対抗型(角交換型振り飛車)
「円ちゃん、円ちゃん」
私はちょっとおどけた感じで、円ちゃんに話し掛けた。
円ちゃんは詰め将棋の本から顔を上げて、私を睨む。
誤解を招かないように言うと、睨んだように見えるだけ。
「角交換型四間飛車を教えてよ」
石田流をやったから、次はこれだよね。
どんどん勉強して、対抗型を早く終わらせたいな。
「角交換型四間飛車ねぇ……」
円ちゃんは、ふぅと溜め息を吐き、椅子にもたれかかる。
あ、何、その態度は?
「知らないの?」
「知ってはいるが……まあ、いろいろとめんどくせぇ戦法だな」
円ちゃんはそう言って、盤に駒を並べ始めた。
「出だしは、こうだよな」
うん、これは覚えてるよん。
最初から角道を止めないんだよね。
一旦4四歩で、後から4五歩と角道を開けるのは、旧式。
「角交換型四間飛車は、基本的に後手番の戦法だろうな」
「何で?」
「そう決まってるわけじゃねぇし、プロも先手で指すが、先手でわざわざ一手損する必要もないだろ。角交換型四間飛車ってのは、名前の通り、角交換を挑む四間飛車だからな」
なるほどね。だけど、角を交換したところまでは、まだ勉強してないかな。
角道を開けるってことだけ、教わった気がするね。
「ここからいきなり角交換するの?」
「いや、ここから4八銀、6二玉、6八玉、8八角成かね」
「必ずこう、ってわけじゃねえが、これが基本図だと思うぜ」
「……一手ずつ、解説してくれない?」
「難しい注文だな。6八玉のところでは、普通に2五歩も考えられるぜ。そこでいきなり角交換するのもありだし、さっきと同じように6二玉と上がるのもありだ。プロの公式戦で多いのは、2五歩を保留する形だが、これは向かい飛車を警戒してるわけだよな。まあ、そのへんの形は、あとで出てくるだろ」
むむむ……説明がよく分からないね。
向かい飛車は確か……居飛車と同じ筋に飛車を移動する作戦だっけ?
それをされると、何がマズいのかな? あとでちゃんと訊こうね。
「2五歩にいきなり角交換だと、どうなるの?」
「同銀、2二銀だろうな」
「以下、4八銀、6二玉、6八玉、7二玉、7八玉、3三銀、7七銀って感じかね。結局、2五歩保留型と合流しそうだ」
「あれ? 3三銀は後回しでいいの? 2四歩って突けるよ?」
「それは同歩、同飛に3三角で終わってるぜ」
あらら、飛車銀両取りだね。
うっかりしたよ。
「ごめん、ダメだね」
「だから先手も、そこまで2五歩を焦る必要はないんだよな。すぐに2四歩とできねえし。角交換型四間飛車の何がめんどくせえって、これなんだよ。序盤から角交換できて、それを打つ筋があるから、気を遣うのな。オレ的には、初心者にお勧めしない戦法だ」
「じゃあ、勉強しなくてもいいかな?」
「やられたとき、どうするんだ?」
そ、それは、困るかな。
「ま、戻すか。4八銀のところで2五歩も、似たような形になる、と。4八銀以下、6二玉と6八玉の交換を入れるのは、どっちかっていうと穏やかな進行だよな。プロレベルでは、2二角成の強襲が、成立しないんだろう。するなら、この戦法自体がダメだからな」
それは理解できるね。
先手から2二角成と交換していいなら、角道開けが悪手になっちゃうもん。
交換したあとに、良さそうな角の打ち場所もないし。
「6八玉で、8八角成とする理由は?」
「それは、穴熊対策だ。結局、この角交換型四間飛車も、居飛車穴熊対策のひとつで、8八銀とさせれば、穴熊に組めないって寸法さ。これを一手ずつ進めて、7二玉、7八玉としてから8八角成なら、同玉」
「必ずってわけじゃねえが、王様を堅くできる可能性が残るぜ。先手の陣形を悪くするタイミングは、6八玉に8八角成が最善なわけだ。ただ、注意しないといけないのは、居飛車が手損を気にせずに、7七銀〜8八玉〜9八香〜9九玉〜8八銀と戻れば、穴熊にできるってことだな。だから角交換型振り飛車でも、相穴熊って展開は普通にあるぜ。どうしても穴熊にさせたくないなら、速攻を仕掛けるしかねぇ」
ほええ……とにかく穴熊を中心に話が進むね……。
