詰めろ
やっほー、今日から新しい週が始まるよ。
と言っても、もうすぐゴールデンウィークだけどね。
じゃ、部室に行こうか。
「こんにちはぁ」
私が部室のドアを開けると……あ、みんないるね。
今日は誰に教えてもらおうかな……と、その前に……。
「円ちゃん、円ちゃん」
私は、円ちゃんの学ランの袖を引く。
「ん、何だ?」
円ちゃんは、英語の教科書から顔を上げた。
あれ? 放課後も勉強?
「昨日ね、藤女の甘田って人に会ったよ」
円ちゃんは、あちゃーという感じで、頭に手をやった。
「あいつと会ったのか……」
「うん、公園でエアギターしてたよ」
「ハァ……ま、あいつにはかかわらないことだな……」
うーん、ちょっと変だけど、いい人だったよ。
パズルも出してくれたしね。
「でね、その甘田さんから宿題をもらったんだけど……」
私は椅子に座り、メモ帳に書いておいた図を再現する。
「これこれ、答え合わせしてくれる?」
私がお願いすると、円ちゃんはやれやれと首を振った。
勉強の邪魔しちゃったかな?
「いいぞ……ルールは?」
「王手の連続で、王様が詰むかどうか。合い駒の練習で、初手は9九香車だよ」
「ふむ……合い駒の練習ね……」
円ちゃんは、片足を椅子に乗せた格好で、盤面を睨んだ。
お行儀が悪いなあ。
「ちょいと考えさせてくれ」
「いいよ」
……30秒後。
「分かったぜ」
うわ、やっぱり速いね。
私は全部調べるのに10分かかったよ。
「木原の答えは?」
私の答えは……。
「王様は捕まるよ。どこに金を打っても、取って終わり」
私の答えに、円ちゃんは「ふーん」と返してきた。
なんか意味深だね。
でも、これは結構自信があるよ。
「例えば、9五金なら、同香、同馬、9二金だよね」
「ま、そりゃそうだな。……9三金は?」
「同香不成、同角、9二金」
同角のところで8一玉は、9二香成で詰みだね。
香車を成ったり成らなかったりするのがポイント。
「なるほどね……」
円ちゃんは、にやりと笑った。
ほら、やっぱり合って……。
「甘田のいじわるクイズに引っかかってるな」
え? いじわるクイズ? ……これが?
「どういうこと?」
「合い駒の練習には違いねえが……王様側の正しい応手は、こうだ」
そう言って円ちゃんは、いきなり角を上がった。
……うにゃ?
「か、角を捨てるの?」
「ああ、捨てるぜ。……どうする?」
どうするって……取るしかないよね……。
9三香成は王手にならないから……。
「9三香不成ってするよ」
「そこで、こう」
王様寄り……。
私は駒台に手を伸ばす……けど、角しかないね。
「ご、5四角ッ!」
私が角を打つと、円ちゃんはヒューと口笛を吹いた。
「いい手、知ってんな。6三金なら同角成、同馬、8二金までか……」
でしょでしょ、やっぱり捕まって……。
「だが、打たなけりゃどうってことはねえな」
円ちゃんは金を打たずに、7一玉と逃げた。
7二銀成、同馬、同角成、同玉……。
あうーん……詰まないね……。
「そっか……合い駒しないで、角を捨てれば助かるんだ……」
呆然とする私の肩を、円ちゃんが叩く。
いたた……もっと優しく……。
「どうせ甘田のやつ、『合い駒の練習』とは言ってないんじゃないか?」
……そう言えば、言ってないかも。
単に、「連続王手で王様が詰むか?」って訊いた気がするね。
うーん……いじわるクイズ……。
「ま、合い駒を教えてもらったなら、話は早ぇや。そろそろ『詰めろ』だろ?」
詰めろ? ……何か命令してるの?
