矢倉(新24手組み)
さてさて、八千代ちゃんの説明が正しければ、対抗型はもう終わりかな。今日は部室に行って、そのことを確かめようね。
「やっほー、八千代ちゃんいる?」
私がドアを開けると……あいかわず、狭いね。引っ越せないのかな?
「木原さん、こんにちは」
いたいた、八千代ちゃん。
「対抗型、終わったよ」
「本当ですか?」
私は、これまで勉強した戦法を、すべて挙げた。
「……重要なものは、確かに終わっていますね」
やったね。
まだ他にもあるっぽいけど、キリがないから一旦中断。別の機会にやろうね。
「どうします? 相振り飛車からやりますか? それとも相居飛車?」
「あいふりびしゃって言うのは?」
「お互いに振り飛車の形です」
【相振り飛車】
なるほどね、先手が向かい飛車で、後手が三間飛車だね。
「相振り飛車は、あとでいいよ。私は居飛車やるから」
「そうですか。では必要ないですね。相居飛車に取りかかりましょう」
八千代ちゃんはそう言って、盤面を崩す。
そして、初期位置に戻した。
「今日は、矢倉をやりましょう」
「やぐら?」
昨日、聞いたような気がするね。
穴熊に目が行っちゃってて、ちゃんと思い出せないけど。
「将棋には、矢倉囲いというものが存在します」
八千代ちゃんは、パパッと盤面を動かす。
すごいね。頭に全部入ってるのかな? 私もこうなりたいよ。
【矢倉囲い】
「枠で囲った部分が、矢倉囲いですね」
ふんふん、思い出したよ。
「振り飛車穴熊対策で、出て来る形だよね」
「それもあります。しかし、一番有名なのは、このような『お互いが矢倉囲い』の形です。これを相矢倉と呼びますが、普通は略して『矢倉』ですね」
紛らわしくないのかな? 頻度の問題かも。
「確かに、両方が矢倉囲いだね」
「これは江戸時代からある戦法で、300年近い歴史を有しています。相居飛車の花形戦法で、プロアマ問わず。よく見る形ですね。米長邦雄プロは、『矢倉は将棋の純文学』という言葉を残しており、言い得て妙でしょう」
純文学は読まないんだよね、私。愛読書は漫画だから。
「これは、どういう風に組むの?」
「矢倉の序盤は、大部分が暗記です。矢倉24手組という定跡があり、名前の通り、最初の24手が、ほぼ決まっています」
え? 24手も決まってるの?
こんなのは、初めてかな。
「最初の24手は、7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、6六歩、6二銀、5六歩、5四歩、4八銀、4二銀、5八金右、3二金、7八金、4一玉、6九玉、7四歩、6七金右、5二金、7七銀、3三銀、7九角、3一角、3六歩、4四歩です」
【新矢倉24手組み】
「これは新矢倉24手組みと呼ばれるもので、昔は少し違う指し方をしていました」
速い速い。
ゆっくりやろうね。
「初手から、説明よろ」
「まず、7六歩に8四歩という出だしが、矢倉では一般的です。これが7六歩、3四歩の場合は、矢倉ではなく、横歩取りや角換わりになるケースが多いかと」
2手目で戦法が固定されるって言うのは、聞いたことがないね。
「何で?」
「3四歩の場合は、お互いの角が睨み合うので、6八銀とできないからです。さらに、後手が3四歩と開けた場合、先手は『振り飛車もあるな』と考え、2六歩としてくるので、なおさら矢倉から外れます」
なるほどね、3手目6八銀は、相手が3四歩を突かないことが前提なんだね。
2手目は3四歩か8四歩が多いみたいだから、矢倉なら2手目8四歩が安定かな。
「じゃあ、2手目3四歩だと、絶対に矢倉にはならないの?」
「いえ、そういうことはありません。6六歩と角道を止めて、交換できないようにしてから矢倉に組む戦法を、ムリヤリ矢倉ないしウソ矢倉と言います」
ムリヤリにでも矢倉にするから、ムリヤリ矢倉か。
そのまんまだね。
ウソ矢倉って言うのは、どうなんだろ。矢倉にするんだから、嘘は吐いてないよね。
「ムリヤリ矢倉は、後手番でも使える戦法です。ポイントは、角交換を防止して、あたかも8四歩と突かれたかのように駒組みを進めることですね。これについても定跡は整備されていますが、あまりやる人はいないかと」
「何で?」
「さきほども言ったように、2手目3四歩なら、横歩や角換わりが有力だからです。わざわざ角道を止めて矢倉にする必要が、感じられないのだと思います」
そっか、別の選択肢があるなら、ムリヤリそんなことしなくてもいいもんね。
だったら、これは後回しにしようか。
「3手目の6八銀って言うのは?」
「4手目に8五歩の可能性があるので、7七銀の準備をしなければならない、というのはよろしいですか?」
4手目に8五歩?
……8五歩に7七銀として、交換を拒否するってことかな?
