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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蒸気駆動の義手が刻むは名も無き吸血鬼の墓碑銘

作者: 足軽三郎

「目を開けていいよ、■■■」


 馴染みのある少女の声が聞こえた。

 俺は素直に従った。

 ずっと目を閉じていたせいか、照明が眩しい。

 白くなった視界の中、声の主が微笑んでいた。

 長い金髪を三つ編みにして、背中へと垂らしている。


「出来たのか、ディア」


「うん。調整に手間取ってしまったけどね。待ってね、今動かすから」


 少女――オブシディアン・ケイト・エドワーズは俺に右手を伸ばしてきた。

 彼女は車椅子に座ったままだ。

 か細い白い指が、俺の左腕の付け根付近に届く。

 ストラップを掴んだと思った次の瞬間には、引っ張っていた。


「おい、いきなり」


 俺の制止はそこで止まった。

 息を呑んだ。

 背中から届く小さな振動は何だ。

 いや、頭では分かっている。

 背中から腕に装着された超小型式駆動鎧装からだということは。

 だが理解と実感は別物だ。


「腕が……動く」


 呟き、両の腕を動かす。

 もちろん失った腕と同じではない。

 俺の視線の先、銀色の金属で覆われた腕がある。

 特別な複合金属製の義手だ。

 超硬度と精密性を兼ね添えた義手。

 剣に代わる俺の武器。


「分かっていると思うけど、稼働時間は短いよ。冷却機関は付いてないからね」


「ああ」


 ディアに答えつつ立ち上がる。

 自分の声が震えていると分かった。

 仕方あるまい。

 ようやく手に入れた俺の腕だ。

 吸血鬼に復讐を果たすための杭が――ここにある。


「すまない、ディア」


 頭を下げた。

 彼女には散々世話になったからだ。

 両腕を失ってから、全ての身の回りのことをしてもらった。

 いくら感謝しても足りない。


「いいよ、そんなことは。これを作る間、姫はずっと君と一緒にいられたもの」


 返答しながら、彼女は一つ瞬きした。

 黒曜石のような目が、すぅと俺に視線を合わせる。


「行くんだよね、君の目的のために」


「そのつもりだ」


 短く答える。

 軽く両の腕を構えた。

 予想以上に滑らかに動く。

 驚きと喜びに駆られ、左拳を空に放った。

 ジャブを二発。

 思った通りの軌道を描く。


「いい動きだな」


「当然でしょ。君の義手は姫の最高傑作だもの」


「恩に着る」


 頷く。

 ストラップを噛み、首を捻る。

 始動同様、停止もまた滑らかだ。

 束の間の動力は消え、俺の義手が止まる。

 だらりと下がった義手は重い金属塊に過ぎない。

 だが、それでも。


「腕だ。これが俺の腕だ」


 ディアは何も言わなかった。



† † †



 周囲の喧騒を無視し、真っ直ぐに進む。

 人混みを回避する必要は無かった。

 俺の姿を見るや、向こうが勝手に避けてくれるからだ。


「おい、あの男」


「吸血鬼に両腕を切断された」


「しばらく見なかったよな」


「しかしあれは何だ? 義手か?」


「あんまりじろじろ見るなよ、可哀想だろ」


 小声で話したからといっても配慮にはならない。

 感情がかさつき、小さく苛立つ。

 その苛立ちを踏みつけながら、俺は歩く。

 天井の瓦斯の灯火がゆらりと揺れ、俺の影を揺らめかせる。

 すれたようなひなびたような空気が漂っている。

 俺にとっては懐かしい、けれどもどこか遠い空気だ。


 "よそう、今は余計なことは考えまい"


