十枚落ち
さぁて、ゴールデンウィークも開けたし、いよいよ実戦だねッ!
どんなことが始まるのかな?
「こんにちはぁ」
私がドアを開けると、そこには……あ、みんないるね。
何か相談してるよ。
「やっぱ、木原も入れた方がいいんじゃないか?」
「ダメよ。数江ちゃんは、まだ経験が無さ過ぎるわ」
むむ、仲間はずれかな。
こう見えても、私は経験豊富。何の話か知らないけどね。
「ねえねえ、何してるの?」
私の声に、みんなが一斉に振り向いた。
「あ、いいところに来ました。実はですね……」
「おい、木原、来週の大会に出ねえか?」
大会? 私が?
「何の大会?」
私が尋ねたら、円ちゃんは呆れたように頭を掻いた。
「将棋の大会に決まってるだろ」
……そりゃそうだよね。
「でも、私は初心者だよ?」
「そうだが、当て馬くらいには……」
あてうま? 私は馬じゃないよ。失礼しちゃうね。
「数江ちゃんは、まだ実戦回数0なのよ」
「回数の問題じゃねえだろ。オーダーをずらせりゃいいんだよ」
うーん、歩美ちゃんは、反対してるっぽいね。
歩美ちゃんは師匠格だから、歩美ちゃんが正しいかも。
「私はまだ早い……かな?」
私がそう言うと、円ちゃんは唇をグッと結んだ。
「……本人が嫌なら、しょうがねえな」
ごめんね。円ちゃん。
「確かに、木原さんは新人戦でデビューの方が、いいかもしれませんね」
新人戦? そんなのもあるんだ。いつかな?
「さてと、オーダーも決まったし、数江ちゃんの実戦デビューと行きましょうか」
やったね。ついに来たよ。ここまで長かったね。
「やろう、やろう」
私は席に座って、歩美ちゃんと盤を挟む。
「じゃ、まずは駒を並べてみてちょうだい」
「了解」
私は、歩美ちゃんに教わった通り、駒を並べた。
「正解」
よし、準備万端だね。レッツゴー!
私がわくわくしながら待っていると、歩美ちゃんは両手で駒を退けた。
……ん? どういうこと?
王様と歩以外の駒を、全部ジェノサイドしちゃったよ?
「さて、実戦なんだけど、最初は駒落ちをやるわ」
「こまおち?」
「そう、駒落ち。駒落ちっていうのは、プレイヤーが上手と下手に分かれて、上手が駒を落とす、つまり味方を減らしてプレイすることよ」
味方を減らして……。
「え? じゃあ、歩美ちゃんは、歩と王様だけ?」
「そう」
……えぇ、それは私のこと、舐め過ぎだよ。
がっかり感が顔に出たのか、歩美ちゃんは慰めるように先を続けた。
「大丈夫。1勝するごとに、駒を増やすから。これは、歩美ちゃんがどのレベルまで勝てるか、それをチェックするため」
うーん、実力チェックだね。
じゃあ、バンバン勝って、すぐ元に戻すよ。
「早速行くよ」
私が駒を動かそうとすると、歩美ちゃんはそれを制した。
「待って。駒落ちのときは、さすがに上手が先」
……そっか。そりゃそうだよね。
「じゃ、始めるわね」
王様を動かすんだね。歩じゃないんだ。
私の番だけど……。
実はね、あれから実戦が待ち遠しくて、いろいろ技を考えたんだ。
まずは、これッ!
「7六歩だよ」
私がそう指すと、誰かが口笛を拭いた。
円ちゃんだね、きっと。
「あら、その手、どこで習ったの?」
「おうちでいろいろ考えたんだ」
「……そう」
うわーん、もうちょっと感動してよ。
いいもん。ボコボコにしてやるから。
歩美ちゃんは3二玉。私は角をびゅんと出る。
これで、次に7三角成だよ。ガード不能ッ!
