第100話 エンヴェル先輩
リクレールとヴィクトワーレは、いくつもある厩舎に掲揚されている馬たちや、牧場に放牧されている馬たちをゆっくりと見て回り、よさげな馬がいないか確かめていく。
「リクは好きな色の馬とか、ある?」
「好きな色……だったら、黒色とか憧れるかも。ほら、僕の髪の色って銀色だから、その方が馬の姿も映えるかなって」
「リクじゃなくて馬の方が映えるのね……でも、私もそれがいいと思うわ。なるべく黒色の馬を見繕って――――」
「あ、ちょっとまってトワ姉、あそこにいるのは!」
「よさそうな馬見つけたの……って人?」
「おや、あの方の来訪も今日でしたか」
リクレールは別の厩舎の入り口前で厩務員と話す男性の姿を見て、一目散に駆け出していった。
「エンヴェル先輩! お久しぶりです、僕のこと覚えてますか!」
「おお、リクレールか。こんなところで奇遇だな」
「リクが駆けつけていったから誰かと思ったらエンヴェルじゃない、あなたに会うのも久しいわね。あなたもセレネたちと一緒に魔族討伐軍に参加するんですって?」
「やあヴィクトワーレ、君も来ていたのか。さしずめ君たちも壮行会に馬が必要になって買いに来た口だな」
エンヴェルと呼ばれた男はリクレールが所属していた士官学校のOBで、リクレールもよく世話になった人物だった。
長身で無駄のない広い肩幅に、灰金に近い淡い金髪は戦地でも乱れぬよう後ろで軽く束ねられ、重ねられた騎士鎧の上からでも節度と均整が見て取れた。まるで、鍛え上げられた意志そのものが彼の輪郭を整えているようだ。
士官学校時代は「青狼学級」の級長を務めており、単体の武力であれば圧倒的最強を誇っていた、若きの猛将である。
「君たちも……ってことは、エンヴェル先輩も馬を買いに?」
「ああ、今までウチは貧乏貴族だったから専用の馬なんて買えなかったが、壮行会に出るような騎士がそれじゃ困るってことで、こうして買い付けに来たってわけだ」
そう言ってエンヴェルは後頭部をぼりぼり掻きながら笑った。
「その様子だとずいぶん悩んでいるようですね」
「ああ、ここの牧場の馬は確かにどれも立派な風格をしているが……どうもいまいちピンと来なくてな。なんというか、少し大人しすぎると言おうか」
「あなたのことだから威勢のいい馬が欲しいんでしょうけど、おとなしい馬にした方がいいわよ。ちょっとした物音に反応して落ち着かなくなる馬は騎手を危険にさらすわ」
「ううむ、言われてみればそうか…………」
この牧場で繋養している馬は、どの馬も風格が立派だが同時にかなり落ち着くよう調教されている。
よく、おとぎ話の英雄や騎士が荒々しい馬を乗りこなしているが、実際の戦場ではヴィクトワーレの言う通り、気性の激しい馬は制御が難しく、戦いが困難になる危険性がある。
ヴィクトワーレもリクレールに勧めるなら、ちょっとしたことでは動じない穏やかな馬を選ぶつもりだった。
三人がそんな風に話していたところで…………牧場の裏手の方向から「グルゥォオオゥ!!」と地獄から来た怪物のような唸り声が聞こえ、馬房にいた馬たちが俄かにざわつき始めた。
「な、なに今の唸り声!? 牛……いや、熊!?」
「リクっ、大丈夫!? クマが出てもお姉さんが守ってあげる!」
『ヴィクトワーレ様……主様は先日熊より恐ろしい敵を倒したばかりではございませんか』
唸り声に驚いたリクレールを庇うように、ヴィクトワーレが彼の身体をぎゅっと抱きしめたが、牧場主は今の唸り声を聞いてやれやれと首を横に振った。
「リクレール様、ヴィクトワーレ様、今のは馬の鳴き声ですよ」
「へ? 今のが馬の鳴き声?」
「見た目があまりにも素晴らしかったので、北方の遊牧民から大枚をはたいて買い付けたのですが……次第に人の言うことを聞かなくなり、誰も買い手がいないまま隔離した場所で放牧しているのですよ」
きょとんとする二人をよそに、今度は「ブヒヒィィィッ!!」と空全体に響き渡る雷のような甲高い叫びが聞こえてきた。
馬房にいる馬は皆怯えて姿を隠し、牧場に放牧されていた馬たちはたちまち右往左往と混乱するありさまだった。
だが、その話を聞いてエンヴェルだけは目を輝かせていた。
「なんだ、面白そうな馬がいるじゃないか! いっちょその馬面を見てやるとすっか!」
「あっ、お待ちくだされ! 迂闊に近寄ると危険ですぞ!」
エンヴェルは牧場主が止めるのも聞かず、ずんずんと裏手の方に向って云った。




