必至
放課後、私は机に座って、メモ帳を睨んでいた。
スケジュール調整してるわけじゃないよ。
私がやってるのは……。
※行き詰まり氏『詰将棋パラダイス』1989年3月号。
詰め将棋ッ!
なんだけど……難しいね、これ。
3手詰めらしいけど、分かんないや。
「数江ちゃん、何やってるの?」
クラスメイトの女の子が、メモ帳を覗き込んできた。
ちょっと不審だったかな?
とはいえ、他人のメモ帳を覗き込むのは、どうかと思うよ。
デートの約束が書いてあったら、どうするの。
「詰め将棋」
「つめしょうぎ? ……将棋?」
詰め将棋って言うのは……。
って、この子に説明しても、しょうがないね。
「パズルだよ」
「そっか、パズルね」
嘘じゃないよ。パズルの一種だもん。
「じゃ、掃除も終わったし、先に帰るわね。ばいばい、数江ちゃん」
「ばいばーい」
彼女が出て行くと、教室は静まり返った。
そろそろ部室に行こっか。もっと簡単な詰め将棋を探そうね。
私は鞄を持つと、教室を飛び出した。
1階に降りて、渡り廊下を……。
あれ? グラウンドのベンチに座ってるの、円ちゃんじゃないかな?
「円ちゃーん!」
私が大声を出すと、円ちゃんも振り向いた。
「何だ、木原か」
何だって言い方は酷いなあ。乙女心が傷付くよ。
「ここで何してるの? 部室へ行こうよ」
「おっと、今日は無理だ。応援部があるからな」
あ、そうなんだ。ほんとに忙しそうだね。
でも、「また明日」って言ったから、約束は守って欲しいかな。
「宿題の答え合わせは?」
「ああ、それならいいぜ」
「サボっても大丈夫?」
「今は休憩中」
私は、グラウンドの方を見た。
……怖そうな人たちが、いっぱいいるね。
でもでも、円ちゃんが、一番イケメンかも。
「休憩中でもいいの?」
「構わねえよ。将棋指すのだって休憩みたいなもんだ」
そうかな? 学校の宿題より頭使わない?
「じゃ、詰めろのパターンを全部挙げるよ」
昨日の夜見つけたパターンを、私は列挙していく。
「よし、正解だ」
やったね。
ただ、ちょっと気になったことがあるんだよね。
せっかくだから、訊いてみようかな。
「ねえねえ、これって詰めろじゃないの?」
私はそう言いながら、王様の斜め上に金を置いた。
「……そりゃ王手だぞ」
「でもさ、次に1三香と走ったら、2二金で狭義の詰みだよ?」
これ、詰めろの定義に該当してるんじゃないかな?
円ちゃんは「うーん」と唸った後、複雑な顔をする。
「……違うな。それは詰めろじゃねえ」
「何で? 理由は?」
「王手放置は反則、だよな?」
王手放置は反則……だね。それはもう習ったよ。
「うん」
「3二金は王手だよな?」
「うん」
「じゃあ、2手目1三香は、反則じゃないか?」
1三香は反則……あ、そっか、王手を放置してるから、反則だね。
「そうだね……反則だね……」
「ってことは、その時点で反則負けだよな? ゲームセットだ」
……だんだん分かってきたよ。整理しようか。
3二金は王手、1三香は王手放置の反則。
反則は負けだから、そこでゲームは終わり。だから2二金打は指せないね。
2二金打とできないなら、狭義の詰みは発生しない。
狭義の詰みが発生しないなら、詰めろの定義に該当しない。
うーん……何だか複雑だけど、論理的にはそうなるよね。
「理解したよ。2二金打で詰む前に、ゲームが終わってるんだね」
「そういうことだな。……と、あんま時間ねえし、次行くぜ」
「詰めろの練習だね」
私がそう言うと、円ちゃんは微妙な顔付きになる。
「詰めろの練習も兼ねてるが……今日は『必至』だな」
今日は必死? 円ちゃん、何かヤバいのかな?