 歩く。

 歩きながら、ディアに呼ばれた名を思う。

 ■■■――俺の昔の名前。

 もはや過去のものとなった俺の名前だ。

 今の俺は違う。

 俺の名はジョン・スミス。

 ただの名無し(ノーネーム)の男に過ぎない。


 気が付けば足を止めていた。

 憶えのある扉が、俺の前にある。

 手を伸ばす代わりに、ドアノブを蹴って開けた。

 鍵などかかっているはずもない。

 そのまま中に踏み込む。


「おおっと、何だい、やぶからぼうに。ノックくらいしたらどうだい」


「俺にそれを言うか、ゴブレット・ニュートン。今日から騎士団に復帰する。それを告げに来た」


 部屋の主の軽口に、一応真面目に答えてやる。

 ふむ、とだけ唸り、対面の男は俺と向き合った。

 青みを帯びた髪を後ろに撫で付けてから、男――ゴブレットはまた「ふむ」と唸った。

 厚ぼったい瞼の奥で、鋭く目が光った。


「その腕、ディアに作ってもらったそうだな。具合は?」


「今のところ良好だ。慣れる必要はあるがな」


「だろうな。いくらお前でも、いきなり義手を振るうのは無理だ」


 そう言うと、ゴブレットは天井に目をやった。

 両手は頭の後ろに回している。

 しばらく待ったが、何も言わない。

 焦れて口を開こうとした矢先だった。


「ジョン。三ヶ月待て。これは第七騎士隊隊長としての命令だ」


「三ヶ月? せっかく義手を手にしたのに、三ヶ月も待てというのか」


「そうだ」


 有無を言わせない口調だった。

 その口調の強さに、俺は反抗する気を失った。

 ゴブレットは「お前のためだ、ジョン」と諭してくる。

 キィ、と彼が座る椅子が軋んだ。

 白っぽい埃が舞い、部屋の薄明かりに消えていく。


「その三ヶ月で、徹底的に義手に慣れろ。新たな重心が加わったんだ。体の使い方も異なる。戦術だって異なる。駆動鎧装の癖だって、お前知らないだろう」


「ディアに教わったが」


 一応答えはしたが分かっている。

 付け焼き刃の知識では無理だということは。

 かつ頭で理解していたとしても、体が馴染んでいない。

 俺の気持ちを察したのだろう。

 ゴブレットの視線が義手へと向いた。


「習っただけでどうにかなるわけでもあるまい。慣れろ。日常生活を通して、義手をお前の体に馴染ませろ。駆動鎧装を起動させる時も、そうではない時もな。いいな、ジョン・スミス」