でもでも。
「8五歩に7八金でも、一応受かってない?」
「その場合は、8六歩と突きますね」
「同歩、同飛、8七歩……」
あ、ダメだね。7六飛があるよ。
「ごめん、歩損になるね」
「それもありますし、『飛車先の歩を交換するのは、原則的に守備側が損』です」
「損? 何で?」
歩を交換しただけだよね。駒の損得はないよ。
「飛車先の歩は、縦の移動を妨害しているのですよ。歩の交換により、後手の飛車がスムーズに動けるようになります。また、後手は歩を持ち駒にできますが、先手は8七歩と打たねばならないので、これも損です。この『飛車先の歩は、なるべく交換させない』は、居飛車全般に言えますので、注意してください。例外は、お互いに飛車先の歩を切れる戦法、相掛かりや横歩のときです」
うーん、ちょっと難しいね。
交換はできるだけさせない、とだけ覚えておこうか。
「オッケー、8筋を受けないといけないのは分かったけど、7七角でもよくない?」
「その場合は、7七に銀を上がりにくくなります」
……だね。
矢倉囲いは、7七銀の形だから、そこに角がいちゃいけないね。
「6八銀に代えて、7八銀は?」
「今度は7八金と上がれなくなります」
「7七銀〜7八金でいいじゃん」
「昔はそれもありましたが、オススメしません。先手が7七に銀を上がった場合、後手は急戦策を選べます。そのときに手が間に合わないのです。急戦については、あとできちんと説明します」
……だったら、6八銀しかないかな。よく考えられた一手だね。
「次の3四歩は、分かるよ。角が浮いてるから、そこを狙うんだよね?」
「その通りです。角交換してしまうと、打ち場所が多いので、矢倉にはなりません。重要なのは、そこで7七銀とせず、6六歩と突くことですね。昔は7七銀と上がっており、これを旧24手組みと言います」
【旧矢倉24手組み途中図】
「何が違うの?」
「やはり急戦の問題です。細かい手順は控えますが、『後手の矢倉急戦には、7七銀型よりも6八銀型の方が、対応し易い』と覚えておいてください。新矢倉24手組みで、7七銀を長く保留しているのは、すべて急戦対策です」
さっきから、手の意味が多いね。
振り飛車は、もっと気楽に指せてた気がするけど。
「オッケー、7七銀を保留なら、7八銀より6八銀だね」
でないと、金が上がれなくなっちゃうし。
私が納得すると、八千代ちゃんは先を続ける。
「先手の6六歩を見て、後手も6二銀と繰り出します。この銀は、7三にも5三銀にも上がれる優れものですし、急戦の場合にも活躍しますので、他の手より価値が高いです」
「8五歩でも良くない?」
8五歩も攻撃的な手だから、かなり価値が高いと思うよ。
「それについては、後日説明します。8五歩を突くかどうかの判断は、かなり難しいので。ひとつだけ指摘できるのは、8五歩を保留すると、8五桂と活用できる点です」
【9五歩+8五桂型(森内流)】
「先手にも、同じことが言えます。2五歩を保留して、2五桂ですね」
難しいね。
桂馬の活用って言われても、すぐには分からないよ。
2五桂なんて跳ねたら、2四歩で死んじゃうと思うんだけど。
ま、それは実戦か本で確かめようか。
「定跡に戻りましょう。先手は5六歩と中央を厚くし、後手もそれに続きます。5筋を圧迫されると、矢倉は非常に指しにくくなるので、当然の1手ですね。さらに、対抗型の居飛車と同じく、7九角としたとき、5六歩がはっきりと活きてきます」
それは分かるね。
だてに対抗型をやってないよ。
5六歩型で7九角と引けば、あとは好きに動けるからね。
「次に、5筋を支え易いようにするため、4八銀ですね。5五歩と突かれても、同歩とせずに5七銀で受かっています」
5六歩と取り込んだら、同銀で銀ニョッキだね。
「というわけで、後手も4二銀とし、矢倉を目指します。4二銀の意味は、6八銀と同じですので、説明不要かと。以下、5八金右、3二金、7八金と、矢倉に組んで行きます」
「なんかさ、先手と後手、組んでる手順がちがくない?」
「あ、その通りです。木原さんも、やりますね」
この数江ちゃんを舐めちゃいけないよ。
ちゃんと考えながら教わってるもんね。
「矢倉の後手番には、矢倉中飛車という、5二に飛車を振る戦法があるのです。後手はその可能性を残して、5二金をギリギリまで保留します。先手が駒組みを間違えたら、6四歩〜6三銀〜5二飛などとして、一気に潰しに掛かるわけですね」
【矢倉中飛車】
「間違えるって言うのは?」
「例えば、5八金右と上がり忘れる場合です。5八金右〜6七金右が立ち後れると、中央が薄く、どうにもならなくなりますので。先の例では、きちんと金を上がっていますが、それでも7七銀型の場合は成立します」
そっか、じゃあ、先手が7八金より先に5八金右も、意味があるんだね。
7七銀の保留は、さっき説明された通り。
「了解、続けてちょ」
「先手は6七金の準備が整ったので、7八金としておきます。このままでは居玉ですから、4一玉、6九玉と寄り合い、後手は7四歩」
「ここからは説明が、若干複雑になります」
「分かり易くよろ」
「善処します。さて、先手と後手、先に攻めることができるのは、どちらですか?」
どちらが先に攻めるか?
