二枚落ち(二歩突っ切り定跡:終盤)
ふぃ〜、昨日の夜は、宿題に追われて大変だったよ。
先生たちも、お互いに相談して、量を調整して欲しいよね、まったく。
じゃ、今日も部室に行くよ。
「歩美ちゃん、いるぅ?」
私が部室のドアを開けると……あ、みんないるね。
歩美ちゃんは……あれ? 歩美ちゃんだけいないよ?
「おぅ、木原」
円ちゃんは、あいかわらず男前だね。
惚れ惚れするよ。
「歩美ちゃんは?」
私が尋ねると、円ちゃんは少し気まずそうな顔をした。
「あぁ……職員室じゃねえか?」
「職員室? ……日直の仕事?」
「全然宿題をやってこないから、担任に呼び出されたらしいぞ」
……………………
……………………
…………………
………………
聞かなかったことにしようかな。
答え合わせ、答え合わせ。
私は円ちゃんの前に座ると、昨日の宿題を再現した。
「ねえねえ、これは上手が悪いの?」
円ちゃんは10秒ほど盤面を睨んで、うーんと唸った。
「こいつは……見たことねえな。定跡は同銀じゃないのか?」
あ、同銀のバージョンは知ってるんだ。
「歩美ちゃんが言うには、5四金は悪手らしいんだけど」
「んー、そうか……あいつが言うなら……ちょい待ってくれ」
いいよん。
私は、円ちゃんが考えるのを待った。
円ちゃんは、目を瞑って、眉間に皺を寄せている。
盤を見なくてもいいのかな? 頭の中に入ってるとか?
「そっか……なるほどな……そこで、こうか……」
5分ほどして、円ちゃんはようやく顔を上げた。
「分かったぜ」
さすがは円ちゃん、師範代に任命するよ。
「答えを言ってみろ」
答えは……。
「4四歩、同歩、同銀、同銀、同角、同金、同飛だよ」
これで潰れてるよね。
4三歩と打たれても、7四金で逆襲できるから。
私が「正解」を心待ちにしていると、円ちゃんはムッと唇を歪めた。
「残念……そいつは、途中から間違いだ」
え? ……間違い?
「ど、どこが?」
「4四歩、同歩、同銀、同銀、同角で、4五歩」
「こいつで一回交換を止めるぜ」
うそぉん……こんなので止まるはずが……。
私は考え込む。
同桂は4四金、同飛は同金。角を捨てて……も意味ないね。
……………………
……………………
…………………
………………
「ほんとだ……止まってるね……」
「だろ? 4五歩が、実質的に角飛車両取りだからな」
「じゃあ、これは下手負け?」
「そんなことはないぜ。4五歩に同飛と、強く取ればいいのさ。同金、同桂、4九飛、5九歩、4五飛成に、5五金とがっちり繋いで、4四龍、同金、4三歩なら、8二飛。4四龍に代えて3六龍なら、5四銀、7二玉と後退させてから5三角成」
「金銀馬の連係プレイを維持すれば、王様を追い込めるだろ」
なるほどね、4九飛車で一瞬どっきりしちゃうけど、5五金が手堅いんだ。
入玉にさえ気をつければ、あとは難しくないかな。
「じゃ、これが正解だね」
「そうだな。まあ、4四歩以外にも、7五歩があるかもな」
「こいつも、桂頭を狙って厳しいぜ」
盤面に指された手を、私はじーっと見つめた。
……意味が分からないね。攻めが、明後日の方向なんだけど。
「4筋と関係なくない?」
「ああ、関係ないぜ」
「……解説よろ」
私が降参すると、円ちゃんは丁寧に応じてくれた。
「7五歩と指されたら、次にどうする?」
「5五歩じゃない?」
私は天王山に、歩を置く。
だって上手は、角道を止めたいんだもんね。
こうすれば、4筋からの攻めは途絶えるよ。
「そいつには、7六飛」
「放置なら、7四歩〜7三歩成で終わるぜ。上手は歩切れだ」
こ、こんな手があるんだ……全然気付かなかったよ……。
でもでも。
「6四金で止まってない?」
「9七角と足すぜ」
角? ……そう言えば、9六歩のとき、9七角がどうとか言ってたね。
でも、この角、何の役にも立ってないと思うんだけど。
「8五桂で、角を苛めるよ」
「とりあえず8六角だな」
「さあ、どうする?」
「んー、2三銀」
次に3四歩として、銀を追い返そうね。どんどん圧迫。
私が勇んでいる中、7四歩が突かれた。
「??? 同金」
「5三角成」
……あッ。
「同玉、7四飛で終わりだな」
「……だね」
角銀交換で損してるけど、飛車成りを防げないよ。
「2三銀じゃなくて、5四銀とするよ」
要するに、5三角成とされなければいいんだよね。
先に銀を逃げておけば、空振り。
私が安心したのも束の間、円ちゃんは4四歩と突いてきた。
「え? 飛車の援護なしで攻めるの?」
「こいつは味付けだな」
味付け? 海苔?
