二枚落ち(二歩突っ切り定跡:中盤)
「さて、ここから仕掛けに入るわよ。3四歩ね」
だね。待望の歩突きだよ。
「放置はできないから、当然に同歩。下手も同飛として、3三歩、3六飛」
「3八飛じゃないの?」
「3八じゃない理由は、すぐに分かるわ。上手は7三金として、左辺の圧迫を目指し、それに対応して下手は、3七桂と兵力を追加」
「このとき、飛車が3八にいると、3七桂が邪魔になっちゃうのよ」
へぇ、そういう手があるんだ。桂馬の下に飛車がいると、利きが消えてるもんね。その利きを維持するための手が、3六飛。理解したよ。
「上手は圧迫を続けるため、6三玉と上がって、空中要塞を築くわ」
ふんふん、王様は、どんどん上に出てくるんだよね。
これも、六枚落ちと同じかな。
「さて、ここからが問題よ。3四歩で仕掛けは始まってるわけだけど、どうする?」
「そのまま攻めるんじゃないの?」
「二枚落ちの場合、それは危険よ。7八金として、防御を固めるのが正解」
え? この段階で?
「ちょっと待って。将棋の3段階って、駒組み、仕掛け、寄せじゃなかった? 仕掛けが終わったら、今度は寄せなんじゃないの?」
「いい発想だけど、思い出してちょうだい。駒組み、仕掛け、寄せの3段階は、六枚落ちの場合よ。二枚落ちの場合は、別の名前を使わなかった?」
……あ、そうだね。思い出したよ。
「序盤、中盤、終盤?」
「正解。そして、中盤は仕掛け+αだって言わなかった?」
それも、言われた気がするね。
ただ、アルファが何かは、教えてもらわなかったかも。
「そっか、そのプラスアルファが、防御なんだね」
「んー、方向としては正しいけど、それだけじゃないわ。仕掛け+αのαは、ほんとにいろんな要素が入ってくるから。とりあえず二枚落ちでは、仕掛けが始まった段階から、中盤が始まったと覚えといて」
むにゅ、抽象的で難しいね。
でも、3四歩以降が中盤だって言うのは、何となく分かったよ。
「それで? 7八金から、どうするの?」
「王様を囲うわ」
へぇ、ここから王様を囲うんだ。
どうやって囲うのかな?
「二枚落ちで使うのは、蟹囲いよ」
「カニ? カニって、あのカニ道楽のカニ?」
「何でカニ道楽が出てくるのか分からないけど……そうよ」
将棋で、そのネーミングセンスはどうなの?
私が不思議に思う中、歩美ちゃんは先を続けた。
「蟹囲いって言うのは、ここから7八金、8四金、5八金、7三桂、6九玉、7五歩、同歩、同金、7六歩、7四金、6八銀となったときの……」
「この枠で囲った部分の名前よ」
んー、ちょっと考えるよ。
カニさん、カニさん……あ、分かったッ!
「理解したよ。左右の金を、ハサミに喩えてるんだね」
「正解」
やったね。ポイントゲットだよ。
「ただ、カニって言うよりは、バルタン星人かな」
「ばるたんせいじん? ……何それ?」
「こうやって、カニさんみたいな手で」
私は両手で、ピースサインを作ってみせる。
「フォーフォーフォーフォーって鳴く怪獣」
「……知らない」
えぇ……ウルトラ怪獣で人気ナンバーワンなのに……。
歩美ちゃんは、特撮とか観ないのかな?
……ま、いっか。今は将棋に集中ッ!
「さっきの手順、詳しく説明してくれない? 分かんないところあったから」
「そうね、蟹囲いの説明で、ちょっと早足になったわね。まず、蟹囲いにするには、7八金と金を上がるところから始めるわ。下手の8筋が弱いし、上手は8四金からちょっかいをかけてくる気配だから、そこを防御してるわけね」
「で、相手は予想通り、8四金と上がってくるわ。この手の意味は2つあって、ひとつは7五歩、同歩、同金の準備。もうひとつは、7三桂のスペースを用意してるの」
お得な手だね。
こっちが3七桂と跳ねたみたいに、敵も桂馬を活用するんだ。
「下手は、蟹囲いを継続するわ。5八金ね。上手も予定通りの7三桂。次の6九玉は、先に6八銀でもいいと思う。いずれにせよ、上手は7五歩と仕掛けて、同歩、同金」
「下手は、7六歩と打って、金を撃退するわ」
「え? それって同金じゃない?」
私が尋ねると、歩美ちゃんは人差し指を立てた。
「飛車の横利き」
飛車? ……あ、そっか、7六には、飛車が利いてるんだ。
7六歩、同金は、同飛だよ。これも3六飛の効果だね。
「でもさ、そこに飛車が利いてるなら、7六歩は要らなくない?」
「それは、7六歩と打たれて面倒」
7六歩? ……圧迫されるのが嫌なのかな?