「分かった」


 ゴブレットに答えながら。

 心のどこかで俺は安堵する自分を認めた。

 猛る戦闘意欲とは裏腹に、不安が潜んでいたからだ。

 だが、それは問うまい。

 俺がこの義手に慣れさえすれば、その時は。

 インバネスを翻し、ゴブレットに背を向けた。

 ここにはもう用は無い。

 立ち去ろうとした時、声をかけられた。


「ジョン。お前には期待しているんだ」


「両の腕を無くした男にか?」


 わざと自嘲気味に答えた。

 ゴブレットは困ったような顔になった。

 そのまま、溜め息を一つつく。


「そう卑屈になるなよ」


「事実を述べただけだ。安心しろ、犬死はしない。一匹でも多く、俺は吸血鬼を狩る」


「分かっているさ。無理だけはするなよ」


「無理をしてでも狩るさ。今の俺には」


 言葉を切った。

 視線を義手へと這わす。

 チャキと金属が鳴り、俺の心を震わせた。


「――それしか生きる理由が無いのだからな」


 そのまま部屋を出た。

 ゴブレットは何か言っただろうか。

 それとも何も言わなかっただろうか。

 いや、それもどうでもいいことだ。

 この決意が鈍ることはない。

 ないはずだ。


 砂のような想いを噛みながら、一人廊下を歩いた。

 そのまま外へ出る。

 見上げれば、灰色の雲が垂れ込めていた。

 ここドルナクでは大抵こうだ。

 蒸気を動力とした産業の発展のおかげで、経済的には潤った。

 けれどもその反動がこれだ。

 黒い煤が大気中に撒き散らされ、景観を台無しにしている。

 上等区画はともかく、貧民街や産業区域はいつもどんよりしている。

 視線を下げ、己の横をちらりと見やった。

 路地裏の壁には赤銅色のパイプが這い、時折うっすらと白い蒸気を漏らしていた。

 ドルナクでは主な動力を蒸気機関で賄っているため、お馴染みの光景だ。


 それでも、人の営みはある。

 街路を縫いながら、さり気なく辺りに目を配る。

 日々の暮らしに澱みながらも、それでも人は生きている。

 屋台からは、店主の呼び声が響く。

 立ち止まる客がいれば、ここぞと呼び込んでいる。

 狭い街路にもかかわらず、子供達が遊んでいる。

 小汚い格好ながら、それでも笑顔を見せていた。


「平和、か」


 無意識の内に呟いていた。

 不意に立ち止まりそうになり、その誘惑を振り切った。

 違う。こんなものは平和ではない。

 この街のどこかにも、吸血鬼は潜んでいる。

 人のふりをして、何食わぬ顔で混じっている。

 奴らを狩り尽くさない限り、平和とは言えない。

 俺の恨みも晴れはしない。


 足を速めかけた時だった。

 俺の足元に、ポゥンと丸いものが転がってきた。

 小さな赤いゴムボールだ。

 転がってきた方へ視線をやる。

 五歳前後と思われる少女が立っていた。

 顔のあちこちに煤をつけており、粗末な服はところどころ擦り切れていた。

 じっとこちらを見ていた。

 俺に気が付き、狼狽え、けれどもジリとボールへと近寄る。

 ああ、そういうことか。


「返そう。あまり人のいる場所で遊ぶなよ」


 左足で無造作にボールを蹴り、少女へ返す。

 路面に二度バウンドしてから、ボールは主の掌に収まった。

「ありがとう……」と少女は頭を下げた。

 無言で頷き、俺はその場を立ち去った。

 小さな声だったなと、ふと思った。



† † †



 腕を失うまでは、俺は剣を使っていた。

 剣にも剣術にも、正直想うところはある。

 もし腕があれば、やはり使いたい。

 けれども、その想いが果たされることはない。

 無いものをねだっても、俺に益することは無い。

 だから止めた。

 散々泣き、嘆いた末に、諦めの境地に至った。