「『詰めろ』って何?」
「『詰めろ』って言うのは、『詰み』が発生するひとつ前の、攻撃側の動作だ」
詰みが発生するひとつ前の、攻撃側の動作……。
言い回しが難しいから、例が欲しいね。
「例えば?」
「例えば、こうだな」
「攻撃側のターンと仮定するぜ。とりあえず、ここに歩を置く」
9三歩だね。
「さて、この後でもし王様が逃げずに、7二の歩を突いたらどうなる?」
王様が逃げなかったら……。
「歩を成って詰みだよ」
「正解。今は、『狭義の詰み』が発生してる状態だな」
そうだね。王手が掛かってて、かつ反則以外には逃げ道がないよ。
「そして、その前の9三歩が、『詰めろ』」
……そっか。さっきの定義だと、そうなるね。
詰みが発生するひとつ前の、攻撃側の動作のことだもん。
「でもさ……8一玉って逃げれば良かったよね?」
私の指摘に、円ちゃんは頷いた。
「その通りだが、『詰めろ』の定義と『王様側が正しく対処するかどうか』は、全然関係ないんだ。『もし2手連続で指せれば、即座に詰む状態』を全て『詰めろ』と呼ぶのさ」
もし2手連続で指せれば……。
なるほどね、さっきのは、9三歩〜9二歩成と連続で指せれば、詰みになるよ。
「2手連続で指せば王様が取れる場合も?」
私の質問に対して、円ちゃんは首を左右に振った。
「それはさっきの定義と違うな。『もし2手連続で指せれば、即座に詰む状態』は、『もし2手連続で指せれば、即座に王様を取れる状態』のことじゃないぜ。『詰み』は『王様を取る』ことじゃねえからな」
……そっか、詰みは王様を動けなくした状態だもんね。取ることじゃないよ。
最初の頃はずっと取ってきたから、注意しないといけないね。
「じゃあ、これは詰めろじゃないんだね」
私は確認のために、駒を動かしてみた。
5三飛成〜5一龍と連続で動ければ、王様を取れるけど……。
「ああ、それは違うな。詰めろじゃないぜ」
オッケー、難しいけど、ちょっとだけ理解したよ。
「ほいじゃ、早速、練習するか。説明だけじゃ、なかなか身につかねえからな」
そう言って円ちゃんは、次のように駒を配置した。
「まずはこいつだ。木原のターンだから、詰めろをかけくれ」
「りょうかーい」
整理するよ。
詰めろは、詰みが発生するひとつ前の、攻撃側の動作。
王様が正しく逃げるかどうかは、関係ないね。
詰みには2種類あって、狭義の詰みは、
1、王手がかかっており、
2、反則になる手を指さない限り、
3、その王手を解除する方法が存在しない状態。
広義の詰みは、
1、たとえ相手が最善の対応をしても、
2、次の自分のターンから王手の連続で、
3、狭義の詰みにもっていける状態。
だから……。
「こうかな?」
「よし、次に5二歩成とすれば、詰みだな」
だね。2手連続で指せれば即座に詰む状態、に該当してるよ。
「王様が4一に逃げれば詰まないけど、間違って6三歩なら詰むよね?」
「ああ、そこもポイントだな。本当に次で詰むかどうかは、関係ない、と」
オッケー、だんだん分かってきたかな。
「じゃ、次行くぜ」
円ちゃんは、駒の配置を変える。
「同じように詰めろをかけてくれ」
私は腕組みをして、盤面を睨んだ。
これはねえ……。
「……」
「どうかした?」
詰めろがかからないよ。
「5二香は、詰めろじゃないよね?」
「それは、ただの王手だな」
だよね。
2手連続で指せれば即座に王様を取れる状態は、詰めろじゃないよ。
4三香も6三香も詰めろじゃないし……。
私が考え込んでいると、円ちゃんがヒントをくれた。
「盤面を広く見ようぜ」
盤面を広く……あ、そっか。
「ごめん、簡単だね」
私は持ち駒の香車を持って、それを5九に打った。
「正解。次に5二銀成で詰みだな」
「これも、王様が4一か6一に逃げれば、詰まないよね?」
「それも正解。……じゃ、次で最後にすっか」
「よーし、こいつはどうだ?」
今度は……王様側に飛車がいるね。
「8二銀って打ちたくなるけど……」
「ま、そうしたくなるよな。けど、今は詰めろの練習だぜ」
だよね。飛車を取る練習じゃないよ。
まず、三段目は飛車で防御されてるからNG。
二段目は、8二銀も7二銀も詰めろじゃないよね。
となると……残ってるのは……。
「ここだね」
「正解」
やったね。全問クリアだよ。
私が喜ぶ中、円ちゃんは先を続けた。
「他には?」
……え?
