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町と緑色の獣について

作者: ProudTanashima

 この話はファンタジーとして書かれだしたものですが、完成してみると何とも言い難い物語になりました。

 なお、「町長の長い話」の前半については、僕がかつて読もうとして挫折した物語にだいぶ影響を受けています。なのでその部分はオリジナルじゃない(ある種の二次創作?)といってもいいです。

町と緑色の獣について


一、十三年と130円


 僕が階段の掃除を終わらせたときに放送が流れだした。

「生徒の呼び出しをします。2年A組亜愛君、今すぐ和谷のところまで来なさい。繰り返します。2年A組アアイくん、今すぐワヤのところまできなさい」

 それはとてもはっきりと聞こえた。僕がつけているヘッドフォンから流れたのかと思ったくらいだ。もちろん僕は掃除中にヘッドフォンをつけるようなことはしていなかったし、学校に持ってきたりもしていないけれど、とにかくそれぐらいにはっきりしていた。

 問題なのは、僕が掃除を終えたときにいた踊り場にあるスピーカーの音量がオフになっていることだった。そしてこの校舎には、他にスピーカーがない。それどころか、敷地の反対側にある校舎を除けば校内のどこにもない。校内にスピーカーが二つしかないとは学校として問題があるかもしれない。それなのにはっきり聞こえた。妙なこともあるものだ。でもまあ気にすることでもない。音量最大にしても聞こえないならともかく、逆なら迷惑がかかる人はいない。耳を壊すこともないだろう。

 学校をでたあと、駅までの道の途中にあるコンビニに入った。この学校では、買い食いがとりしまられることはない。

 コンビニで買うのをチョコレートに決めたのは、そのチョコレートが普段188円のところを130円で売られていたからだった。普段の値段を知っているわけではないが、値札にそう書かれていたのだからそうなのだろう。

 ところが、僕がレジに板チョコを持っていくと店員は、188円になります、と言った。じゃああの値札はなんなのでしょうか、と聞いてみるとレジから出て値札を確認し、ミミズをふんだような顔をした。聞いてみると値下げは昨日までだという。僕はなるほど、と言った。なるほど。それにしても午後3時半になるまで気づかないなんて、この店の周辺には昼間チョコを食べる人がいないんだろうか?

 こんなことは十三年生きてきて初めてだ、十三年とは僕が思っていたより短いのかもしれない。店員にそう言ってみたが、聞こえていなかったのか反応を示さずに店員は、こちらの手落ちですので130円でお売りいたします、と言う。無料にするほどのことではないが何もしないのも気が引ける、という微妙な事案だったので、折衷案をとったのだろう。僕にしても異論はなかったので、130円をスイカで支払う。山手線を渋谷から代々木まで乗ったような気分になった。


二、二重の眠り


 終点渋谷駅で降りた僕は、山手線ホームに着く。普段と同じ経路をたどっているのだから、そうなるはずだ。だから僕は、ホームの看板もろくに確かめず、電車に乗り込んでしまった。

 けれど、座った座席から見えたその電車の電光掲示板には、

「JR山毛線をご利用いただき、まことにありがとうございます」

という文章が表示されていた。どうやらここは、山毛線という山手線とは別の路線らしい。何回見ても変わらないから見間違いではないだろう。ホームの看板にもそう書いてあったのだろうか?やれやれ、どうして今日は人生初めてのことばかりおきるんだろう?

 それから僕は、自分の眼がおかしくなっているのではないかという可能性について考えてみた。人生初めての経験にしても、そちらの方がずっとわかりやすい。そう考えるなら、JR山毛線なんぞ人生で初めて聞いたというもう一つの「人生初めて」は考える必要はなくなる。

 だが、この電車に乗るまで僕の眼は昨日と全く同じものをみていた。この電車に乗った瞬間に眼がおかしくなるというのはどうもいただけない。そんな不吉な電車があるはずがないじゃないか。それに、ホームや車内に他に乗客が一人もいないというのはどういうことだ?ホームは乗車前にみたのだから、まだ目はおかしくなっていないだろう。

 要するにどちらにしても変なのだ。そこで僕は、これは夢に違いない、ということにした。きっと本当は電車の座席で寝ているのだろう。電車の中で夢を見るほど深く寝るのは生まれて初めてだけれど。

