ベスト・レース
最終コーナーを周り、各馬が最後の直線へと向かう。
観衆のボルテージは最高潮。おのおのがサラブレッドに向けて声援を送っている。
このレースの一番人気、ダークメロディーに騎乗している上原充は内心焦っていた。
ゴールが近づいているにも関わらず、騎乗馬はまだ馬群の後方にいた。このままでは負けてしまう。
ここの競馬場の直線は約350メートル。上原は懸命に鞭を打つも馬の脚色は鈍い。「頼む。走ってくれ!」
上原自身、近年の成績は芳しくなく、ここしばらく勝てない状況が続いた。
加えて45歳と騎手として高齢ということもあり、「引退」の二文字が頭を過ぎる事も多くなった。
レース前にダークメロディーの調教師が上原に対してこう言った。
「今日、勝てなかったらダークメロディーの主戦から外れてもらう」
上原は顔色を変えなかったがショックだった。
厩舎期待の競走馬だったダークメロディーはデビュー戦からずっと上原が乗ってきた。調教も上原が担当した。
期待されていたダークメロディーだったが、近年は不調で、前走大敗後、クラスもひとつ下がった。
調教師の言葉に、「待ってください」と言いたい上原だったが、結果が全ての競馬において、「分かりました」と返すしか無かった。
思う様に動かなくなってきた身体。後輩達には成績を抜かされ、そもそもレースに騎乗依頼が来ることも少なくなった。
様々な思惑が頭を駆け巡り上原は心が折れそうになった。「もうダメか。」
その時だった。ダークメロディーの前方にいた騎手が上原の方を振り向き叫んだ。
「ピーク過ぎた騎手の乗ってる馬に負けやしねぇよ!」
この言葉が上原の耳に入った瞬間、上原は考えるのを一切止めた。
そして、右手のステッキでダークメロディーを激しく追い叫んだ。「うおおおおおおおお!」
上原の合図に反応したダークメロディーは覚醒したかのように鋭い脚を見せた。
「行けぇぇぇ!」上原は叫びながらダークメロディーを追った。必死に追った。
気がつけば、ダークメロディーは前方の馬を差しきり一番最初にゴール版を駆け抜けた。
それでも上原は追い続けていた。
「ウエさん、もういいって!勝ったって!」
他の馬の騎手の叫び声でようやく上原は我に返った。
久しぶりの勝利に嬉しさと興奮が入り交じった。
そして、上原は誰にも聞かれない声でポツリ呟いた。
「こんな俺でもまだまだジョッキーやってるんだよ。バカ野郎…」
上原の目からは涙がこぼれた。