表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
将棋入門一歩前!  作者: 稲葉孝太郎
平手を指そう!(相居飛車)
47/60

矢倉(25手目を巡る攻防)

木原(きはら)ッ!」

「うわッ!」

 私が飛び起きると、数学の(かつら)先生が、こちらを睨んでいた。

 あうあう……これは、やっちゃった……。

「授業中に寝たらいかんぞ」

「すみません……」

 周りでクスクスと笑い声が聞こえる。

 笑わなくたっていいよね。ブーッ。

「なんだ、家でゲームばっかりしとるのか?」

 あ、バレてるね。

 多分、休み時間にDSしてたの、見られてたかな。

 没収されないようにしないと……。

 コンパスで肩を叩きながら、桂先生は、教壇に戻って行った。

 私は教科書を見る。……うわ、涎がついてる。最悪。

 でもね、ゲームのせいじゃないんだよ。昼休みに、歩美(あゆみ)ちゃんが難しい説明をするから、脳みそが疲れちゃったんだね。食堂で、ばったり出会って……。

 

  ○

   。

    .


「矢倉の25手目以降?」

 歩美ちゃんは箸を止めて、私の顔を見つめてくる。

「そうだよ」

「何で、25手目以降限定なの?」

 それはね……。

「新矢倉24手を習ったからだよ」

 もうね、この先の返事は、見えてるんだよ、歩美ちゃん。

「……そう」

 ほらね。でも、私は押すよ。

「で、25手目は、何を指せばいいの?」

「それが分かったら、名人になれるわよ」

 ……意味不明だね。歩美ちゃん、筋道立てて話そうよ。

「どういうこと?」

「25手目の最善手は何か、なんて、プロでも知らないわよ」

 ……そうなんだ。

「候補はあるんでしょ?」

 歩美ちゃんはそばを啜り、お茶を飲んでから、こくりと頷いた。

「あるわよ」

「例えば?」

「一番多いのは、すぐに3七銀だと思うわ」


挿絵(By みてみん)


「ここから6四角、6八角、4三金右、7九玉、3一玉、8八玉、2二玉、4六銀として、以下、5三銀、3七桂、7三角、1六歩、1四歩、2六歩、8五歩、3八飛が一例かしら」


挿絵(By みてみん)


「他には、8五歩としないで、9四歩〜9五歩とする森内流。あるいは、8五歩からの反撃を放棄して、徹底的に受ける4二銀引型もあるわね」


【森内流】

挿絵(By みてみん)


【4二銀引型】

挿絵(By みてみん)


 多いね……。

 25手目を聞いただけなのに、もう3つ出て来たよ。

「4二銀引型で、6五歩と突いてるのは?」

「これは宮田(みやた)新手(しんて)と言って、宮田(みやた)敦史(あつし)プロ考案の、ちょっと深謀遠慮な手」

「意味は?」

「『わざと後手に手を渡して、形を少し崩させてから、攻撃』なんだけど、ちょっと難しいかしら。誤解を恐れずに言うと、6五歩のあとの後手は、どの駒を動かしても、あんまり形が良くない、ってことね。例えばこの図だと、8五歩と突かされてるから、9三桂〜8五桂とできないでしょ。こうなると、後手の攻めが難しくなるわよね」

 攻めが難しいって言うか、手の意味が難しいよ。

 多分、後手は、6五歩の前に理想型になってて、これ以上動かさない方がいい、ってことかもしれないね。パスできた方がいい局面もあるって、以前教わったし。

「何で後手は、8五桂にこだわるの? そんなに重要?」

「8五歩型に対しては、矢倉穴熊って言う、有力な戦法があるのよ」


【矢倉穴熊】

挿絵(By みてみん)


 また穴熊が出て来たよ。この熊、どこにでも出没するから、危険だね。

「8五桂型なら、9六歩から端の猛攻ができるってわけ。ただ、8五歩型が悪いってわけでもないから、そこは注意してちょうだい。ラッキーとばかりにクマると、かえってぼこぼこにされることもあるから」

「穴熊をぼこぼこにできるの?」

「矢倉穴熊は、対抗型の居飛車穴熊ほど、優秀じゃないのよ。最初から8筋を圧迫されてるし、金銀を集める前に攻撃されちゃうから、1枚穴熊や裸穴熊になる可能性も高いわ。8八銀としない状態で戦闘が始まったら、かなりキツいわよ」

 なるほどね、振り飛車と違って、相矢倉は、すぐに攻撃できるんだね。

「これは全部、3七銀型からの流れだよね? 25手目自体は?」

「それなら、3七銀の代わりに6八角と上がる森下システムとか、いきなり4六角とぶつける脇システム、あるいは、25手目以前から違う、藤井流早囲いがあるわよ」


【森下システム】

挿絵(By みてみん)


【脇システム】

挿絵(By みてみん)


【藤井流早囲い】

挿絵(By みてみん)