私は小躍りするのを止めて、円ちゃんへと振り向く。
「他にあるの?」
「あるぜ」
あるんだ……気付かなかったけど……。
私は腕組みし直して、盤面を睨む。
……………………
……………………
…………………
………………
ないよ。円ちゃんの勘違いじゃないかな。
「うーん、分かんない」
私がギブアップすると、円ちゃんは銀を8三に置いた。
私は目を見張る。
「え? これは飛車で取られちゃうよ?」
私が抗議すると、円ちゃんは「へへ」と笑って言葉を継ぐ。
「ルールを思い出してくれ。王様側が正しく対処するかどうかは、関係なし」
「じゃあ、駒が取られるところに置いても、詰めろなの?」
「構わねえよ」
……そうなんだ。
詰めろっていうのは、正解とか、そういうことじゃないんだね。
2手連続で指せれば、即座に詰む状態。それだけなんだ。
「じゃあ、これも詰めろ?」
私は第1問に戻って、銀を歩の前に置いた。
「それも詰めろ。ちなみに、4一銀も6一銀も詰めろだな」
「両方、次に歩成で詰むだろ?」
王様にタダで取られちゃうけど、これも詰めろなんだね。
「うーん……何か納得が……」
「その気持ちは分かるぜ。だがよ、詰めろは正解手のことじゃないんだ。定義に該当するものは、あくまでも全部詰めろ。詰めろが悪手ってことも多々あるぜ」
詰めろ=正解じゃない。これは覚えておこうね。
「ちなみに、こういう状態を、『詰めろがかかっている』と言うんだ。『詰めろ』が行為なのに対して、『詰めろがかかる』は状態だな」
ふむふむ、また専門用語が出てきたね。
ところで……。
「詰めろは、どういう役に立つの?」
私の質問に対して、円ちゃんは眉間に縦じわを寄せる。
「簡単な話じゃねえが……王様を捕まえる準備段階だな」
「準備段階? 準備段階は、広義の詰みじゃない?」
「広義の詰みが発生したら、王様は捕まっちまうだろ。広義の詰みは、準備完了の状態だ。広義の詰みを発生させる準備段階が、詰めろだな」
広義の詰みを発生させる準備段階……。
うーん、難しいね。例を使って説明して欲しいかな。
「例えば?」
「例えば……そうだな……」
円ちゃんはしばらく考えた後、盤の上に王様と金と歩を配置した。
「これは、狭義の詰みか?」
「狭義の詰み? ……違うよ」
っていうか、王手すら掛かってないよね。
「じゃあ、広義の詰みか?」
広義の詰み……でもないかな。
連続王手で捕まえられないと思う。
「違うと思う」
「うし、そこまではいいな。じゃあ、詰めろは掛かるか?」
詰めろは……。
「何通りも掛かるよ」
「例えば?」
「例えば……」
こうかな? これは、次に4一金打で詰むよね。
「うむ、そいつは詰めろだな。……じゃあ、その詰めろを解除できるか?」
えっと……詰めろを解除……詰めろを解除……。
「歩を突いちゃえばいいかな」
私はそう言って、5二の歩を5三に進めた。
「そうだな。それで詰めろが解除されてる。他には?」
他には……。
「えーと、歩の上に金を打っても、一応詰めろなんだよね?」
私は金を摘んで、歩の上に移動させた。
「ああ、それも一応は詰めろだ」
そう「一応は」詰めろなんだよね。次に4二金打で詰むから。
ただ、その前に5三歩で、金を取られちゃうけど。
「後は……こうかな?」
私は、金を3二の地点に置く。
指が離れた瞬間、円ちゃんはしたり顔になった。
「正解だ。……解除できるか?」
詰めろを掛けては解除、の連続だね。解除、解除。
……………………
……………………
…………………
………………
あれ? 解除できないよ?
「どうした?」
「ちょ、ちょっと待ってね」
私は、もう一度考え込む。
……………………
……………………
…………………
………………
やっぱり解除できないよ。
5三歩は4二金打。
4二金の受けは6二金打。6二金の受けなら4二金打。逆から打って詰み。
どんな種類の駒をどこに打っても、絶対詰んじゃう。
ってことは……。
「そっか、これって、広義の詰みなんだ」
「正解。うまく詰めろを掛ければ、広義の詰みが発生するのさ」
なるほどね、これはびっくりだよ。
だったら、詰めろは詰みの準備段階だね。
「面白いね。何か問題出してよ」
私の催促に、円ちゃんは腕時計を確認する。
ひ、左手にしてるんだね……そこまでしなくても……。
「わりぃ、今日は応援部があるから、また明日な」
あ、円ちゃんって、掛け持ちなんだ。
応援部だから学ランなのかな? 校則はどうなってるの?
「じゃ、せめて宿題」
私がそう言うと、円ちゃんは、ささっと盤面を作った。
「攻撃側のターンだ。『詰めろが何通り掛かるか?』を答えてくれ」
詰めろが何通り……パターン列挙の問題だね。
「りょうかーい」
「じゃ、また明日な」
いってらっしゃーい。応援頑張ってね。
【今日の宿題】
最後の図において、詰めろが何通り掛かるか、検討しなさい。なお、攻撃側が先に動くものとする。
《将棋用語講座》
○詰めろ
的確に対応しなければ、次のターンに詰みが発生する状況、あるいは、的確に対応しても、次のターンに詰みが発生する状況を、詰めろと言う。ここで「詰み」とは、広義の詰みと狭義の詰みの、どちらであっても構わない。実戦において非常に重要な概念で、終盤はお互いに詰めろを掛け合い、解除不能になった側(広義の詰みが発生した側)が負けになる、というのが、通常の決着方法である。