対抗型(右銀急戦)
昨日の夜、プラスチック盤で並べてみたんだけど……難しいね。
一手一手、どういう意味があるのか、真剣に悩んじゃった。
夢の中にまで盤が出ちゃったよ。重症かな。
じゃ、今日も部室に行こうね。
「頼もう」
私が古めかしい挨拶をすると、部室には……あ、冴島ちゃん発見。
「おう、木原か」
「円ちゃん、何やってるの?」
「棋譜並べ」
あ、円ちゃんも、同じことをしてるんだね。
「八千代ちゃんは?」
「傍目は今日、見ねえな」
あらら、私のことなんか忘れて、先に帰っちゃったかな。
歩美ちゃんもいないし……どうしよう……。
「どうした? 何か質問か?」
私は円ちゃんに、事情を話す。
「じゃあ、オレが相手してやるよ。そこに座れ」
「え? いいの? 棋譜並べの途中じゃない?」
「別にあとでもできるさ」
円ちゃんは、優しいね。うるうる。
じゃあ、棋譜並べに付き合ってもらおうか。
「棋譜は、これだよ」
私は、あらかじめ印刷しておいた棋譜を見せる。
開始日時:2010/05/25
持ち時間:5時間
棋戦:竜王戦
戦型:四間飛車
場所:東京「将棋会館」
先手:三浦弘行
後手:藤井猛
*棋戦詳細:第23期竜王戦2組決勝
* 「三浦弘行八段 」vs「藤井 猛九段 」
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △4二飛
▲6八玉 △9四歩 ▲7八玉 △7二銀 ▲5六歩 △3三角
▲5八金右 △6四歩 ▲5七銀 △3二銀 ▲2五歩 △5二金左
▲3六歩 △6二玉 ▲3五歩 △同 歩 ▲4六銀 △3六歩
▲2六飛 △4五歩 ▲5五銀 △5四歩 ▲6四銀 △4六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3三角成 △同 銀 ▲4七歩 △5六飛
▲3五角 △4四角 ▲同 角 △同 銀 ▲6五角 △5八飛成
▲同 金 △6三歩 ▲5三歩 △4二金 ▲5四角 △5七歩
▲6八金 △6四歩 ▲2一角成 △7一玉 ▲1一馬 △5三銀
▲5四歩 △同 銀 ▲1二飛 △4三金 ▲5五桂 △5三金
▲3六飛 △8二玉 ▲3一飛成 △4一歩 ▲同 龍 △5二銀
▲3一龍 △4一歩 ▲4六香 △5八金 ▲4一香成 △6八金
▲同 玉 △5九角 ▲6九玉 △4八角成 ▲4二成香 △5八歩成
▲7八玉 △4一歩 ▲5二成香 △同金引 ▲4一龍 △5九馬
▲8八玉 △8四香 ▲7八金 △6八金 ▲4四馬 △7九金
▲同 玉 △6九馬 ▲8八玉 △6八と
まで94手で後手の勝ち
ネットに転がってるって、八千代ちゃんに教えてもらったんだよね。
「これは……右銀急戦か?」
「みぎぎんきゅうせん?」
いきなり知らない単語が出たね。
「並べていきゃ、分かるさ。口で説明するより早いぜ」
そっか、じゃあ、早速並べようか。
「7六歩、3四歩、2六歩、4四歩、4八銀、4二飛だね」
「この戦型は、知ってるか?」
「せんけいって何?」
「お互いに、どういう戦法を採用してるか、だ」
なんだ、それなら、ちゃんと把握して来たよ。
「対抗型だよ。先手は居飛車、後手は四間飛車」
これくらいは、私でも分かるようになってきたかな。
「おっし、正解。6八玉、9四歩、7八玉、7二銀」
「こいつは、説明することが山ほどあるな……ちょっと戻すぜ」
え? そうなの? 1分くらいで、パパッと並べちゃった。
「例えば?」
「まず、6八玉だな。5八金右としないのは、5九金右からの穴熊を見せてるわけだ」
あなぐまは……戦法の名前だっけ?