「普通に取るよ。同歩」
「同銀」
「4三歩」
「そこで7四歩」
「同金だと?」
「5三銀成で死ぬぞ」
ぎゃふんッ!
そっか、4四銀は、角と連携させてるんだ。
4四歩だと7三歩成だし、これは参ったよ。
だけど、このままだと癪だから、ちょっと考えようかな。
……………………
……………………
…………………
………………
そうだッ!
「5四金、7五歩に、6四金と戻るよ」
先回りすれば、安全だね。
「それだと、今度は4筋が薄くなっちまうぜ。……4四歩」
……だね。同歩、同銀、同銀、同角で終わり。
「ギブアップ」
私はついに、音を上げた。
円ちゃんは、鼻の下を擦りながら笑う。
「ま、そう気にすんな。7五歩が一発で見えたら、手合い違いだぜ」
うぅん、円ちゃんの優しさが、心に沁みるよ。
ところで……。
「歩美ちゃんの代わりに、二枚落ちを教えてくれない?」
「ああ、いいぜ。暇だったからな」
やったね。じゃあ、早速。
私は円ちゃんと盤を挟んで、昨日教えてもらった通りに指した。
そして10分後。
「うーん……こりゃきついな……」
円ちゃんは顎に手を当てて、うんうん唸っている。
数江ちゃんの実力、思い知ったかッ!
……まあ、定跡通りに指してるだけなんだけどね。
定跡の力は偉大。ここからが実力勝負だよ。
「とりあえず、王手を受けるわな」
円ちゃんはそう言って、5二歩。
「2二龍ッ!」
銀を回収できたね。これで駒損が、角損→角銀交換まで戻ったよ。
「こんなの、どうやって勝つんだ? ……5五角」
うにゅ、この角は……9九と3七を狙ってるね。
どうしよう……。
「木原の番だぞ?」
「ちょ、ちょっと考えさせて」
私は腕組みをして、盤面を睨む。
まだ駒損してるから、2一龍としたいんだよね。桂馬を取った段階では、角と銀桂の交換だから、ちょっとだけ回復。1一の香車も取って、ようやくイーブンかな。でも、そんなことしてる暇がないような……うーん……。
「ねえ、円ちゃん?」
「何だ?」
「これって、寄せの段階に入ってるんだよね?」
円ちゃんは、盤をチラ見して、こくりと頷いた。
「だな、もう終盤だぜ」
……あ、そっか、終盤だね。
ただ、終盤≒寄せって言ってたから、間違いではないかな。
「それがどうかしたのか?」
「終盤って言うのは、結局、何をすればいいの?」
私の質問に、円ちゃんは目を丸くした。
あぅん、そんな目をしないで……。
私の願いが届いたのか、円ちゃんはひどく真剣な顔をし始める。
「難しい質問だな……」
そ、それはそれで困るよ。
簡潔に答えてくれないかな。
「『終盤は駒の損得より、寄せの速度』って言って、これ自体は正しいんだが、寄せに駒が必要なのも事実なんだよな。攻め駒が多ければ多いほど、寄せは簡単になる」
うん、それは感覚的に分かるね。
物量は重要。
「まあ、初心者のうちは、詰めろか詰めろの準備を考えるのがいいと思うけどな」
うーん、詰めろか……詰めろ……詰めろ……。
あ、みっけ。
「4三銀ッ!」
「っと、そいつが詰めろか」
だよん。5二龍、7一玉、8二銀で、狭義の詰み。
円ちゃんは、読んでなかったんだね。
うっかりかな?
