

 二人は深々とため息を吐く。

「……誠志さんを説得してみる?」

 瑞貴の提案に、蒼海は唸った。

「昨日の感じからは、そんな簡単にいくとは思えないけど。でもまあ、今まで出た選択肢の中では、もっとも建設的か」

「でしょ? 話せばわかるって言うし」

「そう言った犬養毅は暗殺されたけどね」

「ねえ、もうちょっとポジティブなこと言ってよ! それじゃあまるで私が暗殺されるみたいじゃない!」

 癇癪を起こす瑞貴に、蒼海は声を立てて笑った。

「よかった、怒る元気が出てきて。瑞貴ちゃん、昨日の夜は死にそうな顔をしてたけど、怒ってる顔のほうがよっぽどいいよ。それに、笑ってる顔のほうがもっといい」

 そう言うと、表情をあらためる。

「誠志さんと話そう。誠志さんや父さんが信じているものを否定するつもりはないけど、僕らはそれを受け入れられないって」

 瑞貴はまじまじと蒼海を見た。

「僕らって。まさか蒼海くんもクロ宗を抜けるつもり?」

「どうかな? わからない。だけど今みたいな制約ばかりの信仰じゃなくて、もっとシンプルに神様を敬うだけじゃいけないのかな、とはずっと思ってた。宗教って本来そういうものなんじゃないの」

「そうだね。私もそう思う」

 十日市の浮足立った参拝客や、クリスマスのイルミネーションで彩られた街を思い出しながら瑞貴は同意した。様々な宗教の上澄みを吸い取っているだけと言われればそれまでだけど、日々を楽しむエッセンスとして宗教を取り入れるのは決して悪いことではない。

「なんて言う? なんて言えば誠志さんはわかってくれるのかな」

「思ったままを言うしかないよ。こんなことしても僕らの気持ちは変わらないし、益田の子孫がいなくなったあともクロ宗を継続する方法を考えるしかないってわかってもらおう」

 いったん言葉を切って、蒼海は思い出したように言い足す。

「それから、瑞貴ちゃんのお母さんと淵辺さんが亡くなった事故の件も誠志さんの口から話してもらおう。あの話には釈然としないことが多すぎる」


 別宅に閉じ込められたままで、どうやって誠志と接触を図るか考えていた二人は、思ったより早くその機会を得た。その日の昼食前、仕事の合間を縫って誠志が食料品や日用品を手に訪ねてきたのだ。

「どうですか。ひと晩一緒に過ごして、瑞貴さんは悪い夢から醒めましたか」

 玄関口で出迎えた蒼海は、荷物を受け取りながら苦虫を噛み潰したような顔になる。

「この状態のほうが、よっぽど悪い夢みたいですけどね。話があります。少し時間を取れませんか」

 荷物を受け取りながら尋ねる蒼海に、誠志は軽く眉をあげた。

「五分か十分ぐらいなら」

「上がってください」

 招かれた誠志は、懐かしそうに室内を見渡した。

「ここに入るのは二十年ぶりです。ちっとも変ってないですね」

「それはそうでしょう。二十年間、ほとんど放置されていたんですから」

 誠志の感傷を振り払うように素っ気なく言うと、蒼海は居間に入る。暇を持て余して掃除をしていた瑞貴は、誠志の顔を認めて手を止める。

「誠志さん。どうして……」

「食料品とか日用品を買ってきてくれたんだって。誠志さん、座ってください」

 蒼海は誠志に座布団を出すと、ちゃぶ台を挟んで胡坐をかいた。瑞貴は蒼海の隣に腰を下ろした。軽く息を吸い込むと、蒼海は口を開いた。

「誠志さん。自分の命を盾に取って僕らを縛りつけるような真似はやめてください。ずっとここに閉じ込められても、僕らの気持ちは変わらない。かといって、誠志さんが命を絶つことなんか一ミリも望んでいません」