そうと決まって安心すると急に眠気が襲ってきた。ひざに乗せたリュックサックに顔をのせる。夢の中で眠るのも初めてだろうか。人が覚えている夢は眠っている間に見たもののほんの一握りだ、と聞いたことがあるから、覚えていないだけで二重に寝たこともあるのかもしれない。そこまで考えたところで意識が途切れる。


 三、山毛線の採算


 電車はトンネルを抜けていた。有名な一文を思い出す。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。この後どう続くのだろう?僕はその本を読んだことがない。そもそも僕は国境がコッキョウなのかクニザカイなのかすら分からない。

 僕が起きても、まだその電車は山毛線のままのようだった。あいかわらず渋谷から離れている。やはりこれは夢ではないのだろうか?現実が重くのしかかってくる。十三歳にして現実の重さをしるはめになるとは思わなかった。そしてあいかわらず車内には人がいない。採算はとれているのだろうか。

 やがて駅が見えてきた。電車はだんだんとゆっくりになり、駅にとまった。電車が駅にとまるのは当然の話なのだが、当然なことをひさしぶりに見た気がしてほっとした。

 リュックサックを背負い駅に降りる。ここで渋谷行きの電車にのれば問題ない。帰れるだろう。こんな路線にも駅はあるのだ。一方通行ということはあるまい。電車は去ったようだ。

 周囲をみまわす。他にホームはない。このホームには一番線しかないようだ。おかしい。渋谷行きがない。

 階段を探す。改札口におりるものが一つあるだけだ。降りる。駅員がいるかもしれない。駅員に聞けば分かるだろう。渋谷行きホームはどこですか?

 階段を降りたところに駅員らしき若い男がいた。僕はたずねようとする。でも駅員が先に口をひらく。

「渋谷駅からいらっしゃいましたか?」

「そうですが」

「そうですか」

駅員は微笑んだ。

「失礼ですがお名前は」

「なぜ名前をきくんです?」

「あなたが選ばれた方だからです。あなたはこの路線ができてから5963番目に渋谷駅を訪れた。だから山毛線に乗れたんです」

「5963番目だと何かあるんですか?」

「ある仕事をしてもらうために選ばれたんです。すぐに分かりますよ。とりあえずお名前を」

「渡辺ですが」

「なるほど。渡辺さん」

「何ですか」

「私と一緒に町長に会いにいきましょう」

「ここで駅員をしていなくていいんですか?」

「この駅が今後使われるのは、あなたが帰る時だけです」

「そう、僕はこれから渋谷駅に帰ろうとしているんですよ。なんでこの町の町長に会わなきゃいけないんでしょうか」

「山毛線ができてから5963番目に渋谷駅を訪れた方だからです。仕事をしてもらうためにあなたに乗ってもらったんだから終わるまで帰ってもらうわけにはいきません」

「さっきから気になっていたんですが、5963番目の僕以外にこの路線を使った人は今のところいないということですか」

「そうです。そしてこれから使われるのも、あなたが渋谷駅に帰るときだけです」

「この路線、採算はとれているんですか」

駅員は答えずにもう一度微笑んだ。


 四、駅員と支配人の間の互換性


 僕は駅員とともに駅をでる。道にはそれなりに人がいたが、駅員をみるとみんな道のはしにずれる。僕らは歩道の右側によっていたのでよけてくれなくてもとおれるのだが。

「駅員さん、あなたは何者ですか?」

僕がたずねると駅員はこちらをふりむいていった。

「私は駅員ではありません。いや、正確にはあなたをむかえるために駅員として駅にいることが仕事の一部ではありましたが。私の仕事は多岐にわたりますが、あえていうなら町がちょうどよい姿になるよう調節することでしょうか。『支配人』とよばれています」