5四歩、7三角成、4四歩、6三馬、4三玉。
えーと……どうしよ。
歩を5三に打てれば、次に5二歩成で必勝なんだけど……二歩だね。
確かに二歩OKだと、強過ぎるかも。納得。
「数江ちゃんの番よ」
「ちょ、ちょっと考えさせてね」
……………………
……………………
…………………
………………
どうやっても、馬一枚じゃ王様が捕まらないね。詰めろすらかからないよ。
ただ、それ自体は、駒の動かし方を習ったときに、何となく分かってたかな。馬だけで王様が詰んだシーンを、全然覚えてないもん。
こうなったら、味方を派遣して、戦力アップするしかないね。
戦場へすぐに駆けつけてくれそうなのは……。
「桂馬を跳ねるよ」
「なるほど、いい手ね」
でしょでしょ。私もそう思うよ。
「4五歩と突くわ」
「6五桂ッ!」
「4四玉」
うーん、歩美ちゃん、冷静だね。
でもきっと、内心はガクブル。間違いないよ。
「5三桂成ッ!」
ホップ、ステップ、ジャンプ!
桂馬が成駒に昇進したよ。これで馬と協力すれば詰ませられるね。
「3四歩」
んん? 今さら? よく分かんない手だね。
5四馬ッ! 王手だよッ!
「3五玉」
……あれ? また王手がかか……るね。3六歩かな?
でも、3六歩、同玉、3七歩、3五玉だと、意味がないよね。
というか、王様がここまで粘れるとは、思わなかったよ……。
んん、どうしよ。
「数江ちゃんの番よ」
「ちょっと待ってね」
……………………
……………………
…………………
………………
3六歩しかなさそうだね。3六歩。
「2四玉」
あれ? 取らなかったよ? 何でかな?
……あ、そっか。3六歩、同玉は、3八飛があるんだね。
(※図は数江ちゃんの脳内イメージです。)
3七歩と受けたいけど、それは二歩だね。
というか、3七歩は同飛でいいね。桂馬と繋がってるから。
「4五馬」
「1四歩」
「4三成桂」
「1五歩」
「4四成桂」
「9四歩」
これは……もう指す手がないって意味だね、きっと。
このまま一気に攻めるよ。
「3四成桂」
「1四玉」
「3五馬」
「9五歩」
……あれ? またうまく王手がかからなくなったよ。
何でだろ……さっきから、思ったより攻撃が遅いね。ぐすん。
「に、2六歩」
「8四歩」
「2五馬」
「1三玉」
「1五馬」
「2二玉」
「3三馬」
「3一玉」
やっと端っこに戻ってくれたよ……長かったね……。
後は、詰めろをかけるだけかな……。
「4三成桂」
「2一玉」
「3二成桂ッ!」
次に1二玉、2二馬で狭義の詰み。
4三成桂の詰めろが、必至だったみたいだね。
「負けました」
歩美ちゃん降参。やったね。
どんなもんだい。むふぅ。
「さて、初実戦の感想は?」
「楽しかったよ。ただ……」
「ただ?」
「思ってたより、難しかったかな」
20手くらいで、捕まると思ったんだけどね。
正確には数えてないけど、かなり指した気がするよ。
「そうね。最初に駒落ちを指す人の多くが、そう言うわ。『王様と歩だけだから、簡単に捕まるだろう』と思うんだけど、なかなか捕まらないのよね」
だね。舐められてたと思ったけど、舐めてたのは私だったかな。反省。
「じゃあ、感想戦をしましょう」
「かんそうせん?」
「反省会みたいなものよ。今指した将棋を振り返って、良かったところ悪かったところを指摘し合うの。将棋を上達するためには、この感想戦が必須」
そっか。試合を振り返るんだね。スポーツでもゲームでもそう。反省大事。
「でも、どう指したか覚えてないよ?」
「初めのうちは難しいでしょうね。今回は、私が順番に言うわ」
「はーい」
だけど歩美ちゃん、全部覚えてるのかな?