 続けて瑞貴も言った。

「何百年も続いた信仰を捨てることや、誠志さんや集落の人たちが望むものになれないことは、本当に申し訳なく思っています。快く送り出してくれなんて虫のいいことは言いません。だけど私はもう選んでしまいました。外で出会った人と一生をともにすることを」

 二人と向き合った誠志は、軽く目を伏せ半眼になっていた。

「ここだけの話、僕にも好意を抱いている女性がいます。大学で知り合った人です。特別な関係ではありませんが、いずれはそうなりたいと思っています。我々は長年続いたこの信仰を見直すべき時期に来ているのではないでしょうか。同じ信仰を持つ者だけで婚姻を繰り返せば、血は濃くなって先細りになる。これからもクロ宗を守りたいのなら、閉ざすのではなく開いていくべきです。キリシタン禁教が解かれて百年以上たちます。そこから派生したクロ宗だって、誰の目を憚る必要ももうないんです」

 切々と訴える蒼海に、誠志は視線を上げた。

「蒼海さんまで、一体なにを言っているんですか。そんな勝手を神が許すと思いますか。神罰を受けて亡くなった淵辺と聖恵さんの話は昨日聞きましたよね。蒼海さんが瑞貴さんを娶って子を為すのは神の定めたことです。それを破れば聖恵さんの二の舞に……」

「ああ、その話もしたかったんです。あの事故の第一発見者は誠志さんだって父が言っていましたが、それは本当ですか」

 急に変わった話題に、誠志は目をしばたかせた。それから頷いた。

「そうです。サカヤの言ったとおり、淵辺の車からいつもと違う音がした気がして様子を見に行き、あの事故に遭遇しました」

「いつもと違う音がしたっていうのはいつですか。事故当日ではないですよね」

「それはもちろん。何日か前です」

 蒼海は視線を強くする。

「それなら、なぜそのとき言わなかったんですか。そんな出発直前に言われても修理なんてできません。誠志さんは車の不調を知っていて、あえて黙っていた。それはなぜです」

 誠志は感情の窺えない目で蒼海を見た。

「蒼海さんはなぜだと思うんですか」

「誠志さんは淵辺さんが事故に遭うのを望んでいた。もしくは淵辺さんの車に細工をして、事故を起こすよう仕向けた。あれは神罰なんかじゃなく意図的なものだった。淵辺さんが事故で亡くなるのをその目で確かめるべく、誠志さんはわざわざ別宅のそばまで赴いて、その結果、第一発見者になった。違いますか」

 こじんまりとした和室を緊迫した沈黙が占めた。瑞貴は横目で蒼海を見た。まさかここまで踏み込んだ話をするとは思っていなかった。

 ふいに誠志が立ち上がった。瑞貴は反射的に怯える。蒼海もわずかに身を固くした。

「すみません、そろそろ行きます。仕事の合間に来たので」

 ぼそりと言うと、誠志は瑞貴に視線を落として呟く。

「聖恵さんとよく似た顔で、声で、そんな話をして欲しくありませんでした。絶対に」

 誠志が出て行ったあと、蒼海と瑞貴は大きく息を吐いた。重苦しい空気を振り払うかのように、蒼海は自らの肩をとんとん叩く。

「なんだか肩が凝っちゃった。思ってた以上に緊張してたみたい」

 さっきまでの緊迫ムードから一転した蒼海のゆるい仕草に、瑞貴は脱力した。

「こっちが緊張したよ、あそこまで言うとは思ってなかったし。事故の話とかさ」

 蒼海はにやっと笑う。

「ああ、あれ? 無礼を承知でカマをかけてみたんだけど、全然わからなかった。やったのか、やってないのか」

「……誠志さん、否定しなかったね。肯定もしなかったけど」

 二人は黙り込んだ。そんなことをするはずがないと思う一方、もしかしたら、という疑いが湧きあがってくる。

「とりあえず、お昼ごはん作ろうか。動いてなくても、おなかが空くのはなんでかね」

 その場の空気を変えるように、蒼海がのんびりとした口調で言った。

「蒼海くん、ごはん作れるの?」

「一人暮らしして一年以上たつし、簡単なものなら。どれどれ、誠志さんはなにを買ってきてくれたのかな」

 買い物袋をがさがさ漁る蒼海に、瑞貴は口角を上げた。


 その日は二人とも別宅から出ずに過ごした。同じ空間にずっといても気を遣う間柄ではない。この状況をどう打破するか話し合ったり、部屋の掃除をしたり、昼寝をしているうちに日が暮れた。