「町長とはどう違うんですか?」

「かつては同じようなものでしたが、今では違います。町長は攻める者、私は守る者です」

 よく分からなかったが、とりあえず町の人々に嫌われているわけではなさそうだ。敬われているのだろうか。

 やがて建物のまえで支配人はとまった。看板をみるに町の役場のようだ。ここに町長がいるのだろう。二階建てとは思っていたより小さい。

支配人がいたからなのか、誰にも見とがめられることなく二階にあがる。町長室は二階の奥にあった。支配人がノックする。コン、コン、コン。ややあって扉が開く。

扉を開けたのは頭が禿げている太った男で、僕はなんとなくエルキュール・ポワロを連想した。この男が町長だろうか。支配人が紹介を始める。

「町長、こちらが選ばれた方です。渡辺さんというお名前です。」

「なるほど、あなたが選ばれた方ですか。この町の町長です。どうぞよろしく」

「はあ、こちらこそよろしくお願いします」

握手。町長が面白そうに言う。

「失礼ですがお年は」

「十三歳です」

「ほう。その割には落ち着いていらっしゃる」

「事情を説明してもらえないまま連れてこられて頭が混乱しているだけです」

僕がそう言うと町長は顔をあげて支配人を見た。

「渡辺さんに事情を説明しなかったのか」

 支配人は答える。

「話さなくても連れてくる分には支障はなかったんです。」

 町長の視線が僕にもどる。

「大抵のことなら答えられます。どうぞ聞きたいことをおっしゃってください」

「とりあえず、ここはどこなのか、僕に何をしてほしいのかを教えてください。引き受けられるかは分かりませんが」

「ここはどこなのか、ですか。それはお教えするわけには参りません。説明しても理解できるかは分かりませんが。」

「理解できるかわからない、とは?少なくともここは日本でしょう。日本語を話しているんだから」

「そのことはおいておきましょう。あなたにお越しいただいた理由、それはもちろん話します」

「僕はすすんでこの町に来たわけじゃないですよ」

「それはどうでもよろしいのです。結果をみるならどちらも変わらない。わざわざ意思などという不確かなものをもちだす必要はない。では、その椅子におかけになってください。場所を教えないかわりといってはなんですが、この町の歴史ならお教えできますよ」

「ではそれでお願いします」と僕は言った。正直なところなんだってよかったのだ。


 五、『壊す人』(町長の長い話・1)


「かつてこの町は森でした。周囲に村や町ができ、やがて人があふれるようになっても、森が村に変わることはありませんでした。この森には何かしらの力があって、切り開こうとする者に恐怖を感じさせ、あるいは怪我を与え、追い払っていたからです。

 しかしそんな森にもやがて集落ができました。森を切り開き、集落を作ったその一団を率いたのが『壊す人』でした。

 『壊す人』は一団の中で最初に森に入りました。そして十日間苦しみぬきました。その間仲間は森に入りませんでした。『壊す人』が苦しんでいることを知っていながら、冷静に待っていました。『壊す人』が、森に入る前にこれから起きることを仲間に伝えていたからです。『壊す人』は故郷にいたときからやがて起きることを正確に言い当てる能力がありました。『壊す人』が『予言する者』とも呼ばれたのはこのためです。

 森に入って十日後、『壊す人』は姿を現しました。全身が炭のように黒くなり、身体が幾分小さくなったようにも見えましたが、とにかくやってきました。そして『森の力はあらかた吸収した』と宣言しました。彼らは森に開けた場所をつくり、家や畑をつくりました。もはや森は彼らを攻撃できないほどの微弱な力しか持たないただの森になりました。『壊す人』は、吸収した森の力を使って森の木を根こそぎとったり加工したりしました。土を自由に動かすこともできました。このときから彼は『壊す人』と呼ばれるようになりました。

 やがて人がやってくるようになった集落はこの町になりました。森の大部分はすでになくなり、町は拡大する必要もなくなりました。『壊す人』はもう壊すこともなくなり、やがて老いて亡くなりました。

『壊す人』には息子がおり、彼は森の力を受け継いでいました。しかしもう壊すべきものはありませんでした。そこで彼は森の力を、町を正しい姿に導くために使いました。彼の娘もやはり力を持ち、町があるべき姿からずれると調整して正しい姿に戻しました。その一族は代々その仕事を行い、やがてその役職にある者は『支配人』と呼ばれるようになりました。


【僕は支配人の方へ顔をむけた。支配人は微笑んだ。血統と能力を持っていたから住民に敬われていたのだ。】


 やがてこの国に民主制が導入され、この町は町長を決めることになりました。町の住民は『支配人』を町長にするつもりでした。しかし、『支配人』は断りました。『壊す人』の予言に述べられていたからです。『やがて争いが起こり、その後に町の長は力を失う』と。住民は納得しました。適当な名士が数人立候補し、一人が当選しました。何十年もそれが続きました。

やがてこの国は他国と争いました。この町の住民にも召集状がとどくはずでしたが、『支配人』はその能力を用いて役人が町にたどりつけないようにしました。この町の住民が戦地へ向かうことはありませんでした。