「穴熊戦法だっけ?」
「穴熊は、戦法の名前でもあり、囲いの名前でもあるぜ。つまり……」
【穴熊囲いと穴熊戦法】
「枠で囲ったところが、穴熊囲い。その穴熊囲いを採用している全体が、穴熊戦法だな」
「戦法と囲いを分ける意味があるの?」
「穴熊囲いは、居飛車でも振り飛車でも採用できるぜ。そして、穴熊を採用した居飛車は、居飛車穴熊、振り飛車は、振り飛車穴熊で、どっちも囲いじゃなくて、対抗型における戦法の名前だ。まあ、そこまで神経質に考える必要もねぇけど、矢倉でも穴熊囲いは出てくるからな。そのときは居飛車穴熊とは呼ばないぜ。矢倉は、あくまでも矢倉だ」
うーん、難しいけど、要するに、穴熊囲い=穴熊戦法じゃないんだね。
穴熊戦法は、対抗型限定の呼び方なのかな?
「何となく分かったかな……6八玉との関係は?」
「穴熊囲いのときは、5九金右〜6九金〜7八金上としたいんだ。5八や6八に上がると、銀や角の邪魔に成り易い。例えば、6八に金がいる場合は、6八角とも5九角とも引けないだろ。5八金右とすると、5九金右よりも損だから、保留してるわけだな」
あわわ、難しいよ。
そんな深い考えがあるとは、思わなかったな。
「ま、最初のうちは、そこまで考えなくてもいいぜ。『5八金右ではなく6八玉は、5九金右の可能性を残すため』くらいに覚えとけばオッケーだ。それに、アマチュアなら、このへんの間違いが、勝敗に直結することもないしな」
だね。最初は、少し大雑把に覚えておけば大丈夫だよね。
「次は……9四歩だね」
これねぇ……意味が分からないんだよね。
先まで並べても、端攻めをしてないから、ここで突く必要ないと思うんだけど。
「これは、何なの? いきなり手待ち?」
「いや、これは重要な一手だ。現代将棋の革新的部分だな」
うわ、難しい話になりそう。
私は軽く身構える。
「居飛車穴熊は、振り飛車の天敵なんだ。ぼんやり駒組みしてると、すぐ作戦負けになっちまう。そこで考えられたのが、『穴熊に組まれそうになったら、端から猛攻を掛ける』作戦、つまり、藤井システムだな」
また、藤井さんが出て来たね。
どうも、振り飛車は、藤井さん抜きでは説明不可能みたいだよ。
「どういうこと?」
「それは、穴熊戦法のときに勉強すればいいぜ。とりあえず、『9四歩は、先手が居飛車穴熊に組もうとしたとき、9五歩と伸ばして、端を猛攻する狙い』と覚えといてくれ」
了解。要するに、端攻めを見せてるわけだね。
穴熊は、王様が9九にいるから、確かに端攻めに弱そうだよ。
9一の香車が直通してくるもん。
「居飛車は、7八玉として、相変わらず穴熊を見せるよな。振り飛車は7二銀」
「先手の王様寄りは分かるけど、後手の銀が上がるのは何で?」
「これは、美濃囲いの準備だな」
「みのがこい?」
「美濃囲いって言うのは、振り飛車の典型的な囲いで……」
【美濃囲い】
「これが美濃囲いだ」
なるほどね、7二銀で金に紐をつけて、王様がどんどん潜るんだ。
結構、堅そうかな。
「舟囲いよりは、堅そうだね」
「舟囲いの倍は堅いぜ。舟囲いだと勝負にならないから、居飛車穴熊が開発されたと言ってもいいくらいだ。……まあ、舟囲いでも、強いやつは勝っちまうがな」
上手い人は何をやっても勝てる、のパターンだね。
弘法筆を選ばず、だよ。
「でもさ、これって、6二玉〜7二玉〜8二玉〜7二銀でもいいよね?」
っていうか、八千代ちゃんは昨日、そうやってた気がするね。
「お、いいところに気付いたな。そこでまた、藤井システムの登場だ。藤井システムは、穴熊に組まれたとき、端から猛攻を掛ける作戦だろ?」
そういうことになってるね。
具体的にどう攻撃するのかは、分かんないけど。
「それで?」
「王様は、戦場に近いのと、戦場から遠いの、どっちが安全だと思う?」
この質問は、簡単だね。常識的に考えれば、察しがつくよ。
「戦場から遠い方だよ」
近くにいると、流れ弾に当たっちゃうもんね。
「正解。となると、だ。端攻めをするとき、8二に王様がいるのと、5一に王様がいるの、どっちが安全だ?」
「……5一かな?」