「結局なんにも思いつかなかったね、いい方法」

 夕食後、瑞貴が洗った食器を布巾で拭きながら蒼海はぼやいた。

「まあね。やっぱり誠志さんとか伯父様と話し合ってわかってもらうしかないのかな」

「話が通じればそれが一番だけどさ。今日の誠志さんの様子を見たでしょ。あれでわかってもらえると思う?」

「千里の道も一歩からって言うし。気長に話すしかないよ」

「その間に僕は大学も休学させられて、バイトを無断欠勤でクビになる、と。携帯は手元にあるけど、なんて説明すればいいかわからないし。こんなまともじゃない理由」

 瑞貴は水を止め、真面目な顔で蒼海を見た。

「本当にごめん。私のせいでこんなことになって、蒼海くんを巻き込んで」

 蒼海は口元をほころばせた。

「気にしなくていいよ。ちょうどいい機会だったのかもしれない。これまで慣習で普通とされていたことが本当に普通なのか見直すのに。僕はこの集落が好きだし、育ててもらった両親に感謝もしている。クロ宗を否定するつもりもない。だけどやっぱりおかしいよ、平成のこの世でこんなことがまかり通ってるのは。宗教は誰かを不幸にするためにあるんじゃない。心の拠り所とか支えになって、幸せにするためにあるんだと僕は思う」

 瑞貴が同意しようとしたとき、玄関が軋んで誰かが来たのを教えた。二人は顔を見合わせる。

「誠志さん?」

「いや、ここの鍵は持ってないんじゃないかな。きっと母さんだよ」

 蒼海がそう言い終えるころ、恭一が姿を現した。シンクに並んで向かい合っている二人を見て、わずかに首を傾げる。

「考えが変わったか」

「残念ながら。誠志さんにも言いましたが、こんなことをしたって僕らの気持ちは変わりません。意地を張るのはやめて、考えを改めてはもらえませんか」

「ああ、誠志から聞いた。お前、好きな女がいるというのは本当か」

 硬い表情を浮かべていた蒼海は、さっと頬を赤らめた。

「だったらなんですか。べつにおかしなことじゃないでしょう。僕だって年頃の男です」

「それなら外の女にうつつを抜かしていないで瑞貴さんを抱けばいい。簡単なことだ」

 蒼海は眉を逆立てた。

「全然簡単じゃありません。瑞貴ちゃんは人妻ですよ」

 瑞貴は猛然と頷いた。勝手に簡単な女にされたら困る。恭一は軽くため息を吐いた。

「お前とは全く認識が合わないな。瑞貴さんはただ夢を見ていただけだ」

 蒼海もため息を吐いた。意見は全く違うのに、ふとした仕草にみせる仕草がよく似ているのは皮肉なものだと瑞貴は思った。

「平行線ですね。父さんは酷い人だ」

 恭一はおかしなことを聞いたとでも言いたげに片眉をあげた。

「酷い? なにがだ。私はお前たちに選択肢を与えた。好きなほうを選べるように」

「瑞貴ちゃんをここに縛り付けるか、誠志さんが死ぬかの二択しか与えないで、よくもそんなことを」

 憤る蒼海に、恭一はふっと笑った。

「選択肢はもうひとつある」

「なんですか、それは」

 蒼海の怪訝そうな顔に対し、恭一は無表情だった。

「もう一度確認しておく。お前と瑞貴さんは一緒にならない。それでいいか」

「だから! 最初からそう言ってるじゃないですか!」

「もう一日よく考えなさい。それで気が変わらなければ、もうひとつの選択肢をとる」

「……僕らに拒否権はないんですか」

 恭一の有無を言わさぬ口調に、蒼海は不快感も露わに応じる。

「選択権は与えた。それで充分だろう。瑞貴さんもよく考えたほうがいい」

 恭一は瑞貴を一瞥した。ぞっとするほど冷たい眼で、瑞貴は背筋が凍りつく気がした。

「明日の晩、また来る」

 そう言い残して恭一は出て行った。瑞貴はへなへなとその場に座り込む。腰を下ろす間もないほど短い対話だったのに、奇妙なほど疲弊していた。玄関扉の閉まる音がしたあと、力なく呟く。

