攻防の練習2
うーん、これ難しいね。
初めにどう指せばいいのかも分からないや。
今考えてるのは、全員で突撃する順なんだけど……つまり……。
こうだね。
これってさ、何か捕まりそうじゃない? 持ち駒に角金銀だよ?
特に、金は信頼できるから、押さえ込んでくれるんじゃないかな?
例えば……。
まずこう打って、下へ逃げられなくするよね。
でさ、この場面、7筋三段目に角を置いて、5筋二段目に金を置けば、詰むんだよね。こうやって、こうやって……。
ほらね。詰んだよ。ただ、問題はねぇ……。銀と角を2連続で打ってるから、私の反則負けなんだよね。まずは、王様に何か指してもらわないといけないんだ。もちろん、防御の手を指すよね。例えば……。
こうとかさ。ちなみに、同じ場所へ桂馬を打つと、7筋三段目に角を打って、王様を逃げてから6筋二段目に金を打てば、詰んでるよ。つまり、桂馬じゃ守りに効いてないってことだよね。
でね、私が今読んでるのは、ゴリ押し路線。
角を打って、そのまま潰せないかなあ?
ここで最初に思い浮かぶのは、桂馬で防御だよね。
とりあえず、銀で突撃してみて……。
これはちょっと厳しいよね。銀で突撃する順は、もう諦めてるよ。
銀の代わりに角を突撃すると……。
捕まりはしないけど、さっきよりずっといいかな。
もしかして、接近戦だと、銀>角? 角はサイドだけじゃなくて、直進もできないから、王様の捕まえるのに向いてない気がするよ。馬になると強いけどね。
ここで成銀を6筋三段目に移動できれば勝ちなんだけど……角で取られちゃう。移動できさえすれば、右端へどんどん追い詰めて、最後に銀打ちで勝ちなのになあ。かと言って、7筋二段目に銀を打って、角で取って、金で取って王様を逃がすのも、捕まらない気がする。何回かやってみたけど、どこかで角と金銀の交換とか、不利になっちゃうんだよね。
うーん……今回は、解なしなんじゃ……。
「痛ッ」
頭に何か当たったよ。
私が顔を上げると、数学の桂先生が、こちらを睨んでいた。
「おまえはさっきから、何をしとるんじゃ? 教科書の裏でこそこそと……」
あ、まずい。見つかっちゃった。
「えっと……これは……」
盤を隠そうとしたけど、もう間に合わないね。
うわーん、没収されちゃうかも。
将棋盤に気付いた先生は、白い眉毛を持ち上げた後、こほんと咳払いした。
「内職なら、放課後にやらんか」
あれ? 内職じゃないんだけど……普通に遊んで……。
どぎまぎする私を他所に、桂先生は教壇へと戻って行った。
何かよく分からないけど、見逃してくれたね。漫画とかは、全部没収する人なんだけど、何でかな?
……ま、いっか。授業時間も残り少ないし、ちゃんと集中しよう、と。
○
。
.
「起立、礼」
「ありがとうございました」
ホームルームも、これで終わりだね。
結局、宿題は解けなかったよ。角の突撃バージョンを、仮解答にしておこうか。
私が鞄を持って教室を出ようとすると、担任の先生が声をかけてきた。
「おい、木原」
ん? 掃除当番だったかな? 違うよね?