9筋でどんぱちしてるときに、8筋にいたら、危ないよね。
「それも正解。というわけで、王様は5一に待機しとくわけだな」
ふんふん、これも深謀遠慮だね。
「で、先手は、5六歩、と。これは分かるか?」
「将来的に、角の動きを自由にする手だね」
昨日、八千代ちゃんに教わったよ。
「おっと、これは学習済みか。じゃ、次、行くぜ。3三角。これは、速攻を仕掛けるとき、4五歩、2二角成と、角を抜かれないようにするためだな。居飛車側は、振り飛車が藤井システムの構えを見せてるから、5八金右」
「ん? 5九金右を諦めるの?」
「諦めざるをえない、だな。対藤井システムでは、穴熊に組む場合、6七金として、6筋を補強する必要がある。そのためには、5八金右が必要だ」
全てが、藤井システムを巡って動くんだね。
ここまで理路整然としてたら、システムって呼ばれても、おかしくないよ。
「次の6四歩が、その5八金右とせざるを得ない、理由のひとつだ」
「これは、穴熊に組むために6六歩と突いたとき、6五歩と仕掛けて、端攻めに弾みを持たせる手だ。これを受け止めるには、5八金右〜6七金が必要なわけだな」
なるほどね、6五歩、同歩と角道を抉じ開ければ、後手の角が9九を睨めるよ。
「先手は5七銀と上がる。この手は意味深長で、4〜6筋を守るのと同時に、隙があれば攻めにも参加することができる、優れものだ」
これは、振り飛車の4三銀に似てるね。あれも、攻防一体の手だったよ。
「3二銀、2五歩、5二金左……」
「このへんは、どうだ?」
この3手は、理解できるかな。
手短に行こうね。
「3二銀は、将来4三銀とする手で、2五歩は、2筋の圧迫だよね。5二金左は、さっき見せてもらった美濃囲いの完成形」
「正解。……やるな」
えっへん、どんなもんだい。
数ちゃんだって、だてに将棋を勉強してないよ。
「で、先手は3六歩……これが、居玉を逆用する手だ」
いぎょくって何だっけ? ……あ、王様が初期位置にいることだね。
「どういうこと?」
「このへんが、すげぇ複雑な駆け引きなんだ。まず、先手は居飛車穴熊にして、作戦勝ちを狙ってるわけだろ?」
「うん」
「だが、後手は藤井システムにして、それを許さないわけだ」
「うん……それで?」
「で、その藤井システムの一環として、後手の王様は、5一に待機してる。そして、このまま9筋で戦闘が始まれば、先手の王様の方が戦場に近くて、不利だ。……まあ、完全に不利じゃねぇが、ここまでの理屈からすれば、そうなるよな?」
だね。先手は8八玉〜9九玉として、わざわざ狙われに行ってることになるよ。
でもでも、3六歩との関連が分からないかな。
「で、3六歩の狙いは?」
「ずばり、『おまえの王様が5一から動かないなら、3筋を戦場にしてやる』だ」
……あ、そういうことか。
これは、目から鱗だね。
「そっか、開戦場所を変更すれば、今度は5一の王様の方が危ないんだ」
「正解。というわけで、後手は慌てて6二玉と、王様を逃げるぜ」
「先手は3五歩と突いて、速攻。これで、王様の位置は、後手が不利だ」
うわぁ……ちょっと巧妙過ぎるかな……このやり取りは……。
「歴史的なことを言うと、この速攻は、一時期、ほとんど指されなくなったんだ。居飛車穴熊ができてからは、急戦をする必要が、なくなったからな。ところが、藤井システムが登場して、穴熊に組むのが難しくなってくると、居飛車側も、いろいろ考えるだろう。その対策のひとつが、この右銀急戦で、『藤井システムが居玉のまま組もうとするなら、3筋から速攻しちまおうぜ』っていう、過激な発想だな」
「方針は理解できたけど、みぎぎんって、どういう意味?」
「それは、2手進めれば分かるぜ。同歩、4六銀」
「右の銀が、速攻してるだろ?」
あッ……右銀急戦なんだ……。
「了解。右側の銀で攻めるから、右銀急戦だね」
「その通り。先手から、仕掛けが始まったわけだな」
そうだね。3五歩が仕掛けだって言うのは、私にも分かってたよ。
昨日の夜、布団の中で考えておいたもんね。