「なんだったの、今の。なんだかすごく厭な予感がしない?」

「するねぇ。もうひとつの選択肢ってなんだ? まあ、どうせロクなもんじゃないな」

 自問自答すると、蒼海は瑞貴の隣に腰を下ろした。

「瑞貴ちゃん。大丈夫?」

「大丈夫だけど、明日の晩も大丈夫かはわからない。伯父様、なにを言い出すんだろう?」

「もう、誠志さんに死んでもらったほうがいい気がしてきた。あっちが勝手に言い出したんだし、僕らにしたらいい迷惑だ」

 投げやりな蒼海の言葉に瑞貴は首を振る。

「それはだめ。こんなことで人が死ぬなんて、絶対におかしい。明日もう一度、伯父様とよく話そうよ」

「さっきのを見てて、話せばわかるって思えた?」

「……正直、無理っぽいって思った」

「だよね。僕らがなにを言っても聞く耳を持つ気がしない。母さんが言っても聞かないだろうし、それを言ったら集落の誰が言っても無駄だし」

 ため息まじりの蒼海の言葉を、瑞貴は目を見開いて繰り返す。

「集落の誰が言っても?」

「だってそうでしょ。サカヤである父さんに集落の人間は逆らえない。かといって、集落の外の人間はクロ宗に関わりたがらない。信じてもらうのも難しいよ、こんな話」

 蒼海のぼやきに応じず、瑞貴はしばらくの間、無言で考え込んでいた。


 次の日も二人は別宅から出ずに過ごした。前日と違って訪れる者はない。嵐の前の静けさのように、特別なことは何も起こらなかった。規則正しく食事をとり、洗い物や掃除などをし、仮眠を取っているうちに夜になった。

 恭一が誠志を伴って別宅に来たのは十九時を少し過ぎた頃だった。二人とも和服を着て、厳しい表情を浮かべている。

あらたまった装いの二人を、蒼海と瑞貴は緊張の面持ちで出迎えた。誠志が来ることは伝えられていなかったので、瑞貴は座布団をもう一枚出して敷いた。

 ちゃぶ台を挟んで蒼海と瑞貴は恭一と誠志に向き合う。口火を切ったのは恭一だった。

「最後にもう一度訊こう。蒼海、瑞貴さん。定められていたとおりに夫婦となって、これからこの集落を守っていく気になったか」

「最初から言っています。僕らにその気はもうないって」

「伯父様、本当にごめんなさい。だけど、蒼海くんと一緒にはなれません」

 恭一は淡々と問いを重ねる。

「それなら二人でここを出て行くか。その場合、誠志は死ぬ」

「いっそそうしたほうがいいんじゃないかって、瑞貴ちゃんに言ったんですけどね。瑞貴ちゃんは厭だって言うんです。こんなことで人が死ぬのはおかしいって。僕には今のこの理不尽な状況のほうが、よっぽどおかしく思えますが」

「誠志さん、考え直してください。私は誠志さんに死んでほしくなんてありません」

 誠志は口を開かない。頑なに閉ざした表情で、瑞貴をじっと見つめている。

「よろしい。二人の気持ちはわかった。それなら昨日言ったとおり、三つめの選択肢だ。蒼海、お前は瑞貴さんを娶らなくていい。代わりに誠志が夫となる」

 蒼海と瑞貴は揃って目を丸くした。言葉もなく、痴人のようにぽかんと恭一を見る。

「問題はないだろう。お前が瑞貴さんを望まず、瑞貴さんもお前を望まないのなら、他の相手をあてがえばいい。年齢は少し離れていても、誠志は独身だ。瑞貴さんは誠志の子を産む。そしてこの集落を守っていく」

