角換わり(一手損)
というわけで、今日は一手損しちゃう角換わりだね。
早速、部室に行こうか。
「頼もうッ!」
私が元気良く挨拶すると……歩美ちゃん発見。
安定の出席率だよ。
「歩美ちゃん、こんにちは」
「あら、もう来たの?」
別に早くはないよ。出社時間なんてないんだし。
「今日は、一手損だよね?」
「そうね……」
歩美ちゃんは詰め将棋の本を閉じると、駒を並べ始めた。
向かい側に座って……と。
「一手損っていうのは、正式には角換わり後手番一手損戦法の略称よ。普通は、一手損で通じるから、これからそう呼ぶわね」
了解。短い方が助かるよ。
「序盤で8八角成とするのが、一手損の骨子よ。普通の角換わりと違うのは、後手が2手目に3四歩と、角道を開ける点ね。以下、2六歩、3二金、2五歩と伸ばされたタイミングで8八角成。あるいは、7八金、8四歩も入れてから、2五歩、8八角成もあるわ」
【5手目2五歩型】
7六歩、3四歩、2六歩、3二金、2五歩、8八角成
【7手目2五歩型】
7六歩、3四歩、2六歩、3二金、7八金、8四歩、2五歩、8八角成
いきなり、2パターン出て来たね。
「何か違いはある?」
「8四歩と突いてるかどうか、ね」
8四歩……なるほどね、5手目に2五歩の場合は、8四歩と突いてないね。
「でもさ、どうせ8四歩って突くんでしょ?」
「そういう展開になることも、多いわね。8四歩不突きでしかできない戦法は、例えばここから振り飛車にするとか、そういう変則形だと思う。初心者のうちは、あんまり気にしなくていいんじゃないかしら」
了解。思考経済だよ。
「で、この一手損する指し方は、何か意味あるの?」
「それは単純。明白な狙いがあるわ。例えば7手目2五歩型から、以下、同銀、2二銀、7七銀、3三銀、3八銀、6二銀、9六歩、9四歩、1六歩、1四歩、4六歩、6四歩、4七銀、6三銀、5八金、5二金、6八玉、4二玉、5六銀、5四銀。こう進んだと仮定するわよね」
これは……普通の角換わりじゃないかな?
腰掛け銀だよね。王様の位置とか、微妙に違うけど。
「これって、ただの腰掛け銀じゃない?」
「じゃないのよね。もう少し進めてみましょう。以下、7九玉、3一玉、3六歩、4四歩、3七桂、7四歩、6六歩、7三桂」
「さて、何が違うでしょう?」
……何も違わないんじゃないかな?
先手は4五歩から、当然仕掛けるよね。それが定跡だし。
「同じじゃない?」
「じゃないのよね。後手は先手の攻めに対して、8五桂とできるのよ」
え……桂跳ね……あ、そっか。
「分かったよ。8五歩を入れてないから、桂馬を跳ねる余地があるんだね」
「正解。これが、一手損の基本思想よ。簡単にまとめると……」
〔従来の角換わり〕
手損するくらいなら、8五歩と形を決めた方がマシ
〔一手損角換わり〕
8五歩と形を決めるくらいなら、手損した方がマシ
「こういうことね」
へぇ、面白いね。従来の考え方と、まったく逆なんだ。
「どっちが正しいの?」
「その結論は、まだ出てないわね。どちらにもメリットとデメリットがあるわ。まず、一手損の主張は、『8五歩を決めなければ、8五桂と跳ねれる』なんだけど、手損していること自体は事実だから、先手棒銀や先手早繰り銀が復活しちゃうの」
「なんで?」
「受けが一手ずつ遅くなるからよ。8五歩と突いていない状態で速攻されると、8六歩からの反撃ができないし、7四歩〜7三桂とする暇もないわ」
【先手棒銀vs後手一手損】
【先手早繰り銀vs後手一手損】
「昨日、先手棒銀に対しては、後手早繰り銀って説明したけど、一手損の場合は、8五歩と突いてないから、6四銀〜7五歩の攻めが、イマイチなのよね」
なるほどね、手損だから、迎撃態勢が一歩遅れるんだ。
「じゃあ、棒銀で良くない?」
「んー、そう簡単な話じゃないのよね。理論的には、普通の棒銀よりも一手早く攻撃してるんだから、潰せるとしたもんだけど、実戦的には難しいわよ。結局、棒銀って攻め自体が単調だから、対応し易いんでしょうね」
まあ、銀をニョッキニョッキさせる戦法だもんね。
最近の本だと、対抗型とかでもあんまり説明されてないっぽいし。
「ちょっと、駆け足になったわね。話を腰掛け銀に戻しましょう。数江ちゃん、腰掛け銀同型で、先手が歩を突き捨てる順番、覚えてる?」
