鴉を殺して
書くことなんて、ないはず。
三千世界の鴉を殺し、主と添寝がしてみたい。
風の吹く中、カラスが鳴いたからか、私はそんな詩を思い出していた。
この世のしがらみをすべて消して思いを寄せる人とゆっくり添寝をしてみたい。そんな遊女の心を歌ったものだというのが通説だ。
そして、そんな詩を思い出すたびに私の心にはある一人の男性が思い描かれ、胸が高鳴る。
ーーああ、私は確かに恋をしている。
彼は私の幼馴染で、そして想い人だった。
これと言って目立つようなところもなく、いわゆる普通の人なのだが、昔から一緒にいる私は彼が他の誰よりも優しいことを知っている。そしてその優しさにどうしようもなく惹かれてしまうのだ。
そんな彼の頼みだったから、私は必死に彼女と仲良くなろうとした。
コロコロと表情を変える子だった。
嬉しい時は嬉しい、悲しい時は悲しいと、何も隠すことなく表現する子で、そして、彼女はいつも一人でいた。
明るくて、話がつまらないわけではない。なのにどうして一人なのか。不思議に思っていたが、その理由を私はすぐに知ることになる。
簡単にいうと、彼女は正直すぎるのだ。思ったことを思ったままに言葉にする。それが他人を傷つけるかどうかを考えることもせずに。
最初の頃はこの子とうまくやっていくなんて無理ではないかと思ったものだが、私の誕生日、彼女が満面の笑みを浮かべて、
「こんな私と仲良くしてくれてありがとう」
その言葉を聞いた時に、何となくではあるけれど、彼が彼女に惹かれた理由がわかった気がした。
私と仲良くするということは、必然的に彼とも仲良くなるということだ。
はじめは本音を隠さない彼女を知って、彼ががっかりするのではないかと懸念したものの、それは杞憂に終わった。
恋は盲目ということなのか、始めか知っていたのか。
私しては、そこで失望でも何でもして、恋を諦めてもらった方がよかったのかもしれない。でも、そんなことよりも彼女が失望されることを私は心配してしまっていた。
気がつけば三人で行動することが多くなっていたが、その日は珍しく、私と彼女の二人で遊んだ、その帰りだった。
「月がきれいだね」
彼女が突然にそんなことを言い出すものだから、私は思わず目をパチクリとさせて驚いた。
すぐに、彼女ならこんなしゃれた告白はしないだろうな、と思って、自分のうぬぼれがおかしくなって、クスリと笑ってしまった。
「その言葉は、男の子に言ってもらいたかったかな」
私がそう言うと、彼女はどうしてかと聞いて来る。私が適当にはぐらかすと、彼女は頬を膨らませて、可愛らしく拗ねてしまう。
「でも、本当にきれいな月。いつか三人で見たいものね」
彼が交通事故にあって、その命を散らしてしまったと聞かされたのは、そんな矢先のことだった。
葬式や通夜に出て、彼の死顔や遺骨なんかを見ても、涙の一滴も出なかった。それ以上に喪失感が強すぎて、しばらくどんな風に生活していたかも覚えていない。
彼女とも何かを話した気がするが、私はただ相槌を打つだけで、内容なんてろくに聞いていなかった。
風が吹いて、カラスが鳴いて、私はゆっくりと目を開ける。
学校の屋上から見下ろす街並みは、人々の生活の明かりが漏れて、とてもきれいなものだった。
「まるで、あの日の星空のよう……」
でもその中に月は浮かばない。決定的なものが欠けていて、まるで私のようだとも思う。
柵に手をかけて乗り越えようとした時、屋上のドアが勢いよく開けられた。
何となく、そうではないかと思ったが、そこにいたのは彼女だった。
息を切らして、制服のままで。ずっと私を探していたのだろうか。
どうしたの、と私が聞くと、彼女は嫌だと答えた。
「嫌だよ、こんなの。こんな私と友達になってくれたのに、なのにいなくなっちゃうなんて嫌だよ」
彼女が近づいてきて、私に抱きつく。
「……お願い、もう、一人になんてしないで。また一緒に、同じ月を見て」
声がかすれていて、途切れ途切れで、涙を流しているのだと見なくてもわかってしまう。
私は彼女を抱き返し、そして泣いていた。
「ごめんなさい、あなたを一人にしようとしてしまって。またいつの日か、きれいな月を一緒に見ましょう」
いつからか、彼女の言葉が私の心に強く響くようになってしまったのは。
彼女の声が、私を彼のもとに行くことを押しとどめてしまう。
彼への恋心よりも、三人でずっといられるようにと願わせてしまう。
彼女の声が、言葉が鴉の声で、私はもう鴉を殺すことなどできはしない。
泣きつかれて二人で見上げた星空には、半分にかけた月が浮かんでいた。
もう少しだけ生きてみようと思った。少なくとも、この手につながれる彼女の手が離れていくまでは。
月がきれいだね、と彼女がつぶやく。
そうだね、と私が返す。
ーーああ、私は確かに恋をしていた。
解釈なんて人それぞれなはず。