旅
ある平らで広い土地に、小さな村がありました。そこの家屋は整然と並んでおり、また良い田畑に美しい池、桑畑や竹林の類いがあり、縦横に通ずる畦道では鶏や犬の声も聞こえてきます。
その畦道を、見知らぬ男が通り過ぎていました。何しろこの村の人口は百余人程ですので、知らない人がいればすぐにわかるのです。中で田植えをしていたお百姓は彼に訊きます。
「おめェさん見ない顔だな、どッから来た」
「都の方です。旅をするのに、ちょっとここを通過するので」
「旅ねえ。こりゃまた何の旅だい」
「まあ、自分が何者かを知るのに遠くへ行くのです。都では元服したら、みんな旅に出るものですよ」
「へえ……ま、気ィつけて行きなされ」
男はそのまま畦道を歩き、遠くの山の方に消えていきました。他にもその男を見たと云う村人は何人かおり、やがて彼の真似をして自分を探す旅に出る者も多く現れてきました。近頃村長に話しかける者は、皆旅に出る前にあいさつを済ませる者だという程にです。
「おはようございます、村長さん。今から私も、自分探しの旅に行こうと思ってるんです」
「ほお旅かい。気を付けてな」
「村長さん。実は僕も、旅に出ようと思っていて」
「あんたもかい。ケガしなさんなよ」
「俺も今日から、旅に出るんです。村長」
「あ、ああ。達者でな……」
自分探しの旅は流行りに流行り、皆村を出ていきました。そうして遂に、村は村長だけになってしまったのです。田畑や家畜の世話も、道や溜池の掃除も、今や全て村長の仕事となっているのでした。
「──全く、こんなに散らかしおって。掃く方も骨が折れるわい」
しかし、それから幾月か経った頃のことです。ある日の朝、村長の家の簾を開けるものがいました。見るとそこには、暫く旅に出ていたはずの村人たちが一人残らず揃っていたのです。村長は目をまん丸に見開いて言います。
「お前たち……どうして、どうして今になって帰って来たのじゃ!」
最初に簾を開けた男は、軽い笑みを浮かべながら答えます。
「なーに、自分なんて探す必要なかったんですよ。自分を探しに遠くへ行く。そして遠くへ行くのに歩くのは自分。ほら、探すまでもありません」
帰ってきた村人たちはその日の内に、また以前の生活に戻っていきました。日が出れば作業をし、日が沈めば休息する。そして井戸を掘ってその水を飲み、また田を耕してその米を食べるのです。
(了)




