詰みの定義2(広義の詰み)
昨日、帰って宿題やったんだけど……。
あっさり分かっちゃった。部室にいたとき、何で気付かなかったのかな?
前から思ってたけど、将棋って、簡単なことが盲点になり易いよね。
これも将棋の醍醐味かな。
「こんにちはーッ」
私が部室に入ると……あ、ちゃんと歩美ちゃんがいるね。
いないと、答え合わせができないから、良かった。
今日は眠そうじゃないね。ちゃんと寝たのかな。
「あら、もう来たの?」
もうって、放課後だよ。
「答え合わせしよ」
私が盤の前に座ると、歩美ちゃんも席についた。
「えっとね、間違っていたのは銀飛で……」
こうだね。3つの条件、
1、王手がかかっており、
2、反則になる手を指さない限り、
3、その王手を解除する方法が存在しない。
を全部充たしてるよ。
だから、銀飛がステイルメイトっていうのは間違いで、詰みだね。
「正解。じゃあ、次、行きましょ。と、その前に……」
歩美ちゃんは、盤面の駒を動かして、別の局面を作った。
「この状況で、王様側の番なんだけど……詰んでるかしら?」
んーとね、これは……。
「詰んでないよ」
「正解……なんだけど、実はね、将棋の世界では、これも『詰んでる』って言うの」
??? 意味が分からないよ。
だって、これは王手がかかってないよね。
しかも、ステイルメイトですらないよ。歩を突けば反則にならないもん。
王様は反則をせずに逃げることができるから、2の条件も充たさないよね。
「それって、おかしくない? 詰みの条件を全然満たしてないよ」
「そう、満たしてないわ。だけど詰みには、ふたつの種類があるのよ。ひとつは、昨日教えた『狭義の詰み』。今日は、『広義の詰み』について話すわね」
うわーん、最近、用語が多過ぎるよ。
でも、頑張って勉強しないといけないね。
えーと、狭義って言うのは、「本来の意味では」ってことだよね。
広義は、「二次的な意味では」かな?
「狭義の詰みは、王手が解除できない状態だよね?」
「そう、そして広義の詰みは、次のように定義されるわ」
歩美ちゃんは、ホワイトボードに要件を書き始めた。
1、たとえ相手が最善の対応をしても、
2、次の自分のターンから王手の連続で、
3、狭義の詰みにもっていける状態。
うぅ、さっきの定義より、難しくなってるね。
例題を手掛かりに、少しずつ整理していこうか。
まず、相手が最善の対応をするんだよね。
この局面だと……9三歩か8一玉かな? 8二玉は反則だから、最善じゃないよ。
でも……。
「9三歩としても、8二銀成で詰みだよね?」
あるいは、8二歩成でも詰みだよ。8一玉も一緒。
「その通りよ。こういう状態を『広義の詰み』と言って、普通は単に『詰んでいる』というの。ただ、ここで『詰んでいる』っていうのは、『狭義の詰み』とは別。問題なのは、普段将棋を指すとき、この『狭義の詰み』と『広義の詰み』を区別せずに、どちらも『詰む』とか『詰んでいる』と表現することね」
ええ? それってどうなのかな?
