第5話・呪い
『な、なんだ、これ……?』
炎とはいっても、視覚的にそう見えるだけで熱さは感じていないようだ。
勇者は自分の両手を見つめ戸惑うばかりだった。
赤黒い炎につつまれたのは、彼だけではない。
賢者エレイン、大魔導アイシス、重戦士ラズロの三人も同様だった。
『――ギガヒール! フルレストア!』
エレインが治癒魔法と状態異常回復魔法をたてつづけに唱える。
だが、まったく効果はない。
『それならっ! アクアストリーム! スノウフレーク!』
アイシスがダメージ覚悟で、水系の魔法と氷系の魔法を使った。
やはり効果はない。焼け石に水でしかなかった。
赤黒い炎は消えず――ただ人間を塵へと変えていくのみだった。
『う、嘘だろッ!? どうなってるんだよ、なにが起きてるんだよッ!?』
痛みはなく、ただ肉体だけが崩壊していく。
そこにあるのは純粋な死の恐怖だけだ。
魔王を倒した勇者。
前人未到の偉業を成し遂げた真の英雄。
オレルスの歴史に永遠に名を残すはずだった、偉大なる人物は、
『い、嫌だァッ! 死にたくないッ! せっかく魔王を倒したのに、こんなッ……! 助けてッ! 助けてよお母さんぁああああああんッ!』
世にも情けない断末魔の悲鳴をあげ、塵になって消えた。
骨はもちろん、身につけていた衣服や武器防具までいっさいがっさいが消滅した。
彼の三人の仲間たちも、たどる運命は同じだった。
ブツンッ!
スクリーンがブラックアウトする。
当然だ。念話を送っていたエレインが死んでしまったのだから。
「…………」
ここ、ユニティアの広場は沈黙の底にあった。
なるほど、たしかに魔王は討伐された。塵一つ残さずに消滅した。
しかし、この状況で拍手喝采でもしようなら、神経と正気を疑われるのは不可避だ。
想像を絶する後味の悪さ。
この異常事態を前に、語る言葉などあるはずもなかった。
「あ、あの赤黒い炎はいったい……?」
愕然とつぶやいたのはセーラだ。
誰しもが真っ先にいだいたはずの疑問。
だが、その答えはあらかじめ提示されていた。
「なにって……あれが呪いなんじゃないのか」
なにしろ、ほかでもない魔王がそう言ってたからだ。
呪われるがよい、と。
その直後、魔王は赤黒い炎につつまれ、つづけて勇者たちにも伝播した。
つまり、魔王は今際の際に呪いをばらまいたってことになる。
ばらまいた――どこまで?
ふと俺はそんなことを思った。
呪いはどこまで拡がる?
魔王の周囲だけなのか、それとも魔王城周辺までなのか、あるいは――
答えはすぐにわかった。
ボボボボゥッ!
俺の足元で突然、火の手があがった。
広場が一面、焼け野原になったかのようだ。
だが、燃えているのは草木でも建物でもない。
人、人、人――男も、女も、大人も、子供も、老人も、赤子も、みな等しく赤黒い炎につつまれていた。
ユニティアは大陸の南端に位置し、魔王城は北の果てにある。
数千キロの距離をへだてているというのに、呪いは一瞬でここまで到達した。
つまりオレルスの全土、世界中に拡がったということ――!
瞬間、頭の芯に鋭い痛みがはしり、閃光がはじけた。
「がッ――!?」
視界が真っ白になり、平衡感覚を失う。
……なるほどな、そりゃ当然か。
もちろん俺にとっても他人事じゃなかった。
呪いはある意味、平等だ。
年齢も、性別も、職業も、家柄も、生まれた世界すら関係なく、等しく灰燼に帰するのだから。
これが、結末。
こうして魔王は倒され、世界は呪われてしまった。
……って、あれ……?
「燃えて……ない?」
俺は視覚が戻ったとき、赤黒い炎につつまれた自分の両腕を見ることになると思っていた。
ところが違った。
俺の体にはなにひとつ変化などなく、完全に無事なままだった。
「あッ……ああァッ……! ぁぁぁああッッ……!」
足元で悲痛なうめき声。
目をむけると、椅子からずり落ちたセーラが、両手で頭をかかえてのたうちまわっていた。
全身を赤黒い炎につつまれている。
が、その火勢はやや弱いように感じられた。
なにより、痛みを訴えて苦しんでいるのが引っかかった。
勇者たちがそうだったように、呪いによる死はまったく痛みをともなわないんじゃないのか……?
俺は櫓の下へと視線を転じた。
広場に集まったユニティアの住民たち。
五〇〇〇人近い数のため、ひとりひとりをつぶさに観察することなどできはしない。
が、パッと見た限り、セーラと同じ症状を訴えている者はいなさそうだ。
現実を受け入れられず、呆然と立ちつくす者が全体の六割。
死の運命を悟り、恐怖に泣き叫ぶ者が三割。
恐慌状態に陥り、広場から逃げだそうとする者が残りの一割だった。
なぜ、違う?
痛みを訴えるセーラは奇妙だし、赤黒い炎すらでていない俺は奇妙を通り越して異常だ。
なにが、違う……?
「あっ……!」
アホか、俺は。
もっと早く気づけよと思う。
難しく考えることはなかった。
頭を使う必要さえなかった。
俺は「それ」を所持しており、セーラもまたレベルは低いが「それ」を所持していると言っていたじゃないか。
そう――スキル『呪い耐性』だ。
ポゥッ!
認識した瞬間、俺の右手に青白い光が生まれた。
淡く、あたたかな光。
頭の中に情報が流れこんでくる。
――光魔法『ライト・アミュレット』
……なんだ、これは?
呪いを解く……魔法?
そこからの俺の行動は、無意識のたまもの。
あるいは、なにかに導かれたとしか思えなかった。
俺はセーラのそばにかがみこむと、右手の青白い光を彼女の額にかるく触れさせた。
シュンッ……!
瞬間、セーラの頭部をつつんでいた赤黒い炎は、青白い光とたがいに打ち消しあうように消滅した。
「はぁっ……、はぁっ……! えっ……!?」
痛みも消え失せたらしく、セーラはゆっくりと顔をあげた。
「レ、レイジ……!? あなたはいったいなにを……?」
「俺にもよくわかんねえけど」
セーラを起きあがらせつつ、俺は言った。
「どうやら『呪い耐性』のおかげで助かったらしい」
「なっ……! 呪いが実在するだなんて、そんなッ……!」
信じられないという顔のセーラ。
俺だって信じたくはないし、たしかな証拠があるわけじゃない。
だが、魔王の言葉と起こったことをつなぎあわせれば、そうとしか考えられなかった。
「そうです! 町のみなさんはっ!?」
櫓の欄干に飛びつくセーラ。
彼女が目にした光景は、まさしく地獄絵図だった。
五〇〇〇人もの人々が、赤黒い炎に焼かれて死んでいく。
塵と化して消えていく。
骨も残さず消える。悲鳴の渦もぷつりと途絶える。
消える、消える。
生の痕跡をいっさい残さず、誰も彼もが消えていく――
そしてユニティアの広場は、俺とセーラを残して無人となった。
「そん……な。あんまりです、こんなのって……!」
ふたたび膝をつき、セーラは絶望のつぶやきをこぼした。