「何に必死なの?」
私の質問に、円ちゃんは一瞬きょとんとした。
あれ? 何か勘違いだったかな?
「『必至』っていうのは、『必ず至る』と書いて、『王手あるいは詰めろの連続で、広義の詰みを発生させること』だ。要するに、『王手あるいは詰めろの連続で、解除不能な詰めろを掛ける』ってことだな」
解除不能な詰めろを掛ける……例えば……。
「昨日のこれは、必至?」
私は、部室で教わった形を再現する。
「ああ、それは必至だ。両サイド金の形は、超有名だぜ」
ふーん、そっか……これが必至なんだ……。
実際、この詰めろは解けないもんね。解除不能だよ。
「でも、何でわざわざ、必至って言うの? 詰めろの一種じゃないの?」
「そりゃ、解除可能な詰めろよりも、解除不能な詰めろの方が強いだろ?」
……そうだね。解除不能な詰めろは、王様が広義に詰むってことだもんね。
敵の駒の移動先に王様のいる状態が、王手。
反則をしない限り王手を解除できない状態が、狭義の詰み。
連続王手で必ず狭義の詰みにもっていける状態が、広義の詰み。
広義の詰みを発生させた状態が、必至=解除不能な詰めろ。
凄い。全部繋がってるんだね。
「もしかして、狭義の詰みまでもっていくパズルが詰め将棋で、広義の詰みを発生させるパズルが、必至なのかな?」
私が尋ねると、円ちゃんはパチリと指を鳴らした。
上手いね。様になってるよ。
「いいとこに気付いたな。そういうことだ」
なるほどね、今日は冴えてるかも。
「じゃあ、詰め将棋と同じくらい、難しそうだね」
当たり前のことを言ったつもりだったけど、円ちゃんは指を左右に振る。
「そりゃ必至を甘く見過ぎだ。1手必至の難易度は7手詰め相当だぜ」
……え? 7手詰め? そんなの、解いたことないよ。
3手詰めでも大変なのに……。
「そんなに難しいの? 1手だよ? 1手?」
「やってみりゃ分かるさ。……まずは、この問題からだ」
円ちゃんは、宿題の解答のひとつに立ち返る。
「こいつは必至か? 検討してみな」
必至かどうか……要するに、詰めろを解除できるかどうか、だよね。
よーし、検討するよ。
……………………
……………………
…………………
………………
ん? 簡単じゃない?
ここに金を置いて……。
「これで解除できてるよ」
私が右手を上げると、円ちゃんは「ふふん」と笑って3三桂と打った。
……こんな手があるんだ。
「王手だね……」
「だな。解除しないと負けだぜ」
王手を解除……王手を解除……。
「横に逃げるよ」
「金を打つぜ」
……あれ? 詰んじゃった?
「ま、待って、逃げないで桂馬を取るよ」
私の手が離れた瞬間、2二に金が置かれる。
「頭金の詰みだな」
「……そうだね」
打つ駒を間違えたかな?
2二歩だと……3二金打で詰みだね。
2二香、2二桂、2二銀、2二角も、3二金打で詰み。
2二飛車だと……2二金と同じ。3三桂、3一玉、4一金まで。
ってことは、2二に何を打ってもダメなんだね。打ち場所を変えるよ。
金を離して……例えば3一金……は全然ダメだね。3三桂一発だよ。
3一歩、3一桂、3一銀、3一角も、全部3三桂まで。
だけど3一香なら……あ、今度は2二金打だね。3一飛も同じ。
「どうした? 降参か?」
「ご、ごめん、もうちょっと考えさせて」
「ああ、ゆっくり考えな」
円ちゃんはそう言って、駒桜の校歌を歌い始めた。
愛校心に満ちあふれてるね。私はパズルを解くよ。
2二も3一もダメなら、3二かな? 3二金とか……。
あ、やっぱり3三桂だね。同金は2二金打。逃げて3一玉は4一金まで。
歩、香、桂、銀、角はもっと早く詰むし、飛車もダメ。うぅん……。
私は、全部のパターンを見境なく読み始めた。
3三角は3二金。銀も同じ。3三歩、香、桂、金、飛は2二金打。
4一はそもそも意味ないし、1二も同歩成でノックアウト。
4二は……飛車だけ意味あるかな? あ、もしかして、これが正解?
