攻防の練習1
昼休み。
私と八千代ちゃんは、学食でお昼ご飯を食べていた。
八千代ちゃんはきつねうどん、私は日替わりランチと菓子パン。
私がランチのハンバーグを頬張っていると、八千代ちゃんと目が合う。
「ん、欲しいの?」
でも、あげないよー。ハンバーグはメインディッシュだからね。
「いえ……よくそんなに食べられますね……」
私はお盆を見る。……多いかな? むしろ少ないくらいだけど。
まあ、お腹の具合は人それぞれだからね。
早めに注文したおかげか、全部食べ終わったときにも、まだ時間が余っていた。
私はトレイをテーブルの横に退けて、将棋盤を取り出す。
「朝の宿題、できたよ」
八千代ちゃんはナプキンで口元を拭きながら、少し驚いた顔をする。
「早いですね。いつの間に?」
「英語の時間にずっと考えてたよ」
「……そういうのは、暇なときとは言いません。学業を……」
「まあまあ、とりあえず答え合わせしようよ」
私は、1番目の問題を再現する。
「これは簡単だったよ。まずはここに桂馬を打って……」
桂馬は真っ直ぐ前に進めないから、相手の駒とぶつかっても取れないんだね。
それを利用した形だよ。
「王様を寄りますね」
八千代ちゃんは、王様を8筋一段目に逃げた。
「金をここに打つよ」
これで、どこに逃げても、次に王様は取られちゃうね。
最後の金を9筋一段目に打つと、逃げられちゃうから注意、注意。
「正解です。これは少々、簡単過ぎましたか」
いわゆるウォーミングアップ問題だね。
「次、行くよ」
私は駒を退けて、2番目の問題を作る。
「これはねえ、結構悩んだよ」
「初手に気付けるかどうか、ですね」
うんうん、そうだね。
「最初は飛車を逃げる順番を読んでたけど、正解は多分……」
こうだね。いきなり金を取るよ。
「角で龍を取ります」
これも予想通り。
私は持ち駒の金を手にする。
「ここに打つよ」
「正解です。飛車を逃げると、角で歩を取られて捕まらなくなります。角が前に進めないことを利用した詰みですね。これが角ではなく銀だと、金を取って回避できます」
そうだね。7筋二段目にいるのが角じゃなくて銀だと、詰まないよ。
「では、最後の問題をどうぞ」
最後の問題は、確か……。
こう。これは一番悩んだかなあ。
「最初は銀を取ろうと思ったんだけど、それは詰まないんだよね?」
「はい、王様を正しく逃げれば詰みませんね」
ただ、結構危なかった気がするんだよね。一応確認しとこうか。
「例えば、銀を取ってから桂馬を打つと?」
「この場合は、縦に逃げます」
「こうでも一緒じゃない?」
私は手を戻して、王様を7筋三段目の方に逃げた。
「いえ、それは危険です。銀打ちが王様と角の両方に当たりますので」
なるほどね。詰まないとは思うけど、ちょっと危険かも。
「王様を縦に逃げれば、同じ場所に銀打ちでも、角を成れます」
これはもう捕まりそうにないね。
「こうなると、馬がすごく頼もしいね」
「はい、こういうのを、『馬が強力で詰まない』と言います。というわけで、銀取りは詰まないわけですが、さて?」
「だから、こうするよ」
私は桂馬を持って、それを盤に打ち付けた。
いきなりの桂馬捨てッ!
「王様は動けないので、銀で取りますね」
この状態が狙い目だよ。8筋二段目に隙き間ができたから……。
「空いたところに銀を打つよ」
これで詰みだね。王様は動けないし、歩や角を移動するのは間に合ってないよ。
「合ってますね。ちなみに……」
八千代ちゃんは最初の局面に戻すと、桂馬の代わりに銀を打った。
「これでも捕まりますか?」
ん? これは……1秒も考えなかったよ。
「銀を取るよね?」
私はしばらく迷った後、7筋三段目の銀を取った。
「それは桂馬打ちで早く詰みます」
え? 詰むの?
目を白黒させる私の前で、八千代ちゃんは8筋三段目に桂馬を打った。
……ほんとだ、詰んでるね。王様を8筋に逃がせないよ。
「三段目の銀じゃなくて、一段目の銀を取ったら?」
「それも同じです。桂馬打ちで詰みます」
へえ、こういう形もあるんだ。勉強になるね。
「じゃあ、最初が銀打ちでも正解かな」
「……まだ全てのパターンを試していません。2手目をよく考えてみてください」
2手目……銀取りが良くないのかな?
「歩を動かしても角を動かしても、銀を成れば詰むよね?」
私は、それぞれのバージョンを試してみる。
「そうですね、歩や角を動かすのは、詰んでいます」
だったら……んー……。
「他に動かす駒がないよ?」
「盤上にはありませんが……」
ん? 盤の上にはない? 他にはあるのかな?
「……あ、そっか」
私は、持ち駒の角に気付いた。
王様は、盤の外側にも戦力を持ってたね。忘れてたよ。
「角を使えばいいのかな?」
「……試してみてください。ちなみに、詰むとも詰まないとも言っていませんので」
そうだね。詰むかどうかを訊いてるんであって、正解は言ってないんだよね。
先入観を捨てて挑むよ。
「とりあえず思い浮かぶのは……」
こうかな?
「さっきと同じように銀を成ると、角で取り返せるよね?」
「そうですね。これは銀を2枚持ってますから、おそらく詰まないでしょう」
ふむふむ、王様の護衛がしっかりしてるね。
「じゃあ、これで詰まな……」
「下ではなく上の銀を成ると、どうなります?」
上の銀? 7筋一段目の銀かな?
