対抗型(石田流)
「木原さんは、そろそろ使う戦法を決めましたか?」
部室で本を読む私に話し掛けて来たのは、八千代ちゃん。
「まだ、かな」
私が正直に答えると、八千代ちゃんは「そうですか」とだけ答えた。
それは歩美ちゃん症候群だよ。
振った話題は、ちゃんと発展させないとね。
「対抗型ばっかりやってるから、まだ全体が見えないんだよね」
「それは、ありますね。しかし、対抗型はアマチュア将棋の華ですし、概観しておかないといけない分野だと思います。将棋大会などでも、対抗型は本当に多いので」
そうなんだ。
でも、大会はまだまだ先の話。
今出ても、多分勝てないよ。相手も初心者ならいいけど。
「対抗型って、もう全部やったかな?」
「どれをやりましたか?」
私はこれまでやった戦法を、全部挙げた。
「……コンプリートには遠いですが、重要なものは押さえてありますね」
まだコンプリートしてないんだ。いくつあるんだろ?
対抗型だけで10も20もあると、相居飛車に進めないよ。
「じゃあ、重要なのは全部やってある?」
私の質問に、八千代ちゃんは少しだけ考え込む。
「……残りは、石田流と角交換型振り飛車、それに相穴熊でしょうか。飯島流引き角も有力な戦法なのですが、メジャーとマイナーの中間くらいですね」
石田流、角交換振り飛車……は知ってるね。
相穴熊は知らないけど、「両サイドが穴熊」ってことじゃないかな?
何回か見たことある気がするし。
最後の、いいじま何とかっていうのは、全然知らないね。
「石田流は、石田さんが考えた戦法だっけ?」
「そうです。石田検校さんですね。ちなみに、検校というのは、正確には名前ではなく、官職のことです」
「かんしょく?」
「江戸時代にあった、目の見えない人専門の公務員職です」
そっか、そう言えば石田さんは、目が見えなかったんだよね。
どうして将棋が指せたのか、未だに分からないよ。
「どういう形?」
「特に決まった形はありませんが、大雑把に言うと、『三間飛車で7五歩と突く形』です。石田検校が実際に指していたのは、こんな感じの将棋ですね」
そう言って八千代ちゃんは、盤上に駒を並べた。
「この枠で囲った部分です」
「普通の三間飛車とは、どう違うの?」
「普通の三間飛車は、7五歩を保留します。より攻撃に特化したのが、石田流です」
なるほどね、7筋を圧迫するのが、石田流なんだ。
確かに、攻撃し易くなってるかな。
「飛車の左斜め前は、桂馬しか利いていないので、弱点に成り易いのです。これを利用したのが石田流で、初心者同士だと、受けきれないこともままある、要注意戦法です」
「現代でも、この形?」
「いえ、現代で指されているのは、新石田流です。振り飛車党の鈴木大介プロと久保利明プロが改良したものです。最初期の新石田流は極めて激しい研究将棋で、7手目にいきなり仕掛けます」
えぇ? ここで攻撃?
