矢倉(急戦)
「午後の授業が眠いのは分かるが、寝ちゃいかんぞ」
「すみません……」
私はぺこりと頭を下げて、素直に謝った。
「昼休みに将棋してて、頭が疲れちゃったんです」
「そういうのは、部活の時間にやらんかい」
うーん、正論過ぎて、言い返せないね。
ただ、昼休みにやっても、いいと思うんだけど。
休み時間なんだし。
「ところで、多少はマシになったのか?」
「何がですか?」
数学の成績は変わってないよ。
「将棋部に入って、少しは強くなったのか?」
あ、将棋の話……これはチャンスだね。誤摩化すよ。
「多少は」
「そうか、うちの学校も数年前までは強豪だったが、最近はどうもいかんな」
へぇ、初めて知ったかな。
まあ、強豪だとしても、初心者の私には、あんまり関係ないんだけどね。
「最近は、矢倉をやってます」
話題が途切れないように、私は適当な現状報告をする。
すると桂先生は、びっくりしたような顔をした。
「もう矢倉が指せるようになったのか? ひと月くらいしか経っておらんが……」
言い方が悪かったかな。
指してるんじゃないんだよね。勉強してるんだよ。
「定跡がなかなか覚えられないんですよね」
「始めたばかりなら、定跡から外れたところで、別に困らんよ」
なんか、歩美ちゃんと同じこと言われてるね。
初心者の頃は、大雑把でいいのかな?
確かに、あれを全部覚えてると、いつまで経っても指せないんだよね。
「そもそも、本格的な矢倉は、初心者だと、攻めどころが分からんと思うしのお。急戦矢倉から始めた方が、分かり易いんじゃなかろうか」
「急戦矢倉って、6七金右か何かで、ダメなんじゃないですか?」
私が答えると、桂先生は感心したような顔をする。
やったね。内申アップしたかも。
「6七金右で消えたのは、矢倉中飛車だけじゃろ。他のは、まだ生きとるぞ」
そうなんだ……その説明は、受けなかったかな。
「何で6七金右だと、矢倉中飛車がダメなんですか?」
7七銀だと、通用するんだよね。謎過ぎるよ。
「そりゃ単純じゃよ。矢倉中飛車というのはな、こんな形で……」
【矢倉中飛車】
「先手はここから、6八銀と引き直して受けるんじゃな」
「銀を引くんですか? それって、6八銀〜7七銀って上がったばかりですよね?」
「そうじゃが、矢倉中飛車に対しては、6八銀と引いて角道をもう一度通すのが、常識的な受けだからの。話を戻すと、この6八銀〜7七銀〜6八銀の動きが無駄じゃから、新矢倉24手組みでは、7七銀を保留するわけじゃな。それでも後手が矢倉中飛車なら、2手得しているという寸法よ」
なるほどね、ようやく分かったかな。
6八銀は、矢倉中飛車に対する受けの形になってるんだね。
有利な陣形にわざわざ突っ込んで行く必要はないよ。
「と言うてもな、6八銀型でも、初心者なら突っ込んで勝てると思うぞい。中飛車は破壊力があるから、相手が的確に受けられるとは、限らんしのお」
だね、そこも問題。
6八銀型が矢倉中飛車相手に有効でも、中央から殺到されたら、潰れちゃいそう。
対策を知っている=勝てるじゃないからね。駒落ちでも、そうだし。
将棋倶楽部24に登録できたら、誰かにやってみようかな。
「最近は、どんな急戦があるんですか?」
「最近は、5五歩からいきなり動く形が多いかの」
【阿久津流急戦】
うわ、過激だね。
たださ、この形って、ちらっと思いつくよね。5六歩、5四歩の時点で、後手には5筋を交換する権利が生じるわけだし、やりたくなっちゃいそう。
「これは、ダメなんですか?」
「大有りじゃ。ワシが若かった頃からある戦法じゃよ」
それは古いね。桂先生は、もうすぐ定年のはずだし。
「ただ、指し方はどんどん変わっておるの。昔は5筋の歩を交換してから、2二角と引き直して、中央を制圧する作戦じゃった。最近は7三角と引いて、その周辺の攻防が多いわい。例えば、同歩、同角、7九角、7三角、4六角、6四銀、7五歩、8四飛、7四歩、同飛」
ん? いまいち分かんないね。7筋の歩は消えてるけど……。
「ここから、どうやって攻めるんですか?」
私が尋ねると、桂先生はボールペンの底で、薄い頭を掻く。
「難しいのぉ。例えば、6五歩と反発して来たら、同銀と取って、7三角成、同桂、6六歩に、無視して5一金と寄るのが定跡じゃが、さて……」
「え? 銀が死んでますよ?」
「以下、6五歩、同桂、7六銀、5七歩として、いきなり先手の王様が狭くなるんじゃよ。7九玉なら5八歩成とされて、これは負けじゃな。かと言って動かないなら、後手は5八角とでもして、がりがり削って行けばよかろう」
「えーと……5一金の意味は?」
「ないと8三角じゃぞ」
あ……両取り……。
「先手は、角交換する必要があるんですか?」
「その質問も難しいのぉ。先手は7九角のところで、2五歩ともできるんじゃが、単に3三銀で受かってしまう。結局は、左辺で勝負になりそうじゃわい」
そっか、2五歩が出遅れてるから、右辺での反撃が難しいんだね。
こうなってくると、お互いに殴り合いかな。
「急戦って、これだけですか?」
「昔は米長急戦というのもあって、最近また指されとるのぉ」
【米長急戦】
「復活したんですか?」
「米長急戦は、矢倉早囲いに滅法強くての。これで矢倉早囲いが無くなったんじゃが、藤井さんがまた、藤井流を開発したじゃろ。するとな、今度は改良版の米長急戦が、有効になるんじゃな」
矢倉早囲いって言うのは、多分、藤井流早囲いと似たような感じだよね。
前者に対して有効なのが、この急戦だから、後者に対しても、一応有効ってこと?