「それはこうして……あッ」
下の銀が邪魔になって、角が防御に参加できないよ。
「ごめん、すっごく簡単に詰んでた」
「いえ、謝る必要はありません。うっかりは誰にでもありますので。……他には?」
他には……角の打ち場所は多いけど、似たようなのばっかりなんだよね。
5筋五段目に置くのは、結局、1筋九段目に置くのと変わらないし……。
「こことここも詰むよね?」
「はい、それは受けになっていません」
うん、8筋二段目に、銀のどちらかを成って終わりだもんね。
だけど、これって、面白い。
八千代ちゃんは角を2枚も持ってるのに、防御できてないなんて。
どうやら、駒の移動力は、必ずしも攻撃防御の力に比例しないみたいだよ。
「もうありませんか?」
八千代ちゃんはそう言って、眼鏡を直した。
これは、まだあるって顔だね。考えるよ。
……………………
……………………
…………………
………………
あ、もう1ヶ所あったよ。
「これをまだ試してないね」
「はい、これをまだやっていません。……どうでしょうか?」
どうかな? 1筋九段の場合と同じようにやって……。
「あれ? 上の銀を成っても、やっぱり取られちゃう……」
「そうです。1筋九段からではなく、9筋三段から打つと、銀を取れます」
「じゃあ、これは詰まないんだね」
私が諦めると、八千代ちゃんは目を見開いた。
「木原さん、持ち駒を確認してください」
持ち駒?
私の持ち駒は銀と桂馬。八千代ちゃんのは銀だよ。
「これがどうか……し……あ、そっか」
私は桂馬を摘んで、それを角の前に打った。
「これで詰みだね」
「正解です。というわけで、ややカマをかけてしまいましたが、初手銀打ちでも王様は捕まるのです。将棋では、複数の可能性を読んで、成否を判断しなければなりません」
ひとつだけの手を考えずに、相手のベストを探さないといけないんだね。
大川先輩も、同じようなことを言ってたかな。
こういうのは、頭の体操になるね。
「相手の対応を、将棋では応手と呼びます。『応じる手』と書いて、『応手』ですね。この応手を適切に想定できるかどうかが、勝敗に直結してきます。自分に都合のよい応手だけを考えることを、勝手読みと言います」
あ、それ知ってるよ。初日に習った気がするね。
勝手読みは禁物。肝に銘じておくよ。
「持ち駒を覚えたことですし、相手の応手について考えてみましょう」
八千代ちゃんは最初の局面に戻して、それから王様側の銀を金と交換する。
「今度は、これについて考えてみましょう」
さっきと形が似てるね。違うのは、8筋二段目が金か銀か、だけだよ。
「同じように桂馬を打つよ」
「あれ?」
「今回は、成立していませんね。金は真後ろにバックできますので」
そうか、さっきのは、銀が真後ろにバックできないから詰んだんだね。
あんまりよく考えないで打っちゃったよ。反省。
「ちょっと考えさせてね」
「どうぞ。私はお茶を汲んで来ます」
八千代ちゃんが席を立った後、私は頬肘をついて盤を眺めた。
次に最初に思い浮かぶのは、7筋三段目の銀打ちだよね。
これはさっきは捕まったけど……今回は……。
(※図は数江ちゃんの脳内イメージです。)
これでダメだね。金は真横に動けるから、桂馬を取られちゃう。
うーん、前から思ってたけど、金って強いね。接近戦だと最強なんじゃないかな?
私がうんうん唸っていると、八千代ちゃんが戻って来た。
「どうぞ」
私の視界に、お茶が飛び込んでくる。
「私の分?」
「そうですよ? 要りませんか?」
要る要る。
「ありがとねえ」
八千代ちゃんと私は、食後のお茶を飲みながら、将棋に戻った。
「いい手は浮かびましたか?」
「……とりあえず、さっきと同じ手はダメってことが分かったよ」
「それも大きな発見です。この局面は、金が非常に強いですからね」
だね。金を何とかしたいんだけど……。
「ちょっと変かもしれないけど、王様じゃなくて金を先に攻めるよ」
私は桂馬を、わざと金に当たるように置いた。
八千代ちゃんの眉毛がぴくりと動く。おっと、好感触かな?
「その次に、どうしますか?」
「うーん……このままだと金を取られて詰んじゃうから、逃げるよ」
私は金を縦に逃げた。そして、あることに気が付く。
「あれ? これって銀を8筋二段目に打ったら詰んでる?」
「はい、それは詰んでますね。最後は桂馬か銀を成って……」
だよね。だったら、金は逃げられないよ。
「なんだ、じゃあ金を苛めればいいんだね。これで王様は捕まるよ」
私が万歳すると、八千代ちゃんは片手を伸ばし、角を置いた。
……あ、このパターンがあったよ。
「ここからは、宿題です。これで逃れているかどうか、放課後までに考えてください」
「うん、分かったよ」
5時間目は歴史、6時間目は数学だし、時間はたっぷりあるよ。
「但し」
八千代ちゃんはお茶を飲み干して、トンと茶碗をトレイの上に置く。
「授業中に考えてはダメですよ」
【今日の宿題】
最後図において、王様を必ず捕まえることができるかどうか、検討しなさい。
《将棋用語講座》
○〜が強力で詰まない
ある駒の縦横無尽に働いて、王様が詰まない状態になっていること。通常、「馬が強力で詰まない」か「龍が強力で詰まない」の、どちらかである(前者の方が多い)。「守りの馬は金銀3枚」とも呼ばれ、最も強力な守備駒は(状況にも依るが)馬であるとされる。