 ――剣を使っていたのは過去の事だ。


 自分に言い聞かせながら、俺は左腕を持ち上げる。

 左腕の切断個所は、二の腕の半ばあたりだ。

 つまり元の腕の名残が少しはある。

 そこに義手を装着している。

 ディアの作ってくれた最高傑作。

 今の俺の腕。


 ――やるぞ。


 首を捻り、口を左腕に近づけた。

 義手からは細いストラップが伸びている。

 歯で噛み締め、ぐいと引く。

 雷電が走り、アクチュエータの動力が灯る。

 義手を見ないまま、握り拳を作る。

 五指を開く。

 まだぎこちなさは残るものの、日々この新しい腕にも慣れてきている。


 ――俺は、吸血鬼を。


 左足を半歩踏み出した。

 そのまま左半身の構えを取る。

 古い拳闘の型だ。

 顔の前で拳を握ると、キシと金属が軋みを上げた。

 低い気合いの声が喉から迸る。

 この騎士団の訓練場には、俺の他には誰もいない。

 夜半過ぎまで残る者など、いるはずもない。


 小さくステップインして、まずは右の中段蹴りを。

 腰から切るように蹴り、重さを足先へと伝える。

 ガードされたと想定し、素早く蹴り足を引く。

 着地と同時に、左の蹴り。

 今度は下段へ。

 ローキックだ。

 吸血鬼相手では致命傷にはならないが、体勢は崩せる。


 基本的な蹴りには自信がある。腕を失ってから、脚が武器になったからだ。

 義手を装備したとはいえ、そこは変わらないだろう。

 自分の戦法を再確認する。

 と同時に、後方に跳ぶ。


 ――だが、やはり吸血鬼相手に蹴りだけでは。


 闇の中に目をこらす。

 仮染めの敵を俺の前に組み上げる。

 吸血鬼となった男を想像していく。

 年齢は三十歳前後。

 体格は中肉中背。

 戦技は特に無し。

 多少荒ら事には慣れているとしようか。

 どこにでもいるタイプだ。

 スタンダードな縫合回復型を相手取るなら、これでいい。


 傷口を意識することで、吸血鬼は再生能力を発現させる。

 いくら最下位の縫合回復型でも、その再生能力は驚異だ。

 スタミナも人間とは段違いである。

 故に求められるは、一撃の重さ。

 あるいは畳み掛けるがごとき連撃。

 今の俺が求めるものは前者だ。

 義手にその役を担わせる。


 物は試しだ。

 牽制の左上段蹴りを放つ。

 かわされたと想定し、踏み込む。

 いきなりの右ストレートを放つ。

 義手が唸る。

 アクチュエータが吼え、白い蒸気を噴き上げた。

 どうか。これなら当たるか。

 瞬間の思考を、疑念を振り払う。

 左拳を握り、ジャブを二発放り込む。

 鋭く小さく速く。

 重い金属製の義手だけに、ジャブでも軽くはない。


 ――上下に散らして、そこから。


 体が暖まってきた。

 右の下段蹴りを放つ。

 踏み込み、左のストレートを放つ。

 いいぞ。

 吸血鬼といっても、武術の達人は少ない。

 これなら当たるはずだ。

 だから、だからこそ。

 回復力を上回る、最後の一撃が必要だ。


 右の義手の機構を動かし、関節をロックする。

 五指が揃い、鋭利な凶器と化した。

 肘から指先までが金属の杭となった。

 決め手として使えるだろう。

 背筋を活かし、これを真っ直ぐにぶち込んだ。

 闇の中、仮の組み手相手の胸に吸い込まれる。

 吸血鬼の急所たる心臓を抉る……いや。


「これでは足りないか」


 肩を落とし、俺は駆動鎧装を止めた。

 ブシュウ……と白い蒸気を吐きながら、義手がだらりと落ちる。

 僅かな残熱に顔をしかめつつ、自分の疑問を整理した。

 あの貫手で、果たして心臓まで届くのか?

 服が厚手で、そこそこ体格のいい相手だった場合、難しいのではないか?

