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7.メイ「そう」 ※メイは登場しません

「瞑想だ。 心を無にせよ。 はじめ!」


 棒を振るときもそうだったが、なぜやるのかは当然説明がない。

 コツを教えることも、手本を見せることもない。

 相変わらずの自分で考えろ仕様だった。


 俺もサトシも、その場で座禅を組み、瞑想を始めた。

 足の組み方もわからないが、とりあえず背筋を伸ばし、深い呼吸を意識するようにした。

 実際にやってみると、心を無にすること、し続けることが如何に難しいかがわかった。


 感覚的に1時間が経過したが、心が全く無にならない。

 考えないようにしても、様々な雑念が出てくる。

 棒を振るよりもはるかに難しいことがこのときわかった。


 身体を動かす場合、動かすことに意識がある程度いく。

 しかし、身体を動かさない場合、意識の向かう先がないため、落ち着かない感覚を持つ。


 身体を動かすということは多くの意識を割くことになるが、その分、余分なことを考える隙間が少ない。

 身体を動かさないということは、その分、余分なことを考える隙間が多いように感じた。


 自由になった意識達が、暴れまわってしまっていた。

 瞑想というのはこれを制御するためにしているんだと、なんとなく感じていた。

 しかし、意識を制御できることが一体何の役に立つのだろうか?


 日が沈み、瞑想をやめる。

 結局、その日は心を無にし続けることができず、そもそも人間に可能なのだろうかと思っていた。


 マルオがいない状態で食事をとる。

 知り合いがいなくなるのは寂しいなと思った。


 いつもと違い、身体を動かしてるわけではないので疲労感はほとんどなかった。

 少し棒を振る訓練をしようかと思ったが、なんとなく瞑想がうまくいかず逃げてる感じがして嫌だった。


 外に出て瞑想を始めた。

 サトシも俺の行動を見て、同じように瞑想をするようにしたようだ。


 出ていくのは自由だとマルオのときにはっきりわかった。

 いつでも出ていくことはできるが、投げ出すことは絶対嫌だった。


 一方で、棒を振る修行の状況を考えると、時間が経てばいいのでなく、あのおっさんが一定水準に達したと認めるまで永遠とやらされる可能性が高かった。

 少しでも早く終わらせたいとは思っていた。

 今、目の前の課題に集中することが一番大事だと思った。


 食後、2時間程瞑想をし、睡眠を取った。

 翌朝から、朝食を取り、瞑想をし、夕食を取り、瞑想をし、睡眠を取る、という単調な日々がまた始まった。






 瞑想を始めて、1か月程経った。


「心を無にするとはどういうことだ? サトシ答えよ」


 前回のときも確か1か月程で質問をしてきた。

 恐らく、1か月はとりあえず体験させて、自分なりに考えさせているのだろう。


 ある程度慣れてきたら、方向性を示すヒントをあげるようだ。

 前回は意識せずにできるようにすることだった。

 今回はそもそも意識自体をしないことを求められているが、意識をしないとはどういうことだろうか。


「意識をしないということだと思います」


「心を無にするとはどういうことだ? 答えよ」


 流されたことにサトシは落ち込んでいるようだった。

 やっぱり、俺は名前を読んでもらえないのか……


 サトシの答えでダメだというと、意識をもう少し具体化しないといけないのか。

 1か月瞑想をやって持ったイメージは、パソコンのようなイメージだった。


 要するに、人それぞれに記憶領域があり、そこに棒を振るというプログラムが配置される。

 そして、そこから実行するイメージだった。

 棒を振ることを意識せずにするというのは、棒を振るというプログラムの容量を極限まで小さくするとか、そもそもその記憶領域を経由せずに実行するイメージだった。


 しかし、瞑想をして感じたのは、雑念が非常に多いということだった。

 つまり、今回は記憶領域を余分に占めている無駄なプログラムをリセットする練習をしているのだろう。

 そのように俺は考えを整理した。


「他に必要な意識を割けるようにするために、余分な意識を排除することです」


「その通りだ。 続けよ。」


 考えはわかったが、これはかなり難しいことだと思った。

 以前は1つの単調な作業を最適化するだけでよかった(それでも難しいことだが。。。)。


 今回はある種その作業が行われる場の最適化ともいえる。

 例えるなら、長年ゴミが溜まった屋敷をキレイに掃除しましょうのイメージだ。

 しかも、ゴミが勝手に増え続ける状態でだ。


 まずはゴミを増やさないようにし、その上で掃除をしなければならない。

 一体どれだけの時間がかかるのか。。。


 棒を振る、瞑想をする、言葉にすると簡単に思えるが、実際に何を要求されてるかを知ると、生きている人間ではとてもじゃないが不可能な領域におっさんは俺たちを到達させようとしてることがわかった。


 サトシの方を見ると、相当ひどい顔をしていた。

 一週間休みもなく、職場に居続け、ロクな睡眠もとらずに働き続けたサラリーマンのような顔をしていた。

 もしくは、20年数年夫婦生活を続け、子供が経済的に独立したのに、実はその子供は托卵だったことを知った父親のような顔であった。


 写真を撮り、タイトルをつけるなら、「絶望」がきっとぴったりだろう。


 終わりが見えない、今までやってきたことは無駄だったのではないか、そういう思いが占めてることを感じた。

 肉体はここに来た時とほとんど変わってないにもかかわらず、今の彼を見て、15歳くらいの少年と思う人はいないと思う。

 サトシも修行の意図することがどれだけ難しいか感じ取ったようだった。


 投げ出したくはないが、投げ出したとして、それで責められるわけではない。

 しかし、途中で投げ出して後悔してきた過去を考えると、きっと投げ出さない方が良いように思った。

 投げ出さずに続けれるのだろうか。


 せめて、棒を振り続けた期間と同じくらいは続けようと思った。

いつも読んで頂きありがとうございます。

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(*'▽')


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