「……順番に説明してくれない?」

 何が違うのか、さっぱり分からないよ。

 歩美ちゃんは箸を置くと、お茶を啜りながら、最初の局面を指し示した。

「森下システムは、矢倉の中ではちょっと特殊な方針で、後手の指し手に応じて、態度を変える戦法」

「もうちょっと、分かり易く」

 私がお願いすると、歩美ちゃんはしばらく考えて、それから唇を動かす。

「主流戦法の3七銀は、『次に4六銀〜3七桂〜3八飛として、すぐに攻撃するよ』っていう意思表示なのよね。これに対して森下システムは、『こっちはまず王様を囲うから、そちらが形を決めてください』という手。この説明なら、分かる?」

 3七銀が攻撃の手って言うのは、分かるね。昨日、教わったから。

 3七銀としないなら、後手番に主導権が渡るのも、何となく分かるかな。後手は、4六銀3七桂戦法を受けるために、いろいろ対応するんだもんね。5三銀とか、8五歩とか、あるいは9四歩〜9五歩とか。先手が4六銀〜3七桂戦法を放棄するなら、後手の方から先に攻めることもできるし、そうしないこともできるよ。

「うーん、何となく、分かったかな」

「そう、なら次に、脇システムを……」

「ちょっと待って。森下システムの先手は、何で先に攻撃しないの?」

 先に攻撃できるなら、攻撃した方がいいんじゃないかな?

 先制攻撃こそ勝利への道、って言うもんね。

「それは、ちょっと歴史的な話になっちゃうわね」

 対抗型でも歴史の勉強は散々やったし、一応、聞いとこうか。

「詳しく」

「森下システムが流行った切っかけは、『後手に戦法を決めてもらって、それに有効な対策を繰り出した方が、勝率がいい』から。例えば、相手がグーを出してからパー、相手がパーを出してからチョキを出せば、簡単に勝てるでしょ?」

「それって、後出しだよね?」

「その後出し可能な状況を目指したのが、森下システム。例えば、基本図以下、後手が防御の姿勢を取ったら、4七銀型から攻めるわ」


【森下システム4七銀型】

挿絵(By みてみん)


「反対に、後手が攻撃的な棒銀を採用したら、5七銀からがっちり固めるの」


【森下システムvs後手棒銀】

挿絵(By みてみん)


「こんな風に、後出しじゃんけん方式を目指したのが、森下システムなわけね」

「それって、最強じゃない?」

 じゃんけんで後出しできるなら、百戦百勝だよ。

 私がそう思っていると、歩美ちゃんは人差し指を立てた。

「できたら、ね」

 これは……できないってことだね。

 欠陥があるのかな?

「後手に対策があるの?」

「森下システムオリジナル版には、欠陥があったのよ。それが、雀刺し」

 すずめざし?

 ……雀を刺しちゃう戦法かな? 物騒だね。

「どういう戦法?」

「端に飛車を寄って、桂香角飛で総攻撃」


【森下システム本家vs雀刺し】

挿絵(By みてみん)


 あわわ、攻め100%って感じだね。矢倉が中途半端なままで攻めてるよ。

「これでダメなの?」

「残念ながら、ダメなのよね。森下システムは3七銀を保留してるから、先に総攻撃されると、反撃不能になるのよ。それに、王様を8八に早く囲っちゃうから、藤井システムと同じで、『王様がわざわざ戦場に近付く』状態。そのまま潰れるわ」

 ……そっか、9筋が戦場になるときは、8八に王様がいたら、ダメだよね。

 面白いな、対抗型の発想が、こういうところでも見られるなんて。

「というわけで森下システムは、『後出しじゃんけん』を目指したわけだけど、『じゃんけんせずに全力で殴ればOK』という理由で、一時的に消滅したわ」

 一時的? 今、一時的って言ったね。

 聞き逃さないよ。

「復活したの?」

「そう、森下プロの(おとうと)弟子(でし)深浦(ふかうら)プロが、対策を考えたの。その発想は、対藤井システムと本当に似てて、『9筋を攻められるなら、8八玉としないで速攻』作戦よ」


【深浦流森下システム】

挿絵(By みてみん)


「初対局では、残念ながら佐藤(さとう)康光(やすみつ)プロに負けちゃったけど、対策自体は成立してるから、その後も指されてるわ」

 すごいね。

 誰も指さなくなった戦法を復活させるって、何かかっこいいな。

「ただ、4六銀3七桂戦法に比べると、マイナーね」

「何で?」

「4六銀3七桂戦法が優秀で、森下システムを使う必要がなくなったから。将棋は、よほど変な攻めじゃない限り、攻めてる方が心理的に有利なゲーム。これは、プロでも変わらないわ。そもそも、『攻撃側は攻撃が失敗したら、防御に回ればいい』けど、『守備側は守備に失敗したら、即敗北』なんだから、みんな攻撃したがるわよね。木村(きむら)一基(かずき)プロみたいに、守る方が好きって人も、たまにいるけど、例外かな」