 ならば、普通の貫手では届かないなら。

 何か別の工夫、あるいは発想が必要になる。


 それさえ思いつけば、殺れる。



† † †



 三ヶ月はあっという間に過ぎていった。

 もっとも、この間に何も無かったわけではない。

 時折吸血鬼は発生し、その度に騎士団から隊員が出動する。

 討伐出来ることもあれば、出来ないこともある。

 その度に、騎士団に犠牲者も出る。

 入団希望者はそれなりにいるが、死亡者も多い。

 一般人の犠牲者を減らすために、俺達――銀霊騎士団(シルヴァオーダー)は戦っているのだ。

 故に、常に死と隣り合わせと言われる。


「マッカラムが殺られたってよ」


「いい奴だったのにな、あいつ。今月になってからもう四人目かよ」


「仕方ないさ。覚悟の上だ」


 ぽつぽつと、俺の耳にざわめきが届く。

 だが心は動かない。軋まない。

 同僚の死さえ、今の俺には些細なことに過ぎない。

 日常茶飯事としてやり過ごしている。

 無言のまま、視線を下へと落とす。

 銅製のマグの端を噛み、ぐいともたげた。

 こぼれぬように気をつけながら、中の茶を飲む。

 手が使えないというのは不便なものだ。

 飲み終わり、インバネスの襟元のジッパーへと歯を立てる。

 中から財布を取り出し、これも歯で開けて支払いをする。

 小銭の感触が口の端に残る。

 この味に慣れることはあるのだろうか。


「器用ですね、旦那」


「口と足しか使えなければ、いやでもこうなる」


 店主が声をかけてきた。

 無愛想に答えながら、席を立った。

 騎士団の中にあるパブだ。

 酒精で卓はくすんでおり、年季を感じさせた。

 こぼれたエールが重なり、この色合いを作ってきたのだろう。

 あるいは騎士団の流した血の色合いなのか。

 憂鬱な連想を振り払った時だった。


「ジョン、ジョン・スミスはいるか」


「ここにいるが」


 パブの入り口の方を見る。

 俺の名を呼んだ男が、ぐるりと顔を向けた。

 近づき右手の紙を差し出してきた。

「隊長からだ」という言葉に、黙って頷く。

 手が使えないため、手近の卓に置いてもらった。

 一瞬で内容を読み取る。


「セヴォン区の六番地か。近いな。被害者は?」


「まだ確認されていない。自警団が取り囲んでいるらしいが」


「倒せるわけもなく、膠着状態か」


 吸血鬼討伐の任務がついに来た。

 この三ヶ月の成果を見せる時が来た。

 指示書の最後には、ゴブレットの直筆のサインがある。

 最後にそれだけ確かめ、パブを飛び出す。

「また来てくれよ、旦那」という店主の声が遠ざかっていく。

 走りながら準備を整える。

 口を使って、インバネスを肩口へ回した。

 襟元の磁石が噛み合い、カチリと音を立てた。

 よし、あとは憎悪だけでいい。

 準備など、それだけでいい。

 ギリ、と歯を噛み締め、俺はセヴォン区へとひた走った。



 ものの十分とかからなかったと思う。

 煤混じりの空気に顔をしかめつつ、俺は現場へと向かう。

 不法投棄されたゴミを避けながら、可能な限り急ぐ。

 時間がかかれば、既に逃走している恐れもある。

 そうなれば捜索の必要がある。

 だが、今回は二度手間は避けられたようだ。


「間に合ったか」


 吸血鬼の所在はすぐに分かった。

 人々がひしめいていたからだ。

 騎士団の印章を見せ、道を開けてもらう。

 断片的に聞こえてくる言葉から、情報を選り分けた。

 残念ながら既に被害者は出てしまっているらしい。

 そして吸血鬼は一人だけ。

 そこまで分かった時、人混みが開けた。

 路地の一角が急に広くなっている。


「あんた、その印章。騎士団の」


 その場にいた男の一人から声をかけられた。

 無言で頷き、見定めた。

 身なりから判断するに、自警団の一員らしい。

 短槍を構え、路地の隅っこへ向けている。

 同じように、他の数人の男も武器を揃えていた。

 その時には俺も気がついていた。

 建物の壁がぶつかり、路地に影が寄っている。

 その暗い空間から、異様な気配が漂ってきた。

 ビチャ……と濁った音が滴った。


「く、くふふ。やれやれ、ようやく骨のありそうなのが来たなあ」


 影の一部が膨らみ、人影がそこから這い出してきた。

 人の形をしているのは分かる。

 だが俺を睨む赤い目は人のものではありえない。

 土気色の肌も同様だ。

 吸血鬼だ、間違いない。

 生前は恐らく四十歳手前といったところか。

 やや脂肪はついているものの、体格はいい。

 焦げ茶色の艶の無い髪を乱し、こちらに数歩近づいてきた。


「ずいぶんと余裕面だな。これから殺されるというのに」


「殺す? 吸血鬼の俺をか、騎士団の兄さん。無理だろ無理。ここは一つ、見なかったことにしてくれよ」


 ニィ、と吸血鬼の口の端が上がった。

 異様に尖った犬歯が覗き、粘ついた赤いものがそこに糸を引いていた。

 その言葉から察するに、逃げようと思えば逃げられたのだろう。

 自警団の連中がわらわら寄ってきたため、まともに相手どるのが面倒だったというところか。

 傷が回復するとしても、多少時間もかかるしな。


 どちらにせよ、俺にこいつを見逃す理由は無い。

「無理な話だな」と吐き捨てた時、視界の端に色調の異なる何かを捉えた。

 鮮やかな赤色の丸いものが路地の片隅に転がっている。

 あれはボールか。

 小さな人間がその横に倒れ伏している。

 細い首がありえない方向にねじ曲がっていた。

 その視線は焦点が合っていない。

 無意識に記憶の糸が手繰り寄せられた。


 "返そう。あまり人のいる場所で遊ぶなよ"


 "ありがとう……"