飛車しか移動してないんだけど。
「こんなの、成立するの?」
「それについては、若干前置きが必要です。そもそも、この7五歩〜7八飛型は、早石田と呼ばれ、江戸時代には既にあった戦法なのです。しかし、当時からあまり高く評価されておらず、開国後もハメ手あるいは奇襲戦法と呼ばれていました」
「ダメじゃん」
「しかし、名人に香車を引いて勝った男、升田幸三の登場により、状況が一変します。升田プロは、これに独自の改良を施した升田式石田流を考案したのです。升田式石田流は、初手から7六歩、3四歩、7五歩、8四歩、7八飛、8五歩、4八玉、6二銀、3八玉」
「この手順により、早石田は、一瞬だけ盛り返しました」
「一瞬って?」
「1971年に」
……じゃあ、やっぱりダメじゃん。
さっきから、説明がよく分からないね。
何か、ダメダメな戦法を紹介されてる気がするんだけど。
私が疑問に思う中、八千代ちゃんは先を続けた。
「しかし、衰退したのはあくまでも、プロの世界においてです。プロが『ダメ』という戦法が、必ずしもアマチュアでダメだとは限りません。そういうことを言い出したら、普通の四間飛車自体、ダメな戦法となってしまいます。けれども四間飛車は、今でもアマチュア将棋の花形戦法なのです」
「ってことは、升田さんの改良した石田流を、アマチュアは指してたってこと?」
「はい。四間飛車ほどではありませんが、ずっと指されていました。そして、2004年、ついにプロの間でも復活を果たします。それがさきほど紹介した、新石田流です」
「7手目7四歩だっけ?」
「あ、それ自体は、鈴木新手と呼ばれています。鈴木さんが指した新しい手だからですね。この鈴木新手は、従来悪手と呼ばれていた手に新風を吹き込み、棋界に衝撃を与えました」
「じゃあ、新石田流って言うのは、どの部分を指してるの?」
私が尋ねると、八千代ちゃんは難しい顔をした。
「特定の局面ではなく、『鈴木新手以降、プロも指すようになった早石田の総称』ですね」
そっか……どの手がどう、ってわけじゃないんだね。
ちょっと感覚的で分かりにくいかな。
「で、結局、成立するの?」
「プロレベルでは不成立、アマチュアレベルでは五分が、今のところの結論かと。初めて指されたときは、鈴木プロが快勝しています」
なるほどね、成立するorしないも、変動するんだ。
「じゃあ、今ではダメな戦法ってこと?」
「それは、非常に難しい質問です。鈴木新手は成立しなくなりましたが、2009年に久保プロが指した久保新手があるのです。初手から7六歩、3四歩、7五歩、8四歩、7八飛、8五歩までは同じなのですが、そこで7四歩と仕掛けず、一旦4八玉と上がります」
ん? これって……。
「升田式石田流と一緒じゃない?」
「あ、ご明察です。しかしここから、6二銀、7四歩と仕掛けるのが久保新手です」
あ、そういうことか。
升田さんは、さらに3八玉で、王様を囲ってたもんね。
久保さんのは激しい手順だよ。
「4八玉と6二銀の交換に、意味はあるの? 鈴木新手の改良版とか?」
「いえ、鈴木新手と久保新手は、お互いに独立した戦法です。久保プロが鈴木プロから影響を受けたのは確かですが、久保プロが打開しようとしたのは、升田式石田流対策の棒金戦法であり、鈴木新手の直接的な改良ではありません。久保プロの著作でも、鈴木流と久保流は、別々の項目で説明されています。……まあ、そういう難しい話は置いておきまして、鈴木新手に対しては、2006年頃に、対策が確立されていたようです。タイトル戦で佐藤康光プロが、鈴木プロ本人を相手に、この新手を破っています」
また佐藤さんが出て来たね。
この人も、相当な大物と見たよ。
「参考までに、そのときの戦い方は、7六歩、3四歩、7五歩、8四歩、7八飛、8五歩、7四歩、同歩、同飛、8八角成、同銀、6五角、5六角に5四角でした」
「以下、銀を前に出して、後手が押さえ込みを図る方針です」
んー、これでダメな理由が分からないね。
先手も十分、指せそうだけど。
「難しくない?」
「もちろん、難しいです。実際、2007年から2008年に掛けてはむしろ、7六歩、3四歩、7五歩に対して6二銀と上がり、鈴木新手を指させない手法が盛んでした」
「ここから7八飛、8四歩、7四歩だと?」
「その場合は同歩とせずに、7二金とします」
「7三歩成には同銀、7四歩、6四銀と逃げて、金の守りを頼りに頑張ります」
なるほどね、7二金は、7筋を防御する手なんだ。石田流の狙いは、桂馬しか利いていない7筋を攻撃することだから、7二金は弱点の補強だね。
「了解。新石田流相手に自信がなかったら、7五歩に6二銀とすればいいんだね」
「ということになっていたのですが……ここで久保新手が関係してきます。先手は7四歩と開戦できないので、一旦4八玉。そこで8五歩と仮定しましょう」
「さて、この局面、どこかで見覚えがないでしょうか?」
これは簡単だね。さすがに短期記憶だよ。
「さっきの久保新手の局面だよね」
「正解です。久保新手自体は、さきほども見た通り、7六歩、3四歩、7五歩、8四歩、7八飛、8五歩、4八玉、6二銀、7四歩からの仕掛けだったのですが、実は対鈴木新手4手目6二銀に対しても、若干の応用が利くのです。鈴木プロ自身は、この久保新手が出るまでは、6二銀に対して6六歩と受けていました」
「この状況を一変させたのが久保新手で、7四歩以下、7二金に7五飛と浮きます」
ふえぇ……何これ……?
