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アクイレギアの心臓  作者: 佐倉真由
アクイレギアは誰も愛さない
45/50

 水を打ったような静けさの中、ゆらりと動く影があった。

 壇上の紅い女が、血走った目をレグルスに向ける。開け放たれた扉から差し込む光は、もうずいぶんと心もとない。薄暗い視界で何とか捉えた女の唇は、じわりと三日月の形に歪んだが、リンには彼女が笑っているようには見えなかった。


 くは、と、奇妙な吐息が女の口から漏れた。


「く、ふは、……ははははは!! ああ、そうか! 魔女アクイレギア!

高貴なる王家の血筋の者が、魔女に成り下がったと! そう、お認めになるわけだな、王太子殿下!!」


 哄笑を上げる女教皇に、ロビンは僅か眉を寄せて視線を返す。リンは「違う」と声を上げようとしたが、再びレグルスによって声を殺された。非難の目を彼へと向ければ、ちらとこちらを盗み見た緑色は、少し――笑っているようにすら見える。


(笑い事じゃないでしょ!?)


 無音で憤慨してみせるリンに眉を垂れ、レグルスは彫刻のような無表情を作る。が、こちらもリンには「無表情」には思えなかった。あまりに生き生きと、悪戯っぽく瞳が輝いているものだから。


「誰だって認めるしかねぇだろうよ。それがどうした?」

「どうした、だと? 何を寝惚けたことを。貴様のような魔女を生む血筋など、カーレンバルトの王に相応しくない。貴様はもとより、王太子殿下にも、この王冠を戴く資格は無いということだ!」


 はらはらと成り行きを見守るリンは、ロビンが唇を噛むのを見た。色をなくした白い顔が、ゆっくりと下を向く。そっと息を零したのは、落胆だろうか。見ているリンの胸まで痛くなってくる。こんなの、あんまりだ。

 リンの代わりにレグルスが魔女を名乗り、多少の混乱こそあったものの、流れそのものは教団の意図したものと大差ないのだ。魔女が現れ、太陽は欠け落ちる。正当な後継者であるはずのロビンから、王冠が奪われようとしている。獣の野心を抱く、あの女教皇によって。


 軽くよろめいたリンを、ヨナの姿の「協力者」が支えてくれた。

 今のやり取りには、必ず何かがあるはずだ。この礼拝堂という名の劇場は、レグルスたちが整えたのだから。けれど、その舞台袖で見守ることしかできないリンには、主演が一体誰なのかすら、見当もつかない。


 ゆっくりと足音を響かせ、レグルスがロビンの傍らに立った。

 兄弟は一瞬視線を交わし、どちらからともなく壇上の女を見る。


「へぇ? じゃあ、誰なら相応しいと?」

「……なに?」

「お前たちに不死の魔女は殺せないのに、一体誰が俺を止めるんだ? こいつに王の資格があろうとなかろうと、俺を放っておけばじきに草木は枯れ、民は不死の怪物と成り果て、この国は滅ぶぞ?」

「戯けたことを! 我らに魔女を滅せぬと言うなら、それは誰であれ同じ……」

「ああ、できないことは認めるわけか! ははは! こいつは傑作だ! 『不死者』をどう都合よく解釈したかは知らんが、己が招いた災禍の始末もできんとは! まさに獣だな? あぁいや、獣の方がまだ賢いか?」