【「なんだか卑怯な気もしますね」と僕は言った。先祖を卑怯と言われた支配人はムッとしたようだった。支配人は言った。

「もしこの町の者が戦地へ行って兵数が増えたところで無駄に消費されただけです。負けたことに変わりはない。『支配人』は自分が救いたい人を救っただけですよ。それも開戦時たまたま徴兵されていた住民は救えなかったんです。」】


やがて争いは終わりました。この国は負け、勝った国に占領されました。勝った国は二度とこの国が歯向かうことの無いよう徹底的に改革を行いました」


 六、緑色の獣たち(町長の長い話・2)


「改革には、戦時に公職についていた者を公職から追い出すこともふくまれていました。町長はその権力を失いました。『支配人』は町の中で争いが起きるのだろうと思っていたのでちょっと意外でしたが、とりあえず予言どおりになり、もう『支配人』が町長になっても大丈夫でした。しかし『支配人』は立候補しませんでした。もう町長は『支配人』とは別個の存在として確立されていましたし、町長を世襲制では改革に逆行するとして目をつけられる可能性もなくはないと思っていたからです。また適当な名士が数人立候補し、一人が当選しました。 町長が対外的にさまざまな活動を行い、『支配人』は町を導き守りました。町はまた元の町にもどりました。しかし、昨年の暮れ、異変が起こりました。

ある日、林業を営んでいる住民が森に行き、木々を眺めていました。


【「眺める?」僕は驚いた。「それが仕事だったんですか?」

「いえ、木々にどんな世話をするべきか見ながら考えていただけです。もちろんそれは仕事の一部ですから、眺めることも仕事だと言えます」支配人が説明してくれる。「いい腕ですよ。ちょっと変わった人ですが」】


 すると彼の目の前で突然土が噴水のようにふきあがりました。地面が割れ、盛り上がった土が砕け散りました。そして地面から茶色い爪のようなものが突き出しました。爪は周囲の土を勢いよくかきだし、大きな穴をつくりました。そして穴から緑色の獣が這い出してきました。

 緑色の獣は彼の方に向き直りました。獣は眼と爪を除いて緑色の鱗におおわれていました。腰をぬかしている彼の頭に、言葉が響きました。《私たちとてあなたがたをきずつけるのは気がすすまないですよ、けれどもう致し方ないことなのですよ、だからせめてその前に警告を行います、》緑色の獣のものらしいその声はそう言いました。そして住民は気を失いました。


【私たち、ということは緑色の獣は複数いるのだろうか。それにしても、町長は自分が見てきたように話す。あるいは活弁士に向いているかもしれない。】


 彼は倒れているところを発見され、病院に連れ込まれました。やがて彼は意識を回復し、自分の体験したことを語りました。もちろん最初は誰も信じませんでしたが、その後森で倒れるものが急増し、皆が同じことを物語るようになると信じないわけにはいきませんでした。

 私と支配人は対策を練る必要にせまられました。でも私はそれほど難しいとは思っていませんでした。というのも、緑色の獣たちは森の力なのだろうと見当をつけていたからです。『壊す人』が吸収したあと、長い年月をかけ森はその力を回復したのでしょう。そうと分かればあとは支配人に森を倒してもらえばいいだけです。

 しかし、ことはそううまくは運びませんでした。支配人の力は森の力です。互いに森の力を持っているために、力が反発して互いを攻撃できないのです。森の方も支配人を攻撃できないので、『壊す人』のように力を吸収することもできません。

 次に私は残された小さな森を消してしまうことを考えました。もちろんこれも駄目でした。切り開こうとするなら支配人が常に作業員の近くにいなければなりませんが、そうすると森の力から町を守る手だてがなくなります。森に近い町の一角に支配人がいる必要があるのです。

 私が次を思いつけずにいると、支配人が人の悪い笑みを控えめに浮かべました。


【どうやってそんな難しいことをやったのだろう、と僕は思った。】


 支配人は私に『壊す人』の予知夢の話をしました。ある時に『壊す人』は町の危機が救われる夢をみました。夢というのは起きると忘れるものですから、『壊す人』も大部分を忘れてしまいましたが、走り書きしたものが残っているそうです。『具現化した力の警告、5963番目の子供が緑色の獣たちを倒す』。それが走り書きの内容です。」


 七、未来の限定性


「そのあとは私が話しましょう」と支配人が言った。

「私は『5963番目の子供』がこの町を救うのだろうと考えました。『壊す人』が町を救う方法を書かないとは思えませんからね。そして私は5963番目の子供を探す方法を考えました。私は一族に伝わる術によって渋谷駅をこの町とつなぎました。そしてつないでから5963番目に渋谷駅を訪れたあなたを5963番目の子供と断定し、この町にくるよう誘導しました。大人も勘定に入れたのに子供が選ばれたことはこの方法が正しかったことを示しているといえるでしょう。つまりあなたにしてほしいこととは町のために緑色の獣たちを倒すことです」

 頭がくらくらした。やれやれ、だ。なんだってそんないい加減な方法で選んだ僕に町を託してくるんだ?