「4二に飛車を打つよ」
私が駒音高く打つと、円ちゃんは鼻歌を止めた。
ちらりと盤面を見て、3三桂と打つ。
「3一に王様を逃げるよ」
今度は、4一に金を打てないよ。同飛だもんね。
私が誇らし気にしていると、円ちゃんはそれでも金を打ってきた。
あッ……反対側から……。
「……負けました」
「ま、どうやっても詰むからな。2三金で1手必至ってわけだ」
そっか、2三金と打つだけで必至になるから、1手必至なんだね。
これって、すっごく難しいよ。読む量が半端ないもん。
「1手でこれなら、3手とか5手必至は、鬼みたいに難しいんだろうね」
私が感嘆すると、円ちゃんは「うーん」と唸った。
「いや、詰め将棋と違って、難易度がそこまで手数と比例しないんだよな。7手必至より難しい1手必至もざらにあるし、そのへんが必至の特徴かもしれねえ。詰め将棋で7手詰めより難しい1手詰めなんて、そうそうないぜ」
ふーん……ちょっと納得できないかな。
手数が伸びれば伸びるほど、難しくなるような気がするんだけど。
「えっと、この形だと、他にも必至になるのかな?」
「試してみるか?」
そうだね、試してみようか。
まずは……1四桂の形かな。
これが、一番簡単に解除できそうだもん。
「そいつからか……どうする?」
「3二に王様を逃げるよ」
いくら何でも、この王様は捕まらないと思うよ。
「3四金だと?」
円ちゃんは、金をパシリと打った。
金で包囲する作戦かな?
「4一玉」
私が王様を下がると、円ちゃんは金を進めてくる。
こ、これは詰めろだね……意外としつこいよ……。
5一玉は5二金打で詰みだから、4二に何か打ちたいけど……。4二歩は、5二金打、3一玉、4二金寄、2一玉、3二金寄で詰みだよね。4二香、4二桂、4二銀、4二角、全部一緒だよ。だから、4二金か4二飛だけど……。
「4二金って打つよ」
私は、金の方を選択した。
「ふむ……5三金打だ」
「4三金……かな」
4三金、同金、4二金、5三金打、4三金、同金、4二金、5三金打……。
あれ? 同じ手順が、延々と続いてない?
何度目かの金打ちで、円ちゃんは溜め息を吐く。
「千日手だな」
「せんにちて?」
「今みたいに、同じ手番の同一局面が4回現れることだ」
「4回現れると、どうなるの?」
「無試合。やり直しになる」
へえ、将棋にやり直しってあるんだ。初めて知ったよ。
「んー、じゃあこの局面は、最初からやり直しになるの?」
そんなことしたら、無限ループにならないかな?
