横歩取り(序盤の変化)
というわけで、放課後だね。
相掛かりはお昼休みに勉強したし、続きをやっていこうか。
多分、横歩だと思うけど。
「こんにちは」
私が部室のドアを開けると……あ、いたいた。
「歩美ちゃん、歩美ちゃん」
私が名前を連呼すると、歩美ちゃんはようやく顔を上げた。
「どうしたの?」
「横歩取りを教えてよ」
歩美ちゃんは、再び本に視線を戻す。
あ、無視したね。
私は怒って、もう一度声を掛けようとする。
だけどその前に、歩美ちゃんは唇を動かした。
「横歩なら、円ちゃんに訊いて」
「え? 何で?」
忙しいのかな? ……そうは見えないけど。
「横歩なら、円ちゃんの方が詳しいから」
あ……そういうことか。
部員のみんなにも、得意分野があるんだね。
じゃあ、円ちゃんに訊こう、と。でも、今はいないから……。
「おーい、来たぞ」
わお、グッドタイミングだよ。
「いいところに来たね」
私がそう言うと、円ちゃんはきょとんとした。
「何がだ?」
「横歩取りを教えてよ」
円ちゃんは、近くの椅子を引いて、どかりとそこに腰を下ろした。
「ま、座れよ」
円ちゃんが言うと、なんか脅迫してるように聞こえるんだよね。
気のせいだけど。
私も、向かい側に座った。
「横歩ってのは、7六歩、3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、7八金、3二金、2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛、3四飛」
「3四の歩を横にスライドして取るから、横歩取りだな」
なるほどね、名前の由来は分かったけど……。
「その歩を取るのが、なんか重要なの?」
重要じゃなきゃ、そこに着目して名前をつけないよね。
「ああ、重要だな。昔はこの歩を取っていいかどうか、意見が分かれてたんだ」
「意見が分かれてた? ……何で?」
「飛車は3筋だと攻めにくいから、3六飛〜2六飛と戻すんだな。だったら、最初から2六か2八に引いた方がいいんじゃないかと、そういう考えになるだろ?」
3六飛〜2六飛……んー、そういうことか。2四飛〜3四飛〜3六飛〜2六飛は、飛車を4手かけてぐるぐるしてるから、効率が悪く見えるね。
「じゃあ、2八飛の方がいいの?」
「いや、そういうわけじゃねぇ。木村義雄十四世名人は、この横歩取りを多用して、以後、取っても大丈夫ってことになった。昭和の将棋だと、取る人も取らない人もいたが、今は、ほぼ100%取るぜ。プロでもアマチュアでもな」
「それは、何で?」
「一歩得が大きい、と考えられてるんだな」
ふんふん、飛車を移動させてでも、歩を取った方がお得ってわけだね。
具体的にどうお得なのかは、よく分からないけど。
「うーん、3四飛からは、いろいろありそうだね」
私は盤面を見ながら、そう呟く。
「ま、定跡はかなり整備されてるんだが、初見だと何していいのか、分かんねえよな。候補手は、ほんといろいろあるぜ。例えば、最初に思い浮かぶのは、7六飛だろうな」
取られたら取り返す、だね。
「が、これは悪手だ。2二角成、同銀、3二飛成で終了」
「同金でも3一飛成だ。要するに、即死ってことだな」
あらら、ほんとだ。
「ってことは、7六の歩は取れないの?」
「先に8八角成、同銀とさせてから7六飛だな。それなら、今の順はねえ。先手の対応は、7七銀か7七桂で、最近は7七銀が多いな」
【7七銀型】
【7七桂型】
「7六飛は、あんまり指されないが、覚えとかないとまずいぜ。相横歩と言って、プロでもたまーに出るからな」
ふーん……あんまり指されないんだ。
歩を取られたから取り返す、で、一番自然だと思ったけどね。
「一番多い変化は?」
「多い変化は、3三角なんだが……それは後回しにしよう。先に、細かい変化を潰していくぜ。まず、8八角成、同銀、4五角」
【4五角戦法】
「これも江戸時代からある戦法で、奇襲なんだが、一時期流行ったな。谷川浩司プロが得意にしてた、かなり激しい将棋だ。谷川流の場合は、角交換後に2八歩と叩いて弱体化させてから、4五角だな」
【谷川流4五角戦法】
これは……飛車取りで、しかも6七角成が見えるね。相掛かりのときと同じで、以下、6七角成、同金、8八飛成を狙ってるよ。
「これがあるなら、3四飛は成立してなくない?」
「いや、してるぜ。以下、2四飛、2三歩、7七角の切り返しがある。ちなみに、2八歩、同銀を入れてないなら、7七角とせずに2八飛で先手優勢だ」
そっか、これで6七角成、同金に、8八飛成とされないね。好手。
「というわけで、谷川流の2八歩、同銀型になるわけだが、2四飛のときに、桂取りを無視して6七角成も考えられるわな」
「……終わってない?」
同金、8八飛成で、死んでる気がするんだけど。
「まあ、定跡を知らなかったら、そのまま後手の押しきりだろう。実は、この4五角戦法があるから、横歩を避けるって人もいるくらいだ。覚えるのが、めんどくせぇんだよな。とりあえず、6七角成には同金と取って、8八飛成、2一飛成、8九龍、6九歩、5五桂に、6八金と引くのが好手だ。6七銀と絡んで来たら、5八金と寄って、同銀成、同金、6七金、5六銀の守備。この銀が、4七も守ってるって寸法だな。以下、7八龍に4八金と、銀に当たらないように逃げ道を作りながら、2七歩、同銀、2八歩、2四桂と反撃」
