第196話 ロディ渓谷の崩落戦 8
そうしている間にも、コンクレイユ軍は勢いを止めることなく、退却しようとする帝国軍の背中をひたすら斬り続けた。
その光景は戦いというよりも、一方的な虐殺であった。
「た、助けてくれぇっ!! 死にたくないっ!」
「後ろの連中は何をしているんだ! 早く戻れよ!」
「け、けど撤退命令がなくて……」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 邪魔するならお前たちを殺してでも退却するぞ!」
前衛の兵士たちは恐慌状態で撤退しようとしてくるが、後ろから登ってくる兵士たちにはまだ何が起きているのか理解していないようで、こうしている間にも麓からはまだ次々に上ってくる部隊がいる。
こうした命令の齟齬もあってロディ渓谷の中腹は大混乱に陥っており、中にはコンクレイユ軍から逃れようと味方すらも殺して撤退しようとする騎士や兵士たちも出るありさまだった。
そして、彼らが無秩序に大渋滞を巻き起こしているところに、コンクレイユ軍の新型投石機が石弾の雨を降らせ、密集していた帝国兵をこれまた多数戦死させた。
「なるほど……間近で見ると確かにすさまじい威力であるな。敵の立場でなくてよかった」
敵軍が多数の石弾の雨で潰されていく光景を見たベルリオーズは思わずそう呟いたが、すぐにハッとあることに気が付いた。
「伝令、すぐに投石機に射撃中止を命ずるのだ。これ以上は味方に当たりかねない」
「ははっ」
そう、投石器の攻撃は下手すると味方を巻き込む恐れがあるので、ベルリオーズは直ちに味方の投石機に射撃中止を命じた。
その後は伝令がいきわたったのか、自主的に発射を中止したのか、石弾が戦場に降り注ぐことはなくなった。
だが、だからと言って帝国本隊が優勢を取り戻したかと言えば、そのようなことは全くなく、むしろコンクレイユ軍の猛攻で今まで以上に恐慌状態に陥り、対には撤退命令も出ていないうちから大半の帝国兵が踵を返して逃げ出し始めた。
その光景もまた悲惨そのもので……特にコンクレイユ軍の猛攻を受けている前衛の兵たちは、逃げるのに必死なあまり前の方で逃げ惑う邪魔な味方を押しのけようとするなどしたので、ところどころで転倒する者が相次いだ。
そして、一度転倒してしまった者の大半は起き上がることができず、その背中を必死の形相で逃げ出す味方たちに蹂躙されることとなる。
こうなってしまえばもはや勝敗は決したも同然で、将軍たちはいかに兵士たちの損害を抑えて撤退するかに力を注ぐべき段階にあったが、愚かにもこの状況にあってなお断固として撤退を許さない者がいた。
「バカな、前線は何を揉めている!? これだけの大軍がおるのに、なぜあれっぽっちの砦すら攻め落とせないのだ!? 貴様らはそれでも誇りある西帝国の正規兵か! 進め、進むんだ、後退は許さん!」
坂を下って逃げ出してくる帝国兵たちを遮るように、白馬に跨って分厚い毛皮のコートを羽織ったシェムスタ侯爵ヴィシーニが、剣を振りかざしながら癇癪を起したかのように進めと叫び続ける。
しかし、その命令に従う者は一人もおらず、それどころか彼の周りにいた兵士たちは次々と逃げ出していく。
「お……おのれ! 貴様らそれでも栄えある西帝国の貴族か! 逃げるな、私の前に立って戦うのだ!!」
「ヴィシーニ様、もはやこれまでです。ここは一度撤退し、体制を立て直してから再び攻撃をかけましょう」
「黙れ! 私に指図するなっ!」
側近が諫めるが、ヴィシーニは全く聞く耳を持たずにそのまま剣を振りかざして逃げ出す兵たちを止める為、見せしめに背を向ける兵を剣で斬り殺そうとするも…………必死の形相で逃げ出してきた兵たちは、撤退を遮る貴族の侯爵を障害物としか認識していないようで、まるで土石流に飲まれるかのように馬ごとその場に引き倒された。
「や、やめろ! わたしを誰だと思って――――」
言い切る間もなく、ヴィシーニの身体は坂を転げ落ち、その上を大勢の兵士たちが容赦なく踏み越えていった。
逃げ惑う帝国兵に容赦ない追撃を敢行するコンクレイユ軍も、足元に転がっている物体には興味がないのか、貴族にもかかわらず誰にも拾われることなく、ボロ雑巾のように足蹴にされていった。
こうして、新しい西帝国でブレヴァン侯爵と共に権勢をふるうはずだったヴィシーニは、その肉体のほとんどが地面の染みとなり、残されたのが彼御自慢の分厚い毛皮だけという末路を辿ったのだった。