 ああ、そうか。

 あの時の子供だ。

 三ヶ月前、ボールを拾い返してやった相手だ。


「……お前が殺ったのか」


「ああ? おう、そうともよ。手近にいる奴なら誰でも良かったのさ。たまたまこのガキが逃げ遅れたから、こいつにしたってわけだ。首にちょいと触れたら折れちまったよ」


 そう言って、男は笑った。

 得意気な響きにこちらの苛立ちが募る。


「せっかくだからゆっくり血をいただきたかったんだがなあ。そこの連中がディナーの邪魔をしてるってわけだよ。はは、兄ちゃんも邪魔する一人か」


 これが吸血鬼だ。

 そしてこれが、俺が滅さねばならない敵だ。


「そうか」


「ああ、って、おい」


 もはや聞くことは無かった。

 擦り切れ傷んだ感情でも、響くものが無いわけでは無い。

 無言で間合いを詰める。

 インバネスの襟を噛み、磁石留めを捻り外した。

 両手が露わになる。

 吸血鬼の男が一瞬目を剥いた。


「てめえ、その手は何だ」


 答えてやる義理は無かった。

 一気に間合いを潰し、足元へと滑り込む。

 男は慌てて後退する。

 馬鹿め、格好の標的だ。

 たわめた膝を一気に伸ばし、右の上段蹴りを見舞う。

 革長靴(ブーツ)のつま先が弧を描き、横殴りに男のこめかみへと突き刺さった。

 鈍い打撲音と共に、男の頭部が揺れる。

 それでもまだ倒れはしない。

 たたらを踏み、体勢を立て直している。


「ガ、畜生が! てめえ、俺を怒らせてただで済むと思ってんのか!」


「分かりやす過ぎて逆に笑える反応だな」


 男が構えた。

 それなりにさまになっている。

 こめかみからは血が一筋流れている。

 だが、構えている間にピタリと止まった。

 一瞬では回復しない様子から、相手の格位(ランク)を見定めた。


「縫合回復型か。ならば一人で事足りる」


「っんだと。はっ、武器も無い奴が!」


「あるさ。丁度いい、初披露といこうか」


 恐怖が無いわけではない。

 腕を失くしてからは初の吸血鬼戦だ。

 だが、恐怖を塗り潰すだけの何かがある。

 戦いへの昂ぶりが、吸血鬼への憎悪が、そして――名も知らぬ少女との一瞬のやり取りが、俺に左腕のストラップを噛ませた。

 首を捻った時、赤いゴムボールがちらりと見えた。

 路傍の記憶が頭を掠めた。

 全ての感情と共に、俺は新たな武器を解き放つ。


 雷電(エレキテル)が流れ、義手に命を吹き込んだ。

 疑似神経回路が覚醒する。

 小型の油圧ポンプが肉の伸縮を再現する。

 背中のアクチュエータが咆哮し、内部で圧縮された蒸気が腕へと流れた。

 ジュ、ともジュウウともつかぬ音が響き、白い蒸気が義手の排出孔から吐き出される。


 これだ。

 これが剣を捨て名を捨てた、今の俺の武器であり全てだ。

 両手を上げ、構えの内から相手を捉える。

 睨みつける。

 男が「それはまさか駆動鎧装……いや、だがそんな小型のものが!?」と呻いていた。

 表情からは先程までの傲慢さが消え、微かに怯えが見て取れる。


「杭だ」


「何」


「これがお前らを滅ぼすための――杭だ」


 ジャッ、とつま先で地面を噛み、間合いを潰した。

 吸血鬼だといっても、この男の戦闘技術は高くはない。

 街のごろつきレベルに過ぎないだろう。

 ならば過度に恐れることもない。

 先制の左ジャブを放つ。

 これはガードされるが、男の上体が揺れた。

 複合金属製の義手なのだ。

 パンチの重さは素手とは段違いだろう。

 そのまま次の攻撃へ。

 左の下段蹴りを相手の右膝へと叩き下ろす。

 斜め上からの一撃に、男が顔を歪めた。

 だがまだ落ちない。

 右拳を振るい反撃してきた。


「吸血鬼ならではか」


 これを右手で払い、そのまま男の左側へと回り込む。

 奴の赤い目がこちらを睨む。

 縫合回復型とはいえ、人とはタフさが違う。

 先程の膝へのダメージも、あらかた回復しているようだ。


 右手の指先を揃え貫手とした。

 吸血鬼を倒すには、急所への一撃が必要だ。

 心臓、脳幹、あるいは首をぶち抜いての大量出血。

 一気に意識を刈り取らない限り、奴らは回復能力を発動させる。

 故に首筋を狙った。

 だが。


「うおっ!?」


「浅いかっ」


 身をよじり、間一髪回避された。

 腐っても吸血鬼の端くれだ。

 自分の急所への警戒は怠っていない。

 浅く皮膚を削ったのみだ。

 逆にカウンターで、右膝をぶち込んでくる。

 これを同じく俺は左膝を上げて受け止める。

 自壊もいとわぬ馬鹿力だが、足技ならば俺が上だ。

 斜め下からぶつけることで、膝の衝撃を逸らした。

 ここから組み技――駄目だ、間が悪い。

 一度下がり、息を整える。


 "勝てない相手ではない"


