脱出
荷馬車から投げ出された俺は港の地面を転がる。視界の端では荷台の車輪が外れ、キャスリーンが御者台から放り投げられ、馬たちが前のめりに倒れ込んで一回転して顔から地面に打ち付けられてそのまま転がっていく。
一瞬、薄暗い雲が見えて俺は意識を失った。
『起きろ! わっちとのそなたは約束を違えるつもりか?』
声と共に俺の顔に鋭い何かが突き刺さった。目の前のクロユリを確認する。そして半身を起こして俺は辺りを見渡す。左には弁才船が見える。右を見ると今まで乗っていた荷馬車がバラバラになっていた。
普通は死ぬよなと言いたくなる。
荷馬車を引いていた馬車4頭は頭を打ち付けて絶命しているか足が折れて立てずにもがいていた。
「俺は何分気絶してた?」
服についた土を払いながら俺は立ち上がった。キャスリーンも足を引きずりながら歩いて馬の元へと向かっている。
「わっちが降りてくるまでだから1分……とやらもかかっておらぬ」
街の中の方を見る。ジャイアントが暴れた影響か【使徒】の姿はまだない。俺はジャイアントが倒れた地点へ移動して御汁を回収しておく。街中で倒した【使徒】の分も含めて大量の御汁が手に入る。
「急ぐぞ。書状を見せて船に乗ってしまおう」
クロユリが急かす。気持ちは分からなくもない。桟橋の乗船口でこちらの様子を見つめていた船員が目を丸くしている。あんな派手な騒ぎを起こせば当然だが。
「キャスは──」
彼女はもがいている馬の近くにライフルを持って立っていた。何をするかは大体分かっている。これは日本版でも北米版でも変わらないと思う。
「今、楽にしてあげる」
言った瞬間にキャスリーンはライフルの引き金を引いた。頭を撃ち抜かれた馬は絶命する。これもこのチャプタークリア時にボーナスが発生するイベントだ。
「あの状態では長くないからのぅ。飼い主ではないがお世話になった礼くらいはせねばな」
競馬じゃないが予後不良になった楽にしてやるくらいしか手段がないからな。それに動けない状態で【使徒】に生きたままで食われるのは馬だって嫌だろう。
「詳しいな」
「そのくらい知っておるわ。わっちからしたら」
そこでクロユリは黙り込んで切り替えるのを忘れていたので押し黙ったのだろうが──
『ともかく急ぐぞ』
クロユリが後ろ見る。【使徒】が追ってきてるのは考えなくても分かる。
『キャス!』
俺は念話で話しつつ、歩き出した。だが地面に叩きつけられたせいで足がおかしい。走っているつもりなのに足を引きずっている。異変に気付いたキャスが駆け寄ってきて肩を貸してくれた。
「急ごう」
やけに冷淡な声でキャスが促す。彼女の様子に気になりつつも俺は足を引きずりながら後ろを気にするが甘いものに群がる蟻のように【使徒】が追ってきていた。見るんじゃなかったと思いつつ、俺は必死に走る。だがキャスの協力を得てもそんなに早く走れる訳もない。
『例の合言葉を』
クロユリが上空に舞い上がりながら促してくる。言わなきゃいけないのを忘れていた。しかも弁才船の上から船員たちがライフルらしき物をこちらに向けている。馬鹿野郎こっちは味方だぞ。NPCにぼやいても仕方ないが──
「佐伯徳之進の使いだ! 乗せてくれ!」
合言葉はなんだったけ? 痛みでそれどころではない。発砲音が響く。こちらを撃ったものではない。俺たちの遙か後方に居た【使徒】たちが銃弾の雨あられを受けて、地面に赤い花を咲かせる。
合言葉を思い返しながら書簡を取り出しながら乗船口の連中に見せる。奴らは引き上げる準備を始めている。俺が同じ立場でもそうするがいざ乗り込む側の立場からすればもう少し待てよと思ってしまう。
「夕凪!」
「合言葉だな。分かった。朝顔!」
