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どうも腹が空いた

猫は羊肉をご馳走になる為、青年の生活する天幕に招待される。


暖かな天幕の中で、ノマド猫は青年の気遣いを有り難く思うのであった。

青年は私を天幕の中に招待してくれた。


天幕の中は意外と広く、煌々と燃える焜炉から煙突が上部まで伸びている。


焜炉のお陰で天幕の中は外界と違い、非常に暖かく冷え切った体を包み込む。


中央にどっしりと鎮座する焜炉をぐるりと取り囲むように、様々な家具が設置されている。


私が天幕の広さに驚いているうちに、青年は頑丈な木材で組まれた古い貯蔵庫の中から、干した肉を取り出してきた。


「うちで保存しているほとんどは、塩漬けしてから焼いた後にあんな風に干してるんですけどね。」


こちらに近付いてきた青年が指差す方角を見ると、天幕の隅には串に刺さった干し肉がいくつも設置されている。


人間の人差し指の第一関節の半分くらいの厚さで、手のひら程の大きさの干し肉が一切れずつ丁寧に干されている。


「ちょうど塩漬けしてない干し肉が貯蔵庫に余ってました。先生は猫なので塩分ダメですからね。」


目の前に差し出された籠の中を覗き込む。


青年が手に持つ葦で拵えられた籠には、貯蔵庫から取り出した干し肉がニ枚入っていた。


「うん、ありがとう。助かるよ。」


「はいはい、ではどうぞそちらにお座りください。肉は一旦火を通しますね。」


青年の導くままに、食台の前の座布団に腰掛ける。


青年は水の入った鍋を焜炉の上に乗せると、焜炉の前の椅子に腰掛けながら手を擦り合わせ、火に当たり始めた。


「んー、寒い寒い。そういえば、先生は普段何食べてるんですか?」


「私は携帯用の食料があるからね。それを適度に摂取しているんだよ。腐りにくいし便利ではあるよ。」


青年は指で自分の顎をさすりながら擦り、興味深そうに私の話に耳を傾ける。


「へえ、便利ですね。見せてもらってもいいですか?」


「いいとも、ちょっと待ってね。」


先程天幕の中へ青年に招き入れられた際に、一緒に引き入れた大きな風呂敷包の結び目を解いた。


解いた風呂敷から、大きめの薄い金属の容器を取り出し上部の蓋を上に引っ張る。


そのまま開いた蓋で容器の中身を受けると、茶色い一口に丁度よい小粒の乾燥した携帯食がコロコロと出てきた。


「なるほど、これは先生のお手製ですか?」


「まさか。市販されている物を購入しただけだよ。」


食べ慣れた携帯食を一つだけつまみ上げ、口に放り込む。ザリザリとする舌触りを確かめて噛みしめると、乾燥した粉のようにモロモロと口の中で崩れた。


「うーん、やっぱり毎日これは流石に飽きるかなあ。しっかり味のする、美味しい物食べたっていう実感が欲しいよね。」


「ですね。肉を食べた! という実感はまた格別です。と、言っている間に肉のスープが出来ましたよ。」


こちらの話の相手をしつつ、青年は手際よく鍋の煮込み具合を伺っていた。


最初はなかなか癖のある男だと思ったが、動作に無駄がなく非常に手慣れているようだ。


「あ、そうだ。おいで、タリク。ご飯だよ。」


青年が明後日の方向に呟いたと同時に、天幕へ何か黒い物体が砂埃とともに飛び込んできた。


「うわわ、なんだ!?」


私がまた驚いていると、それは灰色の毛並みの美しい犬が千切れんばかりに尻尾をぶん回し、主人である青年の顔を見つめて行儀よく座っていた。


「牧羊犬のタリクです。ご飯って単語を僕が呟くと何処からでもやってくるんですよ。さあ、お食べ。」


皿を地面に置くと、物凄い勢いで肉を食べ始めた。


呆気に取られているうちに、私の目の前に皿が配膳された。


「どうぞ先生もお召し上がりください。先生のは火に通してから、お湯で戻しています。お肉の染み出した出汁も旨いですよ。」


目の前の肉の入った底の深い皿からは、香ばしい香りと肉のいい香りが漂ってきた。


「いい香りだ。頂きます。」


「はい、是非楽しんでください。ボナペティです。」


青年がさあさあとばかりに、にこやかな笑顔で勧めてきたので甘えることにする。


前足の肉球と肉球を合わせた後、散蓮華で掬って食べやすくぶつ切りにされた肉を頬張る。


羊肉の香りと濃い味が口の中いっぱいに広がり、食欲が増進する。


「うむぅ、旨い。やはり肉を食べる喜びを噛みしめる瞬間は、いつでも最高だ。」


噛みしめる度に、味がじんわり滲み出る肉のお陰で食べる速度が全く落ちる様子がない。


「あははは、先生の口にあったようで僕も嬉しいです。僕は自分用の塩漬けの肉スープを頂きます。」


私の正面に座った青年は湯気の立ち込める皿の中身を熱そうに頬張っては、私と同じように満面の笑みを浮かべていた。


腹が減っていたのもあったが、久々に口にする肉は格別で、あっという間に平らげてしまった。


「ご馳走さまでした。本当にありがたいよ。君はこれを日々の糧にしてるのかい?」


青年が先程指差した、隅の串に刺さった干し肉を今度はこちらが指差す。私の場合は前足に相当する。


テキパキと私と自分の食器を片付けながら、青年は答える。


「干し肉はほとんど自分用ですけどね。基本は羊毛を商人に売ってます。羊はいいですよ。羊毛だけじゃなくて乳も取れるし、こうやって肉も食べられる。」


うんうんと満足げに頷く青年だったが、突如凶悪な笑みを浮かべてこちらを見た。


「でもですね、残念なお知らせなのですが、このあと例の引っ越し作業があるんですよ。頼みますよ、先生?」


「く、忘れようとしてたのに...お肉分くらいは働きます...そういえば君の名前は?」


「僕はダリウス・ムスタファ・カリード。先生は...先生ですよね。タリクもそう思うよね。」


食台の下をダリウスが覗き込む。


お腹いっぱいに食べた牧羊犬のタリクは、寝そべりながらも、主人の言葉に一度だけ尻尾をパタつかせた。


「私はアレクセイ・チューリン。もう先生でいいよ...。」


___


私は自由なダリウスに半ば諦めながらも、何処かこれから始まる遊牧民生活に一抹の不安と入り交じる興奮を感じていた。

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