「子供が選ばれたのは偶然だと思いますよ。そんな方法で選ぶのだとは思えません」

 支配人が答える。

「いえ、どんなにいい加減に思える方法だろうと我々が選んだ限り問題はないんですよ。町は最終的には救われる、それは確かなんですから。どんな方法をとったところで選ばれた子供が町を救うことは変わらないはずです」

「なら僕を連れてこなくても町の子供から選べばいいと思いませんか?」

「引き受け手がいないんですよ。支配人のできないことを自分がやれるわけがないし、やれたとしても恐れ多いんだそうです」

「僕も恐れ多いのですが」

「さっきから私たちを馬鹿にしたような発言を繰り返している君がそんな殊勝な精神を抱いているはずがないでしょう」

「そんなことをいうなら引き受けませんよ」

「そんなことをいうなら渋谷に帰しませんよ」

「…」

「引き受けていただけますか?」

 僕は諦めてうなずく。満面の笑みをうかべる支配人と握手する。苦笑いをうかべる町長とも握手する。そして僕は支配人に聞く。

「さて、それで何をすればいいのですか?」

「そうですね、とりあえずは渡辺さんが泊まるホテルを見てもらいましょう」

「そんなのんきなことでいいんですか?」

「さっきも言ったように、どんな経緯をたどったところで選ばれた子供は町を救います。だから好きになさればいいと思いますよ。ただし、いつ終わるのかは定かではないので、さぼればさぼるほど帰るのが遅くなるのは確かだろうと思いますが。それでは私についてきてください」

「失礼ですが、宿泊代等はそちらの負担ですか?」

「当然でしょう。必要な費用は全てこちらで負担します。何か足りないものがあれば、言ってくれればある程度なら用意できます」

たいしたものだ。町を守るためとはいえ普通は誰でも代役になる生意気な子供にここまでしないだろう。


 八、130円のメロンソーダ(あるいは緑色の獣の夢)


 僕は支配人とともにホテルに着き、あらかじめ予約されていた部屋に入る。平凡なホテルだったが、それは僕の年齢に見合うホテルを探した結果かもしれない。これ以上高級なホテルに泊まることになったら僕は汚すことを恐れて使えなかっただろう。リュックサックを置いた僕は今のところ不満は全くない、と支配人に伝え、支配人が彼の泊まる部屋に入っていくのを見送った。自分の部屋に入ると急に眠くなった。気が遠くなる。あるいはこんな経験をしたせいで疲れているのかもしれない。僕はせっかく用意された新品のパジャマに着替えることもなく、ベッドに倒れこむと泥の中に沈み込むような眠りについた。そして夢をみた。だけどそれは夢ではなかったのだと思う。それは夢というにはあまりにはっきり現実とつながっていたからだ。

 僕はホテルの自動販売機に130円を入れた。ボタンを押してもメロンソーダは出てこなかった。《私たちとてあなたがたをきずつけるのは気がすすまないですよ、》メロンソーダに入った緑色の獣はそう言った。

「130円を返してくれないか」僕は言った。僕は大いに腹を立てていた。もう腹を立ててもいいころだ。130円ごときは気にすることはないかもしれない。けれどここ二か月近くの間に僕はしばしば自動販売機に金を奪われていた。まるで世界中の自動販売機が突如僕に反旗を翻す意思を固めたみたいだった。僕と自動販売機が十三年にわたって培ってきた、取引についての一種の信頼関係はいちじるしく損なわれていた。

《あなたがたと私たちの間には信頼関係などありませんでした、あなたがたは私たちを排除しようとしましたし、私たちは抵抗してあなたがたをきずつけました、》メロンソーダに入った緑色の獣はそう言った。