「まあ、藤井流をやってくるアマチュア自体少ないかもしれんが、やられたら米長急戦を試してみるのも、ひとつの手よの。いろいろ試してみるのが、ええぞ」
ふんふん、習うより慣れろ、だね。
「先手からの急戦は、ないんですか?」
さっきから、後手番ばっかり攻めてるよね。
何か、理由があるのかな。
「先手は、あんまりせんの」
「何でですか?」
「4六銀3七桂戦法が、優秀だからじゃよ。後手番の急戦は、『普通に組むと先手が先に攻撃するから、後手は面白くない』っちゅう発想から生まれとるんじゃな。阿久津流も米長流も、後手番で先に攻撃するための急戦というわけじゃ」
「ってことは、先手番の急戦はないんですね?」
「いや、先手でも、あることはあるぞ。3五歩早仕掛けとかな」
【矢倉3五歩早仕掛け】
「同歩、同角ですか?」
「いやいや、それはいかん、いかんぞ。先手の思うつぼじゃ。同角、同歩で角を飛び出し、歩を持ち駒にしてから好形を築くのが、先手の狙いじゃからの。後手の正しい応手は、6四角じゃ。以下、1八飛と寄って、先手の飛車が窮屈になろう」
「あれ? 飛車を寄らなくても、3七銀で大丈夫ですよね?」
「それは、3五歩で困るぞ。同角、3六歩、4六銀、4五歩」
「銀が死んどるの」
あらら、ほんとだ。
同銀だと、2八角成で終わっちゃうね。
「んー、1八飛とか、ちょっと嫌な感じなんですけど……」
「うむ、だからこの急戦は、あんまり流行っとらん」
なるほどね、これをするくらいなら、4六銀3七桂戦法の方がいいよね。
あっちの方が、形が良さそうだし、何となく。
ただ、やられたときのために、覚えとこうか。3五歩には6四角、と。
「これだけですか?」
「変わったものとしては、右四間飛車もあるぞ。初手から7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、6四歩、7八金、6三銀、4八銀、5四銀、5七銀右、6二飛」
【右四間飛車】
「四間飛車? 四間飛車って、振り飛車じゃないんですか?」
「右四間じゃよ。左から4つめじゃなくて、右から4つめじゃな」
右から4つめ……あ、そういうことか。
六間飛車とは言わないんだね。
「これは面白くての。5手目7七銀型だと、うまくいかんのよ」
「何でですか?」
「右四間の狙いは、6五歩、同歩から、一気に6筋を潰すことなんじゃが、7七に銀がいる形で6六歩と突かなければ、これは回避できるじゃろ」
7七銀で6六歩を突かない……あれ? だったら……。
「新矢倉24手組みは、必ず6六歩って突きますよね?」
5手目に6六歩だから、どうしようもないよね。
相手が右四間にしてくるかどうかなんて、その段階じゃ分かんないし。
「その通りじゃ。要するに、『旧矢倉24手組みは、右四間飛車には強いが、矢倉中飛車には弱い。新矢倉24手組みは、矢倉中飛車には強いが、右四間飛車には弱い』という関係にあるんじゃな。ただ、中飛車>右四間で、新の方がよいというわけじゃの」
はえぇ、そういう関係があるんだ。
新矢倉24手組みも、完璧ってわけじゃ、ないんだね。
欠点はあるけど、その欠点が旧矢倉24手組みよりも、マシってことなんだ。
「勉強になりました。ありがとうございます」
私はもう一度頭を下げて、お礼を述べた。
それじゃ、部活に行こうかな。
職員室で矢倉急戦を教えてもらえるなんて、ラッキーだったね。
「ほいじゃ、明日までに、教科書52ページの問題、全部やってこい」
「? 何ですか、それ?」
「居眠りのバツじゃ」
……………………
……………………
…………………
………………
なんてこったい。
【今日の宿題】
次回から角換わりに移ります。
・角換わり先後同型(木村定跡)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=39948
※先手必勝。
・升田流(3一玉型)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=10496
※現在の主流。
・角換わり棒銀(青野流)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=9743
※先手棒銀vs後手早繰り銀の歴史の始まり。
・角換わり棒銀(小野新手)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=22053
※向かい飛車で逆襲。
・角換わり棒銀(田中流)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=19811
※6八玉として、5六飛から中央を襲う形。
・角換わり棒銀(1四歩型)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=4210
※プロ間ではこれで後手有利の結論となり、角換わり棒銀は消えた。
《将棋用語講座》
○右四間飛車
対抗型では扱わなかったが、右から4筋目に飛車を振って攻撃する戦法は、対振り飛車、対角換わり腰掛け銀でも登場する、汎用性の高い形である。角筋を利用しつつ、桂銀飛で総攻撃をかけるので、受け方を知らないと一気に潰されてしまう。プロでは中川大輔8段の得意戦法だが、頻出というわけではない。狙いが単調なので、的確に受け止められると、立ち往生し易いからである。
なお、先手番でも可能。
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=67779




