角換わり(序盤と種類)
「ハハッ、それで宿題が増えたってわけかッ!」
円ちゃんはそう言って、大笑いする。
笑い事じゃないよね。宿題が増えるとか、ありえないよ。
「まあ、矢倉急戦を教えてもらった対価とすりゃ、安いもんよ」
「高いよ」
私はぶつくさ言いながら、教科書を開いていた。
問題は……うわ、数列だよ。
数列は、嫌いなんだよね。わけがわかんないから。
えーと、次の数列の和を……。
私が悪戦苦闘していると、歩美ちゃんがやって来た。
「こんにちは」
挨拶を終えた歩美ちゃんは、鞄を置きながら、私のノートを見やる。
「部室は、勉強する場所じゃないわよ」
ど、どういう理屈……まあ、好きでやってるわけじゃないんだけどね。
歩美ちゃんはつまらなさそうな顔で、教科書を覗き込んでくる。
「和を求めよか……」
歩美ちゃんは人差し指を顎に当てて、10秒ほど天井を見上げた。
「256じゃない?」
「適当なこと言わないで」
「適当じゃないわ。ちゃんと計算したわよ」
……え?
私は顔を上げて、歩美ちゃんと目を合わせる。
「ほんと?」
「ほんとよ」
「じゃあ、この問題は?」
私が順番に問題を指し示すと、歩美ちゃんはどれも30秒くらいで答えてくれた。
……けど、信用できないね。鉛筆も使わずに、暗算できるのかな?
半信半疑になっている私に、円ちゃんが声を掛けてくる。
「駒込の計算は、信じていいと思うぞ」
「マジ?」
「ああ、数学だけは信じていい」
……そういうタイプか。
私はちょっとだけ嫉妬しつつ、ノートに解答を丸写しした。
「ところで、何で部室で勉強してるの?」
「実はね……」
私が事情を説明すると、歩美ちゃんは納得したような顔をする。
そして、一言。
「無視すればいいじゃない」
……その考えは、どうかな。
歩美ちゃんとは違うのだよ。うん。
「矢倉急戦が終わったなら、次の戦法に移れるわね。何がいい?」
将棋の話になったね。私も、そっちの方がいいかな。
「うーん……何がいいって言われても……」
私は文房具を片付けながら、『羽生の頭脳』を思い出す。
次は……角換わりだっけ? ちゃんと覚えてないんだよね、順番。
「角換わりって戦法、ある?」
「あるわよ」
歩美ちゃんはそう言って、盤駒を用意してくれた。
「基本図は、初手から7六歩、8四歩、7八金、3二金、2六歩、8五歩、7七角と飛車先を決めて、3四歩、8八銀、7七角成、同銀、4二銀」
【基本図】
「え? 後手から角交換するの? 手損じゃない?」
「手損じゃないわよ。先手は8五歩に7七角と上がってて、これを7七角成で無駄にしてるから、おあいこ。手損になるのは、8八に角がいる状態で交換した場合」
ふーん……いまいちピンと来ないけど、そうなのかな。
「矢倉と同じで、2手目は8四歩限定? ムリヤリ角換わりとかある?」
「普通の角換わりでは、ほぼ限定ね。お互いが変な組み方をしない限り、3四歩から角換わりにはならないわ。但し、一手損角換わりは別よ」
いってぞん? ……一手損かな?
