二人のノマドワーカー
気分で始めた作品です。のんびり続けていくかもしれません。ご容赦を。
そこに猫がいた。
顔を洗いに出ようと天幕から顔を出した拍子にふと「それ」と目が合った。
「あ、こんにちは。」
思わずご挨拶した。
「おはようございます、でしょ。」
つまらなそうに答えたその声は、成人男性のように低く野太い。
「確かに。」
妙に納得した。確かに、今は朝だ。
辺りを取り巻く大気は、風はないけれども肌を刺すように冷たく、吐く息は白く立ち昇る。
岩の上に腰かけた「彼」は、先だけ塗料に浸したように白い毛並みの左前脚に携えた、薄い「黒い板」と睨めっこしていた。
「なんで喋れるんですか?」
眠い目をこすりながら頭だけ天幕の隙間から出して、疑問をぶつけてみる。
「猫だって喋る権利くらいあるよ。」
耳の先からしっぽの先まで、真っ黒な艶のある毛並みに覆われた毛玉の「彼」は、こちらをちっとも振り返らず、ふさふさの耳だけをピクピク動かした。
ぶっきらぼうに答えているが、どうやらちゃんとこちらの話を聞いてくれているようだ。
「確かに。」
そう、猫にも話す権利はあるのだ。
時折、右前脚の肉球で「黒い板」の表面に何度か触れては、また挙動を停止する。
「何してるんですか…?」
「仕事。」
間髪置かず、即答してくれた。また耳がピクピク動いた。
「仕事…?朝から大変ですね…。私は眠いです。ふあぁぁ….。」
首だけ外に出すことにもそろそろ飽きたので、天幕から出てみようと思った。
重い体を天幕の入り口からようやく這い出ると、改めて外界の寒さが身に沁みる。
朝が弱い自分に鞭を打つ意味で、水で顔を洗おうとして桶の中身を見た。
しかし桶の中の水は厚く表面が凍ってしまっているので、あきらめて天幕の焜炉で温めた湯で顔を洗う。
天幕から抜け出すと、歯磨きに使う房楊枝を口にくわえて体を起こす。
雪がところどころ氷となって残る、広大な平原が眼前に広がっている。
その先の地平線より、朝日の光が放射状に眩くいくつも漏れ出している。
「うーん...この辺はもう草が少ないしそろそろ移動するかなあ。」
平原には、羊たちがその辺を点々と自由気ままに草を食べたり寝そべったりしている。
「皆集めないとなあ。あ、先生はどうするんですか?」
首だけ振り返って「彼」にまた疑問をぶつけると、ようやく「先生」はこちらにちらっと目線だけ送って溜息をついた。
「はあ。君は質問ばっかだね。あと先生って誰なの?」
「先生は先生のことですよ。なんか先生っぽいし。それよりどうするんですか?」
「全然説明になってないけど...どうするって何が?」
「これから荷物まとめて移動しようかと思って。一緒に行きますか?」
「そうするよ。仕事のネタも増えそうだし。」
岩の上から飛び降りると、「手」に持っていた「端末」を肩から掛けた布鞄に押し込んだ。
「それでどこに向かうの?」
「もう少し羊たちが食べられるくらい草が生えているところですかね。羊たちを食わせないといけないので。」
「じゃあ出発の準備できるまで、もう少し仕事してるよ。」
作業に戻ろうと、押し込んだ端末をもう一度引っ張りだそうとした「先生」に、待ったをかける。
「何言ってるんですか、先生も手伝うんですよ?」
「え、私に何を手伝えと?」
「色々あります。まずはご飯にしましょう。羊肉が幾らかあるのでご馳走します。その後はしっかり働いてもらいます。」
「ええ...。まじか...。猫使いが荒いよ。お肉は有り難いけども。」
塩っぱい顔をした「先生」は不平をブツブツ言いながらも、まるで己が猫であることを強調するかのように、こちらに向かって「四足」で歩き出した。
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こうして「先生」と呼ばれるようになった私は、この妙竹林な遊牧民の青年の旅の道連れとなったのだ。