第31話 モントレアル領の戦い 10
「おいテメェら! 狼狽えるな、それでも誇りある魔族軍の戦士か! っ畜生、収拾がつかねぇ! せめて敵の大将をぶっ殺せれば!」
ヤンガラは大混乱に陥った自軍を何とか立て直そうとするが、普段から個人の武勇に頼って好き放題暴れる戦いをする魔族たちは、一度混乱してしまうと手の施しようがなかった。
彼は最後の望みをかけ、敵の大将を倒すことで相手の指揮系統の崩壊を狙うため、味方を強引に押しのけながら前に前に押し進むと……果たして、魔剣エスペランサを振るって仲間を次から次へとぶった切っているリクレールの姿を見た。
体つきから、とても戦い慣れてると思えないのにもかかわらず、背丈ほどの大剣を軽々振るう姿は、ヤンガラの目にもかなり奇妙に映った。
(コイツか……逃げてきた奴らが言っていたデッカイ剣を振り回すニンゲンってのは。ニンゲンのガキのくせに、動きがまるでドレイク族の剣の達人じゃねぇか)
だが同時に、なんとなくこの子供……リクレールこそが敵軍の総大将ではないかと目を付けたヤンガラは、得物の巨大な戦斧を握りしめ、リクレールの前に立ちはだかった。
「そこのニンゲン……テメエが敵の大将で間違いないか?」
「……そうだ」
「俺の舎弟どもを随分と殺してくれたな。魔族軍を罠にはめるたぁ、ガキのくせにふてえ野郎だ。だが、それもここまでだぁぁぁっ!!!!」
「っ!?」
身の丈10スリエ(約305cm)に迫る巨体から凄まじい質量を伴って振り下ろされる戦斧を、魔剣エスペランサで受け止めると、流石に今までとは比べ物にならない衝撃がリクレールの身体に伝わり、危うく後ろによろめきそうになった。
だが、リクレールはそのまま刃を滑らせて戦斧を受け流すと、素早く切り返して横に弾いた。
(だ、だだだ、大丈夫なのエスペランサ!?)
『むしろこれくらい手応えがあった方が面白いですわ』
(なんでそんなに余裕そうなの……)
『こんな図体が大きいだけの魔族より、さらに強い敵とも渡り合った経験がございますので。全く驚くに値いたしませんわ』
四肢が完全にエスペランサの制御下にあるせいで、とんでもない攻防を間近で見る羽目になっているリクレールはおびえるばかりだったが、エスペランサにとってはこの程度であれば余裕のようだったようで、ゴウンゴウンと暴風のように荒れ狂う戦斧を最小限の動きで見切り、逆にエスペランサの剣先が幾度もヤンガラの皮膚を掠った。
むしろ焦りが見られるのはヤンガラの方だった。
(このオレが、こんなニンゲンのガキに押されているだと!? ここで退くわけにはいかねぇが、しかし……)
ヤンガラが最も懸念しているのは、オーガ族のリーダーの一人としてのプライドではなく、脳裏に浮かぶ愛する妻と、まだ見ぬ我が子の姿だ。
(こんな所でくたばってたまるかってんだ! 俺にも、こいつらにも、帰りを待っている奴らがいる! なんとしてでも生きて――――)
猛烈な興奮で赤黒い顔がさらに真っ赤に染まり、目玉が飛び出かねないほど大きく眼を見開く。
ヤンガラは持てるすべての力を振り絞って、自分を翻弄する銀髪の少年を打ち砕こうとするが…………その直後、腹部を激し痛みが遅い、溜まっていた熱が噴き出すのを感じた。
「グ……グアァッ!? 畜生……て、テメェッ!」
「あ、アニキっ!?」
「お前ら、ヤンガラの兄貴を守れ!!」
隙を突かれて腹部を大きく切り裂かれたヤンガラがたまらず後ずさりすると、周囲の魔族兵たちはヤンガラを守るべく駆け寄ろうとした。
しかし、巨大な戦斧を強引に振り回すヤンガラと、大剣を振り回すリクレールが戦っていると、その近くにいると巻き添えを食らいかねなかったため、両軍の兵士が二人から自然と距離を置いていたのがあだとなった。
「とどめだぁっ!!」
「ウ、ウオオォォォッ!?」
魔族兵たちの加勢が間に合う前に、ヤンガラは胸から下腹部にかけて縦に深く切り裂かれた。
腹部に刻まれた真っ赤な十文字から大量の血を吹き出しながら仰向けに倒れるヤンガラ。
意識を手放す前に、舎弟たちが自分を助けようと次々にリクレールに挑んでいくのが見えたが、誰もが一撃で切り捨てられてしまう光景を見たのを最後に、彼は静かに、深く目を瞑った。
「マハルシア……マハルシア…………すまねぇ、俺は……帰れそうに……ない」
最期に愛する妻の名前を呼びながら、ヤンガラは息を引き取った。
そして、戦いの勝者となったリクレールは魔剣エスペランサを高らかに掲げて叫ぶ。
「見たか、性根の腐った卑劣な魔族軍ども! お前たちの総大将は、この僕、リクレール・アルトイリスが討ち取った!」
「すごいわリク! これは私も負けていられないわ!」
「リクがあのデカブツを殺ったぞ! 残っている連中を残らず血祭りにあげろ!!」
リクレールが総大将を倒したことを高らかに宣言すると、アルトイリス軍の士気は極限まで高まり、逆に魔族軍は大混乱の中で完全に戦意を喪失した。
「な……なんてことだ! ヤンガラの兄貴がやられた! もうたすからねぇぞ!」
「に、逃げろ! もうダメだ!」
「お……おい待てお前ら! 後ろにもニンゲンの軍が!」
魔族軍はもはやこれまでと、武器も防具も戦利品も、何もかも投げ捨てて退却を試みるが、そんな彼らの背後にさらなる絶望が立ちはだかった。




