第九章 連星のメヌエット~Twilight Music~
「海底の囁きが、夕陽に反射して流れ着く。茜に染まった海岸へ、貴方の音が響く。」
「…ほう。」
鍵盤へ指先を置き、ガラス張りの天井を見上げる。優美な幕を下ろす様に、夕焼けが忍び寄った怠惰で、虚しさが心臓を締め付ける。呼吸さえ苦しくなって、瞳は壊された。
「告げられたメヌエットは、運命と女神からの祝福で、黄金色にリリックを導くでしょう…。」
「…んで?」
ようやく呟いた声は低く掠れていて、疲労に満ちた余韻が籠る。後に続く溜息を付きながら、俺は施行を崩して、黒鍵を滑らせた。
「雲の彼方へ、鼓音する♭の優しさが巧拙した共鳴。その崇高さを、観客は砕いてしまう。」
「つまり…結論を述べるなら?」
ぽわっとした視線で、つらつらと言葉を綴っていた少女から、張りつめていた力が抜ける。凭れ掛かってきた彼女を受け止め、俺は呆れた調子で濁音を溢した。
「…酷い、瞑想する感情の美しさを開錠できないの?」
「知らんわ。」
グランドピアノに備え付けられた、それほど心地の良くない椅子。二人で座るには狭いが、互いの鼓動を感じ取れる。鍵盤に置き続けていた、夕陽に染まる指を彼女に諭され、代わりに楽譜を握らされた。
「少しだけ弾いていかない?この場所は私たち以外は来ないもの。」
「そうだな…。」
多分、彼女は分かっている。俺が抱えた漠然とした苦悩と、この先へ繋ぐ未来への不安を…。俺は渡された楽譜に光色の因果を悟って、静かに目を伏せたのだった。
「奏でようか。たった二人、黄昏のMusicalを…。」
「うん。」
紫や橙に咲いた花弁が、風に吹かれて色彩が変容する夕闇へと散らされる。その一枚へ手を伸ばす刹那、俺は彼女に音調を伝え、少女は言葉を世界へと与え始めたのだった。
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「また…今日もダメだった。」
黒髪が夕焼けの柔い風に触れる。薄紫色の瞳は、雲がたなびく先を追うように、茜空へと向けられた。胸に抱き締められた、角の折れた譜面。か細く震える指先。聖職者のように洗練された佇まいは、彼の存在を美しく際立たせていた。
「僕の力が足りないのかな…。」
ぽつりと呟いた言葉。少年が力無く目を伏せたその時だった。
「音色…?」
微かに聞こえた旋律と、風に乗って聞こえる歌声。それほど上手くはないが、伴奏と調和して不思議なほど心を掴まれた。どんな言葉を綴っているのかは分からない。けれど、懐古の感情が触れる感覚に、少年は楽譜を強く抱いた。
「誰が…何の為に歌っているんだろう…。」
高く音が響き渡り、瞳を閉じて聞き入る刹那。伴奏が切なく彼女の声と共鳴していた。
「奇麗だ…。」
紫色の花が風に散らされた瞬間、楽譜が数枚彼の手から滑り落ちる。しかし、はるか遠くを見つめて、行き交う鳥達へ手を伸ばす少年は気付いてないようだった。
まだ巡り合わぬ彩色の Crescendo。美しい何かを飛び去る鳥、輪廻する曲調に求めたように伏せられた仕草。まだ凡ては噛み合わない、余韻の叙事詩だからこそに響き渡る黎明は、ただ寂しさと愁いを奏でて、洛陽を表現したのだった…。