「何ですか?」
「数学の桂先生が、あとで来いと言ってたぞ。何かしたのか?」
あ……これって、呼び出し……。
「えっと……身に覚えがありません」
あるけどね。赦してくれたと思ったら、放課後にお説教……。
悲しいなあ。
私はその場を誤摩化して、すぐに職員室へと向かった。なるべく早く済ませてもらわないと、部室に行けなくなっちゃうよ。
「失礼しまーす」
私が職員室に入っても、誰も反応しなかった。
ま、生徒にイチイチ反応したりしないよね。そこら中にいるし。
えーと、桂先生の机は……。あ、窓際だね。
「桂先生、来ました」
私が恐る恐る声をかけると、桂先生は書類の山から顔を上げた。
眼鏡の奥から、じろりと睨んでくる。
なるべくお手柔らかにね。
「木原、授業中に将棋なんか指しちゃいかんぞ」
あ、やっぱり将棋だってバレてたんだ……。
そりゃそうだよね。桂先生はおじいちゃんだし、知ってて当たり前かも。
「すみません……」
私は、反省した素振りを見せる。
いや、本当に反省してるよ。八千代ちゃんにも注意されたし。
「将棋部の顧問としての立場もあるからな」
「……桂先生って、将棋部の顧問なんですか?」
私が尋ねると、先生は椅子をこちらに向けて頷いた。
「うむ、幽霊顧問じゃがな」
あ、そうなんだ。道理で知らないわけだよ。
部室で一回も見かけたことないもんね。
「しかし、何をやっとったんじゃ? 詰め将棋には見えんかったが……」
詰め将棋? 何だか知らない単語だね。
「えーと……王様を捕まえるゲームです」
「王様を捕まえるゲーム? 必至問題か?」
??? 何を言ってるのか分からないよ。
というか、桂先生が顧問なら、訊けば教えてくれるんじゃないかな。
八千代ちゃんに、問題が解けなかったって言うのも、癪だしね。
「こういう問題です」
私は盤を取り出して、その上に駒を置き、ルールを説明した。
桂先生は一部始終を聞いた後、「ふむ」と溜め息を吐く。
「変わったルールじゃな。詰め将棋でもなければ、必至問題でもないのか……」
うーん、またまたよく分からない解説だよ。
「先生は、解けますか? 私が考えたのは……」
私は、角を突撃するバージョンを説明した。
腕組みをして聞いていた先生は、またまた「ふむ」と溜め息を吐く。
「それは、王様側がうまく指せば、逃げられそうじゃな」
だよね。私もそう思ってんだ。
でもさ、他にアイデアが思い浮かばないし……。
私がそんなことを思う中、先生は銀を摘んで、7筋四段目に置いた。
「初手にこれはどうじゃ?」
駒を取らないで、銀を打つんだ……。どうなんだろ?
「8筋一段目の角を成ると?」
「8二桂成から、ばらばらにするな」
ん? 今なんて言った? 聞き取れなかったよ。
「どうした? それじゃいかんのか? 8二桂成じゃぞ?」
「はちにーけいなるって何ですか?」
私が尋ねると、桂先生は意外そうな顔をした。
「なんじゃ、まだ始めたばかりか。……こうじゃよ」
ふーん……これが「はちにーけいなる」なんだ……。
あ、もしかして、8筋二段目に桂馬を成るってことかな?
後で八千代ちゃんたちに訊こう、と。今はパズルに取り組まないとね。
「角を成りながら取ります」
「銀で取り返すぞ」
「王様で取って……」
ずいぶん、さっぱりしたね。ここからどうするのかな?
私が迷っていると、桂先生は持ち駒の角に手を伸ばす。
「そして、こうじゃな」
角打ち……あ、これって、授業中やったのに似てないかな?
「えーと……7筋二段目に逃げます」
「6筋二段目に金を打つぞ」
「8筋一段目に逃げて……」
「そこで銀成りじゃな」
これは終わってるのかな?
王様が窮屈だけど、私はまだ駒を持ってるし……。
「銀で受けます」
「それは取ってじゃな……」
あ……詰んじゃった……。
「負けました」
「うむ、角成は、受けになっておらんな。馬が役に立ってないからの」
そっかあ、じゃあ、これが解答だね。これを持って行こう。
「ありがとうございました」
私がお礼を言うと、桂先生は額に皺を寄せる。
「こりゃ、まだ角成り以外を考えてないじゃろうが」
……あ、そうだね。全部考えないといけないんだよね。
えーと、初手が銀打ちで……。
歩を突くのは、角成りと同じで意味なさそうだね。だったら……。
「金を寄ります」
「うむ、これが厄介よの……」
持ち駒が、お互いにないんだよね。盤上の駒を動かさないといけないけど……。
「まあ、とりあえずはこうじゃろ」
そう言って桂先生は、6筋二段目に桂馬を成った。
桂成り……。銀成りと何が違うのかな?
「銀成りだと、ダメなんですか?」
「それは、進めてみれば分かるぞ。そっちはどうする?」
私は……。あれ? 何で私が王様側になってるんだろ?
……ま、いっか。どっちサイドでも、勉強になるよね。
「銀を取ります」
「ほい、それなら成桂で取り返すぞ」
うわ……成桂が角に当たってるよ……。
そっか、銀成りだと、金で取って桂馬で取り返したとき、こうならないんだね。
どうしよう? 角を逃げようか?
「……角を逃げます」
今回は、馬が強力なんじゃないかな? 角も凄く利いてるし。
私が受けの手応えを感じていると、桂先生は金を持ち上げた。
金を打つの? どこに?