「狙いは?」
「7七桂〜8五飛です。実戦は、7五飛以下、4二玉、7三歩成、同銀、2二角成、同銀、7七桂と進み、後手は5四角としましたが、5五角と打ち返されて負けています」
これは厳しそうだね。
今まで気付かなかったけど、飛車の左斜め前は、かなり弱いみたい。
「と、このように、かなりの力将棋になりつつも、細かい定跡を持つのが石田流です。プロの間で流行ったのは、やはり穴熊対策が理由で、早石田ではそもそも穴熊に組む余裕がありません。現在でも、愛好者はそこそこいます」
「これも本は出てる?」
「最近の良書は、『久保の石田流』ですね。升田式石田流から新石田流まで、丁寧な解説が載っています」
じゃ、それも読もう……と言いたいところだけど、さすがに時間がないね。
とりあえず、渡辺さんの『四間飛車破り 居飛車穴熊編』を読み切ろうか。
「将棋の本を読むって、結構大変だね」
「そうですね。なかなか全ては読み切れないと思いますし、細かいニュアンスは、実際に指してみないと分からないところも多いかと思います」
「実戦って、どうすればいいの?」
あんまり本ばっかり読んでると、飽きてくるんだよね。
「ネットで指せばいいのでは?」
「ハム将棋は指してるよ」
でもね、ハムスターは平手だと強すぎるんだよ。
敢えて言わないけど。
「いえ、24です」
「にーよん? 何それ?」
「将棋倶楽部24です。ネット上で一番大きな将棋サイトですよ」
将棋サイト? そんなのあるの?
「一局いくら?」
「無料ですよ」
えぇ? 管理人さんは、何してるんだろ?
完全に趣味とか?
「10年以上前からある老舗です。ここのレーティングは、将棋大会などで相手の棋力を計るのに使われるくらい信頼性があります。ただ、猛者が多いので、ご注意を」
そっか、強い人の集まりなんだね。
修羅の国か何か?
「初心者でもいいの?」
「15級から登録できますので、大丈夫ですよ。ただ、15級と言っても、一般的な15級とは違うことも多いですが。10級で居飛車穴熊vs振り飛車穴熊になったりするのが、24の怖いところです。普通、10級というと、めちゃくちゃな力戦形なのですが。みなさんかなり研究してますね」
うーん、ちょっと怖いかな。
でも、うちの部だと、円ちゃんと歩美ちゃんは強過ぎるし、大川先輩は微妙に忙しそうなんだよね。今日も来てないし。
「分かった。機会があれば、登録してみるよ」
じゃ、今日は残りのページを読んで、おうちに帰ろうかな。
八千代ちゃんと一緒に読書、読書。
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……………Zzz
【今日の宿題】
ありません。次回は、新式角交換型振り飛車を紹介します。
・新式角交換型振り飛車
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=72771
《将棋用語講座》
○石田流
17世紀中頃に、石田検校が考案したと言われる戦法。三間飛車で7筋(後手番の場合は3筋)を圧迫するのが特徴。特に7六歩、3四歩、7五歩と角道を止めない形は、早石田と呼ばれ、受け方を知らない初心者には脅威的な破壊力を持つ。プロの間では長らく不遇な時代が続いたものの、2000年代に入ってから突如注目されるようになった。ただ、2手目8四歩のように、早石田そのものを拒絶できる作戦も多く、そこから持久戦になると居飛車穴熊に組まれ易いのが難点。