七
――心なき者は魔女を得て、昏き覇道を歩む。
身籠ってから十月十日の間、彼女に与えられたのは、そんな啓示だった。
曰く、獣の心を持つ王が、獅子の太陽を射落とす。
果てにあるのは不毛の大地。
月に呪われ、夜に支配された不死の帝国が、眼前に広がる。
娘が生まれてすぐのことかもしれないし、それともずっと先の未来の話なのかもしれない。該当者がそれぞれ誰なのかも、こちらの解釈次第だ。「預言」とはそういうものだから、それは仕方がない。
良くも悪くも、大きくなり過ぎたのだ。「わたくし」も、この国も。
どうしてそんなことになってしまったのかと、過去を悔いても、今更ではあるけれど。
かつて、カーレンという小国に産まれ、不死の巫女として戦場を駆けた女がいた。
アクイレギア――その名が意味するものは、『勝利の誓い』だ。悪名高き魔女の名とされる前、それは民衆が彼女の活躍を称えて呼んだ、他愛無い愛称だった。
やがて、小国の主に過ぎなかったカーレン家は、大帝国の王として大陸に君臨するようになる。
魔女は束の間の平和に胸をなでおろし、新たな巫女の育成に励んだ。その最初の一人が、後の内乱の引き金となる、「背信者のヨナ」である。
ヨナは幼い頃に父の死を予言し、気味が悪いと捨てられた子供だった。
純潔の誓いを立てた巫女は、子を産むわけにはいかなかったから、彼を我が子のように可愛がった。
けれど、ある時、皇帝家直系の血が絶えた。
国を築いた英雄の血が絶えたとなれば、混乱は免れないだろう。
それ程カーレンの名は人々の支えであり、また、たったそれだけの欠落で瓦解してしまいそうなくらい、帝国は大きくなり過ぎていた。
何百年と生き続ける美貌の魔女は、最初の、そして最後のカーレンの娘となった。遥か昔、他国へ嫁いだ魔女の姉妹たちを辿って末裔に辿り着けたとして、今や属国となった国々から新たな主を迎えると言っては民衆が納得しない。困った重臣たちは、とうとうアクイレギアを皇妃に指名し、誓いは破られた。
『それでも、本当なら、あんなことにはならずに済んだの』
最悪の結末へと導いたのは己自身だと、豊かな銀髪の女が言う。
独り言のようなそれを、レグルスは傍らで幽霊のように聴いている。
『産まれたのは娘だった。民衆にとって、巫女は乙女でなければなかったし、皇帝家はカーレンの血を引く者でなければならなかった。
わたくしは、巫女の資格を失った。帝国の新たな礎となるために。
なれば、わたくしの娘が、次の巫女になるべきだった』
それを許容できなかった。そうして秘匿した。
ロザリンド・カーレンは、存在しない皇女となった。
巫女は、不死の魔女は不完全だ。何しろ、「人を愛せない」。
心臓を喪い、紡ぐ愛の言葉は魅了の呪いと化し、結果、愛した人を殺してしまう。カーレンという国への隷属を強いられ、抗う術を持たず、心を持つことも許されず。アクイレギアと呼ばれた女は、ただ「死なない」というだけの化け物だった。
自分がその呪縛から逃れられたのは、血が絶えたという理由があったから。
そうして、その理由に今度は縛られることとなった。
愛しい娘を、そんな惨い人生から遠ざけたくて、彼女は間違えたのだ。
『わたくし一人の死体で済むところ、国を道連れにしてしまった』
それは紛れもない己が罪だけれど、後悔しているのはそのことではない。酷い女でしょう、と疲れたように笑って、話し続ける。
十五年も隠し通せたことこそ、奇跡と呼べよう。だが、やはり人の口に戸は立てられない。
豊かになったカーレンに、本当は巫女などもう必要なかった。けれど、民がそれを許さなかった。
彼女の行いは、そして娘の存在は、人々への裏切りとされた。
肥大化した帝国の中枢とて、既に腐り果てていた。それが世の常というもの。
