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アクイレギアの心臓  作者: 佐倉真由
独りぼっちじゃない
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 さて、レグルスがリンと共に「落下」してきた場所から、森一番の巨木を目印に真っ直ぐ進み、苔生した双子岩の間を通った先にリンの家はあった。


 色に溢れた森を抜け、唐突に現れる「魔女の家」。

 その名のおどろおどろしいイメージとは異なり、日当たり抜群の空間にちょこんと鎮座しているそれは、敷地の大半が植物を育てる為のスペースに当てられている。


 家そのものは、寝泊りできれば充分とばかりに一切の設備が省かれたものだった。ついでに家主の背丈に合わせて作られているのか、やたらと天井が低い。入口の扉の小ささときたら、初めは小人の家かと目を疑ったほどだ。


 敷地の周囲は大小さまざまな石柱で不規則に囲まれており、囲いを抜けて獣が入り込むことはない。傍目にはただの大岩にしか見えないが、どうやら石柱に古いまじないが施されているらしい。


 籠いっぱいに自作の軟膏や薬湯の元になる粉、その他さまざまな嗜好品――香り付けした蝋燭であったり、白粉や薄付きの口紅であったりを抱えて、よろよろと石柱の間を抜けて行ったリンを思い出し、レグルスはふと窓の外を見やった。


「また泥だらけで戻って来んだろなあ……」


 荷運びくらい手伝えればいいのだが、外から入れないということは、一度入れば容易には出られないということでもあった。


 本来、契約主のリンが許せば同行は可能なはずだというが、契約自体が想定外のものだったこともあってか、「首輪」に刻まれた術は未だ不安定だ。基本的に輪の大きさが一定を保てない上、日によっては岩のように重みを増して圧し掛かってくる。

 勝手口の戸に手をかけただけで逃亡と判断され、危うく窒息しかけたことすらあった。

 それ以来、手伝いを申し出ても、リンは頑として首を縦に振ろうとしない。


 したがってリンが行商に出ている間、レグルスがすることと言えば専ら掃除だった。

 幸いと言ってもいいものか、リンの家はどこもかしこも物で溢れて散らかり放題なので、暇を持て余すということはない。


 共用の部屋は粗方片付いたが、問題はリン個人の部屋である。


「……ほんっと汚ぇな」


 扉を開けた瞬間、顰めた眉が痙攣するようにぴくりと動き、レグルスは深々と溜息をついていた。


 本棚があるにも関わらず卓の上に本をばらまき出しっ放し、書き物机もペンもインクも紙もあるのに、思いついた魔法陣は床の上に書く。

 件の本棚には、あろうことか無数の植木鉢だ。


 壁際に追いやられた実験器具には謎の汚れがこびり付き、転がった大鍋からはでろりと深緑色の液体が零れている。

 調理用具にあるまじき異臭をまき散らす鍋の中身が、時折蠢いているような気がして、レグルスは思わず目を逸らした。


 几帳面な弟ロビンに比べれば、自分なんて大雑把でいい加減な方だと考えていたレグルスも、これにはさすがに考えを改めた。

 ここまで来るともう汚いとか片付いてないとかではない。魔窟だ。


 家を一歩出ると手入れに手入れを重ねた美しい庭が広がっていて、それを思えば決してリンもだらしないばかりの人間ではないのだろうけれど。

 残念ながら、自分の生活には果てしなく無頓着な質らしい。


 部屋も酷いが、彼女自身の装いは更に悲惨だ。

 今日もリンは擦り切れだらけの暑苦しいローブを纏い、初夏の日差しの中に平然と出て行った。

 あれでは、傾国と名高いかつての美貌も、草葉の陰で泣いていることだろう。


(元が悪いわけねえんだからさ……おかげで正体バレてないのかもしれないけど……)


 着飾れとは言わないが、もう少しどうにかならないものか。

 今や雀の巣と化した髪だって、きちんと櫛を通せば十分見られたものになるはずだ。

 何より、背中に流しっぱなしのあの状態では庭仕事もやり辛いに違いない。


 髪紐の持ち合わせくらいないのかと、レグルスは何気なく戸棚の引き出しに手をかけたが、コトンという音と共に奥から滑り出てきたのは櫛でも髪留めでもなかった。


「何だ? ……箱?」


 古ぼけた謎の塊は手に取ってみると案外重く、木製の上部に剥げかかった絵が付いている。

 色褪せてはいるものの、中央に描かれているのは翼を広げた鳥のようだ。

 鍵穴は特に見当たらなかったが、金具が錆びてぼろぼろになっているため簡単には開けられそうもない。


 無理に引っ張って壊してしまっては問題だけれど、既にレグルスの好奇心には火がついてしまっていた。


 試しに耳元で軽く振ってみる。かさり、と中で何かが転がる気配がした。


(小石か……いや、砂? んなわけねえか)