「あんまり痛くない気がするけど」
「痛いわよ。7筋が塞き止められて、8筋、9筋を守りにくくなってるわ。さらに、いつでも8五桂〜7七歩成があるから」
あ、そういう攻め方があるんだ。
これがあるなら、7六歩は相手に打たれちゃダメだね。
「了解。先に7六歩の大切さが分かったよ」
「オッケー、それじゃ、続けるわね。7六歩、7四金と撃退してから。6八銀。これで蟹囲いの完成よ。上手は6五歩として、さらに上部を圧迫。この圧迫戦術が、二枚落ちでの上手の基本ね。6四金〜5五歩とされたら困るから、下手は4六銀」
「5筋の位を取られないようにするわ」
「くらいって何?」
「位って言うのは、それぞれの筋の5段目に歩を進めたときの言い方。例えば2五歩なら、2筋の位を取る。3五歩なら、3筋の位を取ると言うの。位を取られた方は、部分的に陣地を圧迫された形になるわけね。漢字では、品位の『位』よ」
なるほどね、下手も上手も、なるべく位を取ろうとしてるよね。
4六銀は、上手が5筋の位を取るのを、阻止してるんだ。
「でも、4筋と3筋の位は、取らせてるよね?」
「んー、取らせてるんじゃなくて、そこを守る機会がなかったのよ。上手が4四歩と突くためには、5三銀が必要なんだけど、下手の4五歩の方が一手早いわ。3筋も、3四歩には1一角成が用意されてて、位取りを甘受するしかないのよね。要するに、初手7六歩の効果が絶大ってことなんだけど」
なるほどね、角が敵陣をずっと睨んでるから、4筋と3筋を防御できないんだ。
「『5筋の位は天王山』って言うくらい重要だから、せめてそこは守るわけね」
天王山って確か、羽柴秀吉が明智光秀を破った場所だよね。
たぶん、そこから来てるんじゃないかな? 勘だけど。
「4六銀の次は?」
「6四金よ」
あれ? 6四金〜5五歩は、4六銀で阻止したんじゃなかったっけ?
「何で6四金? 5五歩は無理なんだよね?」
「これには2つの意味があって、ひとつは、4筋で戦争が始まったときに、7四玉と逃げ道を作ってるの。7四に金がいると、7二玉としか逃げられないから」
そっか、王様の脱出ルートを確保してるんだ。
同じ手でも、状況によって意味が違ってくるね。
「もうひとつは、これも4筋で戦争が始まったときの対策なんだけど、5五歩と突いて、角道を一時的に遮断する意図もあるわ」
「角道を遮断? そんなことして、どうするの?」
「それはこのあとで分かると思う」
……現時点では、王様の脱出ルート確保と覚えとこうか。
あとから、別の効果が出てくるわけみたいだね。
「でも、着眼点はいいわ。そういう風に、どんどん考えてちょうだい」
そうだね、自分で考えること大事。
定跡の上にあぐらをかいてちゃダメだよね。
自分でいろいろ編み出した方が、きっと楽しいし、頭の体操になるよ。
「さて、この次の手が難しいのよね……何だと思う?」
おっと、クイズが来たよ。
ちょっと考えてみようか。
……………………
……………………
…………………
………………
「5六歩かな?」
「ま、それが正解でもいいくらいだわ。ナイスな手よ」
ん? 何か遠回しな言い方だね?
本当の正解は、違うっぽいけど……。
「歩美ちゃんなら、どう指すの?」
「一回、9六歩かな」
……? 何この手?
