第異話・倶ニ天ヲ戴カズ
――世の中には馬鹿が多すぎる。
それは元の世界でも異世界でもなんら変わらない。
馬鹿は存在しているだけで有害だ。
馬鹿と同じ空気を吸って、馬鹿に脳味噌を汚染されたら一大事だ。
だから僕は、可能な限り部屋からでないようにしている。
……誤解されては心外だから言っておくが、部屋からでない理由はそれだけじゃない。
創造的な仕事に打ちこむため――そう、小説を書くためでもある。
物心ついたころから、僕には一つの確信があった。
僕こと勅使河原鷹司は、物を書くために生まれてきた人間だ。
それは元の世界でも異世界でもなんら変わらない。
……そうだ。剣と魔法のファンタジー世界に来たからといって、冒険者になって戦いに明け暮れるだけが能じゃない。
現地の野蛮人どもならいざ知らず、文明世界からの来訪者たる僕にそんな生きかたはふさわしくない。
だから僕は、この世界でも小説を書くと決めた。
物語の力でもって、愚昧なる現地人どもを啓蒙し文明化してやろう。
それこそが僕に課せられた使命だと悟ったのだ。
しかし――問題となるのは作品の方向性だった。
あまりに高尚でハイレベルな作品を書いてしまったら、野蛮人どもの脳ではとうてい理解できなくなってしまう。
それは不味い。誰にも理解されない作品は、存在していないのと同意義だ。
さりとて、どんな馬鹿でも解るようレベルをいちじるしく下げては本末転倒だ。
それでは僕の文才が寸毫も活かされない。僕が書く意味がなくなってしまう。
大衆迎合万歳、売り上げが絶対正義。そんな低俗な思想で書いたのでは、元の世界にごまんといたクズ売文屋となにも変わらない。
ゴミ以下の駄文を書き散らして、クソ以下の知能しかない読者から金を巻きあげる、なんて行為に手を染めるのは、僕のプライドが許さなかった。
だから、構想に時間をかけるのはまったくもって正しい。
作家の仕事とは、実際に書くことだけではない。
むしろ構想をじっくり練りあげたほうが、結果的に良い作品が――
コンコンッ。
そのときノックの音が聞こえた。
誰だ、仕事の邪魔をしやがって。
身のまわりの世話をさせてやってるメイドだろうか?
あの馬鹿女、用があるときはこっちから呼ぶと言いつけてるのに、いつまで経っても理解しようとしない。
いいかげん、ガツンと叱ってやろうか。
僕は椅子から立ちあがるとドアへとむかった。
少しだけドアを開け、来訪者の姿を確認する。
と――
「よかった。在室していたのですね、タカシ」
あにはからんや、ドアの隙間から見えたのは、しゃちほこばったメイドの顔ではなかった。
白銀の髪と紫水晶を思わせる瞳を持つ、ひかえめに言って絶世の美少女だ。
祝福の巫女ミスマルカ・セーラが、やわらかな微笑をうかべて立っていた。
「み、巫女様っ!?」
心臓が跳ねあがり、頬の内側が赤熱する。
彼女は、彼女だけは特別だった。
この異世界でただ一人の――否、人生で出会った中で唯一無二の、真に僕を理解してくれる人だ。
異世界に召喚され、ろくなスキルがないと判明したときも、彼女は親身になって僕をなぐさめてくれた。
本を書くと宣言したときも、彼女だけは僕を馬鹿にせず本心から応援してくれた。
ただ外見が美しいだけじゃない。
巫女様は心が透きとおるように綺麗で、一点の染みも曇りもない。
彼女こそは――そう、僕が探し求めていた理想の女性だった。
「急に押しかけてすみません。いまお時間は大丈夫ですか?」
「も、もちろんです! ちょうど休憩しようと思っていたところで……」
声が勝手に上擦る。
ああくそっ、落ちつけ僕! 予期せぬ訪問だからといって舞いあがりすぎだ!
「おーい、ちゃんとドア開けてくれよ。顔が見えねえぞー?」
そのとき、聞きなれない男の声がひびいた。
声は巫女様の横、ちょうどドアに隠れた死角から聞こえた。
「だ、誰だっ!?」
僕は内開きのドアをぐいとひっぱり、全開にした。
「よっ! はじめましてだな」
片手をあげて馴れ馴れしい挨拶をよこしたのは、黒髪黒眼の少年だった。
ひと目で日本人とわかる顔立ち。
年齢は僕と同年代、一六、七歳だろう。
背は高くもなく低くもなく、体型は痩せても太ってもいない。
顔もまあ普通レベル。典型的な庶民ヅラだ。
どのパーツを取っても特徴らしい特徴がない、モブその一みたいなやつだった。
「来る途中でセーラに聞いたんだけど、歳は俺とタメなんだってな。ってことでタカシって呼ばせてもらうぜ。ああ、俺は朝霧礼司。レイジでいいぜ。つか、これもセーラに聞いたんだけど、テシガワラってすげー名字だな。漢字でどう書くんだ?」
ヘラヘラと笑いながらペラペラとまくしたててくる。
……なんだ、こいつ。
巫女様に会えて盛りあがった気持ちが、急速に冷めていくのを感じた。
初対面だってのに馴れ馴れしいにもほどがある。
この異世界で日本人に会えて安堵するのはわからなくもないが、まともな人間なら限度をわきまえるはずだ。
それに、なにより――こいついま、なんて言った?