穴熊って、そんなに優秀なのかな? 堅そうなのは分かるけど。
「プロでこれが指されてるのは、藤井システムの代用品みたいな感じだし、現に発案者は、藤井プロだ」
っと、またまたまた藤井さんの名前が出て来たね。
この人、発明し過ぎでしょ。
「とは言っても、アマチュアでは若干意味合いが違うな。アマチュアの間では、藤井システム全盛のときからあった戦法だ」
「え? そうなの?」
「アマチュア将棋ってのは意外と、プロよりも先に、特定の形を指してるもんだ。違う点があるとすれば、プロの方がアマよりも、精度の高い戦法を用意できるってことだな。角交換型四間飛車で有名なアマチュア戦法は、レグスペだ」
「れぐすぺ?」
「東大将棋部が開発した、角交換型四間穴熊だぜ」
「こんな感じだな」
うわッ、振り飛車で穴熊なんだ。
「振り飛車穴熊とは違うの?」
「それプラス、相手の陣形を崩すのが、レグスペの狙いだ。一石二鳥ってことだな」
ずいぶんと、欲張りな戦法だね。
自分も穴熊に組むわけだから、居飛車のお株を奪った形かな。
「これって、優秀なんじゃない?」
「優秀だが、序盤のセンスが問われるぜ。あんま初心者向きじゃねえな。全体のバランスに注意しないと、すぐに馬を作られちまう。東大のメンバーがよってたかって研究して、アマチュアでそこまで普及してないんだから、使いこなすのが難しいんだろうな」
あらら、そうなんだ。
「まあ、興味があるんなら、レグスペを解説した本があるし、読んでみろよ。『角交換振り穴スペシャル』ってタイトルだ。うまい奴がやれば、マジで初見殺しだからな。こいつを採用していた東大の勝率自体は、悪くないぜ。問題があるとすれば、『そりゃ東大生が指してるからだろ』って突っ込み待ちなとこかね」
ああ、どんどん課題図書が増えるよ。
そろそろ、切り捨てていかないといけないね。
「えーと、角交換型四間飛車に話を戻すけど、どうやって攻めるの?」
「向かい飛車に振り直すのが多いんじゃないか? 例えば、基本図から、同銀、7二玉、7八玉、2二銀、7七銀、3三銀、2五歩と進めて、8二玉、6八金、7二銀、9六歩、9四歩、5六歩、2二飛」
「先手が5七銀なら、2四歩、同歩、同銀と、どんどん銀を前に出せるよな」
ふんふん、これは単純明快な攻めだね。
後手は美濃に似てるけど、先手の囲いはワケが分からなくなってるよ。
これが角交換の効果だね。
「2四歩以下を逆棒銀って言うんだが、じゃあこっから簡単に突破できるかと言うと、そうでもねえんだよな。例えば、3八金、2五銀、2七歩と謝って、相手の間違いに期待する受けもある」
「こうなると、初心者じゃ打開が難しいかもしれねえな。パッと見、後手優勢なのは確かだが、具体的にどうするって言われると、序盤のセンスが必要だ。一案としては、2六歩、同歩、同銀で、もう一回2七歩と謝らせてから、3五銀」
「以下、6六銀右なら、いきなり4九角、5五角、3八角成、同飛、2七飛成という強襲も考えられるし、4九角をもっと後で打ってもいい。というか、この時点での角打ちは、少し早い可能性が高いか。とりあえず、4九角に金が逃げれねえことだけ確認してくれ」
4九角に、金が逃げれない……。
そっか。逃げると、2七角成、同飛、同飛成があるね。
駒損はしてないけど、先に龍を作られてるから、後手優勢かな。
「4九角が嫌な場合は、5六歩、2二飛、5七銀、2四歩、同歩、同銀に、6六銀右、2五銀、5五歩、2六銀、5八飛と中央に移動」
「要するに、『もう2筋は受からないからあげます』って手だな。だけどこれには、2八歩が痛打で、5四歩、同歩、同飛、2九歩成として、後手が桂得だ。2八歩に同飛なら、2七銀不成、5八飛、2八銀不成、5四歩、同歩、同飛、1九銀不成、5三飛成、2九飛成」
「こんな感じかね。以下、5八金右と逃げると、5二香でいよいよ終わりだぜ」
5二香……あ、そっか、龍と金が串刺しになってるね。
駒の損得も後手がはっきり有利だし、かなりいいかな。
ただ、銀が変なところに行ってるから、勝つのは簡単じゃなさそう。
やるとしたら、2八銀成〜3八成銀とか?