「……ちょっと待ってください。冗談でしょう? 問題しかないじゃないですか。年齢が少し離れてるって、三十歳も違うんですよ? いくら誠志さんが独身でも、親子くらいに年齢差があります。それに何度も言ってますけど、瑞貴ちゃんはもう結婚しています」

 あまりのことに毒気を抜かれて、蒼海は唖然と応じた。瑞貴に至っては呆気にとられて声も出ない。

「年齢差なんてどうでもいい。条件は満たしている。それに誠志も了承している。サカヤの権限で、二人の結婚を認める。今この瞬間をもって瑞貴さんは誠志の妻になった。蒼海は家に戻りなさい。私はこの二人が夫婦になるのを見届ける。誠志との間に何事もなかったと、瑞貴さんが言い逃れることのないように」

「……伯父様。なにを言っているんですか」

 ようやく出た声は頼りなく、弱々しい。そう気付いて、瑞貴は声を張った。

「厭です。どうしてそうなるんですか。蒼海くんが駄目なら誠志さんって、そんなの誠志さんにも失礼じゃないですか」

「失礼ではありません。喜んでお受けしたいと思います」

 重々しく口を開いた誠志を、瑞貴は驚愕の眼差しで眺めた。恭一は微かに微笑んだ。

「失礼どころか、とうとう想いを遂げられたんだ。誠志も本望だろう」

 蒼海は化け物を見るような目付きで実父を仰いだ。

「まさか誠志さんは瑞貴ちゃんが好きだったんですか? 三十歳も年下なのに?」

 愕然と尋ねる蒼海に、誠志が応じた。

「いいえ。聖恵さんです。ですが聖恵さんの血を継ぐ瑞貴さんなら愛せます」

 そう言うと、立ち上がって瑞貴に近寄る。本能的な恐怖を感じて、瑞貴は後ずさった。蒼海は瑞貴を庇うように、誠志の前に立ちふさがった。

「何をする気ですか、誠志さん」

 誠志はうるさげに蒼海を脇へ押しやり、瑞貴の前に屈みこんだ。瑞貴はさらに後ずさる。

今すぐ立ち上がって逃げなくては、と頭ではわかっていても、足に力が入らない。

「蒼海、家に戻りなさい。それともお前も立ち会いたいか、この二人が夫婦になる瞬間に。いいだろう、立会人は多いほうがいい。誠志の邪魔をせずに、大人しく見ていなさい」

 泰然と座ったまま、恭一は蒼海に言った。

「狂ってる。あなたは狂ってる、父さん。誠志さんもだ。どうかしているとしか思えない。今すぐやめてください、こんな馬鹿げたことは」

 蒼海は吠えた。耳に貸すものは誰もいない。

誠志は瑞貴ににじり寄り、両腕に手を掛けた。

 蛇に睨まれたカエルとはこのことか、と恐怖に痺れる頭の隅で瑞貴は微かに思う。誠志の眼差しは瑞貴を射抜くように強く、目を逸らすことすらできない。

「やめろ! 瑞貴ちゃんに触るな!」

 怒号とともに、蒼海は誠志の肩を強く掴む。誠志は振り返って静かに言う。

「夫婦の営みを妨げる権利は、あなたにはない」

「瑞貴ちゃんをレイプする権利だって誰にもない!」

 誠志は無言で立ち上がり、蒼海の腕を乱暴に掴んだ。抗う蒼海をものともせずに、ずるずる引きずって玄関まで押しやる。年齢差が三十歳以上あっても、体力は明らかに誠志のほうが上だ。恵まれた体格に加え、大工仕事で日ごろ肉体を使っている。

