第311話 素通り
アルトイリス軍がアンクールの街を出発してから5日が経過し、すでにフォントラル侯爵領内のやや深いところまで進軍しているにもかかわらず、戦闘は一切発生していなかった。
リクレール以外の諸将は、フォントラル侯爵軍は近いうちに迎撃に出てくるのではと考えていたが、予想に反してフォントラル侯爵軍が本拠地プラージュ城から出撃したという報告はなく、むしろ彼らは籠城を決め込もうとしている様子がうかがえるとのことだった。
「リク、やっぱりフォントラル侯爵ビゼーは野戦を避けて籠城戦に持ち込むつもりのようね」
「ビゼー殿やその奥方のドロッセル様は、自らの所領を何よりも大切にする人柄ゆえ、我らが領内に土足で踏み入ることに嫌悪感を抱くと思うのですが……我らが略奪を禁じたことで、彼らは領内を荒らされる心配がないと高をくくったのでしょうかな?」
「んー……そうだね。僕も、ビゼーさんの性格ならすぐにでも迎撃に飛び出してくるかと思ったけど、もしかしたら誰かに入れ知恵されているのかもしれない。あの人も、ブレヴァン侯爵と仲がいいみたいだし」
ブレヴァン侯爵領まで進むのにあまり時間をかけられない現状、籠城戦などしている余裕はなく、フォントラル侯爵軍を野戦で撃破するのはほぼ必須事項だった。
リクレールたちはビゼーやドロッセルたちが領地に固執する性格であることを知っていたので、進行すれば迎撃に出てくると考えていたのだが、籠城戦を選択したのはやや想定外だと言える。
「で、どうするよ、侯爵様? 俺たちは攻城戦の用意なんざほとんどしてないんだぜ? 防備の薄いブレヴァン侯爵のセダン城ならまだしも、プラージュ城は南の大森林から来る魔族に対抗するためにそれなりに堅固な作りだ。今の兵力で攻略するなら、下手したら半年はかかるぜ」
会議に参加していたデルセルトが、やや面倒臭そうにリクレールにそう告げる。
だが、それを聞いていたアリシアが、何かを思いついたかのように挙手した。
「あのっ、だったら敵の本拠地は無視して進めばいいんじゃないですか? 敵が引き籠っているなら、誰にも邪魔されずに素通りできるんじゃないでしょうか!」
「いやいや、何考えてんだお前は? 敵軍にケツを向けながら進むとか正気の沙汰じゃねぇぞ!」
「ううむ、流石にそれはリスクがありすぎると思うぞ」
「や……やっぱり? ごめんなさい、あたしバカなこと言っちゃって…………」
「…………いや、いいんじゃないかな?」
『え?』
敵の本拠地を無視して進軍するというアリシアの案に、デルセルトやサミュエルは難色を示したが、ただ一人リクレールだけはその案に賛成した。
「し、しかしリクレール様……確かにプラージュ城は街道からやや外れた場所に位置するとはいえ、我らの進路とはさほど離れておりません。もし仮に行軍中の背後を突かれれば……」
「背後を突かれれば? そんなの……好都合じゃないか。だって、敵の方からわざわざ城から出てきてくれるんだから」
そう言ってリクレールはニィッと不敵な笑みを浮かべると、その場にいた人々は思わずぞっとしてしまった。
(あのお優しかったリクレール様が、このような大胆な策をなさるとは、分からぬものだ……)
(あえて危険を承知で敵を誘い出すのか!? なんつうクソ度胸だ、女みてぇな顔してんのにトンでもねぇことしやがる。俺もうかうかできねぇぞ!)
(リク……こんな怖い顔をするなんて、でも……ちょっとときめいちゃうかも)
様々な思惑はあったが、リクレールが自信満々に言うことに、誰も異論をはさむことはなかった。
敵が背後から出撃してくれば、これ幸いと反撃して壊滅させればよし、敵が出てこなければ戦わずしてブレヴァン侯爵領に進むことができる。
リクレールにとっては、どちらに転んでも利がある作戦だった。
『ふふふ、ご覧下さいませ主様。ヴィクトワーレ様や臣下の方々が、主様を畏怖しておられますわ。もはや彼らは主様に逆らうことはございませんわ』
(いやエスペランサ、戦いで僕の身体を操るのはいいんだけど、表情まで乗っ取らないでほしい……)
『良いではありませんか、かわいらしい主様と恐ろしい主様のギャップは、きっと臣下の心をつかむことでしょう』
(本当にそうかなぁ?)
いつしか自分の表情までエスペランサにいいようにされたリクレールは、流石に納得しがたいようで、心の中で抗議の声を上げるのだった。




