八枚落ち
さあ、今日は八枚落ちだね。
ちゃんと作戦を考えてきたよ。これで100%勝てるはず。
「やっほー、歩美ちゃん、来たよ」
私が部室のドアを開けると……いたいた。
「あら、遅かったわね」
今日は掃除当番だったからね。
歩美ちゃんは、いつも来るのが早いなあ。まさか、サボってないよね?
「八枚落ちやろ、八枚落ち」
私が椅子に座ると、歩美ちゃんは早速、八枚落ちの盤面を作ってくれた。
「作戦は考えてきた?」
「ばっちりだよ」
「じゃ、始める前に、取り決め。駒落ちは、下手が逃げ回ったら、勝負にもの凄く時間がかかるの。だから、上手の勝利条件として、『私の王様が数江ちゃんの陣地に入ったら勝ち』で、いいかしら?」
「私の陣地って言うと……七、八、九段目?」
歩美ちゃんは、こくりと頷く。
いいよん。入れるわけないから。
「オッケー」
「じゃ、始めましょ」
上手からだよね。
歩美ちゃんは、すぐに王様を上がった。
4二玉だね。これは、予想通り。
「7六歩」
今回もこの一手。角を自由にするよ。
角と桂馬以外は、なかなか陣地の外に出られないんだよね。
「7二金」
むむ……これは、次の手を読まれちゃってたね。
隙があったら、6六角のつもりだったんだけど……。
でもでも、これも予想済みだよ。
「3六歩」
私の指し手に、歩美ちゃんはぴくりとした。
うふふ、びびってるよ、これは。
「3二玉」
「3五歩」
「4二玉」
あ、王様をうろうろし始めたね。
「3八飛」
王様の前に、大砲を据えるよ。
「なるほどね……袖飛車模様か……」
そでびしゃ? 何だろうね? コードネームかな?
「3二金」
「3七桂ッ!」
「7四歩」
ん? 防御しないのかな? ずいぶん、悠長だね。
「4五桂だよ」
私が桂馬を跳ねると、歩美ちゃんは「うーん」と唸った。
困ってる、困ってる。
「4四歩」
??? これは何かな?
「角で取れちゃうよ?」
「どうぞ」
……罠かな? そうは見えないけど……。
「じゃあ、もらうね」
私はそう言って、4四角とした。
「4三金」
金上がり……このままだと、角を取られちゃうね。
「6六角」
「5四歩」
え? 9三角成ってできるよ?
「角を成るよ?」
「どうぞ」
……歩美ちゃん、諦めちゃったのかな?
9三角成、と。
「1四歩」
もう手がないみたいだね。じゃあ、大砲を撃とうか。
「3三桂成ッ!」
どっかーん。これで飛車の大砲が炸裂。
「同玉」
「3四歩」
「同金」
ここで馬を……あれ? 7二の金が、意外と邪魔だね。中に入れないよ。
「……6六馬」
「2四玉」
「2二馬」
「3五桂」
……………………
……………………
…………………
………………
あれ? 2七と4七が、同時に受からないよ? 何で?
3七飛は3六歩、同飛、4七桂成だし……。
「に、2八銀」
「4七桂成」
「3九飛車」
飛車を逃げないとね。じっとしてれば、きっと大丈夫。
その間に、攻略法を考えようね。
「4六歩」
??? これは……何だろ……?
「3二歩」
「3八歩」
……………………
……………………
…………………
………………
「2九飛」
「5七成桂」
「3一歩成」
「4七歩成」
……どんどん危なくなってるね。
一回、どっちかの成駒を消そうか。
「5八金右」
「同と」
「同金」
次に同成桂、同玉で、さっぱりするね。
「5六金」
え? 取らないの?
「5七金」
「同金」
あ……詰めろ……。
嘘……金2枚しかなかったのに、詰めろがかかっちゃった……。
「6九玉」
「6七金」
これも詰めろだね……6八歩と打てば……5八金打で詰みだね。
6八桂も詰み。7七馬も詰み。5九玉も詰み。
あれ? もしかして、必至?