「ここまで全部定跡だ」
えぇ!? 初手から一本道なんだけど……。
「これ、覚えないといけないの?」
「んー、ネット将棋や学生将棋では、たまにやられるから、覚えといた方がいいぞ」
そっか……じゃあ、頑張って覚えようかな。
一手一手、攻撃と守備の意味が明確だから、覚え易くはありそう。
「というわけで、少し戻すぞ。2四飛に6七角成が成立しないから、2三歩と受ける。そこで先手は飛車取りを放置して、7七角の飛車取り返し」
「これが本筋だな。以下、2四歩、8六角の取り合いは、先手の角が5三を睨んで有利だ。だから後手は、先に8八飛成と踏み込んで、同角、2四歩」
「え? 飛車を捨てるの?」
「待て待て、駒割りをちゃんと見ろ。どっちが駒得してる?」
私は盤面を見て、駒のバランスを考える。
「……あ、そっか、後手の銀得だね」
「そういうことだ。このままだとマズいから、すぐ1一角成と、香車を取る。以下、3三桂に3六香と打って、基本図になるな」
【4五角戦法基本図】
ふえぇ……何手目か分からないけど、すっごく長い基本図だね……。
「3三桂って何?」
「3三桂は、馬の筋を消す手だ。先手が変な手を指すと、8七銀と絡んで、同金、7九飛、4八玉、6七角成くらいで、一気に敗勢になるんだ」
へぇ、8七銀なんて手があるんだ。
でもでも。
「3三桂に8七銀でも、同じように潰せない?」
「いや、その場合は、7七馬と引いて、7六銀不成、6八馬、8八歩、7七歩、8九歩成に3六香と打って、反撃開始だ」
さっきも3六香だったね。
どうやら後手は、3筋に香車を打たれると、崩れちゃうみたい。
「難しいね……」
私がそう呟くと、円ちゃんは頭を掻いた。
「まあな。だから横歩を嫌う奴は、結構多いぜ。学生将棋で指すなら、序盤を相当研究してないと、そのままハメられて終わりだ。逆に、ある程度研究が溜まったら、これほど面白い戦法も、なかなかねえな。パズルを解くような楽しさがある」
うにゅ、あんまり実感が湧かないかな。
とりあえずは、かなりの研究将棋ってことだね。
序盤の数手でこの調子だと、なんか不安になってくるよ。
角換わりも大概だけど、あっちは一手ばったりの即死がないもん。
「4五角戦法は、初心者が自分で研究してみても、面白いぜ」
「暇なときにやってみるよ」
「よし、本筋に戻るぜ。3四飛と横歩を取った局面で、後手は3筋を受けるのが定跡だ。受け方には、3三桂と3三角がある」
【3三桂型】
【3三角型】
「一番多いのは、さっきも言った通り、3三角だ。が、先に3三桂をやるぜ。こっちの方が、手短に済むからな。3三桂の意図は、『角交換を拒否して、そのうち1四歩〜1三角と覗く』感じだ。他にも、隙あらば4五桂と跳ねて、一気に襲い掛かることもできる」
攻撃的なのか守備的なのか、よく分からないね。
両天秤なのかな?
「先手の対応は?」
「難しいな……これと言って決まったのはないが、後手は6二玉〜7二玉と囲って、飛車を2筋に展開することが多い。先手は桂頭を攻める」
桂頭……そっか、桂馬の頭が薄いんだね。
3四歩と伸ばしていけば、後手は困りそう。
ただ、飛車の横利きもあるし、容易じゃないかな。
「了解。何となく攻め筋は分かったよ」
「まあ、初心者同士の横歩は、大駒が飛び交って、うっかりした方が負けになり易いから、
まずは盤全体に気を配る訓練をした方が、いいと思うぜ」
だね。
角交換からの打ち合いとか、そんな感じのが多いみたい。
うっかり王手飛車とか、余裕で掛かりそう。
「そうだね、気をつけるよ」
「じゃ、次は3三角だが……」
【今日の宿題】
次回は3三角以下の変化を扱います。
・横歩取り8四飛戦法
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=78743
※従来から存在し、現在でも指されている戦法。
・横歩取り8五飛戦法
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=4317
※中座プロが開発した新型。
・佐藤流(3三角成〜7七桂型)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=67477
※先手から急戦に持ち込む。
・山崎流
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=2592
※7七桂と跳ねる余地を作り、8五飛と引かせない。
・新山崎流
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=17421
※8五飛に対する現在の最有力戦法。
《将棋用語講座》
○横歩取り
角道を開けてお互いに飛車先を突き合い、さらに3四飛と取る形を、横歩取りと言う、江戸時代には、「3四飛から2六飛まで、3手かけないと戻れない」ことから、「横歩3年の患い」と呼ばれ、忌避されていた。木村義雄はこの通説を覆し、横歩を多用していたが、本当に3四飛が良いのかと訊かれたときは、「分からない」と答えていたと言う(本当に分からなかったのか、それとも秘密にしただけなのかは、不明である)。現在では、プロ間で最も多く指される戦法のひとつであり、8五飛と呼ばれる形がブレイクしている。




