2.ウィリアムの秘密
異世界にやってきて早々、酷い目にあった天野。いや、こちらではこの体の名前を使うとしよう、ウィリアムと。
毒を盛られ激痛を味わう経験はもう二度としたくないが、こちらの世界の知識をすぐに得られたのは僥倖と言える。ウィリアムと今も泣いて抱きついているレイラ、そしてこの家のことを何も知らずに居たらかなり危なかった。記憶喪失キャラを装うはめになるところだった。
「レイラ、もう大丈夫」
「ほんと……?また倒れない?」
涙と鼻水が大洪水になった残念美少女。小さく笑いながらウィリアムは服の袖でレイラの顔を拭った。
「大丈夫大丈夫。ただもうちょっとだけ休ませてくれ。お店のことまた頼んでもいいか?」
「……うんいいよ。どうせ今日も暇だろうけど、兄さんは休んでて。無理はしちゃだめよ?」
「はいはい。母さんにはこのこと内緒にな」
ポンポン、とレイラの頭を軽く叩いた。すると不安そうな顔から不機嫌な顔に一変した。どうも子ども扱いされたのが不服だったらしい。だがウィリアムからしたら、まだまだ十五歳のお子ちゃまだ。
「ふんっ!じゃあもう行くからね。開店準備しないとだし」
「あぁ。落ち着いたら俺も行くから」
そう言うとレイラはまた不安そうな顔をしたが、その言葉を却下せず小さく頷き部屋を出ていった。兄の、ウィリアムの性格を知っているからこそ何も言わなかったのだろう。
「このウィリアムって男は頑固者みたいだな。家族のためなら無理をしてでもやり遂げる……か」
ウィリアムの記憶から読み取ったもので一番大切にしていることがわかった。それは、家族愛。気恥ずかしい感情なんて一切なく、それがとても愛おしく美しいと思った。天野がウィリアムになったとしてもこの感情だけは蔑ろにしてはならない。
「……ウィリアムの気持ちに引っ張られてるのかな。俺より家族愛が重いぞ」
フッ、と笑みを浮かべる。
さてと、と立ち上がりベッドに腰を下ろす。考えなければならないことがいくつもある。
「まずは、この家のこと。父のレオンは約六年前に病気で他界。以後この店は母のアリアと俺とレイラで営んでいる。……けれどそれは表の顔」
レオンが亡くなる数日前、この家の秘密をウィリアムだけに打ち明けられた。我が家は約三百年前、ここウェストリス王国の公爵の爵位を持った大貴族エヴァンジェリン家だった。
何故今こんな平民暮らしをしているのかと言うと、国にとって大事な機密を他国に漏らしたことが原因で爵位を取り上げられ、当時赤ん坊だったアルス・エヴァンジェリン以外、エヴァンジェリン家に連なる者を全員処刑。輝かしい公爵の時代は幕を閉じた。
「でもそれから五十年後、それは冤罪だとわかった。当時敵対していたもう一つの公爵家による陰謀で、あらゆる証拠を捏造し、エヴァンジェリン家を犯人に仕立て上げた」
もう一つの公爵家ギデオンがここまでしてエヴァンジェリン家を没落させたかった理由はただ一つ。その血筋に残されているであろう"魔法使いの血"を恐れたのだ。
この世界での魔法使いはただ一人のことを指す。三千年前に生きたその者は、人々にとって憧れであり、最も崇高な人。その名もレイシス・エヴァンジェリン。
レイシスの功績は数多い。人々の生活に役立つ魔道具を作り、戦争をいくつも終らせた───まさに英雄。
だがレイシスは突如、理由もなく姿を消した。平和が続くであろうと思われたこの世界の均衡は一瞬にして崩れた。
唯一残したのはレイシスの家族のみ。その血筋は三百年前まであったエヴァンジェリン家まで途絶えることなく、ウェストリス王国に忠誠を掲げていた。
「……そんなエヴァンジェリン家だけど、レイシス以外に魔法使いは生まれたことがないんだもんな。平民に落とされてからも」
平民になってからはエヴァンジェリンの名は捨てられ、家名はないが、この事実を忘れるなと代々口伝として残していっているらしい。
これはアリアもレイラも知らない。今となってはウィリアムしか知らない話である。
「ま、ここまでは小説でもありがちな話だな。けど」
そこで言葉を止め、おもむろに自身の手を見る。そして、徐々に手の回りに湯気のようなものがゆらゆら、と出てくる。
「……ウィリアム。お前、本当に馬鹿やろうだ」
そう思ったのも仕方ない。何故なら、このウィリアムこそエヴァンジェリン家がずっと待ち望んだもう一人の魔法使いになったのだから。
魔法使いに目覚めたのは物心がついた頃。両親が寝静まった真夜中に、魔力の使い方、魔法の知識……その全てを小さな脳に刻まれ、レイシスの力を引き継いだのだ。膨大の力を子どもの体で受け止めてしまった為、数時間意識を失い仮死状態になったウィリアム。朝になると普通に目覚めることが出来た。けれど、それからのウィリアムの生活は困難を極めた。魔法使いとなってしまい、少しずつ備わってくる個性が急成長し、子どもなのに大人びた性格になってしまった。
「怖いよな…他の子達は子どもらしさがあるのに自分だけそれがない。自分だけ見えている世界が違う。自分だけ他の人とは違う力がある……。だからこそウィリアムは心に決めたんだ。普通の人間になるため、魔法は絶対に使わない、誰にも話さないと」
家族の命に関わること以外では絶対に、と。
「全く。自分の命が危ない時くらいは使えよ。解毒くらいすぐに出来たのに…。馬鹿が」
ウィリアム……ウィリアム・エヴァンジェリンの頑固さは世界一かもしれない。そして世界一の馬鹿だ。
「世界一の称号を2つもゲットしたな、おめでとうウィリアム」
この皮肉は誰にも通じず、伝えられない。「はっ」とウィリアムのことを鼻で笑った。
そうして、ウィリアムは彼の記憶を全て見た上で新たに決意したことを告げる。
「言い方悪いけど、ウィリアム───選手交代だ」
ベッドから立ち上がり、窓側へ移動する。この世界の青空は地球よりよく澄んでいるような気がする。そんな空に向けてウィリアムはこう続けた。
「お前の信念とは違うことをするけど、どうか許してほしい。家族のことは最後まで責任をもって守る。だから、この魔法……存分に使わせてくれ。だって、一生使わないなんてもったいないだろ?」
最後に満面の笑顔で天国にいるであろうウィリアムにそう宣言する。