「今さら端攻め?」
「んー、端攻めじゃないわ。そもそも、端に飛車が回れないでしょ」
……そっか、そう言われれば、そうだね。
ここから端攻めは、さすがに無理だよ。
「じゃあ、何なの?」
「この手は、平手でもそうなんだけど、本当に説明が難しいのよね。大雑把に言うと、攻撃されたときに、王様の逃げ道を増やしてるのよ」
「逃げ道? ……どういうこと?」
「例えば、右側から攻撃されたとき、7九玉〜8八玉〜9七玉〜8六玉と、どんどん上部に脱出できるわけね。これ以上は、具体的に説明できないわ。数江ちゃんも、実戦経験を積めば、この端歩突きの効果が実感できると思う。それともうひとつ、どこかで9七角の覗きも狙ってるわ」
そっか……何というか、感覚的な手なんだね。
確かに、ここから王様の逃げ道を作ってるって言われても、分かんないや。
9七角も、方針がよく分からないし……将来の課題にしておこうね。
「だから、5六歩でも正解よ」
「一応、歩美ちゃんの案に従うよ。9六歩は、突いておくね」
「じゃあ、後手も9四歩と突くわ」
ふえ? 相手も端の歩を突くの?
「この手の意味は?」
「9五歩の防止。9五歩と突かれると、下手の逃げ道が広がって、さらに上手の逃げ道が封鎖されちゃうから」
むぅ……上手の逃げ道が封鎖されるのは、何となく理解できるね。
7四玉〜8四玉のあと、9三玉とバックできるようにしてるんだよね。
「了解、かな」
「じゃ、いよいよ数江ちゃんの指した、5六歩が登場よ」
「上手は8四歩として、さらに逃げ道を広げるわ」
さっきから、逃げ道を広げてばかりだね。
六枚落ちのときよりは遅いけど、手がなくなったっぽいよ。
「さて、ここでまた問題。次の2つの手のうち、どっちがいいでしょうか?」
【A−1図】
【A−2図】
「不親切でないように、狙いを示しておくわ。図1の狙いはもちろん、同歩、同銀、同金、同角の金銀交換よ。図2はちょっと分かり難いけど、次に4六飛と回って、4四歩から銀交換を目指すのが狙い」
ふんふん、どっちも一理あるね。
「どっちでもいいんじゃない?」
「んー、どっちも下手勝ちでしょうけど、よりベターなのは?」
ってことは、どっちかがよりベターなんだね。
そうでないと、質問自体しないよね。
考え中、考え中。
……………………
……………………
…………………
………………
「5五歩かな?」
「理由は?」
「3五銀、1四歩、4六飛、1五歩、4四歩、同歩、同銀、同銀、同飛は、4三歩で攻撃が止まっちゃうよね」
「それに対して、5五歩、同歩、同銀、同金、同角は、6四銀打に7七角と引いて、8五桂と跳ねられても、8六角とできるよ」
「次に、9五歩、同歩、同香、同香、同角として、端を突破」
私が自信満々に答えると、歩美ちゃんは「うーん」と唸った。
あれ? 間違った?
「初見で7七角〜8六角〜9五歩は、なかなかやるわね。ただ……」
「ただ?」
「そこまで危ない橋を渡る必要はないわ。正解は、3五銀よ」
「え? A−2図なの? ……攻撃が止まっちゃうよ」
「ちょっとやってみましょう」
そう言って歩美ちゃんは、駒を動かし始めた。
「まず、3五銀に対して、上手は2四歩」
ん? これも意味が分からないよ。
「同銀でタダじゃない?」
「取ってくれたら、2八歩」
私は、目が?マークになる。
「何これ?」
「下手は4筋を狙ってるから、3五銀と戻るわよね。そこで2九歩成として、4六飛に1九とと、香車を補給するの」
「そこで4四歩と仕掛けると、同歩、同銀、同銀、同角、4三香」
「角と飛車が串刺しになって、これはまずいわよね」
うわ、ほんとだ……こんな手があるんだ……。
それに、銀は飛車じゃなくて、角で取るんだね。
だったらさっきの回答は、間違ってたね。飛車で取ったもん。
「2四歩は罠だから、無視して4六飛。さて、ここからさらに複雑になるわ。図にまとめて整理しましょう」
【B−1図 1四歩】
【B−2図 5五歩、同歩、5四歩、同歩、同銀】
【B−3図 5五歩、同歩、5四歩、同歩、同金】
うわーん、どんどん分岐が増えるね。
「ゆっくり説明して欲しいかな」
「順番にやりましょう。まず図B−1の1四歩は、『こっちはもう手がないから、さっさと攻めてくれ』って言う意味よ」
半分降参宣言だね。
「えーと、4四歩から攻めるよね?」
「もちろん。4四歩、同歩、同銀、同銀、同角、5三銀、5三角成」
「角をぶった切って、同玉に4一飛成で終わりね」
だね。これが金に当たってるし、下手が大優勢。
あとは、角を打たれたときに、気をつければいいだけかな。
「ちなみに、4四歩、同歩、同銀に、4三歩と頑張っても、同銀成、同金、同飛成、4二銀打、3二龍と、内側に浸蝕して良しよ」
「龍が捕まらないように気をつけてね」
うん、これも優勢だね。
「というわけで、B−1図は楽勝。上手は4四歩、同歩、同銀、同銀、同角がうざいと考えて、5五歩と突いてくるわ」
「これは、5筋の奪還というよりも、角道を一時的に遮断ね」
ここで、6四金の第2の意味が出てくるんだね。
角道を遮断されたから、4四歩、同歩、同銀、同銀に同角とできないよ。
「下手も一回同歩とするわ。ここで上手は、5四歩と畳み掛けてくるの」
??? 何で?