 回復能力とスタミナは厄介ではある。

 それでも総合的な戦闘力は俺の方が上だろう。

 仕留めることは可能だ。

 問題はただ一つ。

 戦い方が制限されるという点だった。


「ちぃ、中々やりやがるな。だがなあ、ちまちまやってちゃ俺は倒せねえぜ」


 男がにやりと口元を歪めた。

 口の隙間から犬歯を覗かせ、せせら笑う。

 嫌悪感は沸くが、言っていることは頷ける。

 事実、貫手による出血もほぼ止まりかけていた。

 ただの人間と吸血鬼では持久力が違い過ぎる。

 粘り強く戦っても無理なのだ。

 ダメージは俺だけに蓄積され、やがては負けてしまう。

 駆動鎧装の可動時間という制約もある。


 ならば、罠を仕掛けるしかない。

 左手のガードを下げ、手のひらを上に向ける。

 防御はがら空きとなった。

 男が戸惑うように首を傾げる。

 構わず、くいくいと人さし指を曲げた。

 説明するまでもない挑発のポーズだ。


「どうした、来ないのか。たかだか武器も持たぬ人間に殴られ、自分からも仕掛けられないとは情けないな」


 義手から僅かに熱を感じる。

 もってあと一、二分が限界だ。

 乗ってこいと願った。

 乗ってくるだろうと予想していた。

 俺と吸血鬼の視線が真っ向からぶつかる。

 赤い瞳が禍々しい光を放つ。


「はは、馬鹿にしてくれんじゃねえか畜生があ!」


 かかった。

 一度軽くしゃがんでから、男はこちらへ跳んだ。

 腱と筋肉の限界を超えた速度だ。

 回復能力がある吸血鬼ならではの、自壊覚悟の特攻だった。

 しかし俺はこれを予想していた。

 こいつの戦闘経験は浅い。

 特別な技が無いなら、一番効果的な攻撃はこれしかない。

 その速度も凡そ予想通りだ。

 これまでに戦った縫合回復型の範疇を出ない。


 "かかった"


 大きく振りかぶった構えから、吸血鬼が右拳を振るう。

 確かに速度は大したものだ。

 突進の勢いを乗せ、破壊力も相当だ。

 だが素直過ぎる。

 引きつけた上でかわす。

 それだけではない。

 この防御をそのまま攻撃に繋げてこそ意味がある。

 上体を倒れ込ませ、仰け反って右拳をかわす。

 鼻先を掠めるギリギリで見極めた。

 男の右腕を両手で掴む。

 同時に左足を、やや遅れて右足を踏み切った。

 仰向けになりながら、敵の右腕を抱えて跳んだ形だ。

 視界の隅に、男の間抜け面が映った。


「――浅はかだったな」


 全力を込めた一撃だからこそ、動きが硬直する。

 だからこそ、この大技を決める隙が生まれる。

 相手の右肩の外から左足を回し、勢いのまま巻き付ける。

 逃してたまるか。

 左膝の裏で男の頭を後頭部からロックした。

 一瞬遅れて、その顔面に右膝を斜め下から叩き込む。

 グシャッと嫌な音が響く。

 鼻が潰れたのは間違いない。

 下手したら気道の一部も壊れただろう。

 ドロリとした血が飛び散る。

 だが、これで終わりじゃない。

 これくらいなら自然回復するのが吸血鬼だ。

 右膝への衝撃を堪え、俺は上体を全力で左へ捻った。


 "ここで決める"