私は心配になりながらも、駒を初期位置に戻した。
「まず、4二玉ね」
「私は7六歩」
さすがにこれは覚えてるよ。
「この手は、本当にいいわ。7六歩は、角を自由にする効率的な手だから」
やったね。褒められたよ。おうちで考えた甲斐があったね。
「私は歩を突きたいんだけど、4四歩は同角、3四歩は1一角成、5四歩が一見いいけど、それは6六角で結局意味ないから、3二玉と寄るしかないわよね。次の5五角も好手。私は5四歩と催促して、7三角成とさせてから、4四歩」
「この5四歩〜4四歩って、どういう意味?」
「王様の逃げ道を広げる手。4二玉〜3二玉の繰り返しだと、脱出口がなくて、すぐに捕まるから」
なるほどね。確かに実戦でも、4三玉からどんどん逃げてたもんね。
「6三馬、4三玉に、7七桂も好手ね。馬一枚じゃ、絶対捕まらないから」
うんうん、それも考えたよ。好手連発ッ!
「4五歩、6五桂、4四玉、5三桂成。ここで5三馬は、5五玉でおかしくなるわ」
「次の桂馬取りを受けるには、6六歩だけど、同玉とできるから。7三桂成とするのは、桂馬がそっぽに行って、明らかに損よ」
「ま、結局は7八金くらいで捕まるけどな」
と円ちゃん。
「それを言ったら、駒落ちは意味ないでしょ。勝って当たり前なんだから」
「っと、すまねえ」
「6六歩、同玉と、歩を渡す必要はないのよ」
うーん、これは全然考えなかったかな。
勢いで桂馬を成っちゃったよ。結果オーライだね。
「こっちは3四歩とさらに逃げ道を確保。5四馬も好手ね」
どんどん好手が出るね。私ナイス。
「で、3五玉と逃げたわけだけど……」
だけど?
「次が疑問だったかな」
疑問? えーと……何、指したっけ?
……………………
……………………
…………………
………………
3六歩か。
「3六歩が何で疑問なの?」
「ここは4三成桂としたいから」
??? 意味が分からないよ。
「それ、王手じゃないよね?」
私がそう言うと、歩美ちゃんは顔を上げた。
「数江ちゃん、将棋の勝利条件は何?」
「勝利条件? ……相手の王様を捕まえることだよ」
「でしょ。王手をかけることが勝利条件じゃないのよ。目標は常に、相手の王様に狭義の詰みをかけること。そして、その狭義の詰みを発生させるためには、どうすればいい?」
狭義の詰みを発生させるためには……えーと……。
「振りほどけない詰めろをかける、かな?」
「正解。詰めろは詰みの準備段階。だから、終盤、つまり、王様を包囲する段階になって考えることは、王手することじゃなくて、まず詰めろをかけること。有効な詰めろがかからないなら、その詰めろが発生する状態にもっていくこと。そういう観点で、この4三成桂を見てちょうだい」
狭義の詰みを念頭に、詰めろを念頭に、だね。
じーッ……。
「そっか……」
「何か分かった?」
「うん、この4三成桂は、次に4四馬、2四玉、3三成桂が詰めろだね」
1三玉と逃げても、3四馬が詰めろ。っていうか、必至だね。
「正解。無理して王手せずに、どんどん追い詰めればいいわけ」
なるほどね。これは勉強になるよ。さっきより、ずっと早く詰むもん。
「というわけで、3六歩の王手が疑問ってことで、感想戦は終わりね」
ふんふん、これが感想戦なんだね。会話みたいで面白いかな。
「じゃあ、このステージはクリア?」
「ええ、クリアよ。ちなみにこれを、十枚落ちと言うわ」
「じゅうまいおち?」
「上手が駒を10枚落としてるでしょ?」
えーと、香車2枚、桂馬2枚、銀2枚、金2枚、飛車角。
ほんとだ。10枚足りないね。
十枚落ちクリア。万歳ッ!
「次行こ、次」
「まあ、そんなに慌てないで。来週は大会もあるから」
そっか……みんな忙しいんだね……。
「何か練習する方法ある?」
「あるわよ。ハム将棋っていうのが」
「はむしょうぎ?」
ハムがどうかしたのかな?