【しかし、】と町長が言った。【負けたことに変わりはない、】と支配人が言った。

《かつて私たちはあなたがたに敗れました、しかし私たちは生きています、かつての関係に戻るのは当然のことでしょう?》

 【5963番目の子供が緑色の獣たちを倒す、】と『壊す人』が言った。僕は自動販売機の透明な板を強くたたく。板はガラスのようにあっさり割れる。破片が僕の指をひっかく。でも僕は構わずメロンソーダに手を伸ばす。それは見本ではなく本物の缶だ。僕はメロンソーダを握りつぶす。やはりあっさり缶にひびが入り、缶からメロンソーダが滲み出る。メロンソーダのついた指がべとつく。床に落ちたメロンソーダが泡をたてて、緑色の獣が死んでいく。《致し方ないことなのですよ、】緑色の獣と支配人は何かの言い訳のように言う。僕はそれを聞いて後悔する。《だからせめてその前に警告を行います。》でも僕は警告を行えないのだ。僕は床の泡から目をそらす。


 九、史上最も重要な眠り


 翌朝本当にべとついていた手を洗ってから服を着替えた僕は音を聞く。コン、コン、コン。昨日も聞いた音だ、と僕は思う。町長室の扉を支配人がノックしたときに聞いた音だ。「いいですよ」と言う。支配人は興奮の面持ちで入ってくる。

「渡辺さんはたいしたものです。何をやったんですか?いや、あるいは何もやっていないのかもしれませんね、夕飯の時刻に呼びに行ったときには眠っていましたから。だとすれば渡辺さんは何もせず、ただいるだけで町を救うのかもしれません」

「ええ、昨日支配人がこの部屋を離れてから僕はずっと眠っていました」

「そうですか、いや凄い。では渡辺さんがただこの町で眠っているだけで緑色の獣を倒せる、というわけですか。今朝獣一匹の死体が発見されたそうです」

 でも僕ははしゃぐことができない。

「いや、僕は眠っていたけれどあるいは眠っていただけではないのかもしれない。すごい空腹感がします」

「そうかもしれません。働いたせいで腹が減っているのかもしれない。あるいは夕飯を食べていないからかもしれない。いずれにしてもあなたが緑色の獣を倒したのです」

 僕と支配人は朝食を食べた。味は良くも悪くもなかったが、僕は三食分くらい食べた。支配人も二食分は食べた。もしかして僕に合わせて昨日の夕食を食べていないのだろうか、と思い聞いてみると「昨日はあなたの分の夕食も頂きました」と答えた。普段から二食分食べているようだ。あるいは森の力も栄養補給するのかもしれない。

 それから町の役場へ行く。町長も興奮していた。二人に夢の話をする。夢の意味するところは明らかだ。

「つまり渡辺さんは、夢を見ることで緑色の獣を倒すことができる、ということですか」

「おそらくそういうことです」と僕は言った。

話はどういう仕組みなのかに移ったが、町長が言った。

「まあいくら考えたところで渡辺さんが獣を倒した、この事実は動きません」

「結果をみるならどちらも変わらない」と僕は言う。

「そのとおりです」町長が言う。「とにかく渡辺さんには可能な限り夢をみてもらい続ける必要があります」

 僕がいかに夢をたくさん見ることができるかがこの町の運命を握っているのだ。かつてこれほど重大な睡眠があっただろうか?僕は町長に激励され、役場を出る。ホテルに戻って昼食を食べる。僕は一食分を食べ、支配人は二食分食べる。支配人が聞いてくる。

「嬉しくないんですか?」

「そう見えますか」

「ええ。他の人には分からないでしょうが、私はかすかに感じることができます」

「そうみたいです」僕は答える。「緑色の獣を倒したくないんです。いや、緑色の獣が倒されるのは構わない。でも、それは僕に関係ないところで起きてほしいんです。たとえば中東で人が亡くなったと聞いたとき、僕は同情します。でもそれは、その人に個人として同情しているわけではないんです。五分後にはその人のことを忘れています。緑色の獣もそんなふうであってほしいんです。この町は本来僕とは関係ないのだから、僕に関係なく倒されるのが普通ですよね?」

「一般論ですが」支配人が言う。「遠くで起きている現実から目をそらすのは大切なことですね。中東の死にいちいち個人的に同情していたら自分が壊れてしまいます。」

「ありがとう」僕は礼を言う。

部屋に入ると、昨日と同じように理不尽なまでに暴力的な眠気が襲ってくる。腹を立てる気にもならず、夢をみる。


 十、一般論に救われること(あるいは二度目の緑色の獣の夢)