セーラ、だって?
何様だこいつ。村人Aと大差ないモブの分際で巫女様を二回も呼び捨てにするとか、おこがましいにもほどがあるだろ!?
いやもう、わりと本格的に意味がわからない。
なんだって巫女様はこんなやつを連れて僕の部屋にやって来たんだ?
「あの……こいつは一体? 僕になんの用があって……?」
モブは黙殺して、僕は巫女様に問いかけた。
彼女は笑顔を絶やすことなく、
「彼はあなたと同じ召喚者で、最近こちらへやって来たんです」
「ああ、そう。べつにそんなの、めずらしくもなんともないですよね」
さっさと冒険者になって町をでて、勝手に戦うなり死ぬなりしてほしい。
僕がこのモブ野郎に対していだく感情はそのていどだった。
「実はレイジもタカシと同じなのです。というのも――」
「いやぁ、戦闘系のスキルが発現しないとか、そんなんアリかよって感じだよな」
その言葉を聞いて、僕ははじめてこいつにかすかな興味をいだいた。
「なに、おまえ、戦闘系のスキルがないの?」
「そうらしいぜ。『呪い耐性』とかっていう死にスキルしかないとかでさ、まいっちまうよ」
「はっ。せっかく異世界に来たのに、そいつはご愁傷様だね」
憐れみをこめて僕は言った。
冒険者になることも叶わず、僕と違って特別な才能なんて持ちあわせているわけもない。
こいつのこれからの人生を思うと、優越感が湧くのを抑えられなかった。
「なんだよ、急にニヤニヤして?」
「いや、なんでもない。ま、君もせいぜいがんばってみたらいいんじゃないか」
「そういうわけですから、タカシ」
と、巫女様が僕を見て、
「同じ境遇の先輩として、レイジになにかアドバイスをしてあげてください」
さすがは巫女様。こんなモブふぜいも気にかけてやるとは、なんて心が広いんだろうか。
「そう言われても……。彼も作家をめざすという話なら、アドバイスのしようもあるんですけど」
「いやいや、それは百億パーセントねえな」
皮肉にも気づかず、言下に否定する。
まあ、それはそうだろうな。
僕の見たところ、こいつは一年に一冊さえ本を読まないような人種だ。
「タカシはどうです、創作活動は順調ですか?」
「は、はい! いまは構想を練っている段階で、執筆に入るのはもう少し先になりそうなんですけど――」
ようやく巫女様が僕ひとりに話を振ってくれた!
僕は次に言うべき言葉を必死に探して――
「なあ、それってさ、いつまでも構想してて永遠に書きださないパターンじゃね?」
モブがヘラヘラとした口調で許されざる暴言を口にした。
「はっ……?」
本当に激怒したとき、爆発は一瞬遅れてやってくる。
これはたぶん、脳が感情を処理しきれないためだろう。
「ふっ、ふざけるなよおまえっ! よりにもよってこの僕がエタるだって!? そんなことあるわけないだろっ! 僕を誰だと思ってるんだ!? 僕はっ、僕はっ――!」
感情を爆発させてしまってから、気づく。
巫女様が目を丸くして驚いていることに。
「タカシ、落ちついてください。レイジはなにも悪気があって言ったわけでは――」
「ッッ! うるさいんだよォッ!」
バタンと力まかせにドアを閉めた。
次の瞬間、激しい後悔と羞恥が全身をくまなく満たした。
糞ッ、最悪だッ……!
よりにもよって、巫女様の前で醜態をさらしてしまった。
糞ッ、糞ッ!
それもこれも、ぜんぶあの馬鹿のせいだ!
馬鹿は死ね!
いますぐ、可及的すみやかに、できるだけ惨たらしく苦しみぬいて死ね!
馬鹿は死ぬのが社会貢献だって、幼稚園で習わなかったのか!?
むしろ生まれてくる前に気づけ! 母親の腹の中でヘソの緒を首に巻いて自殺しとけよ糞馬鹿がッ!
糞ッ、糞ッ、糞ッ!
いまに見てろよ、僕が作品を書きあげて作家として大成したあかつきには、おまえなんかモブ以下のゴミクズに成り果てるんだからな!
◇◆◇◆◇◆
「あー……」
バタンと閉められたドアの前で、俺とセーラは呆然としていた。
タカシという名の小太りの少年。
生白い肌といかにも神経質そうな目つきが印象的だった。
小説を書いてるとか言ってたけど……まあ、芸術家っぽいといえばそんな気はしなくもない。
うーん、これって芸術家に対する偏見かね?
「なんか俺、地雷踏んじまったみたいだな」
「その、なにぶんタカシは難しい性格ですので……」
ひきつった笑みをうかべて言うセーラだった。
「ところでセーラ、一つ疑問なんだけど」
「はい」
「エタるってどういう意味なんだ?」
「さ、さあ。わたしにも詳しいことは……」