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アクイレギアの心臓  作者: 佐倉真由
花の名前なんて知らない
6/50

『待っていたのよ、王子様』


 そう言って華やかに微笑んだ女の顔は、気味が悪いほど誰かに似ていた。





 鈍い頭痛と共に、目が覚めた。

 寝ぼけ眼を擦りながら、レグルスは昨日の記憶を掘り起こす。

鳥の囀りが遠い。ここは一体どこだったか。何故こう頭が重くて痛いのか。変な夢を見た……気がする、けれど。


 目元に残る違和感に気づき、泣き疲れて寝たらしいと悟れば後は早かった。

出会ったばかりの変な鼠相手に八つ当たりして愚痴を零して、勝手に自己完結した挙句そのままずるずる眠り込んだのだ。なんという醜態だろう。

 それに、そうだ。あの鼠は。


「……。潰してないよな、俺」


 自分の下敷きにされ憐れにもぺちゃんこになった白い鼠を想像し、レグルスは慌てて飛び起きた。そんな最期、いくらなんでも惨すぎる。


 朝とはいえ未だ薄暗い中、必死に目を凝らすが、鼠の姿はない。

夜のうちにどこかへ行ってしまったのだろうか。拍子抜けしたような、どこか心細いような気分になって、レグルスは小さく息を吐いた。


「……ま、そりゃそうか」


 別れの挨拶くらいしたかったけれど、考えてみればやはり鼠は鼠なのだ。いくら意思の疎通らしきものができても、ただの鼠にそれ以上望めないだろう。


(水、届いてるかな。顔でも洗うか)


 大きく伸びをして立ち上がったレグルスの耳に、密やかな物音が届いた。


「?」


 やっぱりあの鼠が部屋の中にいるのだろうかと彼は視線を上げる。

昨日やってきたばかりで馴染のない部屋を見渡し、淡い朝日が差し込む窓、一晩で妙に煤けたように見える古机と丸椅子、相変わらず重たげな扉の傍を通り過ぎて本棚の前で目は留まった。


 いた。――ただし、鼠ではない何かが。


 ごそごそ本棚を探って首を捻っている白い後ろ頭は、確かに昨日の白鼠とそっくりだが、サイズがあまりにも違い過ぎる。

 鼠よりは余程レグルスの方に近い形をした、これはつまり。


「……人、間?」

「あ」


 泥棒にしてはあまりにも堂々とした態度で、「彼女」は振り向いた。


「おはよう、王子さま。よく眠れた?」


 身構えていたのが馬鹿らしくなるほど朗らかに女は微笑むが、どう考えても見知った顔ではない。一度でも会っていれば忘れはしないだろう。そう断言できるくらい彼女は――いろんな意味で、強烈だ。


 特徴的な銀色の巻き毛が、持ち主の動きに合わせて軽やかに揺れる。

 老人の白髪のような色だが、そこには確かに若い娘の髪らしい艶があった。

 ただし、それが全て、ふわふわともぼさぼさともつかぬいい加減さで背中に流されている。手入れの手の字も知りません、と言わんばかりの惨状には、目も当てられない。


 透き通るように白い……というよりは、血の気が無いと言った方が正解の肌は、不健康そうな色味に反してしっとりと柔らかに見えた。

 小柄な体も小さな顔も、緩く弧を描いた唇も全て「愛くるしい」という言葉がぴったりくる姿をしているのに、草だか泥だか分からない謎の汚れの染みついたローブが何もかもをぶち壊している。


 清々しいほど台無しだ。


 潔すぎる不協和音のオンパレードに、レグルスは思い切り顔をしかめた。


「……何だ? お前」

「魔女よ。魔法、解いてくれてありがとう。失敗しちゃって困ってたの。助かったわ」


 返事で謎が解けるどころか、余計深まった気がするのは思い過ごしだろうか。


 ただでさえ寝起きで鈍っている脳みそをこれ以上苛めないで頂きたい、とレグルスは目を覆った。そもそも初めて会った人間に突然感謝されても困る。

 というか今この女、とんでもないことを言わなかったろうか。レグルスは指の隙間からちらりと視線を上げた。


「魔女? 魔法? 解いたって、俺が?」


 そうよ、と首肯する女の瞳は、丸く大きなアイスブルー。

 どことなく見覚えのあるその色に、レグルスは目をむいた。


「……!? 待てお前まさか昨日の!?」

「気づいてなかったの?」


 当たり前だと叫びそうになるのをどうにか堪え、レグルスは元鼠・現魔女(自称)をまじまじと見つめた。

 不躾な視線を受け止めて真っ直ぐ見つめ返す彼女は、確かに昨夜の鼠を髣髴とさせる。

 が、にわかには信じがたい事態だ。鼠が人語を解すのも不自然に違いないが、鼠が人間に変身するなんて、まるでお伽噺の世界ではないか。しかも魔女?