「き、貴様……!!」


 揚げ足を取られ顔を真っ赤にした女に対し、煽るだけ煽って気が済んだのか、レグルスは涼しい顔をしている。

 ひっそりと、ロビンがもう一つ呼気を零す気配があった。今度は何の溜息だったのだろうか。


 兄を見上げたロビンは、初めより幾分緊張の緩んだような――もっと言うと、呆れたような顔をしていた。


「……兄上は」

「うん?」

「自覚なさってください、本当に。その減らず口、やはり『兄上』のままではありませんか」


 ぎこちなく眉を垂れ、苦笑とも何ともつかない表情をしてみせたロビンにつられ、重臣たちの幾人かも肩の力を抜いたようだった。

 宝剣を支えに立ち上がり、ロビンはレグルスと並び立つ。

 ひょろりと背の高い弟王子は、静かな声で問うた。


「僕が兄上に返せるものなら、その王冠しかありません。……ですが、違うのでしょう。兄上の言い方では、まるで、僕ならあなたを止められるかのようでした。

ですから、『魔女アクイレギア』に問います。()()()の望みは何ですか?」

「……ああ、教えてやろう。我が望みは一つだけ、」


 ひゅ、と空が真一文字に裂ける音。


「っ……!?」


 咄嗟に後ずさったロビンの肩から、厚い毛皮のマントが滑り落ちた。

 留め具が断ち切られたのだ。気づいた時には、ロビンの左胸にピタリと剣先が向いていた。


おまえの心臓だよ、ロビン」

「な……」

「アクイレギアは誰も愛さない。心なき魔女だからだ。

俺には心臓がない。二回も止まったからな。大体そこの女のせいで。

心臓のない魔女では、災厄は止められない。何せ、心がない。助けてやろうって慈悲も湧かない。つまり、もう俺自身にも打つ手がないわけだ。

誰の心臓でもいいわけじゃない。俺と同じ血を引いてるのは、もうお前だけだ」

「ですが、それでは僕は」

「死ぬだろうな。どうする?」


 あっさりと。

 酷薄に言い放ち、レグルスはロビンから周囲の者へと視線を移す。


 居心地の悪い緊張感が辺りを覆った。周囲の反応に頓着することなく、元凶のレグルスは剣を引く。弟に背を向け、真っ直ぐに群集の中のひとり――リンを見た。

 鮮やかな緑と薄青色が交錯する。途端、リンの意思に反し、身体が勝手に一歩前へと進み出た。訳も分からないまま、操り人形のようにふらふら歩き、殆ど転びかけるような状態でレグルスの腕の中に飛び込んだリンを、人々の視線が容赦なく刺す。

 手を貸しただけにしては強めの抱擁に、リンが目を白黒させていると、


「お待ちください、兄上! そちらの女性に何を!?」


(え?)


 そちらの女性?

 まるでリンと初対面であるかのようなロビンの言葉に、リンは目を見開いた。

 止まりかけていた思考が、勢いよく回りだす。


 本物の魔女アクイレギア、ロザリンド・カーレンは、迂闊で不器用で騙されやすく、おまけに子供っぽいけれど、決して馬鹿ではない。記憶力だって悪くはない。だから、彼女の思い至った結論は、安心できるものとは言えなかったけれど、おそらく正解ではあるのだろう。


 どうやら本当に、これは「物語」なのだ。

 そしてロビンは()()()()()側に居る。

 ハッとしてレグルスを見上げると、彼は愉快そうに片眉を上げ、弟の方へと視線を戻した。


「何も? 一応お前に紹介しとこうと思って。なあ、()()?」

「へっ!? ちょ、は……、っ……んー、んー!?」

「ああ、悪い。加減が難しいな。呼吸まで塞いだか?」


 リンは息などしていないので特に問題はないし、実際に「塞がれた」のは声だけなのだが、周囲の目にはそうは映らないのだろう。この場の全員が、レグルスを「敵役」としている状況だ。同様に、リンに与えられた役割は、憐れな「囚われの姫」である。――遠い昔、彼女が兄を失った時と、同じように。


 あんまりだ。

 あんまりじゃないか。これから一体どうする気なのか。

 リンの為に生きると言ったのに、これではまるで、死に急いでいるかのようだ。


 無言のまま、涙の出ない泣き顔でレグルスを見つめるリンに、彼は少しだけ申し訳なさそうに笑った。そうして軽く息を吐き、滔々と語り始める。


「……一度目の死から俺を目覚めさせたのは、この娘だ。かの古代帝国の末裔――亡国の姫の口づけが、俺に掛けられた『死に至る呪い』を解いた」


 逆だ。

 魔術に失敗したリンの呪いを解いたのは、王子であるレグルスのキスだった。


「だが、彼女にとっては不幸なことに、目覚めた俺は魔女だった。

魔女のキスは隷属の証。憐れな『皇女』は、俺に従うしかなくなった」


 逆だ。

 魔女のリンと口づけを交わしたせいで、レグルスはリンの傍に縛り付けられてしまった。


 レグルスの言葉を信じた兵士の一人が、彼に剣を向けたとき、咄嗟に立ちはだかったのはリンの意思だけれど。それを「操られている」と判断しない者が、ここには最早いないのだ。

 恐ろしさと憤りに震えるリンの肩を抱き、レグルスはスッと目を細めた。


「……残念ながら、今の俺に彼女を解放してやるような『心』は無い。

さて、ロビン。少し時間をやるよ。国と女一人救うために、その心臓を差し出すか。それとも、我が身愛しさに王の責務を放り出すのか。……決めたら塔まで来い」


 よく考えろよ、王子様。

 潜めた声でそう告げて、レグルスがリンを抱き上げる。

 同時にリンの唇が、声なき声で呪文を紡ぐ。


「ま……待て、逃がすなッ!!」

「っはは! 遅いんだよ、どいつもこいつも!」


 レグルスはそう言って周囲を煽る。派手に立ち回るほど、実際に魔術を行使するリンではなく、()()()()()()()()()容姿の彼へと視線が集まる。


 ガキン、と耳障りな音を立て、剣の切っ先がぶつかり合った。

 二人の姿は掻き消えた。




 ――ここまでは、上出来だ。


 ホッと息を吐きそうになるロビンの肩を、ちょん、と誰かが突いた。

 振り返れば、好々爺そのものの老人が、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。


「さあ、『主人公』の仕事はここからですぞ、ロビン様」

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