 貴金属の類にしては音が軽すぎる。

 とはいえ、ただの石や砂をわざわざ箱に入れて棚にしまったりするとも思えない。


 リンの行動様式が奇天烈なのは重々承知だが、少なくともこの数か月共に暮らして、そういった趣味があるようには見えなかった。


 だったらこれは一体何なのだろうと眉を寄せ、斑になった鳥の絵と睨めっこしていたレグルスは、不意の物音にハッと顔を上げた。


「!」


 戸口で話し声が聞こえる。どうやらリンが客を連れて戻ってきたらしい。

 植木鉢と入れ替える途中だった本を本棚の空いたところに突っ込み、置きっぱなしにしておいたはたきを慌てて手に取る。


 小箱は、元の場所に戻そうかと少し悩んで、結局ポケットに押し込んだ。

 古めかしい箱の存在なんてリンは忘れているかもしれないが、中身が一体何なのか、後で聞くだけ聞いてみよう。


 リンの家に間借りするようになって初めての来客に、レグルスが戸惑い半分、興味半分で顔を覗かせると、彼に気付いたリンがパッと表情を明るくした。


「レグルス! なんだ、そんなとこいたの? またお掃除? 好きよねー」


 ただいま、と暢気に笑うリンに一瞥をくれて、レグルスは息を吐く。


「おかえり。別に掃除は好きでやってるわけじゃねえよ。お前も少しは手伝えよな」

「やらないとは言ってないじゃない。するわよ。あなたの仕事増やすかもしれないけど」

「よーし分かった俺が悪かった」


 皿やら植木鉢やら瓶やらを盛大に落っことして割るリンの姿が容易に目に浮かび、レグルスは即座に主張を引っ込めた。

 魔法、庭仕事、そして薬の調合に限れば右に出る者のない天下の大魔女アクイレギアは、いつも肝心なところで迂闊である。


「つーか俺はこの腐海をせめて人間が生活できる場所にしようとだな……ああもういいや、とりあえず靴洗って来い。家ん中に泥持ち込むんじゃねえぞ」


 どこまで薬を売りに出かけたのかは知らないが、案の定リンの足元は泥だらけで、ローブからは水が滴っていた。

 生体としていろいろおかしい彼女が風邪を引くことなどあるのか分からないが、普段ふわふわとボリュームのある髪が濡れてぺしゃんこになった様子は、憐れ「濡れ鼠」の一言に尽きる。


「……。おい」


 踵を返そうとしたリンを引き留め、レグルスは乾いたタオルを投げ渡した。


「その前に頭ちゃんと拭けよ。靴洗ったら着替えろ、用意しとくから」

「あら。平気よ、このくらい。そのうち乾くわ」

「あのなあ……」


 深々と二度目の溜息をついたレグルスに、押し黙っていた客人がふと苦笑を漏らした。


「いやあ、さぞご苦労なさってるだろうとは思ってたけど、漸く見つけたと思ったらこれはまた予想外の苦労を……家政婦通り越してすっかり彼女のお母さんですね、殿下」

「ほんとだよ、何でこんなとこ来てまで俺が魔窟の掃除なんかしなきゃ……」


 同情的な声色に危うく頷きそうになったレグルスは、思い切り顔を顰めて抗議の声を張り上げる。


「……じゃねえよ! 誰がお母さんだ!」

「そうよ、ヨナ。わたし、男のお母さまなんていやだわ」

「俺だって嫌だよ馬鹿! っていうか父だろうが母だろうがおかしいんだよ、お前がもっとしっかりしろよ何年生きてんだよ! そこのあんたも! いつまでも笑ってんじゃねえ、ヨナっつったか、こいつと知り合いならあんたからも何か言って……ヨナ?」


 聞き覚えのある名に目を瞬かせ、レグルスは視線を客の男に移した。そう言えば、彼は今レグルスのことを「殿下」と呼びはしなかったか。


 ぽかんと口を開けたレグルスに、「ヨナ」は抑揚のない笑みを浮かべて腰を折る。


「お久しぶりです、レグルス様。……と言っても、以前お会いしたのは殿下が六つの頃でしたから、僕の顔など覚えていらっしゃらないとは思いますが」

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