第五章 暁に眠る少女
草臥れた晩餐会を終えて、美しいショーは北極星に、別れを告げて…。時計の針が宵闇を告げる仕草に、思わず蝋燭の炎を探す。私は、心からのミュージアムに夜を知った。
「何してんの?髪も乾かさないで、外を眺めてさ。」
「…うーん、どう表現したら良いのかな?北極星とシロクマが通じ合う、夢を見てるとか?」
「ほう。俺に分からん単語を使うな。髪を拭け。」
頭上から白いタオルを落とされ、思わず呻き声をあげる。更に、彼がガシガシと髪を拭き始めたので、逃げ出そうとすれば、捕まって怒られた。
「おめえ、子どもじゃねえんだから。このくらい我慢しろ!」
「別に良いじゃない!君こそ、髪乾かしたの?」
「風呂から出て、すぐに乾かした。良いから、大人しく髪を拭かせろ。」
もう一度タオルを頭に乗せて来たので、それならドライヤーが良いと言う。そんな私に、彼は溜息を付きながらも、バスルームへドライヤーを持ちに行ったのだった。
「んで、外の様子を窺って何してたんだよ?」
「北極星とシロクマじゃ、満足しない?」
「そんな、お前好みの比喩使われたって、分かんねえよ。」
長い髪を暖かい風で乾かされながら、椅子の上に座る私は考えてみる。彼にランプが灯し出す、小さな部屋を模した、雄弁な言葉で伝えるべきか。それとも、ただ安らぐ本音を口にすべきか。背後に立つ、彼の方を振り返ろうとしたら、危ないだろうと注意された。
「夜景を見ていたら、私達二人の姿が映し出されると、思ったんだけどな…。」
「んん?」
ワイセイくんが、私の髪を持ち上げたまま、首を傾げているのが想像できる。ほんのりと優しい、夜に明るすぎない光が、私達が生きる部屋を夜の夢にする。そうやって、空想を言葉にするだけが、私が私である術なのだろう。
「君がいつも見つめてる、鏡と同じだよ。本当に私が、芸術と表現したいものが何か、探る為。夜に輝く者達を数え上げていたの。」
「そうか…。」
乾かし終えたのだろう。彼は、ドライヤーの風を切ると。テーブルの上に置いて、私をちらりと見た。普段は冷たいブルーに優しさが灯っている瞳が、少しだけ悲しそうに揺れる。
「だとしたら、お前は間違ってるよ。俺が鏡を見つめる理由は、そんな美しい物じゃない。」
「え?」
どういう事か、問い掛けたとしても。彼は教えてくれないのだろう。困惑した私に、片割れの青年は優しい表情を浮かべながら、もう寝るぞ…と告げたのだった。
「今日一日、ゆっくり休めて良かったよ。まあ、食堂はめんどかったけどな。」
「うん。ホットケーキ美味しかった。」
「また今度、作ってやるさ。」
私は窓際のベッドに、彼はその隣のベッドに。それぞれ横になって、暗くした部屋でヒソヒソと喋る。星明りがカーテン越しに、互いを照らしていて、私によく似た顔立ちの青年の姿だけ、暗闇に浮かんで見えた。
「本当に、続けていけるのかな…。私達の生き方を。」
「…さあな。」
PianistとDoll。今日一日は、彼の意図も汲んで考えないようにしていたけれど。ただ、演目を上映し続ける運命と。知らされぬ未来が、音楽と言う物語だけに生きる事を阻む。
「具体的な未来を描くなんて、誰にも出来ない。そうだろう?」
「だけど…私は…。」
「どうしたんだ、何か不安な事でもあるのか?」
月光が誰かを愛する様に、冷たい夜に流れ着く星々。青い夜明けを愛したまま、私の中に言葉は溢れ。けれど、いつか枯れていく。青年が気付かぬまま、壮大な音楽は…その先がない。
「何だろう…。眠くなってきちゃった。」
「なら、良いんじゃねえか?さっさと、寝ろよ。」
漠然とした後悔と、鈍痛が続く身体中に。終わりの意図を踏まえながら、私はおやすみと背を向けた彼に、小さく言葉を返したのだった…。
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「どうして、君は言葉を失くしてしまったの?」
少年が触れた、歪な身体のDollは、言葉も呼吸もなく。ただ、白銀に濁った瞳を、月夜に浮かび上がるピアノへと向けていた。
「このままでは、君は死んでしまうよ…。」
双眸から大粒の涙が溢れ、彼は自らのDollを呼ぶ。与えられる答えはなく、抱き締めても彼女が変化を見せる事はない…。
「僕は、絶対に君を死なせない。だから、お願い。僕の声を聞いて…。」
ピアノの鍵盤へ、彼の手が置かれる。自らの楽章を奏でる少年は、涙だけを流す不揃いな少女を見つめ。悲し気に瞳を震わせた。
二人の影を照らし出す暖炉の炎。森へと飛び去る梟、湖に浮かぶ月を眺めた小鹿。月光が降り注ぐ、神より愛されたPianistは。たった一人のDollを想う為の音楽へ、身を委ねたのだった…。