第106話 想定外の予兆
好事魔多しとはよく言ったもので――――翌朝早くから朝市を見に行こうとリクレールたちが準備していた時、親友のシャルンホルストが突然、紫鴉学級の生徒たちや担任だったウルスラを連れてアルトイリス家のタウンハウスにやってきた。
「リクっ、すまない! どうしてもすぐに話したいことがある!」
「ごめんなさいリクレール君、学校を辞めたばかりなのに、あなたを頼ることになるなんて」
「わっ、みんな揃って一体どうしたの!? と、とりあえず居間に入って」
もはや休日を満喫できる状態ではないと判断したリクレールは、すぐにメイドたちに外出の中止を伝えるとともに、友人たちにお茶を用意するよう言い渡す。
「それとレイ、君はトワ姉を呼んできてほしい。どうやらただ事ではなさそうだ」
「承知いたしました」
レイたちもせっかくの休日がフイになり残念だっただろうに、そのようなことはおくびにも出さず、駆け足でコンクレイユ家の館へと向かった。
ヴィクトワーレが来るまでは少々時間がかかるだろうが、その前にシャルンホルストたちの話を聞くだけ聞いておくことにした。
「俺もついさっき話を聞いたばかりなんだが……白竜学級をはじめとした3学級の生徒たちが『実戦演習』に向かったらしい。それもほ、ほかの学級に行先を知らせずにな」
シャルンホルストが言う『実戦演習』というのは、その名の通り士官学校の生徒が実際に軍隊に同行して戦場を経験するもので、場合によっては敵と直接戦って命のやり取りをすることもある。
やはり、将来の騎士や指揮官たる者、座学だけでなく実戦訓練を積むことは非常に重要であり、理論だけではないリアルの戦場経験が、将来大きく役に立つ。
リクレールも何度か実戦演習を経験したことがあったので、先のモントレアル侯爵領での戦いでも、エスペランサのサポートがありながらではあったが初陣でも問題なく兵を率いることができたのである。
「『実戦演習』……また突然だね。今の時期に行くってことは、セレネの魔族討伐軍についていく…………ってわけじゃなさそうだね。だとしたらみんながここに来る意味はない。まさか、西帝国に向かった、とか?」
「くくっ、流石は魔剣に選ばれし我が盟友、一を聞いて十を知る智の魔眼は健在のようだな」
「サンシール……それは褒めてくれてるってことでいいんだよね? とにかく、なんでそれがわかったの?」
「うむ、一昨日は休講日だったが偶々日の出とともに覚醒してしまったので、新たなる召喚術式の思案でもと思い、ベイレム川(※アルクロニスを通る南北二本の川のうちの南側)沿いを散策していたのだが……私は偶然にも見てしまったのだ、軍用桟橋から兵船に乗り込む士官学校の同胞たちの姿を。その時見た面々から判断するに、船に乗り込んでいたのは白竜学級、藍熊学級、黄獅子学級たちで間違いない」
「船? てっきりアザンクール山脈を越えていくのかと思ったけど、この時期に船なんて……北海航路は通れないはずなのに」
「いや、通れる方法があるのだ、リクレール。聞いたことはないか、北海に浮かぶ流氷から保護するために、船底を鉄板で覆った船を」
「あっ……そういえば聞いたことがあるかもしれない。オクシタニアの「自由交易都市同盟」が、冬の北海を進むために、船底と喫水を鉄板で覆った船を作ったって。サンシールが見た船がそれなら、確かに白竜学級たちは西帝国に向かったとみて間違いない!」
リクレールが言う通り、冬の北海は北極圏の大陸から流れてくる流氷の影響で、木造船が進むのは自殺行為に等しい。
だが、オクシタニア地方の西海岸沿いで、西帝国から独立して自治を保っている「自由交易都市同盟」という豪商たちの自治組織にとって、北海の交易路は文字通りの生命線であり、そのため大枚をはたいて冬の北海を進むことができるよう、船底を鉄板で覆った独自の大型船――「耐氷船」を建造したのである。
サンシールが偶然見かけたという、士官学校生徒たちが乗り込んだ船というのがその耐氷船だというのなら、彼らが西帝国に向かうのが確実であるだけでなく、西帝国内で兆しが見えつつある内乱の背後に都市同盟の商人たちが暗躍している可能性がある。