「どんな戦法?」
「初手から7六歩、3四歩、2六歩、3二金、2五歩、8八角成」
【一手損角換わり】
「8八に角がいる状態で交換するから、後手が一手損なのよね」
なるほどね、これでさっきの説明と繋がるわけか。
7七で交換は手損なし。8八で交換は手損、と。
「手損してるから、あんまりいい戦法じゃないよね?」
「一見そう思えるんだけど、実は逆。一手損角換わりは、通常の角換わりよりもあとに開発された戦法で、そこそこ優秀よ。一時期は、こっちの方が主流だったくらい」
「手損するのが主流なの?」
「話せば長くなるけど、『手損は悪い』っていうのは、必ずしも全ての形には当てはまらないのよ。プロがこのことに気付いたのは、平成に入ってからだと思う。今じゃ、『手損の善し悪しは状況に依って決まる』と考えられてるわ」
へぇ、プロでも先入観に囚われちゃうんだね。
面白いかな。
「序盤に角交換するから、角換わりなんだよね?」
「そうよ。序盤に角交換する相居飛車は、角換わりでひとくくりにされるわ。最近の人は、角換わりって聞くと、次の局面を想定するんじゃないかしら」
お互い、銀が中央に繰り出してるね。
「正式名称は『角換わり腰掛け銀』よ。本当は角換わりの一部なんだけど、他の形が廃れ過ぎて、今じゃほとんどのケースがこれね」
「こしかけ?」
「銀が5筋の歩の上に腰掛けてるでしょ?」
……ああ、そういう。見た目でつけました系のネーミングだね。
「他って言うのは?」
「角換わり棒銀と早繰り銀」
【角換わり棒銀】
【早繰り銀】
※後手番でも可。
「棒銀は、知ってるわよね?」
「3七銀〜2六銀で、銀がニョキニョキする戦法だよね?」
「正解。早繰り銀は、3七銀〜4六銀と出て、すぐに3五歩と突くの」
なるほどね。
「でもさ、何で流行らなくなったの?」
「まあ、流行らなくなったのは、プロの間での話。角換わり棒銀は、最初、青野照市プロの青野流が普及したんだけど、向かい飛車に振り直す対策が確立されてからは、下火になったわ。青野流は、基本図から3八銀、7二銀、2五歩、3三銀、2七銀、7四歩、2六銀、7三銀と、棒銀vs早繰り銀の形にするわ」
【青野流角換わり棒銀】
「ここから1五銀、5四角、3八角の交換を入れて、4四歩、2四歩、同歩、同銀、同銀、同飛、3三金に、2五飛が青野プロの研究手よ」
ごめん、いろいろと意味が分かんないんだけど。
「5四角、3八角の交換って何?」
「5四角は、飛車先を止める準備。4四歩と突けば、2一桂に紐が付くでしょ。先手が3八角とせずに、いきなり2四歩だと、同歩、同銀のところで2七歩の返し技が利くわ」
「1八飛と逃げたら、2四銀と手を戻して、棒銀失敗ね」
へぇ、こんな裏技があるんだ。
3八角なら、2七歩、同角、2四銀、5四角、同歩、2四飛とできるね。
「最後の2五飛って何?」
「いきなり2八飛と深く引くと、やっぱり2七歩があるのよ。2五飛は途中下車して、これを避けた手」
なるほどね、教えてもらわないと、思いつかないかな。
青野さんも、かなりの研究家みたい。
「これで攻めが成功するなら、棒銀でも良くない?」
「残念ながら、小野新手と言うのがあるのよ。2五飛と引かれた瞬間に、2四歩」
「え? これって当たり前じゃない?」
「当たり前じゃないわ。歩は2七に打ちたいの。そのための5四角だから」
あ、そっか。2四歩って打つと、次に2七歩とはできないね。二歩だよ。
「先手は2七歩がなくなったら、2八飛と引くんだけど、そこで2二飛が好手」
「向かい飛車にされて、2筋が受からなくなるわ」
……っぽいね。角も利いてるし、さすがにガード不能かな。
「というわけで、青野流は指されなくなって、代わりに田中寅彦プロの田中流が登場するわ」
あ、この人は知ってるね。序盤のエジソンでしょ。
穴熊を整備した人だよ。
「田中流は、4四歩まで青野流と同じよ。そこで攻めずに、6八玉」
【田中流角換わり棒銀】
ほえ? 何が違うんだろ?