「ね、ねえ、これって必至?」
「んー、必至じゃないわよ」
あ、必至じゃないんだ……良かった……。
でも、受け方が分からないね。
……………………
……………………
…………………
………………
あ、そっか、分かったよ。
「5八歩」
これで受かってるね。次から反撃するよ。
「4八金」
……これも詰めろだね。
「6八銀」
「5八金寄」
「7九玉」
「6八金寄」
「8八玉」
「7九銀」
ど、どんどん追い込まれてるよ。まずいよ。
飛車で銀を取れるけど、それは意味ないし……。
「きゅ、9八玉」
「7八金」
「……9六歩」
「4七歩」
「9七玉」
「4八歩成」
「これで私の王様は、数江ちゃんの陣地に入れると思うけど?」
……だね。止められそうにないよ。
「ギブアップ」
……………………
……………………
…………………
………………
何でかな。金2枚しかないのに。
「ま、そうしょげないで、感想戦をしましょう」
そうだね。感想戦をしようか。
私たちは、駒を初期位置に戻した。
「まず、4二玉、7六歩はいいわよね」
「7二金は、6六角の防止?」
6六角と飛び出すと、8二金で9筋を守れるよね。
「そうよ。で、問題は……」
「ここからの方針かな」
えぇ……4手目だよ、これ……。
「3六歩がおかしいの?」
「んー、3六歩自体は、おかしくないわ。むしろ、その後の方針ね。数江ちゃんは、どういう作戦を立ててきたの? 3七桂〜4五桂〜3三桂成は、作戦通り?」
「うん、それが作戦だよ。桂馬をぽんぽん跳ねて、歩の壁を突破するの」
「なるほどねえ……狙いは悪くないけど、ちょっと疑問かな」
あらら、いきなりダメ出しされちゃったよ。
私の1時間って、いったい……。
「何がダメなの?」
「全ての状況に当てはまるわけじゃないけど、『序盤で駒を捨てるのは悪手』なの。この場合は、3三桂成が、歩と交換になってるでしょ。歩との交換は、ほとんどタダで捨ててるのと一緒だから、この場合は悪手ね」
「何で捨てたらダメなの?」
「相手に戦力を渡してるからよ。今回は、3五桂から悪くなったでしょ?」
3五桂……あ、2七と4七が受からなくなったやつだね。
「私は金2枚しか持ってないけど、それはあくでも初期状態の話。数江ちゃんが駒を捨てれば捨てるほど、私の戦力はどんどん増えるわ。だから、3三桂成は疑問。そして、その3三桂成しかできない4五桂も疑問。ってことは、3七桂自体が疑問よね」
うーん……そっかぁ……昨日は桂馬で勝てたから、過信しちゃったかな。
桂馬は一回跳ねると、そのまま前に進むしかないんだよね。バックできないし。
「じゃあ、どうすればよかった?」
「数江ちゃんの意思を尊重して、3六歩を活かすなら、3二玉、3五歩、4二玉、3八飛、3二金、3四歩、4四歩、同角、3四歩、1一角成、3三金かしら」
「最初の3四歩に同歩は、すぐ1一角成。4四歩、同角に4三金は、3三歩成、同金、同角成とできて終了ね」
そっか、別に桂馬を跳ねなくても、角は成れるんだね。
ムリヤリ突破しようとしてたよ。
「これで私の勝ち?」
「んー、ちょっとまだ遠いわね。この4四歩、同角、3四歩、1一角成、3三金の受けは、駒落ちのときによく出てくる手筋で、簡単には突破できないのよ」
「4四歩、同角、3四歩に同飛は?」
「それは、こうして……」
わーお……終わってるね。1一角成なら3四金、飛車を逃げると4四金。
「『大駒は引きつけて受けよ』という格言があって、こういう風に、かえって受け易くなるのよ。敵を接近させてるように見えるけど、実は逆なわけね」
なるほどね、勉強になるよ。でもさ……おかしくない?
金2枚で、何でこんなに難しくなるの?
こっちは敵よりも8枚多いんだよ?
「突破する方法は?」
私が尋ねると、歩美ちゃんは人差し指を立てる。
「そう焦らないで。八枚落ちで最初に学ぶことは、『駒を安易に捨てない』ことと、もうひとつ、『攻撃の前に王様の守りを固めておく』ことよ」
「王様の守り? 相手が金2枚なのに?」
「その金2枚に攻め込まれてなかった?」
……だね。ぐぅの音も出ないよ。
「さて、どう守る?」
うーん……王様を守る訓練は、全然してないんだよね。
速度計算のときに、逃げたり受けたりする練習はしたけど……。
「今までのことを思い出せば、少しはヒントになるわよ」
……じゃあ、受けるときを考えてみようか。受けるときに最強の駒は、多分、金なんだよね、経験的に。王様の周りに金がいると、ガードが固いもん。だから……。
「5八金かな?」
「右? 左?」
「うーん、右」
「そうね、それはいい手ね。5八金左は、左辺の防御が薄くなるから」
言われてみれば、そうだね。5八金左だと、右側に駒が偏るよ。
「私も6二金と寄せて、王様の守りを固めるわ」
「今度こそ、攻め?」
「んー、まだかな。数江ちゃんの陣形は、隙があるわよ」
隙?
「どこに?」
「2七と8七」
そうだね。2七はさっき桂馬で攻められたもんね。8七もスカスカだよ。
「どっちを受ける方がいいかな?」
「駒が少ない方じゃない?」
駒が少ない方……左辺かな?
「7八銀とするよ」
私がそう指すと、歩美ちゃんは口元に手を当てた。
「それも悪くないけど……今度は、8八に利く駒がないわよね」
8八……あ、ほんとだ。そこは、どの駒の移動先でもないね。
「じゃあ、7八金に変えるよ」
うーん、これは堅いね。8七も8八も、両方防御してるよ。
「いよいよ攻めだね」
「待って、もうちょっと駒組みを整えましょう」
「こまぐみ? こまぐみって何?」
「『序盤に陣形を整えていく』ことよ。攻めの準備でもあるわ」
……駒を組むってことかな?