もはや、巫女という概念も、皇帝や皇妃という地位も、本人の手を離れてしまっていた。
『ヨナが、巫女の後継者になると言ってくれたわ。わたくしの悩み、思いを全て理解した上で、彼ならば、わたくしのように苦しみはしないからと。
けれど、上手くはいかなかった。あの子を支持する者、あの子を妬む者……彼らの欲に邪魔されて、ヨナは身動きが取れなくなった』
その間にも、状況は悪化の一途を辿る。
混乱の中、一向に姿を見せない皇女が槍玉に挙げられ、国の土台が揺らぐ。
ある時、疲れ果てた「わたくし」の耳に、恐ろしい言葉が飛び込んできた。
『ヨナが、ロザリンドの首を絞めた、と』
果たしてそれは事実であった。「わたくし」は大いに混乱した。
彼の真意が何であったか。想像することしか、できないけれど。
捕えられ、処刑台へ送られる彼の姿に、民衆は喜んだ。
そうして被害者である皇女を、ほんのひと時だけだが、憐れんだ。
――理由など、それで察せられるというもの。だって、あの子は本当に、本当に優しい子だったのだから。
胸をかきむしって哭いた。なぜ、なぜ、なぜ。
まるで意味のない問いを繰り返しながら。
我が子のようだった、最愛の弟子を犠牲にしても。最早止まらぬと。
転がり落ちる坂の先、鮮明な滅びの予兆に日々嘆きながら。
間違えたのは、「わたくし」だった。
嘆く資格などありはしないというのに。
石造りの奇妙な「鳥かご」を撫で、女は立ち上がる。
レグルスにも見覚えのある廊下を、迷いなく歩いて行く先は、リンとレグルスが初めて出会ったあの塔だ。
女の足は徐々に速くなり、追うレグルスも駆け足になっていく。
いつの間にか、辺りには息の詰まるような熱気と、焦げた臭いが漂っている。
『わたくしは、確かに呪いました。
わたくしの、可愛い子どもたちに救いをと、呪いました』
ふ、と。女が微笑んだように感じた。
銀の女は、紅い瞳に挑戦的な光を宿して、くるりと彼に振り返る。――否。彼の背後に迫っていた、民衆たちへと振り返る。
「残念ね。『アクイレギア』の心臓は、ここになくてよ。遠い未来、獅子の太陽を持つ者だけがその存在に気づき、見つけ、導くでしょう――新たな再生へと。……これがわたくしの最期の預言。記憶したかしら?」
女の言葉が向けられたのは、人々であって、レグルスでもあった。
いきり立つ民衆の先頭に、まるで場違いな幽霊として、彼は立っていた。
この先起こることなんて、「視て」いなくたって誰でも分かる。
レグルスは、女に――リンの母親に、手を伸ばした。
雪のように白く嫋やかな腕には、触れることができず。
逃げろ。今なら間に合う。娘の後を追え。聴こえるはずなどないのに、叫ぶ。
そう、これは夢だ。きっと最後の。
あの日、身内に取り込んだアクイレギアの毒を引き金として、千年前に仕掛けられていた「呪い」の終わりを、レグルスは見ている。
女が笑う。リンによく似た面差しに、深い悲しみと安堵を載せた、母の顔で。
「さあ、愚かな『英雄』共よ! 裏切り者を見抜けなかった馬鹿な女が殺せても、魔女アクイレギアはお前たちには滅ぼせぬ!!」
煤に汚れ、炎に肌を焦がし、やつれきった美貌に華が咲く。
無数の刃を迎え入れるように、彼女はしなやかな両腕を広げた。
凄絶な微笑みが一瞬憎しみに燃え、諦めに陰り、それでもなお柔らかく温かく、慈愛に満ちて。
(アクイレギアは、誰も愛さない)
そんなことを言い出したのは、一体誰だったのだろう。
彼女は愛さないのではない。愛せなかったのだ。愛してはならなかったのだ。こんなにも平凡で、間違いだって犯す、ただの「母親」であったのに。
色を失った彼女の唇が、微かに動いた。
「……リン……な、たは、……生き……」
宝物のように囁かれたのは、ならぬものと産まれ、国と共に葬られた、最愛の娘の名だった。