 なるほどね、やっぱり先制攻撃は、勝利への道なんだよ。

 がんがん攻めようね。

「とりあえず、森下システムは成立してる、ってことだけ覚えておいて。興味があったら、深浦流あたりを丹念に勉強すればいいから」

「了解」

「じゃあ、次は脇システムね」

 そう言って歩美ちゃんは、盤面を変えた。


挿絵(By みてみん)


(わき)謙二(けんじ)プロ愛用の脇システムは、すっごい定跡将棋」

「矢倉自体が、定跡将棋じゃない?」

「その中でも、特に定跡将棋よ。詰みまで研究されてる局面もあるくらい」

 えぇ……詰みまでって、それゲームが終わってるよ。

 こうなると、完全に暗記ゲーだね。

 全部解明されてるわけじゃ、ないんだろうけど。

「ただこれは、1990年代前半の戦法で、単体ではあまり指されてないわ。脇システムが主に登場するのは、藤井流早囲いの局面よ」


【藤井流早囲い】

挿絵(By みてみん)


「ここから3一玉、7八玉、2二玉、6八金として、片矢倉に組むわ」


【片矢倉】

挿絵(By みてみん)


「片矢倉は通常の矢倉よりも、角の打ち込みに強くて、脇システムとの相性は抜群。この一連の手順を、藤井流と呼ぶの」

「藤井流? ……藤井システムの藤井さんじゃないよね?」

 藤井さんは、振り飛車党だよね、ここまで見る限り。

「その藤井さんよ」

「……矢倉も指すの?」

「矢倉も指すようになった、ね。藤井システムが苦しくなってくると、振り飛車党自体が激減して、藤井プロも、居飛車を指さざるをえなくなったってわけ。で、いきなり発明したのが、この藤井流早囲いよ」

 どんだけぇ……発明家になれば良かったんじゃないかな?

「藤井流早囲いは、開発段階でブレが大きいから、『これが早囲いの決定版』っていう手順はないけど、一例として、7六歩、3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、5二金右、5八金右、3二銀、6七金、4四歩、7八銀、3一角、7九角、7四歩、2六歩、4三金、3六歩、6四角、4六角」


挿絵(By みてみん)


「これで部分的に、脇システムでしょ」

「へぇ、ムリヤリ矢倉みたいな進行なんだね」

「そうね。8四歩からじゃなくても、藤井流早囲いは成立するわ。ただ……」

「ただ?」

「勝率はあんまり良くないかも」

 あらら、残念。

 藤井さん、がんばだよ。

「このへんって、アマチュアだと、評価しにくいのよね。プロでは『一手早く指せるかどうか』が、死活問題になりかねないけど、級位者レベルじゃ、『一手損? で?』って感じだし、『早く囲える矢倉』の優秀性を、そこまで実感できないと思う」

 強者ならではの悩みなんだね。

 私は悩まなくていいかな。一手一手真剣に指してると、心が折れそう。

「はっきり言っちゃうと、数江(かずえ)ちゃんなら、まだそこまで暗記しなくていいと思うわ。羽生(はぶ)さんも、『初段までは終盤力で何とかなる』って言ってるし、まずは終盤力を鍛えないとね。矢倉だって、最初は見よう見真似でいいのよ」

 そっか……まあ、どれだけ有利になっても、王様を詰まさないとダメなんだよね。そのへんは、駒落ちで十分実感したかな。将棋は、王様を詰ますゲーム。序盤で有利になったり、駒得をしたりするゲームじゃないよ。ここ重要。

「了解。頭もお腹もぱんぱんだし、そろそろ教室に戻ろうか」

「そうね、昼寝の時間にしましょう」

「……」

 

  ○

   。

    .


「こりゃッ! 木原ッ!」

「うわッ!」

 しまった。また、うたた寝しちゃったよ。

 将棋が夢でリピートするとか、病気だね、これ。

「放課後、職員室まで来い」

 あうーん……それはないよ……。

 でも、桂先生は将棋部の顧問だし、将棋の話で誤摩化しちゃおう、と。

 (かず)ちゃん、頭いい。

【今日の宿題】

次回は、矢倉急戦を扱います。


・矢倉3五歩早仕掛け

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=73271


・米長流急戦矢倉

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=9481


・阿久津流急戦矢倉

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=37425


・矢倉中飛車

http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=75212



《将棋用語講座》

○矢倉早囲い(藤井流早囲い)

普通の矢倉よりも少ない手数で囲えるので、矢倉早囲いと言う。藤井プロが居飛車に新風を送り込む形で開発した、21世紀の戦法。だが、筆者の調査によれば、これは江戸時代に存在していた初期の矢倉戦法であり、実は藤井流の方が古い。現在の主流戦法が『遅囲い』なのである。このあたりは、『古棋探訪』にて扱う予定。『早○○』という名前は他にもあり、速攻に関するものと(4五歩早仕掛け、早繰り銀など)、囲いに関するものがある。矢倉早囲いと呼ぶのは、振り飛車に別の『早囲い』が存在するからである。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