「例えば、私は次に……」
「こうやって、陣形を整える。これも駒組みね」
うわ、歩美ちゃんの王様も、どんどんガードされてるよ。
「でもさ、私が駒組みをしたら、歩美ちゃんも駒組みできるよね? だったら、相手の王様がどんどん堅くなって、損じゃないかな?」
「駒落ちで、その心配はないわ。何でかっていうと、私の方は金2枚しかないから、駒組みのパターンが相当限られてるの。対して数江ちゃんは、いくらでも発展させられるわ」
「どんな風に?」
「例えば、6八銀、5四歩、6六歩、4三金右、5六歩、6四歩、6七銀」
「ほんの一例だし、駒落ちの一般的な組み方じゃないけど、いい形でしょ?」
ほんとだ。金と銀が連携して、何だか、かっこいい形になってるよ。
歩美ちゃんの方は、もう金をうろうろするしかできないんだね。
「そろそろ攻める?」
「そうね。攻めましょうか。5三金に4八銀くらいで」
銀? これは……。
「何で銀?」
「銀2枚のうち、1枚は攻撃に参加させるのが普通。対して金2枚は、王様の防御。だからよくあるのは、『銀1枚+金2枚で守って、桂銀飛で攻める』。絶対じゃないけどね」
「遅くない?」
「んー、桂馬と比べるとぴょんぴょん跳ねられないけど、バックできるし、それにいろんな攻め筋があるわ。ちょっとやってみましょうか」
そうだね。やってみようね。
「私はもうすることがないから、4三金右〜5三金を繰り返すわ」
「3七銀かな?」
「4六歩と先に突くのがいいかも。そこから4七銀〜3六銀」
「この手の狙いは、分かる?」
んー、分かんないね。銀で何をすればいいのかな?
「ここから、どうするの?」
「次に5三金なら、4五歩、4三金右、3五歩、同歩、同銀、3四歩、4四銀」
「同金直、同歩、同金なら、同馬で勝ち」
凄いッ! 一気に突破しちゃった。
「私は銀しかないから、もう受けられないわ。4三銀なら、5三金よ。3五歩を取らずに2四歩なら、3四歩、同金直、3五銀、同金、同飛。ここで3四歩と受けたら、一回3八飛とバックして、次に4四金の打ち込みを狙うわ」
「3四歩に代えて3四銀の受けでも、やっぱり3八飛と引いて、4五銀と取られても、4四歩から攻めが続くわね。5三金と退いたら、3三飛成で終了。無視して3六歩と止めても、4三歩成、同玉、4四金で終了。ざっとこんな感じね」
銀の攻めは強烈なんだね。桂馬を動かさないで勝っちゃったよ。
「こんな風に、陣形を整えれば、勝率は劇的にアップするの」
「王様を守ることが重要なんだね」
「そういうこと。そもそも、王様を捕まえ合うゲームだから」
ふんふん、自分の王様が捕まらなければ、負けないってことだもんね。
焦って攻める必要は、全然ないよ。
「駒落ちのときの注意点は、『派手に勝とうとしない』ことね。かっこいいけど、なかなかうまくいくもんじゃないし、変な癖がつくから」
了解。王様を守って、銀で地味に勝つよ。
「それじゃ、今日は帰るまで、八枚落ちをやりましょうか」
「うん、次こそは勝つよ」
結局その日の成績は、私の2勝2敗。
1回は、右側の薄いところを突破されちゃった。
でもこれで、八枚落ちは卒業だね。明日は六枚落ちッ!
「今日はありがとね、歩美ちゃん。宿題はある?」
私が尋ねると、歩美ちゃんは後片付けの手を止めた。
「そうねぇ……次の一手問題でもやりましょうか」
次の一手問題? 何だろうね、それ。
私が不思議に思っていると、歩美ちゃんは盤面を作ってくれた。
「これは、今日解説した局面で、5三金じゃなく、4四歩と受けたところよ」
えっと……5三金……あ、思い出したよ。4五歩から潰れたやつだね。
「4五歩と突けないように、歩で受けたんだね」
「そういうこと。では、問題。下手は、次にどう指せばいいでしょう?」
「うんと、次の下手の一手を考えればいいのかな?」
「そう。だから『次の一手問題』」
なるほどね、理解したよ。
「じゃ、考えてくるよ。また明日」
【今日の宿題】
最終図において、下手は次に何を指せば良いか、検討しなさい。
《将棋用語講座》
○次の一手
ある特定の局面において、次に指す最善手を予想するクイズを、次の一手問題と言う。これも詰め将棋、必至問題と並んで有名なパズルであり、問題集が多く出版されている。詰め将棋などと異なるのは、問題が実戦形式という点であり、それゆえに、実戦の訓練にも適している。