え、ここに打つのは、1秒も考えてなかったよ。これは……。
「あ……次に成桂を動かせば詰んじゃう……」
「そうじゃな。7筋二段目の金が、馬の筋を消しておる」
うーん、どうしよう。捕まってる気はしないんだけど……。
「金を馬で取っちゃいます」
「もちろん、成桂で取り返すな」
これ、かなり安全になったんじゃないかな?
桂先生も、難しい顔をしてるよ。
「さて、これで木原がどう受けるかじゃの」
んー、どう受けてもいいんじゃないかな?
「角を成ります」
私が馬を作ると、先生は意外そうな顔をした。
「おっと、そういうぼんやりした手は……」
盤に角が打ち付けられる。
「……これは助からないですね」
「うむ、だからあの局面では、8筋二段目を受けんといかんな」
そっか……安全だと思ってたけど、勘違いだったね……。
私は盤面を戻して、じっと考え込んだ。
8筋二段目を受ける手って、そんなにないんだよね。例えば……。
「これはどうですか?」
私は、8筋一段目に銀を打つ。
「同じように角を打つな」
角で取ったら、銀で取り返されておしまいかな。
「金で受けますね」
私は8筋二段目に金を打った。狭いけど、こうしないと負けだもんね。
「単にばらばらは無理そうじゃな。……捻ろう」
桂先生は銀も金も取らずに、8筋三段目に銀を成った。
うわーん、何これ? 頭がごちゃごちゃしてきたよ。
整理するね。まず、この成銀は取れないよ。取ったら角で王様を取られちゃう。
だから、金で取るなら角、銀で取るなら成桂だね。放置はありえないよ。
……角の方が邪魔かな?
「角を取ります」
「ほい、と」
「……あッ」
私は喫驚した。
……王様で取って、銀を打てば詰みだね。
金が角の邪魔をしちゃってる形かあ。うっかりしたよ。
「戻します」
「うむ」
桂先生の同意を得て、私は局面を戻す。
金は動かせないんだ。じゃあ、銀で成桂を……。
私が銀を動かしかけたとき、桂先生の眉毛がぴくりと動いた。
ん、もしかして間違いかな? 成桂を取った後は……。
あ、そっか、それは8筋二段目に成銀を入って即死だね。
(※図は数江ちゃんの脳内イメージです。)
ということは、駒がいっぱいぶつかってるけど、指す手はひとつしかないんだ。
「角を成ります」
私が角を成ると、桂先生は深く溜め息を吐く。
「これよのお……とりあえず、成桂で取るが……」
うーん、どっちかな?
成桂を取るか成銀を取るかの2択なんだけど……。
さっきから、桂馬は守備にあんまり役だってないんだよね。
銀の方が欲しいかな。
「成銀を取ります」
「成桂で取り返すぞ」
ふええ……どんどん悩ましくなるよ……。
受ける手がいっぱいあって困っちゃう……。
とりあえず、8二に銀をもう一枚追加したいかな。
「桂先生」
私がうんうん唸っていると、そばで女性の声が聞こえた。
見上げると、知らない女の先生が、桂先生に話し掛けている。
「ん、何じゃ?」
「今度の中間考査のことなんですが……」
女の先生はちらりと将棋盤を見て、首を傾げた。
「何をなさってるんですか?」
「あ、いや、何でもないわい」
桂先生は慌てて将棋盤を私に返す。
よく考えたら、先生も仕事中なんだよね。
「この先は、自分で考えるんじゃな。何となく、捕まりそうじゃがの」
そっか……桂先生は、王様が捕まると思ってるんだね……。
私には、難し過ぎるかな。もっと考えないと。
「それじゃ、失礼しました」
私は将棋盤を持ったまま、職員室を後にする。
初手銀打ちの局面を八千代ちゃんに訊いてみよ。案外、答えられないかもね。
うふふ。
【今日の宿題】
下図において、王様が捕まるかどうか、検討しなさい。
なお、次は攻撃側のターンとする。
《将棋用語講座》
○将棋部
将棋を指す人々の集まりで、ある程度の組織性があるもの。小学校〜大学までの教育機関だけでなく、一般私企業にも存在する。多くは「○○将棋部」(○○には学校名や企業名が入る)という名称だが、「愛棋会」「棋道会」「将棋研究会」「将棋クラブ」「将棋愛好会」などのバリエーションも豊富。これらの名称からも分かるように、「棋」の文字を入れることで「将棋」を意味させることがある。なお、どのような名前であれ、「○○の将棋部は〜」と呼んでも、通常は非礼に当たらないものと思われる(例:関東の大学間では、どのような名称であれ「○○大将棋部」としか言わない)。