「覚えてるよ。4−2−1−7−3でしょ」
さすがに、昨日の今日だからね。忘れてないよ。
歩美ちゃんも満足げに頷いて、先を続ける。
「一手損腰掛け銀では、4五歩、同歩、3五歩が普通かな」
……全然順番が違うね。
最初と最後の歩しか突いてないよ。
「2−1−7は、どこ行ったの?」
「変化は多いけど、一例だけ挙げときましょうか。4−2−1−7−3と、全部突いてみるわね」
「以下、4四銀、2四飛、2三歩、2九飛」
うん、これが見慣れた局面だね。昨日やったばかりだけど。
「で、6三金でしょ」
「残念……一手損の場合は、8五桂が利くから、6三金の防御不要よ」
あ……そっか……。
7四歩と打っても、桂当たりになってないね。
でもでも、次に7三歩成とできちゃうよ。
「8五桂、7四歩は?」
「それは無視して7七桂成かしら。以下、同金に8五角なんかどう?」
これは……金取りだね。かつ、6七銀なら、7四角もあるよ。
「7三歩成も飛車当たりだよ?」
「その場合は、飛車を見捨てて5八角成、8二と、6八銀と攻めるわ」
「後手必勝ってわけじゃないけど、これは攻めが止まらないと思う」
……かな。8八玉、7七銀成、同桂、7六歩……ダメっぽいね。そこで7一飛としても、2二玉に7六飛成とはできないよ。馬の紐がついてるもん。
「了解。7四歩はダメだね」
「要するに、7筋の突き捨ては、後手の方が得ってことね。7四歩と打てないなら、7筋の歩を突き捨てる意味ないから」
ふんふん、理解したよ。
でもまだ、2筋と1筋が残ってるね。
7筋だけ飛ばして、4−2−1−3じゃダメなのかな。
「1筋と2筋を突かない理由は?」
「それもやってみましょうか。4五歩、同歩以下、2四歩、同歩、1五歩、同歩、3五歩の順に突き捨てて、後手は定跡通りの4四銀。先手が2四飛、2三歩、2九飛と引いた瞬間、6五歩があるかも」
え? 6五歩? ……狙いが見えないかな。
「同歩だと?」
「6二飛から右四間が面白いと思うわ」
6二飛……右四間……。
あれれ? 何でこんなことになっちゃうの?
「ねえ、普通の腰掛け銀から、大幅に外れてない?」
「その理由は、簡単。後手は6三金を省略してるから、先手が1二歩と叩いたり3四歩と取り込む暇がないのよ。そしてこれが、1筋と2筋を突き捨てない理由ね。要するに、意味がないってこと。後手に歩を渡すだけだから」
そっか……3四歩〜1一角の富岡流は、成立しないんだね。
だったら一手損って、相当優秀なんじゃないかな。
「ちなみに、6五歩を同歩と取らずに6四角なら、冷静に6三金と対応して、8六角、8五歩、9七角、9五歩」
「こんな感じで押していけばいいわ。後手が先攻してる形ね」
遅ればせながらの6三金が、大活躍してるね。
「というわけで先手は、4五歩〜3五歩という、必要最小限の突き捨てで攻めるわ」
「でもさ……攻めが細くない?」
「細いわよ」
「じゃあ、一手損は、後手有利?」
「後手有利とは言いきれないけど、普通の腰掛け銀よりは、一手損腰掛け銀の方が、かなり指し易いわ。普通の腰掛け銀なら、先手が先に攻めるわけだけど、一手損の場合は、後手からの先攻も可能。だからこそ、先手棒銀とか先手早繰り銀が、再検討されるの。どっちかって言うと、早繰り銀の方が多いかな」
なるほどね、相手の土俵で戦う必要性は、ないもんね。
「少し分岐にも触れておきましょうか。4五歩〜3五歩の攻めが細いと見るなら、8八玉と王様を囲っておく方法もあるわ」
「8八玉? それって……えーと……6五歩とか無かったっけ?」
「よく覚えてるわね」
えっへん。記憶力はいいのだよ。社会科の暗記が得意だもんね。
「それは升田定跡のことだけど、この場合は8五歩と伸ばしてないから、必ずしも後手有利とは限らないわ。むしろ、先に6二飛と回る方が多いわね」
「ここでも右四間なんだね」
「そうね。以下、4五歩、6五歩と攻め合うか、あるいは4五歩に一回同歩として、再度守勢に入る順もあるわ。先手が3五歩と攻めて来ても、4四銀、2四歩、同歩、同飛、2三歩で、2八飛と定位置に押し返してから、8五桂、8六銀、8二角」
「この自陣角は、脅威よ。次に6五歩が桂当たりだから」
桂当たり……そっか、3七角成を狙えるんだね。怖い角だよ。
あと、ひとつだけ気になったのは……。
「2九飛じゃない理由は?」
