第五話
アルカイン王国よりずっと北の国の辺境の大地────
一年を通して降り止むことのない猛吹雪で視界は愚か、轟音に遮られてその他一切の音が聞こえない。
都から離れれば、いつ魔物から襲撃されるかの恐怖が四方八方から押し寄せる。
そんな吹雪の荒野に一人の男がいた。
手に持つのは一つの剣のみ。荒れ狂う吹雪の中で立ち止まり、淡々と機会を待っている。
ほんの一歩先すらも見渡せないこの状況下で、何の前触れもなく突如、アイスベアの襲撃がきた。
その姿を感知したときには、すでにアイスベアの伸ばす腕は男の目と鼻の先。
しかしその姿を感知するより以前に、男は剣身を滑らせていた。
首を切られ、アイスベアは即死
これを合図に四方八方から一気に多数襲撃をしかけてくるアイスベアの群れ。
しかし襲い掛かってくるアイスベアは為す術なく次々に、的確に急所である首を切られていく。
視覚も聴覚も効かないこの状況で、男はずっと瞼を閉じていた。
この場において人間の五感は何一つ役立つことなくアイスベアに殺される。
男はただ一つ、気配を探ることだけに集中していた。
見事な剣裁きと、常人には到底辿り着けることのない頂点に、この男はただ一人立っている。
とある大地────
2000度に達している外気温の中、平然とその場に佇む一人の男がいた。
足元にゆっくりと流れていくマグマが男に触れようとしたその瞬間──流れるマグマの先端が急激に凍り付いた。
「淡い……まだ淡い……。今はまだ、時期尚早か……」
ゆっくりと流れる時を待ち、やがて熟した実を狩りに行く。
アルカイン王国王城の一角──その部屋────
「ハァ……ハァ……ッ、…………………………………ついに生まれるのか」
両手両足を鎖でつながれ身動きの一つもできない状態で、男はその顔に笑みを浮かべた。
久しぶりに声を出した。久しぶりに顔の表情を変えた。
男が最後に人を見たのは、もう何百年も前のこと。
それだけの年数、水一滴すらも口に含むことなく今に至る。
実に待ち望んだこの時、男の心臓が、まるで共鳴するように高鳴り激しく動く。
ダンジョンから一歩外に出れば、そこは今まで見たことのない景色が広がっていた。
この世界に来て初めて目にする太陽の光は地球にいた時に散々浴びていたものと何ら変わらない。
俺が今来ている服は、アリスが自らのスキルでダンジョンのそこら辺に落ちていた石を形状変化させ、創造したもの。
そしてアリス自身もメイド服姿ではなく一般的な服装。
一般的とはどんなだと思うかもしれないが、本当にそこら辺にいるような目立つことのない格好だ。言ったら、the平民といった感じだろうか。
街ゆく人たちを見ても何ら違和感なく溶け込めそうだ。
そういって服を着ることでまた少し属性が変化して、何でも完璧にこなすメイドから頼れるお姉さんへとなった。
「少し人が多いですね。マスター、はぐれないよう私がマスターの手を握っています」
手を繋いで街を歩く大人の女性と小さい少年。傍から見たらそりゃもう……ね、ちょっと恥ずかしいですわ。
「まあ……それはいいんだけどさ、外でも俺のことをマスターと呼ぶのは少しまずいんじゃないか?変というか、なんか怪しまれそうだ」
「あっ、確かにそうですね。ではハヅキ様とお呼びしますね」
自分の名前に様づけされるのは恥ずかしいが、そっちの方が無難だろう。
人数の多い街を歩いていれば、それはそれは色々な人たちの姿が目に入ってくる。
特に、鎧を身につけている人だったり剣などの武器を持って平然と歩いている人。身の丈を超えたサイズの大剣を軽々と持っている人もいた。
「なあアリス、ああいう人たちはなんかヤバめの仕事とかやっているのか?あんな完全フル装備でいったいどんな悪事を働こうってんだ」
そんなのがそこらじゅうにいる。異世界が地球と同じような治安だとは思っちゃいないが、これが日本であれば周囲にいる人たちはみんな直ちに銃刀法違反で現行犯逮捕じゃなかろうか。
「ハヅキ様のおっしゃる通り、一見素行の悪そうな人間ばかりですが必ずしも全員がそうとは限りませんよ。特にここ周辺に集まるのは、冒険者と呼ばれる人間たちです」
アリスが足を止めて右手側にちょうど見える建物へ指をさした。
「ここは冒険者の人間たちが所属しているギルドというところです」
周りの建物に比べても特に大きく存在感が凄まじい。
「中に入ってみますか?」
アリスに促されるがままにギルドの中へと進んでいった。
中に入れば、先ほどのような武装した人たちが大勢いた。
というより……ここは酒場か?
テーブルがいくつも設置されており、いかついオッサンから若そうな人までさまざまな人が飲み食いしており、活気が溢れていた。
右側に酒場、左側にはカウンターのような感じだ。
ギルドというのはゲームをやっていただけに少しばかり知識はあった。だけど、まさか酒場と合併したギルドだとは思わなかった。
俺の知っているギルドは左側のカウンターが設置された光景だけだ。
「もしかしたらハヅキ様には少し不快に思われるかもしれません。酒場には酔っ払いが多いので、そういった輩に絡まれるという可能性も──」
「アリス、やろう」
これはある意味では、興味よりは憧れのようなものが強いかもしれない。
「冒険者、やろう!」
クエスト完了後に酒場に来て一日の締めとして一杯やる。こんなのが実現したらそれはもう、最高の二文字だ。
前世では仕事終わりに誰かと飲むなんてことは一度たりともなかった。宅飲みが当たり前だったのだ。
上司からのお誘いすら来なかった俺には、仲間と一日の終わりに飲むなんて憧れなのだ。
こうして、ダンジョンの外の情報を得るため、という建前の元で俺は──もちろんアリスも──冒険者となることになった。