「紛らわしくない?」
「んー、紛らわしい気もするけど、会話に支障は出ないわよ。日常生活でも、『景色を味わう』は『景色を見て楽しむ』の意味だけど、『料理を味わう』は『料理を食べる』って意味でしょ。両者を混同して、『景色は食べられない』なんて言う人がいないのと一緒ね」
そう言われれば……そうかな……。
何か、凄く難しい話になってる気がするけど……。
「分かったよ。この局面も、詰んでるんだね。他にもあるのかな?」
「無数にあるわよ。いろいろ見ていきましょ」
そう言って歩美ちゃんは、いろんな駒の配置を見せてくれた。
【第1図】
【第2図】
【第3図】
「それぞれ、王様側のターンと仮定しましょ。まず、1番目はどうかしら?」
1番目は……。
「詰んでるかな」
「どっちの意味で?」
「広義の詰みだよ。8一玉と逃げられるけど、8二銀成で狭義の詰み」
「正解。じゃあ、2番目のパズルは?」
2番目は……。
「これも詰んでるよ」
「どっちの意味で?」
「狭義の詰み」
私の答えに、歩美ちゃんは眉毛をぴくりとさせた。
「ほんとに狭義の詰み?」
ん……これは、間違いだって言ってるね。
検証するよ。狭義の詰みの条件は……。
1、王手がかかっており、
2、反則になる手を指さない限り、
3、その王手を解除する方法が存在しない。
だよね。
8二銀で王手がかかってるから、1は充たしてる。
問題は、2と3だけど……。
「あ、ごめん、これは8二金で、一回王手を解除できるね」
「ということは?」
ということは……。
「広義の詰みだよ。8二金、同歩成で、初めて狭義の詰み」
「正解。広義の詰みは、最初に王手がかかってるかどうかと関係ないから、そこを注意してね。あくまでも、その次のターンから、連続王手で狭義の詰みにもっていけるかどうか」
はーい。王手=狭義の詰みと勘違いしてたよ。
早とちりはよくないね。ゆっくりやっていこうか。
「じゃ、3番目に移りましょ。これは?」
3番目は簡単だよ。
「1九角成に7一龍ッ!」
これで王様はガード不能。狭義の詰みだよ。
「うーん、正解と言いたいけど……もうちょっと粘れない?」
「え?」
私は、もう一度、盤面を見つめる。
「嘘だ。これで詰んでるよ」
「もちろん、その状態は詰んでるわ。ただ、王様側の対応が、あっさりし過ぎね」
歩美ちゃんはそう言って、角を7三に動かした。
え? 何コレ? 龍の前に角を捨てちゃうの?
「こんなの取っちゃうよ」
私は喜び勇んで、同龍とした。
「それはダメ」
「何がダメなの?」
「広義の詰みの定義を思い出してみて」
思い出すよ。広義の詰みの定義は……
1、たとえ相手が最善の対応をしても、
2、次の自分のターンから王手の連続で、
3、狭義の詰みにもっていける状態。
だよ。チェックしていこうね。
「……そっか、同龍は王手になってないから、2の条件を充たさないね」
「正解。広義の詰みになってるのは、あくまでも連続王手のときだけよ」
「ってことは、3番は広義の詰みじゃないの?」
「広義の詰みよ。7三角でも、連続王手で狭義の詰みへもっていけるわ」
えぇ……ほんとかなぁ……。
7三角に同龍でダメなら……。
私がうんうん唸っていると、歩美ちゃんは人差し指を立てた。
「じゃ、これは宿題」
うわーん、そうなっちゃうよね。
でも、これが広義の詰みだって、ちょっと信じられないよ。
連続王手っていう条件が、すごく厳しいな。7三角を取って勝ちなのに。
「さっきのは、王様側が先に動いたわね。今度は、攻撃側が先に動きましょう」
歩美ちゃんは駒を集めて、また新しい図を作った。
【第4図】
【第5図】
【第6図】
「まずは、4番目から」
これは簡単だね。即答するよ。
「8一飛成、同玉、8二金だよ」
「正解。開始時点では広義の詰み。8二金の時点で狭義の詰みね。5番は?」
5番は……。
んー、盤の上には、歩と桂馬しかないね。
このコンビは、確か弱いんだよ。
歩を成っても、同玉だし、桂馬を成っても、同玉。
……………………
……………………
…………………
………………
初手は、持ち駒を使うしかなさそう。
8一に銀がいなければ、8二銀で詰むんだよね。狭義の詰み。
でも、この場合は8二銀に同銀と取られて……。
……あ、そっか。それでも9二銀で詰むね。
要するに、敵の銀を動かせばいいんだ。
「こうだね」
「正解。8二銀、同銀、9二銀ね。ちなみに、順番が逆でも詰むわよ」
え? そうなの?
……ほんとだ。9二銀、同銀、8二銀でも詰むね。これも狭義の詰みだよ。
「最後の問題はどうかしら?」
6番は……え、何これ?