 僕はホテルの部屋で椅子に座っている。僕の部屋ではないようだ。そして僕の前におかれた緑色の椅子には緑色の獣が入っている。

《あなたは私たちを倒したくない、と緑色の獣は言う。でもあなたがたは私たちを倒さなければならない。》

「君たちを倒さなければならない人たちの中に僕は入っていないんだ」僕は言う。

《でもあなたは私たちを倒す、あなたに選ぶ自由はない、あなたは警告すらできない。》

【とにかく渡辺さんには可能な限り夢をみてもらい続ける必要があります、】と町長が言う。

「確かにこの町にいる限り僕は自分の意思に関係なく君たちを倒し続けることになる」

【結果をみるならどちらも変わらない、わざわざ意思などという不確かなものを持ち出す必要はない、】町長は言う。

「だから僕はこの町を出るしかない」

《当然そうなりますね、》緑色の獣は言う。《でもあなただけではこの町を出られない。町の住民が助けてくれますか?》

「僕はすでに君たちの一匹を倒した。予言にしるされた内容はすでに成し遂げられているんだ。たとえ僕がいなくなったところで、適当に帳尻をあわせて町は救われる。君たちを倒すことは変わらないかもしれないけれど」

《でもどう考えてもあなたに夢をみてもらうのが彼らにとって一番楽です。あなたを逃がす者がいるとは思えません。》

「いや、一人いるかもしれない。彼の言う一般論に従えば、彼は僕を逃がすことを選ぶ」支配人は最初僕を脅してまで仕事をさせたから、あるいは駄目かもしれないけれど。

【遠くで起きている現実から目をそらすのは大切なことですね、】と支配人が言う。【あくまで一般論ですが。】

《あるいは彼はあなたを逃がすかもしれません。彼は私たちに勝った者の子孫、大きな力を持っている。彼一人であなたを逃がすことができる。》緑色の獣が言う。《あなたの幸運を祈っています。》

「ありがとう」僕は礼を言う。

《あなたは私たちの内の一人を倒しましたし、あなたが逃げても私たちは倒されるかもしれない、でもそれは致し方ないことなのですよ。あなたの責任ではありますが、あなたにはどうすることもできなかった。》

「ありがとう」もう一度言う。僕は立ち上がり、ドアノブをまわす。そして扉を開け、部屋から出る。


 十一、意思と結果、逃げる


 目覚めた僕は部屋を出る。そして支配人の部屋へ向かう。扉をノックする。返事を聞いて中に入る。

「どうしましたか?夕食はまだですが」

「今から重要なことを言うから聞いてください」僕は息を吸い込み、支配人に僕の出した結論を伝えようとする。でも支配人が先に口をひらく。

「渋谷駅にお帰りですか?」

「そうですが」

「そうですか」

支配人は微笑む。

「渡辺さん、ご苦労様でした。あなたは予言にしるされたことをすべてやりとげた。渡辺さんのおかげでこの町は滅びずにすみそうです。到底お返しにはなりませんが、渋谷駅へのお帰りを全力で助けさせていただきます」

 僕は感謝してうなずき、満面の笑みをうかべる支配人と握手する。

「もう一人説得しないといけない方がいるのですが」

「町長ですか。おそらく説得しても無駄だと思いますよ。もうこの町が滅びることはないにしても、あなたにいてもらうのが一番楽ですから」

「あなたが説得しても駄目ですか?」

「無理でしょうね。下手すると私を裏切り者と非難してくるかもしれません。町民が私の敵になることはないでしょうが、役場直属の自警団は町長の意思で動きますから、あるいは政治生命をかけて私をとらえようとするかもしれません」

「でも一応話だけはしておきたいんです」と僕は言う。

「別に渡辺さんが話をするのは自由です。行きたいなら役場にお行きなさい。ただ、説得できるとは思わないでください」

「その後どこで落ち合いますか?あなたが駅にいないと僕は帰れないんでしょう?」

「必要ありません。適当な時に私がそちらに行きます」

「そうですか。ではまた後で」

僕はリュックサックを背負ってホテルを出る。やがて役場に着き、町長室に向かう。やはり見とがめられないが、あるいは今まで来たことを覚えられているのかもしれない。

「どうしたのですか、今朝も来たのに。支配人も連れていませんね」

「町長、重大なお知らせがあります」僕は言う。「僕はもう帰ろうと思っています」

 町長の目つきが鋭くなる。「どういうことですか」

「そのままです。僕が一匹獣を倒した段階で予言にしるされたことはすべて実現されました。もう僕がいてもいなくてもこの町は救われるんです。僕はいい加減に帰りたくなってきました」

