第8話・夜語り
ところがどっこい、まだ終ってなどいなかった。
一日の最後に、俺にとってかなり重大な事件が待っていたのだ。
集めてきた保存食――乾燥パンやら干し肉やらを胃袋につめこむと、前言どおり俺はさっさと寝ることにした。
ところで召喚の神殿というのは、ユニティアでもっとも豪華で壮麗で巨大な建築物だ。
今朝までは、召喚の巫女の補佐を務める侍女たちをはじめ多くの人が働き、生活の場としていた。
いわゆる部屋数は、高級ホテルもかくやというほどだ。
なので俺は、その中から適当な部屋を選んで休むことにした。
そうすることが自然であり当然であると思っていた。
ところが、だ。
「あ、あの、レイジ。レイジが嫌でなければ、なのですが……今夜一晩だけ、わたしの部屋で休んではくれませんか……?」
夕食のあと、セーラが突然そんな申し出をしてきたからさあ大変だ。
俺はひとたまりもなく動揺した。
まことに不謹慎な話だが、驚きの深さは呪いの惨状をまのあたりにしたとき以上だった。
そんなわけで俺は、
「お、おう。いいぜ、べつに……」
完全に流されるまま応じてしまった。
セーラの後ろを木偶の坊みたくついていく。
「どうぞ、入ってください」
案内されたのは、それはそれはだだっ広い部屋だった。
ベッドは天蓋つきのゴージャスなやつで、五人くらいは余裕でならんで寝れそうだ。
ソファやテーブルといった家具類も、どれもこれも高級そうである。
あと、なんかいい匂いがした。
「わたしは着替えてきますが、レイジはどうしますか?」
「え、俺? ええと、俺はこのままでいいかな」
「そうですか。では少し待っていてください」
セーラの姿が衝立の陰に消えた。
静かな部屋に衣擦れの音だけがひびく。
「…………」
着替え中の相手に話しかけるのも変なので、俺は黙っているしかない。
……っていうか、どうしてこんなことになった!?
そしてこれからどうなってしまうんだ!?
「お待たせしました」
「おおぅっ!?」
俺は馬鹿みたいにビビってしまった。
「ど、どうしたのですか?」
「い、いやべつに……」
セーラは薄手の白いネグリジェみたいな服に着替えていた。
どことなく色っぽさを感じて、どぎまぎしてしまう俺だった。
「そ、その服、似合ってるな」
って、なに言ってんだ俺! 寝間着を褒めるとか普通しねえだろ!?
「は、はぁ。ありがとうございます……」
セーラは困ったようにはにかんだ。
「それでは、明日にそなえて休みましょうか」
「そうするか。じゃ、俺はあっちのソファで寝るから」
「えっ?」
「えっ?」
ぽかんとするセーラにぽかんとする俺。
「い、一緒に寝てくれるのではないのですか……?」
「なっ!? いやいや、さすがにそれはマズいだろ! 男と女が同じベッドで寝るってのは――」
「わたしだって、はしたないことは重々承知していますっ!」
顔を真っ赤にしてセーラは言った。
「未婚の男女が一緒のベッドに入って、あまつさえ手をつないで眠ろうとしているんですからっ!」
「……えっ?」
「……えっ?」
立場が逆転。ぽかんとする俺にセーラがぽかんとした。
「手をつないで……寝る?」
「はい。もちろん、レイジが嫌でなければ、ですけど……」
俺とセーラのあいだには、度しがたい認識の齟齬があったようだ。
「そういうことなら全然いいぜ! うわっはっはっは!」
恥ずかしさと気まずさを表にだすまいと、俺は空笑いをしてみせた。
はぁ、ダサすぎて死ねるぜ……
「それではレイジ、こちらへどうぞ」
セーラがベッドへと俺をいざなう。
俺はカチコチした動作でなんとか体を寝そべらせた。
ベッドは格別にいい匂いがしたが、つとめて意識しないようにする。
セーラは俺から見て左側に身を横たえた。
部屋の明かりが消されると、毛布の中で彼女の右手がおずおずと動く気配があった。
「レイジ、手を、いいですか?」
「ああ」
俺も左手をのばしていく。
文字どおりの手さぐりで、俺たちは手のひらを重ねた。
触れあった部分から、セーラの熱がほんのりと伝わってくる。
そうしていると不思議と緊張はほぐれ、俺は安らいだ心地になっていた。
「……眠るのが、怖かったんです」
セーラがぽつりと言った。
「こうして手をつないでいないと、夜のあいだにわたしかレイジのどちらかが消えてしまうような気がして……」
「わかるぜ、その気持ち。俺もこうしてるとなんか妙に安心する」
「よかった。レイジに拒否されたらどうしようかと思っていました」
「いやいや、セーラに頼まれて拒否する男なんてまずいないと思うぜ」
「どうしてです?」
きょとんとした感じの声。
……前から思ってたけど、このセーラさん、自分の容姿に関して無頓着すぎやしないか?
まあ、美人だからといって威張り散らすような女よりは万倍ましだが。
「ま、セーラが心細くなるのは当然だぜ。俺と違って、家族や友達の安否も気になるだろうしな」
「家族はいません。わたしは孤児でしたから」
意外な事実だった。
セーラの外見、物腰、言葉づかい、どれをとっても名家のお嬢様としか思えないのに……
「友達は……友達と呼べるような相手は、考えてみれば一人もいないかもしれません」
「そうなのか? いやでも、学校で仲の良かったやつとか、一人くらいはいたりするだろ?」
なぜかあわてる俺に対し、セーラは淡々と口にした。
「学校――わたしにとっては、召喚の巫女を教育する修道院がそれに該当しますが、同期の人たちは友達とはとても……。当時のわたしたちは、巫女の座を争って熾烈な競争をくりろげていましたから」
「な、なんかギスギスしてんなぁ」
「仕方ありません。修道館に集められたのは、わたしのように身寄りのない孤児ばかり。巫女になれるかどうかで、その後の人生はまったく違ってしまいますから」
「みんな必死だったってわけか。俺の通ってた学校とは大違いだな……」
「レイジはどのような学校生活を送っていたのですか?」
「俺? いやぁ、特に話すようなこともないんだよなぁ。なんとなく毎日通って、クラスの連中とくだらない話して、テストでヤバい点とらないていどには勉強して――って感じだぜ」
「なんかいいですね、そういうの」
思いがけない感想だった。
「召喚者たちの話を聞いていると、いつも思います。わたしもいっそむこうの世界に行けたら――」
「セーラ」
俺は彼女の手を強くにぎって言った。
気持ちはわかる。だが、いまは駄目だ。
現実逃避をするには、まだ早すぎる――!
「あいにく俺は神を信じる気はない。けど、俺たちが呪い耐性のスキルを持ってて、こうして生き残ったことにはなにか意味があると思うんだ。だから――」
闇のむこうで、セーラがふわりと笑う気配がした。
「ありがとうレイジ。あなたと一緒なら、こんな世界でも生きていけそうです」
言って、彼女は俺の手を強くにぎり返してきた。
眠気に襲われたのは、それからまもなくのことだった。