私が心配する中、円ちゃんはぐるりと肩を回す。
「もっと簡単に逃げられないか? 例えば……」
「こいつはどうだ?」
これは……4一じゃなくて、4二に逃げたんだね。
金に近くなっちゃってるけど……。
「4三金って打つかな?」
「5一玉と引くぜ」
5一玉……いきなり遠くなっちゃった……。
「必至問題だから、詰めろか王手なんだよね?」
「そうだな。それ以外はルール違反だ」
詰めろか王手……詰めろか王手……。
あれれ、まともな王手が掛からないよ? 詰めろもないかな。
「どうだ? ありそうか?」
「……ないね」
「だな。4三金打としないで4四金も、5一玉で詰めろが途切れちまう」
そっか、だったら、4一玉と逃げたのが良くないんだね。
ちゃんと勝ちがあるんだもん。
「1四桂は、必至じゃねえな。……次は?」
次は……なるべく、簡単なのにしようね。頭がパンクしちゃうよ。
「2四桂にするよ」
「2四桂ね……ちょいと考えさせてくれ」
円ちゃんは口元に手を当てて、しばらく考えた。
円ちゃんでも即答はできないみたいだね。さすがは必至問題だよ。
「……よし、一通り考えたぞ。初手は?」
「初手は……」
3一玉は3二金の一手詰みだよね。
2二歩、2二香、2二桂、2二銀、2二角も同じ。
「2二金かな?」
2三金バージョンと違って、これで逃げ切れる気がするよ。何となく。
私が続きを考えていると、円ちゃんは早速、2三金と打ってきた。
え? 金の頭に金?
「さて、どう受ける?」
円ちゃんは、ポキポキと指を鳴らす。
こ、怖いよ……。
「と、取るよ」
「おっと、そいつは詰みだな」
……あ、そっか、詰みだね。うっかりしたよ。
「3一玉だと?」
「3二金打、同金、同金までだな」
……ほんとだ。じゃあ……。
「3一香車ッ!」
これで鉄壁だよ。どんとこい。
「ふむ……3筋の守りはできてるが……」
円ちゃんは金を摘んで、1二に打ち込んできた。
え? 香車の頭に金?
さ、さっきから、駒と駒がぶつかり過ぎだよ。
「同……香?」
同歩成、同金、同桂成……。
「あッ……」
「こいつも詰みだな。1二地点の枚数勝負で、こっちの勝ちだ」
あぅう……ごり押しされちゃった……。
どうすれば逃げられるのかな……。
1二金を取らなければいいと思うんだけど、取らないと反則だし……。
……………………
……………………
…………………
………………
ん? 逃げ道を確保しとけばいいんじゃないかな?
「香車の位置を変えるよ」
これでどうかな?
1二金打なら、3一玉、2二金寄、4二玉と脱出しちゃうよ。
円ちゃんはしばらく考えた後、諦めたように目を閉じた。
「……正解だな」
やったね。どんなもんだい。
「ただ、最初に2二玉で良くないか?」
え? 2二玉?
「……ほんとだ」
簡単だね。歩を守って1四金なら、3三玉。
3三玉を防止して3四金なら、1三玉、1五金、1四歩。
これはもう、どうしようもないよ。
「難しく考え過ぎちゃったね」
「ま、いろんな筋を読むのは、いいことだぜ。それじゃ、次に……」
「おいッ! 冴島ッ! 休憩は終わりだぞッ!」
野太い男子の声に、冴島先輩はびくりとなった。
「やっべッ! また後でなッ!」
立ち上がった円ちゃんの裾を、私はしっかりと掴む。
「な、何やってんだッ!?」
「宿題ッ!」
円ちゃんは一瞬ぽかんとなったけど、私の手を振り払って駆け出した。
あ、逃げちゃダメだよッ!
「3三金が必至かどうか考えろッ! それが宿題だッ!」
3三金は……えーと……。
これだね。
これが必至になるかどうか、考えるよ。
「冴島ッ! 1分遅刻だッ! グラウンド10周ッ!」
「あざーすッ!」
あ……何か悪いことしちゃったかな……。
後でしばかれないといいけど……大丈夫……だよね?
【今日の宿題】
最後の図が必至になっているかどうか、検討しなさい。
《将棋用語講座》
○必至
解除不能な詰めろがかかること。広義の詰みが発生しているということであり、相手の王様を即座に詰ませるか、相手が間違ってくれることを祈るしかない。詰め将棋と同様に、必至問題もそれ自体で独立したパズルとして楽しまれている。人にも依るが、基本的には、詰め将棋<必至の難易度であり、『将棋世界』などでも、詰め将棋の正解率>必至問題の正解率になることが多い。