こんなの詰むわけないよ。香車と桂馬のコンビは弱いもん。
「これ、問題が間違ってない?」
「間違ってないわよ」
歩美ちゃんは、自信まんまんに答えた。
ってことは、詰むのかなあ……。
「現時点で、広義の詰みってこと?」
「そう」
じゃあ、2の条件を充たすために、連続王手じゃないとね。
王手、王手……。
「えっと、飛車を打つしか、王手がないんだけど……」
「じゃあ、そうしてみれば?」
冷たいなあ、歩美ちゃんは。
……………………
……………………
…………………
………………
私は1分ほど考えて、それから溜め息を吐いた。
「詰まないよ。5一飛、7一馬、同飛成、同玉の後、角を打っても寄らないもん」
「……じゃあ、これも宿題ね」
うわーん、宿題が増えちゃったよ。
ほんとうに詰むのかなあ?
悲鳴を上げる私を無視して、歩美ちゃんは先を続けた。
「さて、これで『広義の詰み』の状態が、感覚的に掴めたかしら?」
うーん……簡単な形は、大丈夫かな。
1番、2番、4番、5番は、確かに広義の詰みだね。これは分かるよ。
でも、3番と6番は分からないな。
「一応」
私は、控えめに答えた。
「そんなに心配しなくても大丈夫。詰む、詰まないは、広義でも狭義でも、簡単に理解できるようなものじゃないから。プロでも読み切れないときはあるわ」
プロ? 将棋にプロなんているの?
初めて聞いたよ。どういう職業なんだろ?
「もうひとつ、この『広義の詰み』『狭義の詰み』は、説明のために導入しているだけで、普段は使わないから、そこも注意してちょうだい。部外者に『広義の詰み』って言っても、多分通じないわ」
「え? じゃあ、普通はどうやって区別してるの?」
「それはさっき言った通りよ。『風景を味わう』と『料理を味わう』を問題なく区別できるように、『広義の詰み』と『狭義の詰み』も、『詰み』の一言で処理されるわ」
それって、初心者には不親切じゃないかな? そうでもない?
「何回もやってれば、そのうち身に付くわ。日本語と同じね」
詰みは日本語だよ。将棋用語だけど。
ところで、桂先生も、詰め将棋って言ってたよね。
それって、このパズルのことかな? いかにもそれっぽいけど。
「ねえねえ、これって詰め将棋?」
私が尋ねると、歩美ちゃんは難しそうな顔をした。
「うーん、似てるけど違うわね。詰め将棋は、広義の詰みの中でも、もっと特殊なルールに服する分野だから」
あ、そうなんだ。
もっと縛りがきついパズルなんだね。
「ただ、今日やった中でも、4番と6番は、ほぼ詰め将棋よ」
「え? ……1、2、3、5番は違うの?」
「1、2、3、5番は違うわ。これは詰め将棋とは呼ばないから」
5番を除くのが謎だね。4、6番と、何が違うのかな?
どっちも、攻撃側から始めてる点は同じなのに。
あと、「ほぼ」って表現も気になるよ。
私が首を傾げていると、歩美ちゃんは人差し指を立てた。これも癖だね。
「じゃあ、次回は詰め将棋を説明しましょう」
やったね。どんどんパズルの種類が増えるよ。
今日は3番と6番を解いて、明日に備えようね。
歩美ちゃん、ばいばーい。
【今日の宿題】
〔1〕
下図は、広義の詰んだ状態である。これを狭義の詰んだ状態にしなさい。
なお、王様側が先に動くものとする。
〔2〕
下図は、広義の詰んだ状態である。これを狭義の詰んだ状態にしなさい。
なお、攻撃側が先に動くものとする。
《将棋用語講座》
○寄せ
将棋の中で、敵の王様を捕まえる行動のこと。王様を詰ませるのが将棋の勝敗基準であるから、最も重要なフェイズと言っても過言ではない。20世紀後半に入ってから、寄せの技術は格段に向上するとともに、それまで寄せではないと思われていた段階が、寄せの段階に移り変わったという歴史がある(端的に言うと、寄せが速くなった)。このあたりは、谷川浩司から羽生世代にかけての、終盤革命の影響が大きく、旧世代と新世代を区別する大きな分水嶺になっている。