王様を上がってるだけだけど……。
「どんどん王様を囲うとか?」
穴熊のプロだから、何だかそれっぽいよね。第一印象大事。
「いいえ、すぐに仕掛けるわよ。後手は1四歩として、銀を追い返そうとするけど、構わず2四歩と突いて、同歩、同銀、同銀、同飛、3三金、2五飛」
……同じじゃん。
「で? 2四歩なんでしょ?」
「それには5五飛とするわ」
「5五飛? ……2二飛で?」
「8五飛」
あ……飛車が動いたから、8筋が……。
「2四歩以外の手として、1三桂、2六飛、2五歩、5六飛としてから、2二飛も考えられるわよね。8筋に回らせない指し方。だけどこれには、2七角の鬼手があるわ」
ふえ? 何これ?
「同角成で?」
「5三飛成、5二金、3三龍」
あらら、これは終了だよ。どうにもならないね。
「でもさ、これなら6八玉要らなくない?」
「今のは、角を取るからダメなのよ。取らない場合は、居玉にしないで6八玉の方が、安全でしょ」
なるほどね、そういう配慮なんだ。
王様を囲うの大事。
「了解。だったら、やっぱり棒銀で良くない?」
「残念ながら、1990年代に、プロの間で決定版が出ちゃうのよ。それが、1四歩〜7三銀型。先手が2六銀と出た瞬間に、後手は1四歩と突いて、1六歩、7三銀」
「意味は?」
「1五銀と出られなくするため。無理して1五歩からの攻めには、角を持ってるから反撃が簡単っていう仕組みなのよ」
「5四角は打たないの?」
「打たないわ。それに代わる対策だから」
なるほどね、要するに5四角型が、万能に見えてそうでもないってことか。
将棋は難しいな。
「これ以降、プロは角換わり棒銀をほとんど指さなくなるわ。ほぼ死滅に近い状態。ただ、それはプロの話であって、アマチュアはまた別」
だね。これもいつも通り。
プロがやらない≠アマチュアでやって勝てない、だもん。
そもそも、5四角〜2四歩〜2二飛とか、気付かないよ。
腰掛け銀ばっかりやってる人にぶつけたら、勝てるんじゃないかな。
「最後に、ひとつだけいいかな? 早繰り銀は、なんで衰退したの?」
「腰掛け銀に弱いから」
……そっか、主流戦法に弱いのは、ダメだよね。致命的。
「但し、ここまでの説明は、普通の角換わりに限定して考えてちょうだい。一手損角換わりの場合には、また違うことが言えるから」
ふんふん、どうやら一手損することで、作戦が変わってくるみたいだね。
とりあえず今日は、普通の角換わり棒銀が衰退した理由だけ、覚えとこうか。
「ありがとね、歩美ちゃん、宿題も手伝ってくれて」
「さっきの宿題、答えだけ持って行ってオッケーなの?」
……………………
……………………
…………………
………………
「途中式も教えてくれない?」
歩美ちゃんは、人差し指を立てて一言。
「お断りします」
【今日の宿題】
次回は普通の腰掛け銀を中心に解説します。
・丸山流55手目1一角
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=3958
・佐藤新手
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=1182
※これに羽生新手2四金を加えたものが、丸山流対策の決定版。
・堀口(弘)流2六飛
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=13136
・渡辺新手
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=67810
※堀口(弘)流はこれにより消滅。
・富岡流55手目3四歩+61手目4四角成
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=63927
《将棋用語講座》
○角換わり
相居飛車で序盤に角交換を行う戦法の総称。力戦型をこれに含めるかどうかは、若干意見の分かれるところであろう。通常は、角換わり腰掛け銀を意味する。矢倉と同様、先手の勝率が高過ぎて、一時期廃れたこともあるが、一手損などの流行で、再び盛り返した。定跡が非常に整備されており、木村定跡のような「先手必勝」の局面も存在する。