 戸惑うレグルスの唇から漏れたのは、自分でもびっくりするほど情けない声だった。


「……魔女がこんなとこに何の用だ……?」

「探し物があって。肝心のものはなかったけど、代わりにいろいろ見つけたわ」

「いろいろって……言っとくけど、部屋にある物ひとつでも持ち帰ったら立派な泥棒だぞ」

「どうして?」


 きょとんと目を丸くし首を傾げる様子はどこかあどけなく、道理のわからない子供を責めているようで気が引けたが、だからといって曖昧に片づけていい問題でもない。

 あのなあ、と眉間にしわを寄せたレグルスに、彼女は平然と言い放った。


「だって、ここ、わたしの部屋よ」

「……は?」

「だからまさか人がいるとは思ってなかったんだけど……まあいいわ、ついでだし。王子さま、閉じ込められてるんでしょ?」


 気付けば目の前に立っていた彼女が、ずいと手を差し出した。

 小さな青白い手は、血が通っているのか疑いたくなるほど冷たいが、感触は普通の人間と全く変わらない。そのことが逆に不気味さを際立たせ、魔女という名乗りにほんの少しの真実味を加えている。


 手を引かれ間近に並んで立ってみると、思った以上に女は小柄で、レグルスの胸辺りまでの背丈しかない。

 女は背伸び気味にレグルスを見上げ、内緒話をするように囁いた。


「あのね、誰にも見つからずに、ここを出る方法を知ってるの」


 そんなことを言って、レグルスを共犯にしようとでもいうのだろうか。唐突な打ち明け話に、戸惑いの表情を浮かべた彼を見て、女が返したのは、意外にも困り顔だった。


「まあ、いまさらって言えば、そうなんだけど、一応ね。……一緒に来ない?」


 問うた女の眼差しは、どこまでも優しく親しげだ。

 何だか調子が狂ってしまって、レグルスは眉を寄せた。得体のしれない闖入者に散々知った口を利かれ、普段であれば不快感を覚えたところだろうが、ここまで突拍子もなさ過ぎるとかえってそんな気も失せるものらしい。


 女はじっとレグルスを見上げ、返事を待っている。

 ……ともかく、魔女云々は置いておくとして、入ってきたからには逃げるあても自信も一応あるのだろうけれど。


 一瞬の逡巡の後、レグルスは頷いた。


「……そうだな、ひとまず出られるなら何だっていいや。案内してくれ」


 駄目で元々、あからさまに投げやりな言葉だったが、女はそうは受け取らなかったようだ。にっこり機嫌よく頷き、弾むような声で彼女は言った。


「よかった! じつは、案内するまでもないの。あなたの了解さえ聞ければ」


 ふと、朝の冷たい風が、レグルスの首筋に触れて駆け抜ける。


 奥歯が浮き立つような不快感に、彼は肌が粟立つのを感じた。

 振り返れば、そこには石を積み上げた古い造りの窓枠と、底の見えない谷がある。


 いつの間に。

 問い質す暇も与えず、女は無邪気に――そして無慈悲に、微笑んだ。


「一瞬で着くから」

「な……」


 どん、と胸に軽い衝撃を受ける。

 咄嗟のことに身動きもとれないまま、レグルスの体は宙へ投げ出された。

 視界が反転する。急激に遠ざかる部屋の窓には女の姿。身を乗り出してこちらを見ているようだが、表情は分からない。


 虫も殺さぬ顔をして、彼女は未だ微笑んでいるのだろうか。


 助けてあげる、だって?


(殺してあげる、の間違いじゃないのか)


 そう思ったのを最後に、レグルスの意識はふつりと途切れた。

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