「何それ?」
「将棋ソフトで、コンピューターが駒落ちで対戦してくれるの」
あ、コンピューターソフトなんだね。
歩美ちゃんに教えて欲しいけど、それもいいかな。
「入手方法は?」
「ハム将棋でググるだけ」
うわ、簡単だね。帰ったら、早速手に入れよっと。
あ、それともうひとつ、大事なことを思い出したよ。
「ねえねえ、八千代ちゃんから詰め将棋を出してもらったんだけどさ」
私がそう言うと、八千代ちゃんは眼鏡を直した。
「そうでしたね。解けましたか?」
「『問題が間違ってる』という結論に達したよ」
私がそう言うと、八千代ちゃんは顔をしかめた。
でもね、絶対間違ってるよ。
「八千代ちゃんが出題ミス? ……ちょっと見せて」
あ、信用してないね。
「これだよ」
私が盤に並べると、みんながそれを取り囲んだ。
そして一言。
「詰んでるわよ」
「ああ、詰んでるぜ」
大川先輩だけ少し遅れて。
「詰んでますね」
えぇ……何で……私だけ……恥ずかしいかも……。
「ど、どうやったら詰むの?」
「んー、先入観の問題だな。初手を全部挙げてみろよ」
初手は全部考えたよ。
「1二と、2一と、2一飛成、3二飛成だよ」
「……もうふたつあるぜ」
な、ないよッ!
「3二歩成のこと?」
「それは王手放置だろ?」
……だよね。だったら……絶対ないよ……。
でも、みんな詰むって言ってるし……。
「分かんない」
「じゃ、解答いく?」
と歩美ちゃん。
……いいかな。一晩考えても分かんなかったし。
「いいよ」
「初手はね……」
……………………
……………………
…………………
………………
ほんとだ。まだ王手があったよ。
「これは気づきにくいですよね。私も昔、かなり悩みました」
と大川先輩。
「こういうのを、『打ち歩詰め回避の問題』と言って、詰め将棋のジャンルなの」
ジャンルとかあるんだ……凄い……。
「で、でも、成ると成らないで、何が違うの?」
「続けてみれば分かるわ。王様側は、どうする?」
3二飛不成の王手だから……。
「1一玉だよ」
「1二歩」
え? これは打ち歩詰め……。
「あッ!」
「分かった?」
そっかそっか、1二歩に2一玉って寄れるんだね。
3二飛成だと龍になるから、1二歩で詰んじゃうけど、これは違うよ。
これはアハ体験だよ。アハッ!
「というわけで正解は、3二飛不成、1一玉、1二歩、2一玉、3一金ね」
うーん……感動した。
「詰め将棋って、面白いね」
「そうです。詰め将棋は、観る専がやっても、面白いのです。ちなみに、王様がふたつともある詰め将棋を、双玉詰め将棋と言います。どちらかと言うとマイナーなジャンルですが、片玉の詰め将棋にはない独特の面白さがありますね。双玉詰め将棋作家で有名なのは、神吉宏充プロでしょうか」
詰め将棋にも、いろんなジャンルがあるんだね。
今度、調べてみようかな。まだ他にもありそうだし。
「今日の宿題は?」
私が尋ねると、みんな顔を見合わせた。
「実戦が始まったし、どうだろうな。もう要らないんじゃないか?」
「そうねえ……パズルはもう自分で探せるわけだし……」
歩美ちゃんはしばらく考えた後、盤面を元に戻した。
そして、金2枚を付け加える。
「こうしましょう。明日は八枚落ちをやるから、序盤の作戦を考えておいて」
予習だね。ばっちりな作戦を考えてくるよ。
それじゃ、また明日ッ!
【今日の宿題】
八枚落ちの序盤を考えてみなさい。なお、駒落ちであるから、先に動くのは上手、すなわち駒を落としている方である。
《将棋用語講座》
○駒落ち
プレイヤーが上手(上級者)と下手(下級者)に分かれて戦い、上手側が自分の駒の何枚かをゲームから除去すること。要するに、ハンデ戦である。王様以外の全てを落とす裸玉から右の香車だけを落とす右香落ちまで、様々なハンデの付け方ができる。江戸時代では、このようなハンデ戦が一般的であり、明治維新後も長くその伝統は維持されたが、現在のプロ制度では奨励会における左香落ち以外に、見る機会はほとんどない(但し、イベントなどでの角落ちはある)。アマチュアでは依然として、指導のときに使われており、特に飛車角を落とす二枚落ちは「手筋の宝庫」として重宝されている。