 強烈な体の捻りに、男はたまらずうつ伏せに倒れ込む。

「ごあ……」と鈍い呻き声を上げながら、顔面から地面へ激突した。

 ブシュ、とまた血が流れる。

 口元辺りを切ったのだろう。

 いける。

 お互い地面にうつ伏せの体勢となっている。

 俺は男の右腕をまだ離さない。

 倒れ込む時に両手で極め、自分の左脇に抱え込んでいた。

 この機会を逃してたまるか。

 駆動鎧装の出力を上げると共に、膝で背中を抑えつけた。

 身を起こし、間髪入れず一気に絞り上げる。


「おおおおお!」


「ガ、ガハァッ!?」


 関節が完璧に決まれば、いくら吸血鬼でもダメージはある。

 腱が切れ、筋肉も損傷する。

 右肘は破壊した。

 右肩の骨も恐らく一部砕けたはずだ。

 痛みが限界を超えたのか、男の動きが数瞬止まった。

 無防備に背を晒したまま、鈍い視線が地を彷徨う。

 俺は右手を振り上げた。

 チャンスだ。


「もらう」


 右手の関節機構をロックする。

 ガキリという鈍い音が響き、指先から肘までが金属の杭と化した。

 ヂヂッと雷電が疾駆した。

 背中のアクチュエータが、一気に蒸気圧を最高値まで高める。

 異常に気がついたのか、男の体がビクンと跳ねた。

 全体重をかけ、うつ伏せの相手を左手と膝で地面に押し付けた。

 この技で確実に仕留める。

 心臓をぶち抜いてやる。

 回復の暇など与えん。


「《杭打ち》!」


 真下へと打ち込んだ。

 ただの貫手ではない。

 圧縮蒸気を義手の推進力と化した必殺の一撃だ。

 背中、腰の連動に、暴力的な加速度が上乗せされた。

 複合金属製の義手は、狙い違わず吸血鬼の背中へと吸い込まれた。

 背骨をへし折り、そのまま心臓を貫く。

「カ……!」と濁った叫びが聞こえる。

 真っ赤な血が盛大に義手を濡らしていく。

 堅い指先に伝わってくるのは、こいつの心臓の感触だ。

 元の形が分からぬほどにめちゃくちゃに破壊したのは間違いない。

 ゴボ、と男が一塊の血を吐き出す。


「お、おのれ……素手の、騎士にまさか……」


「死ね」


 無造作に言い放ち、右手を奴の背中に更に押し込んだ。

 それが止めになったのか、男は一度ぶるりと体を震わせた。

 そしてそれきり動かなくなった。

 右手を引き抜く。

 ニの腕にぞっとしない感触が伝わってきた。

 粘り気のある血糊を払う。

 のろのろと体を起こす。

 酷く重く感じるのは、久しぶりの戦闘のせいだろうか。


「済んだ。再銑礼(さいせんれい)と埋葬については、他の者がやる」


 それだけ周囲に言い残し、動かなくなった吸血鬼から離れる。

 吸血鬼は自らの名を失うため、墓が無い。

 故に特殊な形式でその死は――再びの死と言うべきか――は弔われる。


 大きく息を吐き、歩きだす。

 来た時と同じく人混みが割れた。

 幾人かの視線が俺の義手に注がれた。

 チラ、とそちらを見ると慌てて視線を逸らした。

 怯えが混じった表情を認め、何とも言えない気持ちになった。

 彼らにとっては、俺も人ではない何かに見えるのかもしれない。

 血の通わぬ金属の腕を持ち、素手で吸血鬼を屠る。

 なるほど、化物と言われても仕方ないだろう。

 だが……俺はそれでもいい。


 一度だけ振り返った。

 あの赤いボールの少女の遺体も回収され、白い布をかけられている。

 微かに心に差し込んだ何かに蓋をして、その場を立ち去った。

 煤混じりの風がインバネスの裾を揺らした。



† † †



 おめでとう。単独で吸血鬼を屠ったんだね。


 ああ。この義手のおかげだ。


 役に立ったようで良かった。姫も嬉しいよ。


 そうか。


 それにしても、そうかあ。

 蒸気圧縮を用いての貫手なのか。

 まったく無茶な攻撃を考えるね。


 済まん。

 確実に致命傷を与えるには、それしか思いつかなかった。


 ううん、いいんだよ。

 君の役に立てることが、姫は嬉しいから。

 君の復讐心に寄り添うことが、姫の願いだから。

 だから心ゆくまで吸血鬼を殺していいよ。

 駆動鎧装の整備は姫がやるからね。


 恩に着る……ディア。


 うん?


 俺は。俺の杭は。奴に届くと思うか。


 ――届くまで止める気も無いんでしょ。

 君のそういうところ、姫は好きだよ。


 ――そうだな。

 俺から全てを奪った吸血鬼(やつ)を殺すまでは、止まれない。

 止まるつもりもないが、な。





 Here is the end of this story.


 And, you will read main story ―― John Smith " a striker of regret".

本編『悔打ちのジョン・スミス』https://ncode.syosetu.com/n4219ef

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[一言] スチームパンクで吸血鬼狩りとかロマンの塊ですやん……!
[良い点] 言葉と世界が一つになっている感じがしました。 こういう雰囲気、とても好きです!
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