「さっき、『指されなくなった』って言ったよね? 藤井システムが開発される前から、右銀急戦自体は、あったってこと?」
「ああ、あったぜ。『羽生の頭脳』に載ってるのは、そっちの古い方だな」
……そう言えば、そうだった気もするね。
読んだときは、何が何やら分からなかったから、見落としてたかも。
「古いバージョンは、王様がちゃんと8二にいるバージョンだ」
【旧式・右銀急戦】
「これはこれで、味があって面白いぜ。ただ、居飛車は舟囲いだし、他の急戦と比べても、相当勝ちにくいけどな。『羽生の頭脳』だと互角の変化も多いが、そこから勝てるかどうかは、また別の問題だ」
なるほどね、王様の位置は、振り飛車が有利だし、旧式はメリットがないかも。
「とはいえ、別に死滅してるわけじゃないけどな。右銀急戦は、全ての急戦の基本みたいなもんだし、勉強してて損はないぜ。狙いも単純明快だから、理解に苦しむこともねぇ。藤井システムにしない四間飛車使いも、まだ大量にいるしな」
温故知新だね。『羽生の頭脳』でも、これが最初だった気がするよ。
「あんまりいっぺんにやってもしょうがねぇし、今日はこれくらいにするか」
そうだね。円ちゃんも棋譜並べしてたし、邪魔しちゃ悪いかな。
「宿題はある?」
私が尋ねると、円ちゃんは「うーん」と唸った。
「そうだな……現代の対抗型は、だいたい藤井システムの知識を前提にしてるし、藤井システムの典型例を挙げておくか。ちょっと待ってろ」
円ちゃんはそう言うと、携帯をいじり始めた。
見た目によらず、可愛い携帯とキーホルダーを持ってるんだね。
ヴヴヴ ヴヴヴ
? あれ? メールが鳴ったね。
「今、藤井システムで、一番有名な棋譜を送っといたぞ。それを並べてくれ」
「ありがと」
じゃ、また次回。
【今日の宿題】
次の棋譜を並べなさい。
開始日時:1995/12/22 00:01:00
持ち時間:6時間
棋戦:順位戦
戦型:四間飛車
場所:東京「将棋会館」
備考:▲藤井システム△居飛穴
先手:藤井猛
後手:井上慶太
*棋戦詳細:第54期順位戦B級2組07回戦
*「藤井 猛六段」vs「井上慶太六段」
▲7六歩 △8四歩 ▲6八飛 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀
▲3八銀 △4二玉 ▲4六歩 △3二玉 ▲3六歩 △3三角
▲1六歩 △8五歩 ▲7七角 △2二玉 ▲7八銀 △5四歩
▲6七銀 △5二金右 ▲3七桂 △1二香 ▲5六銀 △5五歩
▲4五銀 △8四飛 ▲3五歩 △同 歩 ▲2五桂 △4四角
▲6五歩 △2四歩 ▲6四歩 △2五歩 ▲4四銀 △同 歩
▲5五角 △3二桂 ▲3三歩 △同 玉 ▲4五角 △5四歩
▲6六角 △2二玉 ▲8四角 △4五歩 ▲6三歩成
まで47手で先手の勝ち
なお、下記のデータベースで並べてもよい。
http://wiki.optus.nu/shogi/index.php?cmd=kif&cmds=display&kid=6158
《将棋用語講座》
○急戦
将棋の戦法は、ほとんどの場合、早めに戦いを始める急戦と、じっくり戦いを進める持久戦に分けられる。急戦の特徴として、王様の囲いをなるべく簡略化すること、銀や桂馬を繰り出してすぐに仕掛けを行うことなどが挙げられる。前者から分かるように、急戦は防御力が弱く、反撃されてそのまま逆転される危険もある諸刃の剣。しかし、初心者にもお勧めできる優れもの。定跡が簡単で、覚え易いからである。最初の頃は、対抗型の急戦ばかりで練習してもよいほど(但し、勝率の保証はできない)。
《作者からの伝言》
『こちら、駒桜高校将棋部』本編にも書いたのですが、最近体調が思わしくないので、更新ペースを落としたいと思います。2〜3日に1回は上げる予定ですが、それ以下になってしまった場合は、すみません、ご容赦ください。次回は藤井システム、次々回は居飛車穴熊、そこからゴキゲン中飛車、新式角交換型振り飛車など、「藤井システム以外の穴熊対策」を紹介していく予定です。
これからも、よろしくお願い致します^^