その間、先手に暴れられない力量が問われるね。
「まあ、今説明した順は、ちょっとばかし『ここせ』だな。そもそも、『角交換には5筋を突くな』って格言があるから、5六歩自体が疑問じゃないのか」
「え? 何で5筋を突いちゃダメなの?」
「いつでも3九角の狙いがあるからさ。飛車の斜め左下と5七の地点を同時に攻めることができるから、序盤で角交換をした場合は、5筋をあんまり突かない方がいいぜ」
うーん、これはよく分からないね。
ただ、序盤で5六歩と突くのは、自分の角の動きを良くするためだし、もしかすると、敵の角の動きも良くなっちゃうのかな。だったら、5六歩は危ないかも。
私は、別の話題を振る。
「向かい飛車で簡単に突破できるなら、いきなり向かい飛車でいいんじゃない?」
「おっと、そいつがダイレクト向かい飛車だ」
……あ、そっか。これも知ってるね。
「飛車が四間に途中下車しなくても、実は大丈夫、ってやつだっけ?」
「お、よく知ってるな」
「八千代ちゃんに教えてもらったよ」
私がそう言うと、円ちゃんは人差し指で鼻の下をこする。
「あいつ、観る専のくせに、ほんとよく知ってるな。指せばいいのによ」
それは同意。
「ダイレクト向かい飛車の考案者は、佐藤康光プロだ」
また佐藤さんだね。
「変態流で有名な棋士だぜ」
「へんたいりゅう?」
まさか、変態さんじゃないよね。
「どういうこと?」
「誰も真似しない変態戦法を指すから、変態流」
うわ……ほんとに「変態」の方なんだ……。
褒めてるのかどうか、イマイチ分からないね。
「ダイレクト向かい飛車と角交換型四間飛車の狙いは、かなり似てるな。序盤で角交換して居飛車穴熊を牽制。さらに佐藤流の場合は、そのまま振り飛車穴熊にすることも多い。攻め筋も、基本は逆棒銀だからな」
共通点が多いね。親戚みたいなものかな。
「まあ、それは置いといて、この逆棒銀、そこまで簡単なもんじゃないんだ。例えば、5六歩のところで、3六歩と突くだろ」
「これで、いきなり突破は無理になってるからな」
ふえ? 何で?
歩を突いた筋が変わってるだけだよね。
「どうしてこれで止まるの?」
「3六歩以下、2二飛、4六歩、2四歩、同歩、同銀に3七桂」
「これでもう、銀は直進できないぜ」
あ、ほんとだ。
単純明快な攻めには、単純明快な受けが有効なんだね。
「こうされたら、後手は攻め筋を変えるしかないよな。例えば、4四銀と出て、4七銀、3五歩、同歩、同銀、3六歩、4四銀で一歩持つとか、あるいは、どこかで5四角と打って、桂頭を抉じ開けるとか……まあ、いろいろあるわな」
ふーん……難しいね。
細かいところは、本を読まないとダメかな。
「何となく分かったよ。ありがとう」
「ん? もう質問はないのか?」
ないわけじゃないけど、なかなか言語化しにくいんだよね。
違和感を覚える箇所は、いくつかあるんだけど……例えば……。
「後手が左の金を動かさないのは、何で?」
私が尋ねると、円ちゃんは「ああ、それ」みたいな顔をする。
「角の打ち込み防止だよ。これがあるから、レグスペにせよ、それ以外の角交換型振り飛車にせよ、そこまで堅くできないんだよな。2枚美濃か2枚穴熊なら、先手の陣形でも、そこそこ戦えるって印象だ。プロだと『矢倉囲いに弱い』って理由で、レグスペはほとんど使われなくなっちまった」
なるほどね。
まあ、そうでないと、角交換型振り飛車の天下になってるはずだし。
「さっき、角交換型の振り飛車穴熊が出て来たよね? 角交換しないバージョンは?」
「ん、それもやっとくか。普通の振り飛車穴熊はだな……」
【今日の宿題】
ありません。
次回は、角交換しない振り飛車穴熊を扱います。
・相穴熊
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=72505
《将棋用語講座》
○角交換型振り飛車
序盤で角交換して、居飛車側の陣形を乱し、通常の振り飛車よりも有利に戦おうとする戦法の総称。有名なものには、藤井プロ考案の角交換型四間飛車、佐藤プロ考案のダイレクト向かい飛車、東大将棋部考案のレグスペ(白色レグホーンスペシャル)の3種類がある。実はレグスペが最も古く、学生棋界でもそこそこお目にする形。いずれについても、序盤がうまくなければ、うっかりが多発し易いので注意。
《追加情報1》
ネットでは角交換型振り飛車=レグスペのように書かれていることも多いですが、東大が開発したレグスペは、初手から7六歩、3四歩、2六歩、8八角成、同銀、2二銀、4八銀、3三銀、6八玉、4二飛です。
したがって、ダイレクト向かい飛車を考案した佐藤プロとは、全く違う出だしになります。そもそも「ダイレクトな向かい飛車でも大丈夫」ということを発見したのは、佐藤康光プロなのですから、これをレグスペの亜種とすることは、不適切だと思っています。さらに基本図から、振り飛車穴熊を目指すのが、レグスペの特徴で、藤井プロの角交換型四間とも違います。藤井プロは、穴熊目的で角交換型四間飛車を指しているわけではありません。本稿では、「角交換型四間穴熊」のみがレグスペという前提にしておきます。
《追加情報2》
本編では扱いませんでしたが、角交換型振り飛車に対する4六歩も、かなり有力です。おそらく、4六歩>3六歩>5六歩の順で良いのではないかと(但し、4六歩は、狙いが分かりにくいです)。ダイレクト向かい飛車に対する羽生プロの棋譜が参考になります。
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=41907