俺は必死になって叫んだ。乗船口の連中が「早く乗れ! 早く乗れ!」と手を振るが俺もキャスリーンも精一杯急いでいるが乗船口はまだ30mくらいある。
再度、銃声が響く。
「Quickly!」
キャスリーンにせっつかれてしまった。一瞬だけ後ろを見て後悔する。キモいパペット3体が【使徒】を蹴散らしながらこっちへ向かってくる。そりゃ急かすわ。
『世話が焼ける奴じゃな』
クロユリが弁才船から飛び立ってパペットどもの上空へと素早く移動する。そしてくちばしに咥えていた物を吐き捨てるように投げ捨てる。地面に触れた瞬間、爆発を引き起こし、パペットたちの足を止めた。
俺はその間に桟橋を必死に走って乗船口へと辿り着く。
「誰の使いじゃ!」
その言葉にキャスリーンが表情を暗くする。多分、反応からゲームオーバーポイントなのだろう。似たような選択肢があったような気がするので記憶の糸を手繰り寄せる。
「佐伯徳之進殿に託された書状だ」
書状を見せながら叫ぶ。
「メリケンか? エゲレスか?」
「関係あるか。奴らと戦うのは生きてる人間の義務だろう」
乗船口の2人が顔を見合わせた。まずったか。
「よし! 乗れ!」
乗船員が縄梯子を持って支える。キャスリーンが先に縄梯子を登っていく。俺も後に続く。彼女はスカートだが上をできるだけ見ないようにして後に続く。
キャスリーンが登り終えて下を見て微妙な表情をするがすぐに手を差し出してくる。
「Hurry up!」
キャスリーンが無理やり俺を引っ張り上げた。火事場の馬鹿力なのか物凄い力だった。俺たちが登った事を見届けた乗船員2人が後に続く。彼ら2人が登ると船が動き出す。
ビビってるのは分かるが酷くないか。
『クロユリ! 急げ!』
『言われずとも分かっておるわ』
俺が言うまでもなくクロユリは弁才船の船首へと舞い降りる。離岸の時、船が大きく揺れて俺とキャスリーンは体勢を崩す。危うく海へ落ちるかと思ったが木の床が見えてホッとするが右手に柔らかい感触が──しかもかなり大きいメロンのようなのが──
恐る恐る確認すると彼女を下敷きにしてキャスリーンの左胸を揉みしだいていた。彼女の顔は溶岩のように赤い。これで一度死んだら笑えないぞ。
『そ……I'm terribly sorry』
とりあえず謝っておいた。しかし、赤面してただけのキャスリーンの表情が微妙に険しくなっていく。
『Cancellation in this!』
言い回しが悪かったのか思い切りビンタされて左頬に痛みが走った。俺は急いでキャスリーンの上から退避する。彼女は剥れて拗ねて正座している。
ここはムービーだろうからルームの馬鹿どもにバレてないのはありがたい。
気まずくて仕方ないので俺は港の方を見た。【使徒】で埋め尽くされた港を見てため息を吐く。これでチャプター6終了か。
『イチャツイておるの』
クロユリは優雅な歩みでこっちにやってきた。しゃべると当然面倒な事になるかもしれないので念話にしたのだろう。彼女は船員たちを警戒しているように観察している。
実際、日本版では【使徒】が紛れ込んでいて舵を壊されるのだからクロユリの直感は正しい。
『何故こうなる?』
『ふむ。……要らぬ事を言って機嫌を損ねたのではないか?』
その返答に俺は黙り込んだ。心当たりが無いからだ。ちゃんと謝ったのにと思わなくもない。
「女は船に乗せたくないのだがな。緊急事態だから仕方ないか。航路を南へ。薩摩藩を掠めつつ、海流へ乗って江戸へ向かうぞ」
船長らしき武士の指示を飛ばす。なるほど。北米版は話が少し違うのか。この流れの方が自然とも言える。
俺は船の甲板を見渡す。初見で弁才船にどうやって乗せたのか分からない大砲を見て展開が分かったプレイヤーも多いんだろうなと俺はため息を吐く。
港の方を見れば【使徒】の中に聖母の姿はないように見えた。