「この局面で2九飛は、3八角、3九飛、2七角成に2五桂と跳ねたとき、3四歩と取り込んでないから、攻めが繋がらないわ。これも、一手損の効果ね」
そっか、3八角があるんだね。
普通の腰掛け銀だと、3四歩と取り込んであるから、2五桂〜3三歩成。だけどこの局面では、それができないんだ。
「了解。いろいろと難しいね」
「やっぱり、定跡を丸暗記するんじゃなくて、一手一手の意味を考えるのが、いい勉強法だと思うわ。今の2八飛のところでも、丸暗記なら2九飛としちゃいそうだし」
だね。考えること重要。
「ところで、これって後手番限定の戦法なの?」
「『8五歩を決めない』という意味では、後手番専用。だけど、『角換わりで一手損する』というだけなら、先手でもできるわよ。例えば、7六歩、3四歩、2六歩、3二金、7八金の出だしから、8四歩に2二角成」
【先手番一手損角換わり】
なるほどね、これは盤が逆さまなだけで、先手が一手損してるね。
「意味は?」
「んー、先手で一手損するのは、多くの場合、『横歩が嫌だから』だと思うわ。もちろん、もっと深く研究してる人もいるんでしょうけど、プロはまず指さないし、消極的な戦法だと思う」
「横歩が嫌? ……どういうこと?」
「仮に2二角成のところで2五歩として、8五歩と伸ばされたら?」
これは……横歩だね。『羽生の頭脳』で読んだよ。
「一手損角換わりにするか横歩取りにするかは、後手の選択権なのよ。その選択権をムリヤリ奪って、横歩にはさせないのが、先手番一手損の多用される局面かしら」
「居飛車党で、横歩を指さない人、いるの?」
私の質問に、歩美ちゃんはきょとんとなる。
「たくさんいるわよ。っていうか、居飛車党でも、『矢倉、角換わり、横歩、相掛かり、全部できます』って人は、そんなに多くないと思う。そもそも、アマチュア同士の対戦なら、対抗型の方が圧倒的に多いもの」
ふーん……ってことは、みんな得手不得手があるんだね。
ちょっと安心したかな。
「逆に、角換わりが嫌いで矢倉が好きな人は、7六歩、3四歩、2六歩、3二金に、6六歩からムリヤリ矢倉にする手もあるわ。このへんは、手の善し悪しより、駆け引きね」
うーん、難しいな。
初手から10手以内にごちゃごちゃすると、神経を使うんだよね。
疲れたし、今日はここまでにしようか。
「一手損の趣旨は、だいたい分かったかな。ありがとうね、歩美ちゃん」
「どういたしまして」
【今日の宿題】
次回から相掛かり・横歩編に入ります。
・駅馬車定跡
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=11043
・塚田スペシャル
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=9957
※本譜は、塚田スペシャル対策の決定版。
・浮き飛車3七銀戦法
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=9660
・浮き飛車3七桂戦法
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=4834
・先手棒銀
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=33441
・先手腰掛け銀
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=19751
※4七銀〜5六銀
・UFO銀
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=6208
※2七銀〜3六銀〜4五銀〜5六銀
《将棋用語講座》
○後手番一手損角換わり
後手が手損して角交換する角換わりは、古くからある。そのうち、淡路仁成プロがとりわけ整備し、プロの間で確立させたものを、後手番一手損角換わりと呼ぶ。狙いは、8五歩を保留して、8五桂と跳ねる余地を残すこと。これは、森内流矢倉に通じるものがある。但し、手損するデメリットも存在し、先手が棒銀や早繰り銀を選択すると、反撃が一手遅れてしまう。一時期は後手有利の評もあったが、研究が進んだ現在では、プロ間で後手の勝率が5割を切るようになった。




