第137話 アンナの偵察報告
『主様、お気持ちは察しますが、我々には他にもなすべきことがございますわ。あの二人はしばらくそっとしておくとして、我々は一刻も早く、ユルトラガルド侯爵家の状況を把握しなければ』
(ああ、そうだった。シャルがああなってしまった以上、僕たちの方で少しでも現状を確認しておかないと)
エスペランサの言葉ですぐに思考を切り替えたリクレールは、諸々のことをいったんメルティナに任せ、自らはサミュエルとゼークト、デルセルトらを伴って、執務室へと場所を変えた。
「まずはサミュエル、早急に知らせてくれてありがとう。おかげでシャルもなんとか、皇太子妃様の最後に立ち会えた」
「いえ、出過ぎた真似をしてしまい恐縮に存じます」
「出過ぎた真似だなんて……いや、それはさておくとして、サミュエルのことだからすでにブレヴァン侯爵家の動向を調査していると思うけど」
「はっ、それに関しましては、現在アンナが配下の者を各地に偵察に向わせております。間もなく何かしらの報告が上がることでしょう」
「アンナが?」
そんな話をしていると、噂をするとなんとやら、訓練係を務めていた青いフードを被った弓使いアンナが足早に執務室にやってきた。
「リクレール様、失礼いたします」
「アンナ! ちょうどよかった、サミュエルから君が偵察を派遣しているって聞いたんだ。今何かわかっていることはあるかな」
「はい、私からも火急でリクレール様にお伝えすべきことがございましたので。ところで、シャルンホルスト様は?」
「シャルは今、皇太子妃様が産後病で亡くなって気落ちしている。大事なことは後で僕から説明するよ」
「左様でございますか……」
「シャルンホルストのことを気にするとなると、奴の実家で何か良くないことでもあったか?」
「……ブレヴァン侯爵家が、ユルトラガルド侯爵領へと侵攻を開始しました。昨年秋から年末にかけ、急速に軍備を拡大しておりましたが、年始の3日後には軍が動員され、ユルトラガルド侯爵軍と交戦しております」
「くっ、やっぱりそうか。それで、戦況は?」
「5日前、国境の砦が陥落したとの報がありました。ユルトラガルド侯爵は野戦を避け、本拠地のリヴォリ城に籠城する構えを見せています」
「それが5日前の報告か。となると、今頃奴らはリヴォリ城に向っている可能性が高いな」
ゼークトの言う通り、この時代の伝令は距離によるタイムラグがあるため、それを計算に入れて敵が今どこにいるかを想定しなければならない。
ユルトラガルド侯爵もおそらくは隣国の軍備増強には気付いているはずで、理想を言えば国境沿いの砦で守り、それがだめなら領内の川で陣地を敷いて敵の進軍を阻むのが上策だろうが、それらをせずにいきなり本拠地で籠城戦を選ぶというのはよっぽどの事情があるとリクレールは考えた。
「しかし、国境沿いの砦は係争地だから、常に一定の兵力が駐屯していたはずだ。それなのにこうまで短期間で陥落させるなんて、いったいどうやって」
「……おそらくだが『調略』だろうぜ。あのブレヴァンの野郎は、そういった謀略が大得意な奴だ。国境沿いの貴族をどこかで寝返らせちまえば、国境に砦を建てて守ってようが無意味だ」
「となると、ユルトラガルド侯爵領の南半分は、実質失陥したも同然、か……シャルがこのことを聞いたらショックで寝込んじゃわないかな」
「流石にそこまで軟じゃねぇだろ。けど、気が気じゃないことは確かだろうな」
ただでさえ伯母が目の前で亡くなったというのに、それに輪をかける悲報を齎したときシャルンホルストがどうなってしまうのか、リクレールとゼークトは心配でならなかった。