……そんなのは、分かんないんじゃないかな。
「時と場合に寄るんじゃない?」
「それはそうですが、一般論で言うと?」
私は考え込む。
……………………
……………………
…………………
………………
ピコーン!
「先手だよ」
「理由は?」
「先手の方が、常に一手早いもん」
例えば2六歩、8四歩、2五歩、8五歩、2四歩と、最短距離で攻め合ったら、先に駒を動かしてる先手が早いよね。一般論としては。
「正解です。これは矢倉にも当てはまり、先手と後手が同じ形に組むと、仕掛けの権利は先手に回ってくるのです」
「で?」
「そうなると、後手は守備側に回ることが、あらかじめ分かっているわけですね。そこで後手は、『先手の先制攻撃を、あらかじめ牽制する』駒組みを好むようになります。その一環が、この7四歩ですね」
……意味が分からないかな。
いや、理論的には分かるんだけど、7四歩との関係が、ちょっとね。
「進めれば、はっきりします。先手は7筋を圧迫されたので、6七金右で、周辺を防御。こうなると、もはや急戦が効かないので、後手も5二金と上がり、矢倉中飛車を放棄します。先手は、矢倉中飛車がなくなったので、7七銀。後手も3三銀と上がります」
お互い、矢倉になってきたね。
ただ、王様が外にいるけど。
「これ、角が邪魔で入れなくない?」
「仰る通り。というわけで、7九角、3一角として、角を動かし始めます」
それでも、まだ入れないよ。角が壁になってるから。
「で?」
「ここからが、7四歩の意味です。先手も3六歩とし、3七銀〜4六銀〜3七桂の準備を開始するのですが、そこで後手は、4四歩と守ったあと、6四角と出るのです」
「おそらく、これが現在で最も一般的な、矢倉4六銀3七桂戦法の出だしです」
えーと……角が飛車を睨んでるよね……。
これ、やばくない?
6五歩と突いても、7三角で意味ないし……っていうか、これが7四歩の意味だね。角の逃げ道を用意してるよ。飛車は睨まれたまんま。
「先手は、ここから攻撃できるの? 角がうざそうなんだけど」
「そうです。この角は、相当うざいです。しかし、定跡が整備された今では、6四や7三に角がいても、次のように組めるのが分かっています」
【矢倉4六銀3七桂戦法(有吉流)】
うわぁ……駒が躍動してるね。
全軍出動って感じだけど……ただ……。
「これさ、開戦したら、馬作られちゃうんじゃない?」
「作られますね。そのうち、1九角成とされます」
「ダメじゃん」
「いえ、ダメではないのです。あらかじめ1八香と逃げてあるので、駒損にはなりません。それに、1九角成とされても、先手の攻めは、相当強力なのです。ただ、ここから何の知識もなしに指せと言われれば、後手の方が勝ち易いかもしれませんね」
だね。今からどっちかで指せって言われたら、後手を持つかな。
先手は、どうやって攻めるのか、分かんないし。私だと、失敗しちゃうよ。
「矢倉は、難しそうだね」
「そうですね。まだ説明していないことが、たくさんありますので」
たくさんあるんだ……。
でも、これをクリアしないと、居飛車は指せなさそうだし、頑張ろうか。
「まだ説明してないことって何?」
「この矢倉4六銀3七桂戦法は、矢倉の主流ですが、すべてではありません。他にも、森下システムや脇システムがありますし、後手番も、この形を許さずに、急戦がありえます」
「急戦は、6七金右でダメなんじゃないの?」
「勝ちにくくはありますが、ダメというわけではありません。昔の急戦策は、だいたい廃れましたが、阿久津流急戦矢倉など、新たに開発されてきたものもあるので」
これも、対抗型と同じ流れだね。
ある戦法が出て、ダメになって、改良版が出て……の繰り返し。
ま、対抗型も1週間以上掛けたし、ゆっくりやろうね。
「今日は、ここまでかな」
「そうですね。では、続きはまた次回に」
【今日の宿題】
ありません。
次回は、25手目以降を解説していきます。
・森内流9五歩+8五桂型
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=2729
・矢倉穴熊
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=74260
・森下システム(オリジナル版)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=13211
・森下システム(深浦流)
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=4027
・雀刺し
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=3954
・脇システム
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=29680
・藤井流早囲い
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=69089
《将棋用語講座》
○矢倉
相居飛車の花形で、将棋の純文学とも言われる。17世紀後半頃から存在するにもかかわらず、決定的な対策が存在しないことは、驚嘆に値しよう(昭和や平成に開発された戦法は、ほとんどの場合、10年ともたない)。歴史が長いため、序盤が覚えゲーに近く、本を何冊も読まないといけないのが難点。但し、アマチュアならば、そこまで気にする必要もない。基本的には、玉頭に殺到する先手の攻めを、後手がどういなすか、という流れになるが、後手が積極的に主導権を握ろうとする急戦策も多い。
《追加情報》
・先手番ムリヤリ矢倉の一例
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=29789
・後手番ムリヤリ矢倉の一例
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=31601