「同歩で、また角道が開いちゃうよ?」
「理由は、すぐに分かるわ。ここで上手には、少なくとも2つ手があるわよね。ひとつは、同銀、もうひとつは、同金。前者がB−2図、後者がB−3図ね」
「8五桂は?」
「8五桂も面白いけど、今回は省きましょ。時間があれば説明するわ」
了解。全部読み切る時間はないもんね。
「帰って宿題しないといけないしね」
私がそう言うと、歩美ちゃんはきょとんとした。
「学校の宿題なんか、しなくていいでしょ?」
えぇ……しようよ。
もしかして……授業中に全部分かっちゃうタイプかな?
「すごいね、授業だけで大丈夫なんだ」
褒めたつもりだったのに、歩美ちゃんはまたまたきょとんとする。
「授業中は、睡眠時間でしょ? あるいは、教科書の裏で定跡書を読むとか」
「……何しに学校来てるの?」
「将棋」
……………………
……………………
…………………
………………
そうだね、そういう生き方もあるよ。うん。
これ以上は、触れないでおくよ。
「えーと、5四歩、同歩、同銀が、どうかしたの?」
「そこで4四歩なら5五歩で、完璧に5筋を制圧されちゃうわ」
……あ、そっか、5四歩、同歩、同銀は、銀を前進させてるんだね。
下手から5五歩としても、同銀で飛車に当たっちゃうし……。
「うーん、結構めんどくさいね。のんびりしてられないよ」
「でしょ。だから下手は急いで、4四歩と開戦するわ」
「第二次総攻撃よ」
ふんふん、いよいよ決戦だね。
「でもさ、5三に銀がいないから、交換できないよ?」
同歩、同銀、4三歩くらいで、止まっちゃうよね。第三次が必要かも。
「もちろん上手は4三歩だけど、そこで5五歩と切り返すわ」
これは……あ、そっか。
4四に銀がいるから、今度は5五歩って打てるんだね。
同銀なら、同銀、同金、同角で金得だよ。
「あれ? じゃあ、上手が困ってるの?」
「そういうこと。この第二次総攻撃は、支え切れないわ。仕方なく4四歩として、銀を取るけど、下手は5四歩。4筋を突破されたら終わりだから、受けないといけないわよね。4三金と受けるけど、同角、4五歩、同飛、5四金左、6二角成、同玉、4二飛成で終わり」
「5四金左の角飛車両取りに怯まないで、角を捨てればいいの。瞬間的に角損だけど、4二飛成が王手銀取りだから、2二龍ですぐに取り返せるわ」
なるほどね、こういうときは損なレートでも、もとが取れてるね。
駒はいくらでも補充できそうだし。だけど、だけど……。
「4三金なんてケチるから、いけないんじゃない? 4三銀は?」
「これには、5五銀とごり押しするのが好手。同金、同角に6四銀として、6四金を防ぐけど、下手の持ち駒が金に変わってるから、5三金で良し。同銀なら、同歩成、同玉、7三角成で崩壊するわ」
うん、これははっきり試合終了だね。
「というわけで、B−2図はクリアね。B−3図だけど……」
「だけど?」
「宿題」
あらら、宿題が出ちゃったよ。
学校のもあるんだけど、頑張ってやろうね。
「具体的には? B−3図をどうすればいいの?」
「実はね、5四歩、同歩、同金は、悪手なのよ。上手がすぐ悪くなるわ」
え? そうなの?
私はB−3図が並べられた盤面を見る。
……分かんないな。どうすれば、下手優勢になるんだろ?
「おうちで考えてくるね。また明日」
歩美ちゃんも、宿題はやろうね。
約束だよ。