私がほくそ笑んでいると、円ちゃんは5三金と下がった。
……あれ? 詰めろが解けちゃった?
とりあえず、銀を逃げないといけないね。
「……4二銀成」
「3七角成だ」
あうぅ……桂馬を取られちゃったよ……。
駒の損得が、また広がっちゃったね……。
「さあ、どうする?」
「ちょ、ちょっと待って」
こうなったら、本気で考えるよ。むぅ!
……………………
……………………
…………………
………………
閃いたッ!
「7一銀ッ!」
私が銀を打ち付けると、円ちゃんは「うッ」と呻いた。
「きつい手、知ってんな……」
えっへんッ!
同玉、5二成銀、同金、同龍。このとき、円ちゃんは銀と桂馬しか持ってないから、6二銀だけど、6一金、8一玉、6二龍で勝ちだね。最初の6二銀で6一銀は、8二金で詰み。8一銀は6一金で詰みだよ。どんなもんだいッ!
「6三玉だ」
……取らなかったね。取らない手は、読んでなかったかな……。
「ん? どうした?」
ど、どうしよう……5二成銀とできないし……。
「に、2一龍」
「……4六桂とすっか」
あ、馬の利きが止まったね。
でも、5八の金が狙われてるから……。
攻めるなら6一龍で、受けるなら5九金かな? 迷うよ。
……………………
……………………
…………………
………………
真ん中を取ろうか。
「6一龍」
「7四玉」
「5九金」
私が金を引くと、円ちゃんは頭を掻きむしる。
「かぁ、冷静だな」
私はいつも冷静だよ。参ったか。
「ちょいと考えさせてくれよ」
円ちゃんは溜め息を吐くと、真剣に読み始めた。
うーん、かっこいい。
「……こいつに賭けるか」
賭けに出たね。
ただ、何に賭けてるのか、よく分からないけど。
っていうか、円ちゃん、王様のお尻ががら空き。
「7二龍ッ!」
「7三銀ッ!」
「6二銀不成ッ!」
むふぅ! これは取れないよ。7四龍と王様を取られて反則だから。
次に7三龍で狭義の詰みだし、勝ったかも。
「へへ、引っかかったな」
「……何か言った?」
「3六馬だッ!」
??? 王手だけど、気合いを入れてる意味が分からないよ。
最後っ屁かな?
「諦めが悪いよ。5八歩ッ!」
「7二馬ッ!」
……あッ。
「円ちゃん、謀ったねッ!」
「悪いな、これが将棋だ」
円ちゃんは「へっへっへ」と、意地悪い笑みを浮かべる。
「ブゥー」
「まあ、そう怒るなって……。どうする? まだ指すか?」
あうぅ……飛車を取られたら、もう勝てないよ……。
「ギブアップ」
「ありがとうございました」
しょぼん。
気落ちする私の前で、円ちゃんは局面を戻す。
「ま、木原の課題は分かったな。『終盤は詰みがあるかどうかを、常にチェックする』だ。オレの王様、途中で詰んでたぞ?」
え? 詰んでたの?
「どこで?」
「7三銀と打った場面」
「これ、8六桂で詰みだろ?」
……あ、ほんとだ。一手詰みだよ。
「何で気付かなかったんだろ……」
「常にアンテナ張っとかないと、意外と気付かねえもんだぜ。王様のケツをしばくのに目が行って、頭の方が疎かになってたパターンだな」
……だね。ずっと下から追いかけようとしてたよ。
8六桂とか、全然考えなかったし。
「ま、このペースなら、初勝利は目前だろ。6一龍から冷静に5九金としたのもいいし、7一銀〜2一龍〜6一龍が見えたのも高評価だ。気をつけないといけないのは、『詰めろを掛けるときは、解除される手も一緒に読む』『簡単な広義の詰みを見逃さない』『角を渡したときは、王手飛車に気をつける』だな」
うーん、そうだね。どれも、今回の対局で、ミスしちゃったところかな。4三銀の詰めろは、5二金で簡単に解けちゃったし、8六桂の詰みは見逃しちゃったし、王手飛車で龍を取られちゃったから。反省。
「もう一局指そッ! もう一局ッ!」
私の挑戦に対して、円ちゃんは手で落ち着けと合図する。
落ち着いてられないよッ!