「そうかもしれない。けれどあなたがいなくなったら事態の収束までにかかる時間はだいぶ長くなるでしょう。たとえあなたがどう思っていようと、この町にはまだあなたが必要なのです。あなたを帰すわけにはいきません」

その言葉を聞いて、僕の気持ちは驚くほど簡単に変わる。この人は最初から僕の意思を無視していたのだ、ということを思い出す。支配人が無駄だといった理由を僕は理解した。

「失礼ですが」僕は言う。「僕がこの町を去る、という結果をみるならどちらも変わらない。わざわざあなたの意思などというものをもちだす必要はない」

僕は身をひるがえし、ドアを開けて走り出す。一呼吸遅れて町長が何かを叫ぶのが聞こえる。階段にさしかかったところで町長室から人が走り出したらしい音を聞く。リュックサックが邪魔だ。そして僕が一階についたとき、横に唐突にドアが出現する。


 十二、鶏が先か、卵が先か


僕は驚き、思わず立ちどまる。ドアから手が伸び、僕を扉の内側に引き込む。扉が閉められ、暗闇になる。受付の人々は気づかなかったのだろうか?

「渡辺さん、お迎えにあがりました」支配人の声だった。彼は懐中電灯をつける。

「どうやら私は適当な時間に着くことができたようですね」

「この扉はなんなのですか?」

「前に私が渋谷駅とこの町をつないだという話をしたのを覚えていますか?それと似たようなものです。この扉は町のいくつかの場所とつながっています」

扉の反対側にあったのは延々と続くように見える螺旋階段だった。僕と支配人は歩き出す。はてしなく渦巻きながら下っている螺旋階段はDNAの模型を思い出させる。いや、DNAを螺旋状だと表現するからには、この発想は逆なのかもしれない。地震の被災地を報道する人物が「家々がまるで映画のセットのように壊れている」と言ったら僕は笑うだろう。でも、とさらに僕は考える。螺旋状の装飾が生まれたのは、DNAを持つゆえに生物が本能的にDNAと同じ形状のものを好むからかもしれない。そうではないとは言い切れない。僕はDNAについて何も知らないに等しいのだから、それに関するあらゆることを否定できない。

 やがて変化が起きる。階段が二股に分かれ、その先は階段ではなくなっている。支配人が左に進み、僕もそれに続く。そしてその先にある扉を開き、再び現れた螺旋階段を下る。今度の階段はさきほどより明らかに短い。僕と支配人は早足になる。やがて階段は二つに分かれる。今度も左に進み、扉を開ける。そして僕らは駅のホームにいる。ホームには二番線しかない。一番線は無くなっている。

「お別れです」と支配人が言う。「もう二度と会うこともないでしょう」

「お別れですね」僕も言う。「助けてくれてありがとう。できるだけ緑色の獣を倒さないようにしてください」もし倒されても、僕は多分知らないだろうけれど。

「確約はできませんが、努力します」

 電車がやってくる。だんだんとゆっくりになったそれは、やがて駅にとまる。電車が駅にとまるのは当然のことだ、と僕は思う。

 僕は電車に乗り込み、リュックサックを抱えて座席に座る。気の抜けるような音をたててドアが閉まる。支配人が僕にお辞儀をする。僕も立ち上がってお辞儀をする。僕が顔をあげる前に電車は動きだし、支配人は見えなくなる。僕は再び座る。

《あなたの幸運を祈っています。》椅子に入った緑色の獣が僕に言う。《致し方ないことなのですよ。》僕が倒した緑色の獣が言った。

【この町にはまだあなたが必要なのです。】僕にあまりに唐突に嫌われた町長が呼びかけてくる。支配人がそれをやめさせる。【致し方ないことなのですよ。】そして僕に向かって言う。【確約はできませんが、努力します。】なんでそんな言葉を断言するように力強く言えるのだろう、とおかしくなる。

僕は「さよなら」と言う。それを最後に、スピーカーの電源が切られるように、僕の耳は何の音も聞こえなくなる。僕は無音の世界で、これから戻っていく場所のこと、そしておそらく夕食に出るだろうカレーライスのことを考える。

 やがて暴力的ではない、穏やかな眠気が近づいてくる。僕は眼を閉じる。電車がトンネルに入るころ、僕は眠りに落ちる。

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