「離せ! やめろ!」

 猛獣のように荒れ狂う蒼海を外に出すと、誠志は冷静に鍵をかける。玄関扉の連打される音を無視し、何事もなかったかのように居間に戻った。

 その間、恭一は体勢を崩すことなく、冷然と瑞貴を注視していた。

「別宅の鍵は、いま私が持っている一本だけだ。蒼海の助けは期待できない。諦めなさい」

「こんなの間違ってます。神様がこんなことを望んでいると、本気で思っているんですか」

 立ち上がることもできず、へたり込んだまま瑞貴は尋ねた。

「脈々と伝えられた信仰を守るのが私の役目だ。瑞貴さんは生きた御神体で、それを失うのはクロ宗の要を失うのと同じこと。なんとしても阻止しなくてはならない」

 言い諭すような恭一に、瑞貴は反論する。

「御神体だというのなら、乱暴な振る舞いはやめてください。祭壇に祀られた掛け絵を破り捨てるようなものです」

「価値もわからない外の人間に乱雑に扱われるより、宗徒の手で然るべき扱いを受けるべきだと思わないか」

「思いません。私は掛け絵じゃなくて人間です。感情があります。それに、私の夫は乱雑に扱ったりしませんでした」

 必死に食い下がる瑞貴に、恭一は小さく笑った。

「瑞貴さんはもう誠志の妻だ。こんな問答は必要ない」

 玄関を激しく叩く音と蒼海の叫び声がした直後、誠志が戻ってきた。

このままでは犯されてしまう。そう思った瞬間に立ち上がっていた。座布団を掴んで、誠志に投げつけながら叫ぶ。

「近寄らないで! 私に触れていいのはあなたじゃない!」

 必死の抵抗も、誠志には何の意味もなさない。無造作に瑞貴の二の腕を掴んで、畳に押し倒そうとした。なんとかそれを擦り抜けて、瑞貴は台所に駆け込んだ。慌ただしく包丁を取りだし、自らの首に突き当てる。手が震えていることに、そのとき気が付いた。

「あなたに触れられるくらいなら、命を絶ちます」

 追ってきた誠志はわずかに顔色を変えたが、一歩踏み出した。

「そんなものは捨てて、受け入れるんです。自らに課せられた運命を。生まれた瞬間に、あなたはこの地で生涯を終えると決まっていました」

「来ないで!」

 瑞貴に構わず、誠志は歩を進める。あと一歩で届きそうな距離になったとき、瑞貴は刃を頸動脈にあてて力を込めた。脅しでなく、本当に死ぬつもりだった。洸以外の男に無理強いされるくらいなら、死んだほうがマシだ。

誠志の動きは機敏だった。ちりっとした痛みを感じた直後、瑞貴は手首を強く叩かれた。包丁は弧を描いて床に落ちる。誠志は素早く包丁の刃を踏みつけると、束ねた腰ひもを袂から取り出した。

「大丈夫、大したことはありません。薄皮が切れただけです。あとで手当てしましょう」

瑞貴の両手首を体の前で強く括りながら誠志は呟いた。それから小さく舌打ちをする。

「馬鹿な真似を。こんなことは二度としないと約束してください。さもなければ危険物を全て取り払ったあと、鎖に繋いでこの部屋に閉じ込めます」

 首筋を伝わる生暖かい液体に頓着せず、瑞貴はきつい目で誠志を睨め付けた。

「身体を奪ったあとは自由まで奪うんですか。力尽くでそんなことをして恥ずかしくないんですか。誠志さんがこんな卑怯な人だとは思いませんでした」

 腰ひもをぎゅっと結ぶと誠志は瑞貴の肩に手を回し、居間へ連れて行こうとする。

「なんと罵られても構いません。私は二度と聖恵さんを殺したくない」

 抗って両脚を踏ん張っていた瑞貴は眉をひそめた。

「なにを言っているんですか。母を二度殺すって、一体……」

「あなたは私にとって聖恵さんです」

 思考を巡らせて、瑞貴は恐ろしい推論に辿りつく。

「まさか蒼海くんが言っていたとおり、淵辺さんの車に細工したんですか。母と淵辺さんを事故に見せかけて殺すために」


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