熱くなった私を宥めるように、円ちゃんは先を続けた。
「まあ待て、今日は、二枚落ちの有名な終盤術を伝授すっからよ」
ぴくり。……それは興味があるよ。
「どんなの?」
「4二飛成、5二歩のあと、5三歩だ」
……意味不明だね。
「同金で?」
「4五桂」
……あ、痛い。
「5一銀は、5三桂成、7二玉、5一龍で仕舞いだな。桂馬の活用だぜ」
3七の桂馬を攻めに使う順は、これが初めてかも。
今までは、4五金を防止してるとか、そんな感じだったもんね。
「ま、5一銀以下は、『ここせ』だけどな」
「ここせ?」
「『ここを攻めて来い』の略で、どちらか一方に都合のいい手って意味だ。普通は、5一銀なんて打たねえよ。話を分かり易くするために、敢えて悪手を指してるだけだぞ」
なるほどね、4五桂の厳しさを、5一銀で強調してるんだ。
確かに、6三金寄とか、ベターな手はいくらでもありそう。
「じゃ、もう一局指すか」
私たちが駒を並べ直したところで、いきなり扉が開いた。
びっくりして振り返ると、そこには歩美ちゃんが立っていた。
「おう、どうだった?」
「何が?」
「何がって……呼び出されたんだろ?」
「だから?」
円ちゃんは、絶句したように唇を結び、それからようやく言葉を継いだ。
「何か言われたんじゃないか?」
「『次に宿題を忘れたら、三者面談』だって」
「で? なんて答えたんだ?」
「『善処します』」
……………………
……………………
…………………
………………
「お、おぅ」
「円ちゃん、このあと練習するから、準備しといてくれない」
「い、今は木原と……」
「じゃ、トイレ行ってくるから」
そう言って歩美ちゃんは、ドア枠から消えた。
円ちゃんは腕組みをして、椅子にもたれかかる。
危ないよ、その格好。
「木原、オレはひとつ、大事なことを言い忘れてたぞ」
ん? また終盤術の話かな?
「何?」
「それはなあ……」
円ちゃんは両目を閉じて、もったいぶったように間を置いた。
そして一言。
「趣味はほどほどに、だ」
……同意。
【今日の宿題】
前回の宿題図から、7五歩、5五歩、7六飛、6二銀、9七角、8五桂、8六角、2三銀、7四歩、3四歩と進んだと仮定する。
ここで下手は何を指せばよいか、検討しなさい。なお、答えがひとつとは限らない。
さて、ここまでお読みいただき、誠にありがとうございました。駒落ち編も終わり、次から平手編なわけですが、平手に必勝法はありません。定跡はもちろんありますが、どちらかが必ず良くなるものではありません。というわけで、次回からは、平手の勉強法を広く浅くやっていく方針です。具体的には、大まかな戦法の分類、定跡書の読み方、棋譜並べのやり方などを予定しています。それが終了したあとで、今度は「観戦編」に移ります。最近では、電王戦の影響もあり、観る専(観る将)の人口が増えているようで、実は私も昔から、ほぼ観る専です。しかし、観る専=観るだけで将棋は深く知らなくてもいい、というわけではないと思っています。スポーツなどと一緒で、ルール、戦術、選手、歴史などを細かく覚えた方が、より深く楽しめるのではないでしょうか。
さて、駒落ち編に話を戻しますが、駒落ち編では「一手一手の意味を正確に理解する」ことを心がけました。筆者自身、書きながら勉強になったことも多いです。例えば、二歩突っ切り定跡の「5五歩、同歩、5四歩、同銀」の手順で、「なぜ同金ではダメなのか?」という理由を考えるのに、30分以上掛かりました。そもそも、「同金、4四歩、同歩、同銀、同銀、同角には4五歩」を思いついたのが、かなり後半で、一度リライトしています。特に7五歩以下の変化は、ネット上ではあまり言及されていないと思います。間違っていたら、すみません。少なくとも、執筆段階の検索では、ヒットしませんでした。同様に、「3六歩、3二金、3五歩に、なぜ2二銀ではなく5二玉なのか? 3四歩で潰れていないか?」というあたりも、30分近く考えています。二歩突っ切り定跡は深いな、と、再認識させられた回です。
では、引き続き、将棋をお楽しみください^^